締め切りという名の断頭台
原稿が、書けない。
これほど単純明快な事実が、これほど人を打ちのめすとは、神も意地が悪い。机の上には煙草の吸い殻と、三幕構成なるものを解説した薄っぺらい教本と、真っ白なモニターの画面だけが並んでいる。
三幕構成。なんという無粋な言葉だろう。物語には起承転結があり、主人公には試練があり、クライマックスには逆転がなければならない――などと、偉い人たちは言う。私はその教本を何度も開いては閉じ、閉じては開き、結局ページの角を折り曲げただけで、一文字も書けずにいる。
プロットポイント一、と教本には書いてある。物語の方向性が決まる転換点。
私の人生のプロットポイント一は、いつだったろう。物書きになると決めた、あの無謀な夜だったか。
時計を見る。午前二時。
編集者の山田くんから「先生、いかがでしょう」という慇懃無礼なメッセージが届いたのは三日前で、私は「佳境です」と嘘をついた。佳境とは、一字も書けていない状態のことを世間では何と呼ぶのか、教えてほしいものだ。
明日の自分へ、遺言を残すことにした。
これが私の長年の習慣である。今日の自分はもう終わった。疲れ果て、才能も尽き、タバコも切れた今日の自分には何も期待できない。だから遺言だ。頼む、などという生やさしい言葉ではない。お前が書かなければ、私たちは共に死ぬ。そういう呪いだ。明日の自分へ贈る、呪いの遺言。
明日の自分よ、死なば諸共だ。
私は布団に倒れ込んだ。
目が覚めた。
午前十時。
視界に入ったのは、飲みかけの冷めたコーヒーと、書きかけで放り出された無残な一文だった。昨日の自分は、あろうことかこの一行を書くために、私の数時間をドブに捨てたのだ。一行。たった一行。原稿の最初の一文字目から、しかも途中で途切れている。句点すら打てなかったのか。
お前は物書きではない。ただの時間を食いつぶす害虫だ。
そう怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られながら、私は昨日の自分という忌々しい亡霊を、布団ごと蹴り飛ばした。
なぜ書かなかった。なぜ寝た。お前は毎晩そうやって明日の私に丸投げして、それで物書きのつもりか。三幕構成の「ミッドポイント」とやらにも辿り着けぬまま眠るとは、恥を知れ。しかし怒鳴る相手はもうどこにもいない。昨日の自分はとうに消えて、後始末だけがここに残っている。冷めたコーヒーと、途切れた一文と、私だけが。
コーヒーを飲みながら、教本を読み返した。
ミッドポイント。物語の中間点。主人公が、もう後戻りできなくなる場所。
なるほど、と私は思った。私も今、ミッドポイントにいる。締め切りまで四十八時間を切った今、もはや「今月は体調不良でした」などという言い訳は通用しない。それはもう先月使ってしまったのだ。
書くか、死ぬか――これは比喩であるが、私の中では比喩でない感覚もある――その二択しか残されていない。
主人公の苦悩が、初めて我がこととして腑に落ちた。
物語の主人公はなぜ苦しむのか。それは、前に進むことも、後ろに戻ることも、もはやできないからだ。私は今、自分が書こうとしている主人公と、寸分違わぬ場所に立っている。
これは悪くない、と思った。
作家が机に向かい書けない苦しみ。それは、読者が日々味わう「生きることの重さ」と、実は同じ形をしているのではないか。三幕構成などという図式は、物語の構造ではなく、人間が生きることの構造なのかもしれない。
指が、動き始めた。
書いた。
書いて、消して、また書いた。
プロットポイント二――物語が最暗部へ転落する瞬間――を書きながら、私は思わず笑った。最暗部とはこういうことか。私は今まさに最暗部を生きながら、最暗部を書いている。作家とはなんと倒錯した生き物か。自分の傷口を眺めながら、その傷の美しさに見惚れている。過去の文豪も、きっとそうだったのだろう。
夜明けが来た。
原稿が、できていた。
送信ボタンを押した瞬間、私は深く椅子にもたれた。
山田くんから「ありがとうございます!」と返信が来た。いつもの定型文だ。編集という立場でありながらセンスの欠片もありはしない。この定型文のために、私は何日苦しんだのか。割に合わぬ商売である。
しかし――これだけは認めなければならない――今月も間に合った。
机の上の教本を閉じる。三幕構成。起承転結。プロットポイント。そんな言葉は、結局どこかへ消えて、手元に残ったのは、私が私の言葉で書いた、ただの短い物語だった。
構造などというものは、魚の骨みたいなものだ。食べている間は気づかないが、なければ魚は魚の形をしていない。
煙草に火をつけた。
来月の締め切りは、三週間後である。
――明日の自分に、また賭けることにしよう。




