1-2 困惑の猫とおかしな家
要が用意してくれた運動用のジャージに着替え、久遠と守は猫ノ目本邸までやってきた。なんで本邸まで移動しなければいけないのかと、寝起きもあって久遠は心の中で文句を重ねる。
それも本邸前にズラリと並ぶ人の姿をみた瞬間、消し飛んだ。
まだ早い時間だというのに、本邸前には数十人の人間が集まっている。全員、真っ黒な服を着ており、朝の明るい雰囲気から浮いていた。どちらかといえば、夜の闇に溶け込みそうだと思ったところで、彼らが身に着けているのが狩装束だと気づく。
とっさに守の背に隠れた久遠は恐る恐る顔を出し、集まった人々の姿を観察する。性別も年齢もバラバラな彼らは、一見すると普通の人間に見えた。毎夜、ケガレを浄化するために夜の街を駆け回っているとは思えない。
「そういえば、久遠様ときちんと挨拶していませんでしたね」
久遠の反応を見て、守は納得した様子を見せた。守からすれば顔見知りでも、久遠からすれば知らない人だ。久遠の初陣は鳥喰主導のもとであったし、狩りに参加するものは顔を隠すのが習わしだ。事件中はそれどころじゃなかった。事件後は寝込んでいたので、久遠が猫ノ目狩部隊ときちんとした形で対面したのはこれが初めてだ。
身内だと分かって久遠の緊張は少しだけとけた。しかし、彼らが勢揃いしている理由は分からない。久遠には早い時間だが、昨夜も狩りを行っていた狩部隊からすればそうじゃない。今すぐ寝たいはずだ。
だというのに、なぜ本邸の前にそろっているのか。まるで久遠と守を待っていたようだ。ここに来るようにいった生悟と朝陽の姿もない。どういうことだろうと困惑している間に、狩部隊の中でも特に貫禄がある、四十代くらいの男性が突然膝をついた。
「久遠様、この度は不甲斐ない我らの代わりにケガレを浄化してくださって、誠にありがとうございます」
男性が跪き頭を下げると、後ろに並んでいた隊員たちも一斉に跪いて頭を下げる。一糸乱れぬ動きに久遠は驚き、子供の自分に対して大人が集団で頭を下げているという状況に狼狽えた。
「あ、頭をあげてください! 俺はそんなことをされるようなことは……!」
「我々の命、猫ノ目の未来、なにより透子様の命を救ってくださいました」
男は噛みしめるようにそういった。透子の命という言葉が特に重く、感情がこもって聞こえた。
だからこそ分かってしまう。ここにいる人たちは誠と同じく、透子に負担をかけていることに歯がゆさを感じつつも、助ける方法が分からずに苦しんでいた。
「透子様がケガレに取り憑かれたと聞いた時、もう助からないのだと私は諦めました。透子様を救う手立てなどない。ケガレに取り憑かれ、悪名を後世に残すよりは悲運の猫狩として楔姫の元に帰った方が良い。そう私は諦めてしまいました。あの方が苦しむ様をずっと見てきたというのに」
男の拳に力が入ったのが分かる。顔はよく見えないが、ぎりっという奥歯を噛む音がした。
「透子様の苦しみを見てきた私たちは諦めてしまったのに、久遠様は諦めなかった。久遠様に透子様を救う義理などないでしょうに。透子様は久遠様に冷たくあたっていましたし、私たちも守にあなた様の世話を押しつけて、引きこもっているなら仕方ないと向き合うこともしなかった。私たちを薄情だと罵る権利はあっても、助ける道理などなかったはず。それでも久遠様は私たちを救ってくださった」
男はさらに頭を下げた。その体勢はもはや土下座といって差し支えなく、久遠は道永邸にて生悟たち鳥喰一行に土下座されたことを思い出す。慌てて止めようとするも、それよりも早く狩部隊の面々は隊長に習って全員土下座の体勢をとった。
「このたびは誠に申し訳……!」
「いいですから! 俺、気にしてないので頭上げてください!」
こんな短期間で何人もの大人に土下座される状況ってなんだろう。五家の人たち軽々しく土下座しすぎじゃないか? もうちょっとプライドもとう? と心の中で混乱しながら叫んでみても、当然相手に伝わるはずもない。
「ハッ! 今更ですね! 無能で残念な見込み違いの猫狩でしたっけ? あなた方、よくもまあ久遠様の前におめおめと出てこられましたね。土下座ぐらいで許してもらえると思わないでください」
「守さん、何いってんですか!?」
土下座集団リターンズに久遠が慄いている間に、謎のスイッチが入った守が部隊員たちを鼻で笑った。
腕を組み、顎をあげ、土下座する集団を見下す守の姿はやけに様になっていて、この構図だけ見ると完全に守が悪役である。部隊員たちも怒ればいいのに、守の言葉に反論することもなく、自分たちが悪いとばかりに縮こまっている。
久遠からすれば知らない人だが、守からすれば昔から知っている親戚。久遠が来るまで追人として活躍していたのだから、仲間のはずだ。そんな相手に、なんで高圧的な態度がとれるのか、久遠には全く分からない。
「俺引きこもってましたし、狩りのことも霊力のことも何一つ分かっていなかったんですから、無能で見込み違いはまちがってないでしょう。俺が引きこもっている間、透子さんと道永さんが無理をしていたわけですし、皆さんが俺に対して不満を持つのは当然のことです。謝ることなんて何もないんですよ」
「聞きましたか! この寛大なお心を! あなた方は全員過去の非礼を詫びて、生涯を久遠様に捧げるべきです!」
「なんでそうなる!」
思わず久遠は敬語を忘れて叫んだ。自分でもこんな大きな声出せたんだと、ビックリするぐらの声量が出た。頭を抱える久遠の隣で守がやけに生き生きしている。出会ってから数ヶ月、知らなかった守の一面に久遠は正直引いた。
守の豹変っぷりに驚いて狩部隊の方々も正気を取り戻してくれないだろうか。そう思って久遠は恐る恐る様子をうかがったが、彼らはなぜか感極まった様子で久遠を見つめている。
「なんて寛大なお方なんだ……!」
「我々の非礼を全て水に流してくださるなんて」
「そんな方に対して、我々はなんて酷いことを!」
「久遠様、私は久遠様に生涯仕えることを誓います!」
「何この人たち、こわっ!」
久遠を神様か何かのように崇め、有り難いとばかりに両手を合わせ、中には涙まで流す大人たちを見て、久遠は素直に引いた。自分の血と生まれと向き合おうと思っていたが、前言撤回して逃げたい。やっぱ五家おかしい。
「この家やっぱおかしい!」
ついに胸に秘めることが出来ずに叫び、逃げようとしたが踵を返した体は誰かにぶつかって止まる。しかも逃げないようにがっしりと体を抑えつけられ、久遠は鼻をぶつけた痛みも忘れて、恐怖やら驚きやらでぐちゃぐちゃの感情のままに顔をあげた。
久遠を抑えつけたのは朝陽だった。至近距離で見てもよく言えばクール、悪く言えば能面の顔立ちに綻びは見つけられない。瞳は夜を思わせるほどに真っ黒で一切の感情が見つけられず、久遠は先ほどとは違う意味で恐怖を覚えた。
「くおーん、慕ってくれる隊員を放置して逃げるのは可哀想だろ」
突然現れた朝陽に固まっていると、朝陽の後ろから生悟がひょっこり顔をだした。朝陽が夜なら生悟は太陽。真っ暗な夜に太陽の光が差し込んだことに、久遠はほっとしてこわばる体の力を抜いた。
「気持ちは分かりますけどね。久遠様は普通の人間として生きていらっしゃったんですから、神様のように扱われても戸惑うでしょう」
「神様って……、五家の神様は楔姫様じゃ」
「楔姫様が最高神で、そこに連なるのが現人神と讃えられる各狩人。というのが五家の宗教観です」
「今度詳しいことお教えします」という朝陽の言葉に、久遠は全力で「遠慮します」と言いたくなったが空気を読んで飲み込んだ。本当は聞きたくないが、聞いておかないと後々面倒なことになりそうな気もする。
朝陽に逃亡防止された状態のまま振り返ると、守は「久遠様に気安く触るな!」と怒り狂っているし、隊員たちは逃げだそうとした久遠に戸惑っているようだった。その姿を見て久遠は嫌なことに気づいてしまう。
五家の人たちは狩人を崇めるのが当然だと思っているし、狩人は本来崇められることが当然なのだ。だから透子は猫狩としての役割を果たせず、敬意が失われることに追い詰められた。狩人の中でも特に敬意を集めている生悟に嫉妬した。
朝陽が口にした現人神という言葉を反芻する。
現人神とは人間の姿で現れた神を示すのだという。五家の人間にとって狩人たちは神。敬意を示しつつも荒ぶる神となれば古今東西に存在する伝承のように封印されたり、討伐される。
五家の人間はきっと狩人たちを、人間とは別の存在だと無意識のうちに区別している。人の形をもちながら異能を持ち、ケガレと戦い、時にはその身をもってしてケガレを倒し、いつかは楔姫様の元に戻る。そういう人からはズレた存在だと考えている。だから透子が取り憑かれた時に諦められたのだ。人ではないのだから、そういう使命を持って生まれたのだから仕方がないのだと。
「やっぱ、この家おかしい……」
「同意します」
誰にも受け入れられずに消えると思っていた独り言に、返事が返ってきて久遠は驚いた。
朝陽が久遠の顔を見下ろしている。いつもと変わらない無表情かと思えば、真っ黒な瞳に揺らぎのようなものが見えた。よくよく見なければ分からないが、かすかに眉が寄せられている。
久遠の考えに同意するといった発言や、不快を表す反応に久遠は自分と同じ考えの人がいるという安心感と、なぜという疑問を抱いた。朝陽だって五家の人間なのに……。そう思ったところで朝陽の名字は高畑だと思い出す。朝陽はこの場で唯一、五家の血を引かない人間だ。
「ちょっと久遠、なに朝陽と見つめ合ってんの」
不愉快そうな声が間近で響く。見れば生悟が見つめ合う朝陽と久遠の間に割って入るように身を寄せていた。久遠は慌てて朝陽から体を離す。もう逃げないと思ったのか、生悟の不機嫌さに何かを思ったのか、朝陽もあっさり久遠の体を離した。
「久遠様とは仲良くなれそうだなと思っていただけです」
「仲良く? 俺より?」
「生悟さん以上なんてあり得ません」
珍しく不機嫌そうな生悟に朝陽はあっさり答えた。そこには今までなかった笑みが浮かんでいる。生悟はしばし眉を寄せたままに朝陽をじっと見つめた後、ふいっと顔をそらした。
「後で聞く」
「えぇ、いくらでも」
そういって朝陽は楽しそうに笑い、歩き出す生悟の後に続いた。久遠は不機嫌な生悟にビクビクしているというのに、怒りをぶつけられた朝陽の方は全く動じていない。そもそも生悟が不機嫌になった理由もよく分からないし、朝陽が自分と仲良くなれそうといった意味も久遠にはよく分からなかった。
共通項としてはやはり外の視点を持っていることだろうか。
「久遠、朝練始めるぞ」
生悟の口調にはやはりトゲがある。機嫌の悪い人間に近づきたくはなかったが、逃げるわけもいかない。朝からなんだと思いながら、久遠は恐る恐る生悟たちへ近づいた。




