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ビーストリー  作者: 黒月水羽
第一章 迷子の猫
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ある幸せな世界の終わり

 久遠、目をそらしてはダメよ。

 何度も母は幼い久遠にそう言った。

 生まれつき人と違う、金色の目を気持ち悪いと虐められた時も。黒くて気持ち悪い生き物を暗闇で見つけた時も。金目が少しでも隠れるようにと前髪を伸ばし始めた時も。

 母は何度も久遠の目を見てその言葉を口にした。


 目をそらしてはダメよ。


 そのたびに久遠は泣きたくなった。小さい頃は声を上げて泣いた。なんで見ないといけないのかと。目をそらしてはダメなのかと。


 自分を化物だと虐める子たちなんて見たくなかった。気味が悪いと噂話をする大人だって見たくなかった。夕暮れが近づくとこちらをじっと見つめてくる、自分と両親にしか見えない黒い生き物。アレだって見たくなかった。


 けれど、目をそらそうとすると母は決まって言った。目をそらしてはいけない。

 気持ち悪いと周囲に言われる久遠の金色の目をのぞき込んで、真剣な顔で言うのだ。今は分からなくても、いつか分かる日がくるからと。


 母はそれ以外はとても優しかった。泣く久遠を抱きしめて、大丈夫と慰めてくれた。

 父も時間のある限り一緒に遊んでくれた。人目に出たがらない久遠のために、家の中で一緒にゲームをしたり、漫画を読んだり、アニメを見たり。外に出なくたっていろんなものがあるのだと、久遠にたくさん教えてくれた。


 久遠は父と母が好きだった。自分の金色の目を不気味だと言わない。両親の目は他の人たちと同じ黒色で、久遠とはまるで違う。血がつながっていないんじゃないか。と噂する大人や、はっきりバカにする子供もいたけれど、久遠はそれでもよかった。

 世界は怖い。久遠には敵しかいなかった。自分を傷つける怖くて、恐ろしくて、闇の中に潜む気持ちの悪い黒いものと一緒に見えた。


 そんな中、両親だけが久遠にとって安全だった。たとえ血がつながっていなくても、久遠を守り、愛してくれるからそれでよかった。それで十分だったのだ。


 それなのに、世界はやはり怖い所だった。


 線香の匂いが鼻をつく。黒い服を着た、知らない大人が久遠を取り囲んでいる。子供は久遠だけ。静まり返った空間に響くのはお経と外から聞こえる蝉の声。


 きれいな花に囲まれた祭壇の上で、両親が笑っている。一度だけ家族旅行で遠出した時の写真だった。久遠の目は色つきのメガネで隠して、3人で美味しいものを食べ、きれいな景色をたくさんみた。久遠を中心にして両親が笑っている。いつも久遠に向けてくれる優しい笑顔。久遠にとって唯一で、一番の安心出来る人たち。

 それは、小さな桐箱に収まっている。


 数日前までは笑っていた。少し出かけてくるから。すぐ戻るから。そう笑って家を出て行ったのに、両親は帰ってこなかった。代わりに来たのは知らない大人たち。両親が自動車事故で亡くなったと淡々と告げた大人たちは、状況が飲み込めない久遠の手を引いた。

 そして久遠を引きずり出したのだ。世界で唯一、久遠が安心できる幸せな場所から。


 それからは夢心地だった。

 事故で悲惨なことになっているからと両親の顔を見ることは許されなかった。実感のわかないまま、知らない大人に言われるままに、知らないホテルにとまり、葬式をして、火葬して。その間ずっと横には親戚だと名乗る知らない大人たちがついていた。

 それは幼い久遠を気にかけるというよりは、逃げないかどうか見張っているようだったが、久遠に逃げる気力はなかった。


 逃げる場所なんてないのだ。

 久遠にとって一番安全で、安心出来る場所は失われてしまったのだから。


 久遠を置き去りにして、すべては滞りなく終わったらしい。両親が入った桐箱はひどく軽かった。人間はこんなに軽かっただろうか。桐箱をなぞれば硬く、冷たい。外は照りつける太陽でゆだっているのが嘘のようだ。あれほど大きくて暖かくて、安心できる両親は久遠の両手に収まっている。胸に大きな穴が開いて、風がビュービューと吹き抜けていく感覚。もしかしたら自分は空っぽになったのかもしれない。


 目をそらしてはダメよ、久遠。

 母の声がした。

 強くなるんだぞ。久遠。

 続いて父の声がした。


 何でこんな時に、そんなことをいうのだろう。

 今こそ目をそらすべきではないのか。今こそ目をそらしても許されるんじゃないか。


 久遠の視界がゆがむ。置き去りにしていた心がやっと追いついてきた。あいていた穴にストンと収まるけれど、何もすっきりしない。それどころか、麻痺していた感覚が動きだして、ただ涙があふれる。


「……俺一人じゃ……無理だよ……」


 ぼとぼととこぼれる涙をぬぐってくれる人はもういない。久遠は泣き虫で困ったな。と笑ってくれる人ももういない。冷たい桐箱はそこにあるだけで、久遠をなでても抱きしめてもくれないのだ。

 それに気づいた久遠は崩れ落ち、桐箱を抱きしめ泣いた。声がかれるまで、涙が出なくなるまで。それこそ世界の終わりのように、ずっと、ずっと泣いていた。

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