[事変]
「……ふぅー」
地面を踏みしめ、深呼吸。
全身がズキズキと痛む。目立った外傷がないのに身体中に痛みを感じるのは、なんとも妙な感覚だ。
戦いは終わった。
オレは倒れている山東キョウカに近付く。彼女の残る命の火は今にも消えてしまいそうなほどに弱々しかった。
「トドメを……刺しなさい」
絶え絶えの息でキョウカが声を絞り出す。あれだけの攻撃を受けてなお意識があるとは、流石としか言いようがないな。
「嫌だよ? オレは勇者だ。敵とはいえ、君は人間。魔物じゃない。殺しはしないよ」
「……私は負けた。負けたらもう、私に居場所はない。それならもう、死んだほうがマシよ」
「そんなのオレの知ったことじゃないね。それじゃあオレはもう行く。大切なものを取り返させてもらうから」
倒れているキョウカを置いて、オレは先に進もうとする。ミズハはマヤに救出されたようだが、合流するまで安心はできない。ここは先を急ごう。
そう思い、足を踏み出そうとしたのだが。
「滑稽。まさしく滑稽。悪の女帝は打倒され、勇者に情けをかけられるとは! ……ああ、ただその筋書きでは駄作でしかないな。誰もが感動する、そう! 最高の悲劇を演出しなくてはねェ」
「……君は、さっきの」
この劇場の空間へと入る前に、扉の前に立っていた怪しいサングラスの男。彼が大袈裟な身振り手振りをしながら、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「ミスター勇者。知っているかい? その女はね、生まれながらにして"悪党"だったんだよ。悪人の血を引いて生まれた、悪女さ」
「……やめ、なさい。あなた、は――」
キョウカは、その怪しい男を睨みつける。どうやら2人は互いのことを知っているようだ。
「ミス山東。汚職政治家の娘。賄賂という汚れた金で何不自由なく恵まれて育った気分はどうだった?」
「黙れ!」
キョウカは男に怒鳴りつけ、そして殺意のこもった視線を向けている。だが、そんなことなど気にも留めず、むしろ楽しんでいる様子で男はニヤニヤとした表情を浮かべていた。
「……あなたが、私の何を知っているというの? あのクソ親父のせいで、私の居場所は突然失われた。奴が逮捕されてから、私は犯罪者の娘のレッテルを貼られ、居場所を失った! 誰も私の能力を見てくれない。誰も私を評価してくれない。そんな私の、地獄の人生が!」
「ククク。そうだ。キミには才能があった。実力もあった。だが、貼られたレッテルはキミを不当に貶める。誰も助けてはくれない。世界に絶望したキミは自ら命を絶ち、このゲームへと招待された。ああ、でも血は争えないね。キミがやったことは結局さ、もう戦意がない無垢な少女を己の出世の道具にしようとしたってコトじゃないか。それって同類じゃないか? キミの父親と」
「……ぐっ、でも、それでも――」
「ククッ。あらかた、『厄災の匣』との戦いで、部下を全員失った上での苦しい勝利であったというのに、その捕縛に失敗し、そのうえ幹部のあの男……勅使河原だったかな? 彼に任務を奪われてしまったのがキミに焦りをもたらしたんだろう? ああ滑稽! まさしく滑稽だ! 下等人らしき愚かな迷いよ」
謎の男はそのままキョウカの元へと歩いていこうとするので、オレは彼の歩みを止めるように立ちふさがった。
「……何のつもりかな、ミスター勇者」
「オレは君が何者か知らない。けど、彼女に手出しはさせない」
「おやおや。キミは彼女と殺し合ったというのに、今更手を差し伸べるつもりなのかい?」
「戦ったからこそだ」
剣に手をかけ、男を牽制する。彼が何をするつもりか分からないが、しかし余計な手出しはさせない。
「ククク、ククククククッ! ああ、そうだね。小生達はキミと対立する運命にあるようだ。だからこそ、ここで名乗りを上げようか。小生の名は、四宮トリデ。『天啓の信徒会』の、宣教師である!」
「!」
……『天啓の信徒会』。そのクランの名に聞き覚えがあった。
そうだ、確か――。
「ミズハを……! ミズハの人格をめちゃくちゃにして、『厄災の匣』という兵器に改造した組織!」
「その通り! そう、小生達こそが、キミの真の敵だったのさ、勇者リベル・ルドベキア!」
「……君が――」
「制御が難しくなってきた『厄災の匣』の処分のため、適当に『強欲の帝国』の相手をさせてみたら、巡り巡って我々にとってこんな利のある結果になるとは思わなんだ。まさか『払暁の勇者』と『強欲の帝国』が争い、こんな好機をもたらす結果になるだなんて! 現実は小説より奇なり、とはこのことだよ、クククッ!」
「四宮トリデ、お前……!」
ククク、と笑いながら四宮トリデはパンパン、と手を叩き鳴らす。すると、甲冑をまとった騎士たちが彼の背後から現れ、オレに襲いかかった。彼らはエネミーのように思われたが、それともまた違う雰囲気をまとっている。
「小生の異能力は、『語部』。物語、伝承、神話。そういった架空の創作物の登場人物や現象を再現する能力。さて、ミスター勇者の相手は"円卓の騎士"に任せ、小生は用を済まそうか。なあ、ミス山東?」
騎士たちは並のエネミーとは比較にならないほど強く、キョウカとの戦闘で疲労している今のオレでは防御に徹することで精一杯だった。その隙に、トリデはキョウカの首根っこを掴み、持ち上げる。
「……ぐ。はな、して、四宮トリデ……!」
「なあキミ、知っているかな? 情報収集と兵器開発に長けたとあるクランが生み出した、プレイヤーをエネミーに変える薬――『エイドスドラッグ』の存在を」
「……! まさか――やめ、やめて――」
「まあ、このエイドスドラッグだけではエネミー化はできない。とあるプレイヤーの異能力の力が必要不可欠だ。……けれどね、思ったんだよ。小生の能力でも代用ができないか、とね」
「お願い! やめ、やめて――ぐ、ぁ、ご、ごぉ、あ――」
キョウカの喉奥へと、トリデは乱暴に薬を飲み込ませた。そして本を取り出し、声高らかに言い放つ。
「『スプリガン』。イングランドに伝わる、巨大化の力を持った醜い姿の妖精だ。その妖精は財宝に執着し、それを守っているという。己の居場所を執着したこの卑しい女には、相応しい姿ではないかな?」
「や、め――――」
「キョウカ!」
山東キョウカの姿が、みるみるうちに変化していく。
人間の姿ではなく、巨大な銅像のような怪物。理性など欠片もなさそうな、恐ろしい巨人の姿へと変身してしまった。
「……むう。失敗か。エネミーでもプレイヤーでもない、半端な存在になってしまった。ま、いいか。これを暴走させれば、トウキョウダンジョンを滅茶苦茶にしてやれる。最高のショーが見られるな。そうだろ、ミスター勇者?」
「トリデ、お前……ッ!」
大暴れして迷宮を破壊しながら、地上へと飛び上がっていくキョウカ――いやスプリガンを見届け、淡々と言葉を発する四宮トリデ。激昂したオレを嘲笑うように、彼はこちらに視線を向ける。
「ミスター勇者。1つ教えてあげようか。あの娘――『厄災の匣』百済ミズハは、命令に従うように小生からとある呪いをかけられている。ケルト神話に伝わる、ゲッシュまたはギアスと呼ばれる制約を再現したものでね。彼女は、人を殺さなければ死ぬ。少なくとも、2週間に1人くらいはね。もちろん、小生を倒せばその呪いは解除されるが」
「なっ――」
トリデは、衝撃の事実を言い放った。
その言葉が本当なのなら、ミズハはまだ自由になれてはいない。
「いずれバレることだし、教えておいてあげよう。そう、これは小生からの宣戦布告と捉えてもらって構わない。……クク、このダンジョンから生きて出られたのなら、また会おう。今度は全力でキミを殺してあげようじゃないか」
再びトリデが手を鳴らすと、オレと戦っていた騎士たちは消え去った。トリデに攻撃を仕掛けたかったが、しかし今は優先順位が違う。
「……ククク。そうだよね、今のキミは山東キョウカを救わなければ。ああ、イイね。果たして勇者は全てを守れるのかな? 二兎を追う者は一兎をも得ず、ということわざがあることをキミに教えておいてあげるよ。それじゃあね」
立ち去っていくトリデ。悔しいが、今は彼を追っている暇はない。キョウカを追わなくては。
戦い、そして彼女を打ち破った以上、オレには彼女を見過ごしてはならない責務がある。
[シナーズ・ゲーム TIPS]
『語部』︰プレイヤー・四宮トリデが使用する異能力。伝説や伝承、神話などの架空の物語の登場人物や出来事を現実に再現することができる。再現できるのはそれなりの年月を経て長い間語られてきた物語のみであり、近代の小説や漫画などはほぼ不可能。また、多くの人にとって『現実かもしれない』と信じられている物語も再現が難しい。あくまで再現できるのは架空の物語のみ、となっている。




