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第3話

ルミナがイスタリス公爵邸に帰ってきてから数日が経過していた。この数日間でユタリウスはイスタリス公爵領を巡り、湖でボートにも乗った。胸の奥が、じんわりと温まる感覚があった。

――しかし、このあと起こる出来事をこの時のユタリウスはまだ知らない。

 その日は突然訪れた。ユタリウスが部屋で本を読んでいる時だった。メイドのロリーが急いで部屋にやってきた。

「お嬢様至急報告が……!」

「どうしたの??」

神妙な表情をしたロリーが口を開く。

「公爵様がお帰りになられました!」

「えっ……!?」

ユタリウスは目を丸くしその場で固まった。レオンハルト・イスタリス公爵は皇室の命令により北部に魔物討伐と視察へ行っていたのだ。

――そんな彼が今ここにいる。

(急展開だわ……まさかお父さんに会うなんて。)

レオンハルトの冷たい声と視線、赤の他人のように振る舞う姿が脳裏をよぎる。

「お嬢様……大丈夫ですか?」

ロリーの声にはっと顔をあげると、心配そうな顔をしながらユタリウスの顔を覗き込んでいた。

「……大丈夫。急な報告で少し驚いただけ!」

「良かったです。公爵様が玄関ホールにすぐ来るようにとのことで……」

「わかったわ。すぐに準備するわね。」


       ***


「急な任務で屋敷を空けてしまいすまなかった。命を遂行しただいま帰還した。」

日差しに透けるヘーゼルベージュの髪を無造作に流し、鋭く磨き上げられた黄金色の瞳が周囲を威圧する。冷ややかな表情と共にレオンハルトが玄関ホールに集まった家族や従者に告げる。後ろに控えていた騎士が片手を胸に当て軽くお辞儀をした。

「あなた、お帰りなさい。無事でよかった。」

にこやかに微笑むルミナとは裏腹にティオとユタリウスは少し引きつった表情をしていた。

「お、お父さんおかえりなさい……」

「……おかえりなさい。お父さん。」

そんな2人の姿を見たレオンハルトは少し眉を下げて目を細める。そんな姿を見たルミナがレオンハルトの耳元で囁く。

「レオン……子供たちを抱きしめてあげたらどうかしら?」

「俺がか?」

目を丸くしルミナを見つめ返す。ルミナは頬を膨らました。

「当たり前でしょう?1年ぶりに会うのよ、そんなに素っ気ない態度だと子供たちは離れてっちゃうわよ!」

ルミナに何を言われたのかレオンハルトはユタリウスとティオのそばに駆け寄った。そして優しく2人を抱きしめた。びっくりした2人はレオンハルトの顔を見る。そこには先程の冷ややかな表情はなく、さっきまでの冷たさが、嘘みたいに消え、その目元がふにゃりとだらしなく下がっていく。

「ただいま、2人とも。長い間家を開けてしまいすまなかった。」

レオンハルトはすくっと立ち上がった。表情は戻り、冷ややかでまるで氷河のようであった。

「実は皆に紹介したい者がいる。さぁ前へ。」

レオンハルトがスッと脇に退くとその後ろには1人の少年が立っていた。

(まって……嘘、でしょ……??)

「ウェルドロス辺境伯の令息、アレルだ。少々事情があってイスタリス公爵家で預かることになった。……アレル、挨拶を。」

ユタリウスはアレルから目が離せないでいた。

(どうして……どうして彼がここにいるの……?)

辺境伯の令息とは思えないほど、服は擦り切れ、身体のあちこちに小さな傷が残っていた。

泥に汚れたその姿は、保護されて育った子どものものではない。感情を映さない深い青の瞳と、夜を切り取ったような漆黒の髪。

——前世で、彼女が愛した男と、同じ顔。

けれど、その少年の深い青の瞳には光も温かさはなく、貴族の令息と聞いて思い浮かべるような、礼儀正しさや幼さは、そこには見当たらなかった。

「……アレル、落ち着け。ここにお前の敵はいない。」

レオンハルトが低く、制するような声を出す。しかし、アレルの肩の強ばりが溶けることはなかった。そんなアレルから目が離せなかったユタリウスに気づいたのだろうか、2人の視線がぶつかる。その視線に動揺しユタリウスは思わず一歩、後ろに下がりそうになる。だが、裾を握りしめて堪えた。

(なんでこっちを見るの……?)

「アレル、紹介しよう。妻のルミナ、娘のユタリウスと息子のティオだ。」

レオンハルトは淡々と紹介を続けた。ルミナが一歩前に出てアレルのボロボロの姿に悲しげに目を細めると、慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。

「ようこそお越しくださいました。ルミナ・イスタリスと申します。遠くから大変だったわね。今日からはここがあなたの家だから何も心配しなくて大丈夫よ。」

ルミナがそっと手を差し伸べると、アレルは一瞬、弾かれたように肩を震わせた。差し伸べられた温かな"拒絶のない手"に、どう反応すればいいか戸惑っているようだった。

「……よろしく、お願いします。」

ルミナの影からティオがちょこっと顔を出した。初対面のため緊張しているのかおどおどしく挨拶をする。

そして、最後はユタリウスの番だった。喉の奥が引き攣るような感覚を覚えながらも、公爵令嬢としての教育が彼女を動かす。ユタリウスはドレスの裾を優雅に持ち上げ、カーテシーをする。

「……お初にお目に掛かります、ウェルドロス辺境伯令息。ユタリウス・イスタリスですと申します。よろしくお願い致します。」

顔を伏せ、極力目を合わせないように告げる。

「……ユタリウス」

アレルが初めて口を開いた。ぽつりと彼女の名前を呟いたがそれ以上口を開くことはなかった。

「ルミナ、アレルを客間に案内してくれ。ボロボロではないか……まずは湯浴みと着替えが必要だ」

レオンハルトの淡々としかし少し温かみを帯びた声でようやく視線の枷が外れる。

「えぇ、そうね。侍女長、準備をお願い。……そうだ。ユタリウス、落ち着いたらアレルにお屋敷を案内してあげてくれない?」

「……えっ私が案内をですか?」

「ええ。歳の近い貴女が一番話しやすいでしょうし、お友達になれると思うの。」

ルミナは慈愛に満ちた笑顔で答えた。しかし、ユタリウスの心臓は警鐘を鳴らし続けていた。

目の前でこちらを無言で見つめ続ける少年は、彼女が一番愛し、そして彼女の心を深く傷つけたあの男と同じ顔をしている。

(お友達なんて、絶対に無理……!)

しかし彼を拒絶できるような理由もない。その場から逃げ出したい衝動に駆られたが、ドレスの裾をグッと握り穏やかな笑顔をしてみせる。

「……はい。わかりました。」

「ありがとう。それじゃあ行きましょうか。」

ルミナはユタリウスににこりと微笑みかけるとアレルの手を取り去っていく。残された3人の間には沈黙が流れていた。

「……それでは私も失礼します。」

ユタリウスはそう告げると2人にお辞儀をし早足でその場を後にした。自身の部屋に着くと力ずよくドアを閉め、その場にへたりと座り込む。

 (どうして、もう会うことなんてないと思っていたのに……)

先程の少年の視線が脳裏に浮かぶ。揺れずに一身に見つめてくる温かさのない少年の瞳。前世で愛した人と同じ顔。

(このまま、流されるもんですか……!)

 彼女はグッとその小さな手を握りしめる。

――歯車が、音もなくズレ始めた。

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