[幕間 堕天魔公]
「…………」
ぼうっとした眼で、ベンチに1人佇んでいる黒髪の女性。青い目をした彼女の名は、高杉ナズナ。クラン『クロキツネ』のリーダーであり、白石レアンに敗北して危うく命の危機に晒されるところだったプレイヤーであり、そしてリベルの勝利によって窮地から救われた女性だ。
「まさか本当に、あいつらに勝つだなんて……」
ナズナはレアンたちから解放された後、仲間たちとは別行動を取ってリベルたちの試合を観戦していた。助けてもらう以上、試合を見守らないワケにもいかない、というのもあったが――それ以上に、彼女には仲間に合わせる顔がなかった。
何が起きているのかすらも分からず、なす術なく白石レアンに無様に敗北した自分自身の弱さを自覚したナズナは、心が折れてしまっていた。そのため、近藤サミダレという男の提案を受け入れ、『無辜の守護団』の庇護下に入ることにした。『無辜の守護団』は、戦意がないプレイヤーをエネミーや他プレイヤーといった危険から守ってくれるクランだ。その噂は彼女も耳にしていた。
仲間たちはナズナの意思に従った。体調を崩してしまったサミダレの代わりに現れた『無辜の守護団』のプレイヤーたちに連れられ、既に今朝には彼らの拠点であるサイタマダンジョンへと向かった。試合の観戦を終えたナズナもまた、『無辜の守護団』からの使者がやってくるのを待っている状況だ。
「……でも、これでよかったのか?」
うなだれ、地面を見つめていた目を瞑るナズナ。
瞳を閉じたナズナの脳裏には、仲間たちと生き返ってやりたいことを語り合った、ある日の光景が浮かび上がっていた。
働きすぎず、もっと楽しく遊べる人生を送りたい。
娘に、もう一度会いたい。
警察官になるという夢を、もう一度目指してみたい。
心惹かれていたものの中々声をかけられなかったあの人に、自分の本当の気持ちを伝えたい。
方向性は違えど、みんな人生に後悔があり、そしてそのやり直しのために力を合わせようとして、クラン『クロキツネ』は結成された。彼女がリーダーとなったのは、そんな彼らの力になりたいと思ってのことだった。
だが、自分の弱さゆえに彼らはその目標を諦めなければならなくなった。その後悔があるにも関わらず、立ち直ることすらできないナズナは、自分自身に嫌悪感すら抱いていた。
そんな彼女の元へ、1組の男女が声をかける。
「遅れてすみません。高杉ナズナさんですね? 私は『無辜の守護団』の者です。……おい、お前が遅れたせいだぞ、ちゃんと謝れ」
「分かってるって! ごめんなさい、ナズナさん遅刻してすみません――って、顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか!?」
ナズナの憂鬱そうな表情を察してか、女性が優しげな声をかけた。慌ててナズナは笑顔を作り、2人に頭を下げる。
「い、いえ! ……今回はありがとうございます。私が高杉ナズナです」
「早速ですが、すぐに我々の拠点、サイタマダンジョンへと向かいます。万が一にも『白い狼』の面々が襲ってきたら危険ですから。では、この『ワームホール』をくぐってください」
女性が使ったアイテム『ワームホール』は、ダンジョン間の行き来を一瞬で行える道具である。1人でもそのダンジョンに行ったことのあるプレイヤーがいれば、そうでないプレイヤーも移動を可能にしてくれる。
「はい、分かりました」
案内に従い、『ワームホール』によって空いた空間の穴に飛び込むナズナ。そうして転移した先は、潮風の吹きつける防波堤の上だった。
「……あれ、海? 埼玉に……海?」
「どうしましたか高杉さん――って、あれ?」
後からやってきた『無辜の守護団』の男性も、困惑した表情を見せる。埼玉県に海はなく、同様にサイタマダンジョンにも海はないはずだ。
そんな中、唯一動揺していなかったのは、最後にやってきた女性だけだった。そんな彼女に、男性が問い詰める。
「おいお前! まさか行き先間違えたのか!? 全く、何をやって――」
その言葉に対し、女性は不気味に笑いながら返答した。
「いいや。いーや何も! なーにも間違っていない。いないんだよ、『無辜の守護団』の諸君。ようこそ、このフクシマダンジョンへ」
「!?」
女性がパチン、と指を鳴らすと、『ワームホール』は幻であったかのように消失した。
異常を察知した『無辜の守護団』の男性の行動は早かった。問答無用で、女性に対して発砲したのだ。だが、銃弾は女性をすり抜ける。
「……お前、何者だ? 俺の相棒をどこにやった?」
「んー。知りたい? 知りたいなら教えてやるよ。それはね、僕の腹の中さ」
女性の姿も、陽炎のようにゆらゆらと揺れて歪んでいく。やがてその姿は老若男女様々な外見へと移り変わっていき、そして最後には異形の少年の姿へと変化した。
「ひっ……!?」
その外見は、まさしく異形、怪人の姿。
白い髪。黒眼と白眼が反転した眼球。雪のように真っ白な肌と、肘や膝から生えている虫の触覚のようなトゲ。爪は鋭く尖っていて、背中からはコウモリのような翼が片方だけ伸びていた。
「……お前は、まさか――――」
「ま、『無辜の守護団』のプレイヤーなら知ってるだろうね。知ってるだろうけど改めて名乗ろう。我が名はディアス。『エンヴィー・ユニオン』の幹部"三本槍"の一員、『堕天魔公』ディアスである!」
きひひ、と笑う少年ディアス。
その不気味さは、ナズナに呼吸すら忘れさせてしまいそうなほどだった。
「さて。君たちをこんな場所に呼んだのにはワケがある。……あーいや、君たち、と言ったけど。そこの野郎にはワケはないや。ごめん、消えてネ! ……切り裂け――『疾風魔導』」
「ぐぁぁぁぁッ!?」
ディアスが爪で空中を切ったかと思えば、次の瞬間には男性が絶叫を上げ、地に伏していた。そしてディアスが倒れた彼に手を触れると、電流でも流されたように男性がのたうち回った後に、残る命の火がかき消え、灰となって消滅してしまった。
「フフ、GameOver! 君がくれた魔力は、僕が大切に使ってあげるよ! ……あー、この世界には魔力がなくてホント嫌になるね。魔力無限のあのチート勇者じゃあるまいし、魔力はこうやっていちいち奪い取った生命力から変換しないといけない。ああ、羨ましい羨ましい」
ブツブツと独り言を言いながら目を向けてきたディアスを見て、ナズナは自分の番だ、と感じた。逃げ出したかったが、身体が言うことを聞かない。もう逃げられない。
しかし、これは罰なのかもしれない、と思った。
逃げ出した罰。仲間たちの目標を裏切った罰なのなのだと。
だが、いつまで経ってもディアスは襲いかかろうとはしてこなかった。
「きひひ。そう怯えないで。君と会いたいって人がいるんだよ、このダンジョンにはね。僕は君を彼に会わせる、その手伝いをしただけなのさ。だからそんなに身構えなくてもいいんだよ?」
「う、うそ……!」
「嘘じゃないったら。嘘じゃないんだよ、本当だよ? 本当に、僕は君を丁重に扱って連れて行くとも!」
ディアスの指が、ナズナの額に触れる。
途端、彼女は気を失った。そんな彼女の身体を優しく持ち上げたディアスは、邪悪な笑みを浮かべていた。
「ああ、丁重に扱うよ。だって彼女は勇者に救われたモノ。そんな彼女をうまく使えば、彼に絶望を見せてやれる!」
ディアスは自身の首に手を触れた。彼の指がなぞった部位には、深々と刻まれた傷跡が残っている。
「僕はディアス。かつて、魔王軍の有力な四体の魔物――『四大魔公』の1体だった魔物にして、あの『払暁の勇者』リベル・ルドベキアにゴミクズみたいに殺された異世界からの魔物! 必ず、必ず! 僕はこのシナーズ・ゲームとやらで彼に復讐してやるとも!」
声を張り上げて独り言を叫んだディアスは、ナズナを連れてどこかへと姿を消すのだった。
[シナーズ・ゲーム TIPS]
『ワームホール』︰シナーズ・ゲームにおけるアイテムの一つ。使用するプレイヤーが行ったことのあるダンジョンへ、一瞬で移動することができる。利用者の中に目的地のダンジョンに行ったことがないプレイヤーがいたとしても、他のプレイヤーが行ったことがあれば問題なく移動が可能。一度に利用可能な人数は50人まで。値段ポイントは30ポイントと、やや高め。




