57本目・スラの名は
ある日の農場。
ニコチ草畑が白い霧のように揺れていた。よく見ると、無数の小さな害虫——「ミントムシ」と呼ばれる虫が群がっている。噛まれるとニコチ草が茶色く変色し、葉っぱがボロボロになる厄介者だ。
「こいつら、放っておくと収穫全滅だぞ……!」瞬が鍬を構えるが、すぐに小さなぷるんとした影が飛び出す。
「ぷるるんっ!」
フロストスライムだ。
口をすぼめて「ふぅ〜っ」と冷気を吐きかけると、ミントムシたちは一瞬で凍りつき、パラパラと落ちていく。
残ったのは氷漬けになった害虫の殻。それを砕くと、スースーする成分が残っていて……。
「わぁ! これ、メンソール素材に使えるんじゃない?」優衣の目がキラキラと輝く。
「確かに……吸ったときに清涼感が出そうだな」瞬が顎に手を当て、珍しく感心する。
「役立つじゃないか、フロストスライム!」きいも尻尾をぶんぶん振った。
その流れで、優衣が両手を叩く。
「じゃあ! ここらでちゃんと名前を決めよう! このまま“フロストスライム”じゃ長いし、愛着がわかないし!」
「……嫌な予感しかしないにゃ」きいが耳をぺたんと寝かせる。
名付け会議スタート!
「まずはやっぱり……“スラ◯ン”!」
「はい出たあああああああ!!」瞬ときいが即ツッコミ。
「ちょっと! だって見た目もセリフもスラ◯ンだし! 悪いスライムじゃないんだよぉ〜って言ってたじゃん!」
「それ言ったら色んな壁を越えることになるからやめろ!」
「訴えられたら農場ごと氷漬けになるにゃ!」
「じゃあ……“スラ◯ち”! あのウォーキングゲームで歩くとついてくる子! めっちゃ可愛いじゃん!」
「だから危ないって言ってるだろおおお!」瞬が本気で頭を抱える。
「名前に“ち”をつけただけで安全圏に行けると思うなにゃ!」きいがぴょんぴょん跳ねながら叫ぶ。
「うーん……じゃあ“ピエール”! なんか勇者パーティにいても違和感ない感じしない?」
「それはもっとダメえええ!!」瞬が膝から崩れ落ちる。
「よりによって某世界でスライム騎士やってる名前にゃ! それ使ったら完全にアウトにゃ!」
「じゃあじゃあ、“リ◯ル”! 転◯ラみたいに強そうでかっこいい!」
「一番ダメだあああああああああ!!!」
「もう優衣、逮捕される未来しか見えないにゃ!」
優衣はほっぺをぷくっと膨らませ、腕を組む。
「むー! なんでどれもダメなの! だってオマージュってやつでしょ? 愛だよ愛!」
「愛があっても現実的な壁は越えられないんだよ!」瞬が机を叩く勢いで吠える。
「畑守るどころか、裁判で農場差し押さえにゃ……」きいは涙目だ。
そのとき、スライム自身が「ぷるんっ」と鳴き、地面に小さな氷結晶をぽとりと落とした。
優衣がそれを拾い上げ、きらきら見つめながらつぶやく。
「……じゃあ、“ぷるりん”とか、“ひえたま”とか、“スースー丸”とかならどう?」
瞬ときいは顔を見合わせて——。
「……それならギリセーフか?」
「にゃ……まあ、笑われるだけで訴えられはしないにゃ」
こうして、候補はいったん「ぷるりん」「ひえたま」「スースー丸」に絞られることになった。
しかし——夜になって優衣は布団の中で小声でつぶやく。
「でもやっぱり……スラ◯ンって呼びたいなぁ……」
隣で寝ていたきいの耳がピクッと動く。
「ダメだって言ってるにゃああああ!!」
農場にまた、ツッコミのこだまが響き渡るのだった。




