[化け狐]
「……誰だ、君は」
冷気が流れ込んでくる方向へと目を向けたオレは、こちらに歩いてくる謎の存在に声をかけた。和服をまとい、腰から9本の尻尾を生やし、キツネの仮面を付けたその人型の存在は、無言のまま指を差す。
「……っ!」
途端、その存在の足下から霜が一直線に現れ、そしてオレの足下まで届こうとした。直感的に嫌な予感がしたオレは、咄嗟に右方へと飛んでその霜を避ける。すると次の瞬間には、さっきまでオレが立っていた場所に大きな氷の柱が出現していた。
「……これで、さっきの人を氷漬けにしたのか……!」
「………………」
狐仮面は、オレの問いかけに対して何も答えない。だが、その背後にあるモノを見て、オレは全てを悟った。狐仮面の後ろには、プレイヤーもNPCも見境なく、あらゆる人が氷漬けにされた柱が無数に立っていたからだ。火事の中でも溶けることなく、苦悶の表情のまま人々が凍らされている。
驚くべきことに、狐仮面の胸からは残る命の火の炎がちろちろと揺れていた。すなわち、あれもプレイヤーだということ。一見エネミーにしか見えなかったので、困惑を隠せない。
「君は、なんのためにこんなことを――――うっ!?」
忘れてはならないのが、背後にいる災獣フォスフォラスンも健在だということだ。このエネミーが吐き出した火炎放射により、危うく焼き焦がされてしまうところだった。
前門の災獣、後門の『化け狐』。
炎と氷に挟まれ、オレには逃げ場など無くなっていた。
「……まあ、逃げるなんてことはしないけどね!」
まずやるべきことは、氷漬けにされた人たちの救出だ。といっても、燃え盛る炎の中でも一切溶ける様子のない氷の柱の中からどうやって助け出すべきか。普通の方法ではまず不可能だろう。
「…………」
また、狐仮面が指を差してくる。
直後、また霜の線が狐仮面の足下から走り、冷気と共にオレの元へ迫る。それを間一髪で回避したオレは、振り向きざまに災獣フォスフォラスンの姿を視認して、この状況を突破できる良い方法を考えついた。
「……これなるは牙。万物を切り裂き噛み熟す龍神の牙! 噛み砕け――『白龍神の牙』!」
魔力を一気に解き放ち、光の線となって対象を穿つ龍の魔術。魔力のチャージは半端だったが、これでいい。それをフォスフォラスンへと放った。
「ゴォォォォォォォ!!!」
炎の塊であるフォスフォラスンには、光線の攻撃などおそらく大したダメージにはなっていないだろう。でも、それでいい。これまで受けたことのない、思わぬ反撃を食らったフォスフォラスンは、刺激を受けて逆上する。
マヤがナビで確認していた、"人魂災獣"フォスフォラスンの能力。
それは、『無数のヒトダマ・エネミーが集まって過密状態になっている中心部から、鋼鉄すら容易に溶かす熱線を放つ』、というものだった。
「ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャッ!」
「胸のあたりが青くなっていく……。来るか、熱線! ……『武装変形』――"基本属性・表︰炎属性"……起きろ、『宝魔槍ヴァイス・ヴリトラ』!」
オレが手にする宝魔剣ヴァイスの形状が、オレの身長の数倍はあろうかという長い槍の姿へと変形する。燃え滾る焔のような色で輝く穂の部分へと、今度は全力で魔力を流し込み、そして。
「ギャ――――――ッ!!!」
「ここだ!」
災獣フォスフォラスンが放った、青い炎の熱線。
炎を吸収する力を持つこの宝魔槍ヴァイス・ヴリトラなら、その熱線の力を利用できるはずだ。そう考えたオレは、吐き出される熱線と直撃するように、槍を投擲した。
炎を吸収する力があるのは、槍の先端、穂の部分のみ。熱線と真っ向からぶつかるように投げなければ、槍の力はうまく発動できない。緻密な調整が求められる投擲だったが、難なくうまくいったようだ。フォスフォラスンの吐いた炎は吸収され、全て槍の力となった。
「……そのまま……いけッ!」
青く燃え盛る炎の槍となった宝魔槍ヴァイス・ヴリトラを、あらかじめ流しておいた魔力によって遠隔操作。標的はあの狐仮面が立っているところまで……!
「…………!」
危険を察知してか、狐仮面は跳躍し、崩れかけのビルの頂上まで跳び上がった。着弾したオレの槍は、爆発と見間違うほどに一気に炎を噴出し、周囲を灼熱の世界へと変える。
狐仮面には、槍の一撃を避けられた。でも、それで構わない。オレの目的は、氷漬けにされた人たちの救出だったのだから。
「……あ、あちっ、あちぃっ!?」
「あれ、私は確か凍らされて――って、熱っつ!?」
爆炎によって氷漬けの状態から溶かされた人たちが、次々と身動きが取れるようになっていく。多少は炎の熱さがキツいかもしれないが、まあなんとかなるだろ、たぶん。
「…………」
狐仮面は、ビルの上から無言のままこちらを見下ろしていた。なんとなく、怒っているように見える。
あの狐仮面は、近くにいた人をプレイヤーもNPCも関係なく氷漬けにしていた。だが、そんな見境なさとは裏腹に、災獣フォスフォラスンにだけは手出しをしていなかった。
オレを挟み撃ちにできるから、という理由もあるのだろうが、それ以上に、あのエネミーは氷を溶かされてしまう"天敵"だったのだろう。そのため喧嘩を売る真似は控えていたのだろうが、オレはそれを利用できると考えた。フォスフォラスンの炎なら、狐仮面の氷を溶かせると。
「…………小癪」
「お、やっと喋ってくれたか。君、プレイヤーなんだよな? オレを襲って何が目的だ?」
初めて声を発した狐仮面の声は、ノイズがかかった女性の声だった。ということは、あれは女性なのだろうか。
「この儂を差し置いて、有象無象の救出を優先する、だと? 儂を舐めているのか? 儂のことを、手を抜いても勝てる雑兵だと侮っているのか?」
狐仮面は、声を震わせながらそう言った。別に君を舐めている気はないんだけどな。救助を優先しただけだ。
「……まあいい。どのみち、フォスフォラスンを逆上させた貴様に未来はない。暴走したフォスフォラスンは、街を焼け野原にするまで止まらんぞ」
狐仮面の言うとおり、フォスフォラスンは全身から炎を吐き出しながら、2発目の熱線を準備していた。しかも、オレとは異なる明後日の方向に向けて。熱線を吸収されて無効化されたのがよっぽど癇に障ったのか、見境なく暴れ回っている。
「貴様はフォスフォラスンと儂を同時に倒すべきだった。それでは氷漬けの人間が元に戻ることはないが、それは仕方のない犠牲というモノだ。見よ、半端な行動を取った貴様のせいで、逆上したフォスフォラスンは全てを焼き尽くさんとしている。不用意な安全策に走った報いを受けろ」
「……不用意な安全策なんて、オレは考えないよ。時間稼ぎこそが、オレの目的だったからね」
「……?」
フォスフォラスンと狐仮面の間に挟まれながら、2人が来るまで時間を稼ぎ、なおかつ凍らされた人たちを吸収する。なすべきことは全てやった。さて。後は、消火のプロに任せようか。炎は、水が弱点だろう。
「リベルさん! お待たせしました!」
炎の海をかき分けて、マヤとミズハが到着した。こちらへと駆け寄ってくるミズハは、なにやら指を鉄砲のような形状にして構えている。何かする気か?
そんな彼女の意図を推し量っていたオレに向かって、マヤが大声を張り上げた。
「ごめん、遅れた! ミズハ、あのエネミーに水流を! あとリベル、爆発が起きるから防御よろしく!」
「……え、爆発?」
「任せてください――『水大砲』!」
ミズハが一軒家ほどの巨大な水の塊を生成し、それをフォスフォラスンに向けて投げつけた。フォスフォラスンの胸部、肉体の中心部分に直撃した水塊は、激しい爆発を起こす。
「な、なにぃぃぃぃ!? なんで、爆発したの!?」
「水蒸気爆発。一気に水が蒸発して、体積が大きい水蒸気になったことで起きた。あ、リベル、防御ありがと」
なんとか結界の魔術を使うことで爆発から身を守ることができたが、マヤが言う爆発の理屈はよく分からない。水蒸気爆発……?
「ユーシャ。爆発の原理は後でアタシがゆっくり教えてやる。……で、コムスメ。これでよかったのか?」
「うん。フォスフォラスンはヒノタマ・エネミーの集合体。その集合をバラバラにできれば、後はただの雑魚の群れ。熱線を吐くこともできない、ちっぽけな火の塊だよ」
マヤの言うとおり、爆発の痕にはフォスフォラスンの姿は影も形もなく、無数のヒノタマ・エネミーたちが再び結合しようと集まっているものの、うまくいかずに崩れている様子が確認できた。それも、防衛隊NPCの男性がヘリコプターで散布した消火剤により、1体、また1体と姿を消していった。
そして、あの狐仮面もまた姿を消していた。激戦の跡地となった周辺を見回しても、彼女を再び見つけることはできなかった。
[シナーズ・ゲーム TIPS]
『災獣』︰フクシマダンジョンに出現する特殊なエネミー。他のダンジョンでも確認できるような低レベルのエネミーが、何らかの原因によって特殊な姿に変化した存在。特徴として、そのどれもが巨大怪獣のような体躯を誇り、そして危険度クラスA〜C相当の戦闘力を誇る。




