第1話
私には好きな人がいた。全てが好きだった、愛おしかった。顔も声も仕草も優しさも。私に向ける笑顔が1番好きだった。彼に好きな人がいて自分のことなど眼中に無いとわかっていてもいつか絶対に振り向かせてみせるのだとそう心に誓っていた。しかし、彼と出会って2年以上が過ぎたある夏の日、私の恋は終わった。どんなに追いかけ続けても、気持ちを伝えても、待っていても叶わない恋があるということを知った。彼とは友達でいることさえ叶わなかった。もう一生会うことがなくなってしまった。私は呆気にとられ涙が止まらなかった。
ある日のバイト終わりの帰り道、あたりは暗くなっており人通りも少なかった。私は彼ともう二度と会えないという事実に胸が痛み落ち込んでいた。横断歩道を渡っていたその時、横から強い光が身体を照らし、クラクションの大きな音が鳴り響いた。私が気づいて逃げようとした時にはもう遅かった。
――そして気がつくと私は広いベットの上に寝ていた。
(ここは……すごく広い部屋にフカフカのベット……あれ?私さっき横断歩道を渡ってそれで……)
考え込んでいるとドアをノックする音が聞こえた。
「お嬢様、おはようございます。朝の支度をしにまいりました。」
びっくりして咄嗟に起き上がり、声のする方を見ると漫画や映画で出てきそうなメイド服を着た女性が部屋へ入ってきた。
「こちらのお水で顔を洗ってくださいませ。」
そういうとメイドは水の入った容器をベットのそばまで持ってくる。
「えっと……ありがとう。……突然なんだけど変なこと言ってもいいかしら?」
そういうとメイドがキョトンとした顔で振り返る。
「はい、なんでしょうか?」
「私の名前を……呼んでもらえる?」
「はい?お嬢様のお名前をですか……?」
「そう!貴方に呼んで欲しくて……名前を……」
そういうとメイドは困った顔をしながらごもごもと口を動かした。
「……お嬢様……ユタリウス・イスタリスお嬢様」
その名前を聞いた時ある場面が浮かび上がった。
――そうここは私が前世で大好きだった小説『貴方に愛を捧げましょう』の小説の中だ。
この物語は主人公とヒロインが恋に落ちるというよくある恋愛小説である。この小説に出てくるユタリウス・イスタリスは主人公のことが好きでヒロインに嫉妬しありとあらゆることをしてヒロインの邪魔をしようと試みるのだ。しかし、最後にはヒロインへの様々な悪事によって
――処刑され、死んでしまう。
(最悪……まさか悪役に転生しちゃうなんて……でもどうやら私が転生したのはユタリウスの子供の頃。つまりヒロインと会う前ってわけよね。)
ユタリウスは小さな掌をグッと握りしめた。
「お嬢様……?どうかされましたか?」
隣にたっていたメイドがユタリウスの様子を伺っている。
(そうだった……!メイドさんがいたんだった。)
「だ、大丈夫!なんでもないわ!えーっと……貴方のお名前も言ってみてもらえないかしら?」
メイドは目をぱちくりさせながら答えた。
「ロリーです。お嬢様大丈夫ですか?今日はなんだか様子がおかしいような……」
ロリーが怪しげな顔をしてユタリウスを見つめる。
「そうだ!朝の支度をしないと!」
ロリーの言葉を遮りそう言うとユタリウスはベットから降り顔を洗った。
「ロリー、髪と着替えお願いするわね。」
ユタリウスがにこりと微笑みかけるとロリーは少し戸惑ったがこくりと頷いた。
「は、はい……わかりました。」
侍女のロリーに髪を整えてもらいながら、彼女は鏡の中の自分を見つめた。鏡の中にいたのは、陽光を透かした蜂蜜のように柔らかなヘーゼルベージュの髪に縁取られた長い睫毛の奥で揺れる春の森の静寂を閉じ込めたような深い新緑の瞳をしていた。
(……これが、私? 小説の中の『悪役』だなんて信じられないくらい、綺麗……)
***
ユタリウスは支度を終えて朝食を取りに部屋を出た。ロリーに案内されて食堂に向かって廊下を歩いていると向かい側からヘーゼルベージュの髪をふわふわと跳ねさせ、大きな緑色の瞳をキラキラと輝かせながらユタリウスの弟ティオ・イスタリスが歩いてくる。
「あー!お姉ちゃん!おはよー!」
満面の笑みで片腕がとれそうな勢いで手を振っている。ユタリウスも軽く手を振り返した。
(この子がユタリウスの弟か……小説での姿と全然違って可愛い……)
「おはようティオ。」
ティオは恋愛小説『貴方に愛を捧げましょう』の中だと悪役の姉が大嫌いであり口も聞かない。ティオはヒロインのことを好きになるが片思いで終わってしまう。口が悪く態度も悪いのだがヒロインにはとっても優しいキャラだ。
「お姉ちゃん、今日はお庭でボール遊びしようよ!」
ティオはキラキラとした目でユタリウスを見つめる。
「いいけど……私とでいいの?」
そう言うとティオはきょとんとした顔をした。
「いつも遊んでるじゃん!ダメなの……?」
(そっか!今はまだティオに嫌われる前なんだ……)
「いや!ダメじゃなくてちょっと気になっただけ!!ごめん気にしないで!」
「ふーん変なの……じゃあ早く食堂行こー!」
そう言うとティオはユタリウスの手をひっぱり走り出した。
ユタリウスは寝る支度を終えて広いベットの真ん中にポツンと座っていた。外は闇に、部屋の中は静寂に包まれている。
(今日は何とか乗り切れたわ……一旦状況を整理しよう。)
ユタリウスはベット真ん中で大の字型で寝転がる。私は『貴方に愛を捧げましょう』の中の悪女ユタリウス・イスタリスに転生した。年齢はおそらく7,8歳でまだヒロインと出会う前。つまりユタリウス……私が死ぬ未来を回避することができるということだ。
(よし!悪役ルートを脱出して生き延びるのよ!そのためにはヒロインと主人公になるべく関わらないようにしなくちゃ。)
そう決意したユタリウスは襲い来る睡魔に負けて眠りについた。
***
外は春の暖かい日差しに包まれ、きらきら輝く朝日が窓ガラスを照らしている。ユタリウスの部屋のドアがバンッと大きな音を立てる。大きな音で目が覚めたユタリウスは飛び起きた。
「な、なに!!?」
「お姉ちゃーん!!おはよ!!」
目をきらきらさせながらベットへとティオが駆け寄ってきた。
「朝から元気だね……」
「もちろん!!だって今日はお母さんが帰ってくるんだもん!」
「あっそうか……」
(そういえば昨日そんなこと言ってたな……)
ユタリウスの母親は実家の父が倒れてしまい、後継者である兄が魔物討伐に出ていたため2年間、領主代行として実家を切り盛りしに行っていたのだ。しかし兄の討伐が終わったため、母親であるルミナ・イスタリスは今日イスタリス公爵家へと帰っていくるのだ。
「2年ぶりにお母さんと会える!!」
「そうね……久しぶりだわ……」
ユタリウスは引きつったような笑顔で答えた。
(本当は初めて会うけれど……私は転生した者だし以前のユタリウスとは別人……本当の母親に疑われないかしら……)
ごくりと唾を飲む。神妙な表情のユタリウスをティオがまじまじと見つめていた。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「えっ!!ううん!!なんでもない、なんでもない!」
「ほんとにぃ??」
ティオは怪しいとい言うような顔をしながらユタリウスを見る。
「そんなことより!!準備をしたいから先に食堂に行ってて!!」
ユタリウスはティオの背中をグイグイとドアの前に押して歩いた。
「はーい……」
ティオは疑った様子をしながらも素直に返事をして部屋を出ていった。その姿を確認したユタリウスは確認しドアを閉める。部屋にはユタリウス以外誰もいない。
「はぁ……お母さん、か……」
小さなため息をついた。ユタリウスは興味と罪悪感に気持ちが揺れていた。




