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56本目・プルプル⋯

森の小道に、ぽつんとした小さな氷の粒が光った瞬間だった。


「ぷ、プルプル……ぼ、僕……悪いスライムじゃないよ……!」


 淡い水色のゼリー状の塊が、震えながら顔を出す。体内にちっちゃな氷片をぷかぷか浮かべて、ほんのり冷たい霧を漂わせている。フロストスライムだ——正式名称はそうだが、その場にいた三人は瞬時に別の単語を連想した。


 優衣の目が一瞬できらめき、口元が勝利の牙のように開いた。


「きゃああああ! しゃべるスライム! き、き、き、これは完全に……ドラク◯のスラ◯ンじゃん!!」


「な、なにその言葉!」瞬が慌てて叫ぶ。普段はどっしり構えている瞬が、珍しく声をあげるほどの緊迫ぶりだ。


「にゃあああ! 優衣、黙るにゃ! それ以上は色々まずいにゃ!」きいが勢いよく飛びつき、優衣の口をふさぐ。猫の体とは思えぬ勢いで、優衣の両頬につめたての肉球を押し付ける。


 だが優衣は口を押さえられても目が泳ぎ、鼻息を荒くしたままだ。


「だってだって! ほら、これほら——プルプルってしてる! 絶対スラ◯ン! しかもこのセリフ、あの名台詞にそっくり! 進化したらキングになるかも! いや、まずはスラ◯ンベスを……!」


「やめろやめろやめろおおお!!」瞬ときいが同時に叫ぶ。瞬は手を必死に振り回し、きいは優衣の髪を引っ張ってでも黙らせようとする。まるで漫才のオチを阻止するかのような有り様だ。


 しかし優衣は止まらない。全身でテンションを爆上げして、フロストスライムをぎゅっと抱きしめる。


「よーし、今日からあなたは“スラ◯ン”! 名前は決まり! もうペットにしちゃう! 畑のマスコット! 頭にちょこんって乗せて瞬と一緒に鍬を振りたい〜!」


「畑のマスコットって……それどういう非合理!?」瞬が叫ぶ。だが優衣の目に浮かぶのは、すでに頭にちょこんとスライムを乗せた瞬の姿だ。想像しただけで瞬の顔面蒼白。


「ちょっと待て優衣!それ呼び捨てにしてるだけでも危険なのに、世界観そのままで遊ぶな!」


 きいは必死に格闘を続ける。優衣の口を押さえながらも、同時に腕を伸ばしてスライムを引き離そうとする。が、優衣はスライムを抱えたまますごい勢いで抵抗。結果、きいは空中にすっ転び、勢いで地面に「ゴンッ」と頭を打つ。周りの木の葉が一斉に「大丈夫かにゃ?」と波打つ。


 フロストスライムはその様子を見上げて、ちょっぴり困った顔をしたように見える。


「……あの、僕、本当はフロストスライムっていう名前で……進化もしないし、仲間も呼ばないよ……」

「ぷるぷる……僕、ただ森の葉っぱを食べて、冷たい結晶を作るだけなんだ……」


 優衣はそんな説明すらも聞き取らず、勝手に妄想の世界を展開する。


「でもね! スラ◯ンを育てればレアドロップが! きっと“冷気のかけら”がいっぱい出る! それでニコチ草に混ぜればメンソールができるっていう単純計算〜!」


「その単純計算が何もかもヤバいんだよ!」瞬が両手を顔に当てて絶叫する。思わず通りすがりの小学生が二度見するレベルだ。


 そこへ、どこからか森の住人が集まってきて、にわかに見物客が増える。猫耳の商人、兎耳の子ども、鍛冶屋ガイエンの弟分が遠目にニヤニヤ。優衣のテンションにつられて、見物人も小さく笑い始める。


 きいは疲労困ぱいでふらふらと立ち上がり、最後の力を振り絞って優衣の両肩を掴む。


「優衣、お願い、落ち着くにゃ! この世界はRPGのミームで埋め尽くす場所じゃないにゃ! その単語を言えば版権の龍がリアルに降りてくるにゃ!」(※きいの心の中で勝手にそう信じている)


「ふんむーっ!」優衣はムンクの叫びのように顔を歪め、なおも食い下がる。


「だったらさ! 名前は“スラ◯ン”じゃなくて“すらぴょん”とか“ぷるりん”とかにすれば良くない? ねぇねぇ、ぷるりんって可愛くない?」

「その改名が余計に危険だって言ってるにゃあああああ!!」


 そのやり取りの真っ只中、フロストスライム……いや、本名フロストスライムは、突然くるりと身をよじり、小さな結晶を「ぷるん」と一つ取り出した。掌に乗せると、ほのかに冷たく、鼻を近づけるとスーッと抜ける清涼感があった。


「ね? 僕、結晶を作るんだよ。これを乾かして砕けば……ちょっとスースーするかも!」

「おおっ! ほんとだ!」優衣の目はもう星が飛んでいる。だがきいは即座にその結晶を奪い取り、優衣の鼻先で振ってみせる。


「くんくん……あっ、スーッとするにゃ!」きいのヒゲがびくりと動く。

「いい匂いだし、優衣、これなら乱獲にならないよ! スラ◯ンを大事に育てて、結晶を分けてもらえばいいんだよ!」優衣は鷹揚に言う。


 瞬は深いため息をつきながら、やれやれと肩をすくめた。


「わかった。乱獲はやめよう。ただし、農場でちゃんと管理して、スラ◯ンはペット扱いにする。結晶が増えたら配合してメンソール風にチャレンジする。だが、名前は“フロストスライム”のままで頼む。お願いだから“スラ◯ン”はやめてくれ」


「えー、冷たい世界で冷たい心のままだねぇ瞬……でも約束する! いい?今日から“すらぴょん”改名はしないって!」優衣は満足げにうなずく。きいは半眼で「やれやれ」といった顔で地面にぺたりと座り込む。


 その夜、三人と一匹は農場に戻った。スラ◯ンは小さな箱の中に敷いた毛布の上で丸くなり、ぷるぷるしながらも穏やかに眠っている。優衣はそっとスラ◯ンの頭を撫で、何か歌のような口笛をふと吹いた。


 すると、それに応えるかのようにスラ◯ンがちっちゃく鳴く。周囲の虫たちも、いつもより少しだけ優しく鳴く。夜風が畑を撫で、どこか牧歌的な光景が広がった。


 きいは疲れ果てて草むらにへたっと倒れこむ。両手に顔をうずめ、小さなため息を漏らしながらつぶやいた。


「にゃ……にゃあ……。優衣め、やっぱり手に負えないにゃ。もう……ツッコミ筋が筋肉痛にゃ……」


 瞬は黒焔・クワを軽く地面に突き、笑い混じりに言った。


「まあ……今日は笑ったな。下手すると世界観が粉々になるところだった。だが、スラ◯ン(フロストスライム)を飼うのは悪くない。あの結晶、うまく扱えばメンソール風味は再現できそうだ」


「わーい! じゃあ明日から“スラ◯ン農場”始動にゃ!」優衣が満面の笑みで跳ねる。スラ◯ンも小さく「ぷるっ」と振動して返事をする。


 畑の夜は静かに深まり、満月がふたりと一匹の小さな笑い声を柔らかく照らしていた。

——そして、優衣の口から漏れたひとことがあった。


「ねえ、瞬。もしも“スラ◯ンベス”とか出てきたら、うちのスラ◯ンも進化できるかな?」


 瞬は大人の余裕で首を振り、きいは息も絶え絶えに両手を振る。


「絶対に進化しないから安心しろ」

「にゃあああ!!」


 全員、力尽きた顔で大笑い。今夜は笑いすぎて眠れるだろう——そんな終わり方で、この大騒動は幕を閉じた。

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