[虫使いの少女/青年]
「さて」
トウキョウダンジョン、シンジュクエリア中心部にある地下迷宮のある空間。
司令室のような部屋の椅子に座り込んだ『強欲の帝国』の幹部、山東キョウカはコーヒーを啜りつつ部下たちに命令を下していた。
「『厄災の匣』の様子に変わりはないかしら? 検査はどれほど進んでいるの?」
「はい。『厄災の匣』は従順な様子のまま、拘束具に繋がれています。しかし、彼女の持つ異能力についての検査は全く進んでいません。未知数すぎる存在でして、どうにも」
「分かったわ。万が一の事態に備え、いつでも処分できるように準備を進めておきなさい」
ミズハは、このシンジュクエリア中心部の地下迷宮にある牢獄にて拘束されていた。万が一、勇者リベルがあらゆる罠やエネミー、刺客をかいくぐって突破してきたとき、拘束具に仕組まれた薬剤を過剰投与することでミズハは安楽死させられる。
「『厄災の匣』は、その身に危険が迫った際にその力を強制的に発動させる、ということが分かっているわ。それなら、暴力手段ではない、苦痛のない手段で処分すればいいだけの話。けれど、できれば複数の異能力を保有するというその技術を私たちも手に入れたい。だから、私の命令なく処分してはいけないわよ。いい?」
「承知しました」
ミズハは、複数の異能力を保有している貴重なプレイヤーである。そのため、『強欲の帝国』としては彼女の肉体を研究することで、その技術を手に入れることを望んでいた。そのためミズハは殺されることなく、拘束されている状態に置かれていた。
「さて、地下迷宮深くに落ちていった勇者の様子はどうなっているかしら。そのまま落っこちていけば溶岩プールに真っ逆さまだけど、そんなにあっさり死ぬほどヤワでもないでしょう? 監視カメラに彼の姿は映っていて?」
「……そのこと、なのですが」
映像モニターを監視していたプレイヤーの1人が、頭をかいて返答する。
「勇者は、落下途中で瞬間移動のような力を使い、第32階層へと転移しました」
「あら、ほぼ最下層ね。その深さとあの座標からこのシンジュクエリアへ辿り着くのはほぼ不可能と言っても過言ではないけれど、一応監視カメラも設置してあるでしょう? 勇者の動向はどうなのよ」
「……それが、第32階層にあるどの監視カメラにも虫が張り付いており――」
「虫?」
「蛾、または蝶のようです。それが邪魔で、映像を視認することができず」
「まさか、勇者には昆虫を操る力もあるというの? いやでも、全てのカメラの位置を把握しているというのもおかしい。どういうワケなのかしら?」
顎に手を当て、訝しむキョウカ。だが、事態を深刻に捉えることもなかった。リベルがここまで辿り着くことはない。いずれ虫たちがいなくなった後に、リベルの居場所を特定し捕獲作戦を順次展開すればいい、とそう思っていた。
それが重大な命取りになるとは知らずに。
◆
「いやあ、困った」
落とし穴にハマり、網に捕らえられ、マヤとはぐれて落下していたオレ、リベル・ルドベキア。なんとか『転移魔導』の魔術を駆使することで空間を移動し、ただただ落下している状況からは脱出できたのだが。
「ここどこ?」
そこは、駅のホームのような場所だった。確か、地下鉄と言ったか。アカツキが話していたのを思い出した。そういえば、アカツキどこいった? まあ、そう簡単に死ぬタマじゃないからどこかにいるとは思うが。
「いや、マジでマズい状況だぞ。このままじゃミズハを助けられない。とはいえ、オレはナビを持ってないし、どこに行きゃいいかも分からない! あーくそ、『転移魔導』は高レベルの魔術だからすぐ使えなかったしなぁ。詠唱省略で使えるほどの実力はオレにはないし……」
時折、駅のホームに電車がやってくるが、どれに乗ればいいかも分からない。万が一間違ったほうに乗ってしまっては、目的地から遠ざかってしまう。ここは、とりあえず階段を上ってこのホームから出るのが先か。
「ん?」
駅の電光掲示板には、『鬼から逃げよ 裏は安全』という文字が表示されていた。どういう意味だろうか。
「まあいいか。今はとりあえず、先を急がないと――」
急いで階段を駆け上ろうとしたのだが、その階段で何か飛び跳ねているものを発見した。緑色の、小さな生き物だ。
「なんだ、こいつ。虫、か? なんて虫だったか……アカツキに教えてもらってたっけなぁ……?」
ぴょんぴょんと跳ねる緑色の虫は、駅のホームへ着地すると、どこかに跳ねていってしまった。かと思えば、今度はひらひらと舞う花びらのような虫がやってくる。
「こいつは知ってるぞ。チョウチョだ。……さっきの虫といい、このチョウチョといい、同じ方向に飛んでいくな。何かあるのか?」
もしかすると、この空間から脱出する手がかりになるかもしれない。そう思い、チョウチョの後を追いかけることにした。
オレがいた場所とは正反対のホームの端に到着する。そこには、不思議な光景が広がっていた。
「なあ、そこの君」
髪の毛が緑色の少女が、両手両足を壁にめり込ませて捕らえられていた。おそらく、壁に生息しているタイプのデスワーム・エネミーに飲み込まれてしまったのだろう。大変だ、すぐに助けてあげないと。
「仰向けになって、重力で潰れてる女の子のおっぱいって、いいよね……」
「?」
ん?
この人、なんか言ったか?
どうやら幻聴を聞いてしまったようだ。
「おや、女の子の話にはあまり興味がないのかな。大丈夫、男の子の話だって大歓迎さ。一見すらっとしてるように見える男の子のさ、意外とついてる筋肉をチラ見するのって、ギャップが感じられていいよね……。特に背筋のラインとか」
「……」
うわあ。
変人だぁ。
「えっと、君の性癖の暴露は聞かなかったことにして、今から君を助けるよ? いいね?」
「はぁ? なんで性癖の暴露を聞かなかったことにするんだよ!? 性癖の開示は和解の第一歩だよ? ちなみに、僕はメガネが大好きです。君もかけない? メガネ」
おかしなことを宣う少女の言葉を無視し、デスワーム・エネミーから彼女を救出する。
助け出した少女は、不思議な服装に身を纏った小柄な女性だった。彼女が着ている藍色のこの服、名前はなんて言ったか。
「おや、この服に興味があるのかい? これは甚平って言うのさ。和服の部屋着みたいなものだよ」
「やっと理性的な話をしてくれたね。オレはリベル・ルドベキア。勇者だよ。君は?」
「僕はチョウノ。暇人だよ。助けてくれてありがとう。いやあ、困ってたんだ。ずっとあのエネミーに捕まっててさ」
チョウノと名乗った少女は、深々と頭を下げた。ファーストコンタクトこそ狂気を感じたが、どうやら彼女は気が動転していたのかもしれない。
「そういえば、チョウノは女の子だよね? ……ああ、失礼。まだ日本語の一人称に慣れてなくてね。"僕"というのは男性の一人称だと思っていたけど、女性にも使うのか。いい学びを得たよ」
「いや。僕は男だよ」
ん?
……ん?
「いやいや。本当に失礼なこと言うけどさ、さっきエネミーから君を引っ張り出すとき君の身体に触れたけど、体格からして女性だよね。からかってる?」
「いや僕は男だよ。ワケあって、今は女の身体になっている。いやあ、残念だよ。なんでこんな貧相なボディに女体化せにゃならないんだ。せっかくからメガネの似合う大人なセクシーお姉さんになりたかった」
……もう、チョウノの話をまともに取り合うのはやめよう。困惑するだけだ。
「ソッカ。ソレジャ、オレ、先を急いでるカラ。バイバーイ」
「ああ! 待ってくれよ勇者君! 君、『強欲の帝国』の拠点に向かっているんだろ?」
思わず、足を止めてしまう。
チョウノは、思いがけないことを口にした。どうして、そのことを知っている?
「驚いた表情だね。分かるよ。なぜ知っているか、だろう? 僕はね、昆虫と会話ができるのさ。エネミーじゃない、このダンジョンにいる"NPC"の虫。シナーズ・ゲームのフレーバー付けのためだけにいる彼らだけど、会話ができる僕にとっては最高の情報収集手段になる」
「昆虫と、会話?」
「そうさ。しばらくここで捕まっていたせいで、昆虫たちに最近あった出来事を訊くのが最近の楽しみになっててね。知っているよ? 『厄災の匣』の暴走、そして『強欲の帝国』との対立。まあ、君が僕のいる空間のすぐ近くへと転移してきたのは予想外だったけどね」
にやり、と笑うチョウノ。彼はチョウチョを指に止め、そしてその笑みを浮かべたままとある提案をする。
「僕なら、この地下迷宮からの脱出方法を知っている。どうだい? 僕が案内しようか?」
[シナーズ・ゲーム TIPS]
『NPC』︰シナーズ・ゲームのダンジョン上に存在する、プレイヤーとエネミー以外の生物。そのダンジョンの雰囲気作りのためにいる存在であり、基本的に意思疎通や会話はできない。トウキョウダンジョンにおいては、虫や鳥などの野生動物のNPCが出現する。