[厄災の匣]
「ミズハ、こっち!」
マヤがミズハの手を引き、けたたましい銃声でかき消されながらもその声を発した。息切れしつつも、ミズハは必死に頷き、煙混じりの風が吹く戦場となった街角を走り抜けて行く。
リベルと別れたマヤとミズハは、スキンヘッドの男――御船アキハシから逃走を続けていた。『強欲の帝国』が差し向けてきた刺客であり、アサルトライフルを手にした彼の異能力は『爆破』。あらかじめ登録しておいた物体を起爆することができる力だ。
「……リベルが戦ってるところから結構離れちゃった。でもしょうがない。だって、あの能力は――」
マヤの独り言は、大爆音に全てかき消された。またアキハシが起こした爆発があらゆるものを破壊していく。この爆破のせいで、マヤたちはひたすら逃げ惑うことしか許されなかった。アキハシという男はたった一人で悪夢の戦場を作り出していた。
「ミズハ!」
しかも、今回はその爆発の影響で建物が崩落してしまった。迫る鉄骨や砕けたガラス、コンクリートの破片。体力が切れかけているミズハでは、崩れてくる瓦礫を避けきれない。
そう考えたマヤは、彼女を突き飛ばした。
「ぐうっ……!」
「マヤさん!?」
ミズハは建物の崩落から難を逃れることができたが、マヤはうつ伏せに倒れた状態で瓦礫に足を挟まれてしまった。身動きを取ろうにも、肉が押し潰される激痛に苛まれるのみで立ち上がることすらできない。
そして、最悪の状況というのは重なるもので。
「……鬼ごっこは終わりか?」
炎と煙の中から、アキハシが現れる。
「逃げて、ミズハ! 早く!」
「あ、ご、ごめんなさいマヤさん、わ、わたしの、私のせいで」
「私は大丈夫! だか、ら――うぐっ!?」
「ほぉ? そんじゃ、大丈夫かどうか試してみるかよ?」
瓦礫に挟まれて身動きが取れないマヤの元へ追いついたアキハシが、彼女を踏みつけ、髪の毛を引っ張った。そうして、手にしている突撃小銃をまじまじとマヤへと見せつける。
「痛いぜ〜、この銃弾食らったらよぉ。だから、あの『厄災の匣』に、投降するよう伝えな。そしたらお前の命だけは助けてやる」
「……誰、が――」
「分かってねぇなあ。これはただの脅しじゃねぇんだぞ?」
マヤの返答を合図と言わんばかりに、すぐさまアキハシはマヤの顔面を地面に叩きつけた。そのまま彼女から手を離し、そして銃口を彼女の首元へと突きつける。
「かッ、は――――」
「おうい、『厄災の匣』。この女、殺されたくなきゃおとなしくこっち来い。そうすりゃ、こいつは見逃してやる」
「ま、マヤさん、でも――」
「私のことは気にしないで! 早く、逃げて――ぐぁぁぁッ!?」
「るせえ」
耳をつんざく銃声が響きわたった。銃弾を撃ち込まれたマヤは、上半身をくねらせのたうち回る。声にならない絶叫を上げ、激痛に苦しむ。
「ふーっ、ぐうっー、はぁっ、はあっ、く、ぐうぅッ――」
「残る命の火どんだけ減ったかな? ……クソ、うつ伏せじゃ見れねーじゃんかよ。まあ、経験則上20発くらい撃たれたら死、たいていはその前に痛みで気を失う。お前は何発耐えれるか見ものだなぁ?」
「やめて、やめてください。その人は、マヤさんだけは、どうか――」
「じゃあこっち来いよ。お前の命と、この女の命。どっちがお前にとって大事なんだ?」
「来ちゃ駄目! 大丈夫、リベルが来るまで、私は耐えるから――」
マヤの言葉とアキハシの言葉。
逃走すべきか、投降すべきか。その2つに揺れ動き、ミズハは立ち止まったままでいる。
「……そんじゃあ、ダメ押しだな。もう一発食らえや」
再び、アキハシは引き金にかけた指に力を込めた。顔を真っ青にしつつも、唇を噛んで目をつぶるマヤ。
だが、銃弾が放たれることはなかった。
「させねぇよハゲ! おいコムスメ! 早く逃げろ!」
「痛っ!? なんだこのネコ、いやウサギかぁ?」
「アカツキ!?」
リベルから離れ、マヤたちを助けるべく向かっていたアカツキが、アキハシの手首に噛み付いた。アキハシは咄嗟に銃から手を離し、腕を振り回す。
「この、なんだお前はぁ!? エネミーか何かか!?」
「厄災のコムスメ! 幸薄コムスメはアタシが何とかする! だからオマエは逃げろ!」
アキハシから離れたアカツキは、威嚇のポーズを取りつつ、ミズハに向かって声を張り上げた。一方のアキハシは懐から何かを取り出す。
「……クソが。そんなら、これでも食らえや!」
「なんだコリャ。小石――――」
アキハシの拳いっぱいに握りしめられた小石が、アカツキに向かって投げつけられた。それだけなら大したことはなく、アカツキは飛び退いて避けようとしたが、しかし。
「『爆破』」
あらかじめ、爆弾へと変えられていた小石が大爆発を起こす。アキハシすらも巻き込む大爆発が起こり、周囲は炎と煙に包まれた。
そして、その煙が晴れたときには、アカツキの姿はそこには無かった。
「痛ぇな、クソ。だが、この至近距離での爆破だ。あんなチビなら、跡形もなく吹き飛んだだろ」
「……うそ。アカツキ、さん」
ミズハはがっくりと膝をつき、崩れ落ちる。自分のせいで、誰かが死んだ。そのショックが、ミズハの心を強く蝕む。
そんな彼女を嘲笑うかのように、アキハシはまたマヤの元へ銃口を向けた。
「その顔、いいねぇ。絶望に満ちた顔ってのはいつ見てもゾクゾクする。そんじゃ、続きを始めようじゃねぇか」
「……マヤさんも、アカツキさんも……わたし、私の、せい、で?」
「……ん? なんだアイツ。気を失ったのかぁ?」
膝をついていたミズハは、そのまま全身の力が抜けてしまったかのように倒れた。その様子を見ていたアキハシは、ニヤニヤと笑いを浮かべつつ彼女の元へ近付いていく。
「よく分からんがラッキーだな。これで任務は完了だ。そうだな、あとはあの女をたっぷりいたぶってから――――ん?」
数歩、歩みを進めたアキハシは異変に気が付く。
ミズハの身体が、小刻みに振動していた。パチ、パチと彼女の身体から放電しているかのように光が発生し、どくどくと彼女の元から水が溢れ始める。
匣が開いた。
異様な光景が広がっていく。
厄災が、やってくる。
天候が変わる。黄色の空は曇天へと移り変わっていき、一筋の光すら通らない漆黒の空へと変わる。
霧が発生する。数メートル先すら見えないほどの濃霧が周囲を包んだ。
雪が降り始める。呼吸をするのも苦しくなってしまうほどの極寒が広がる。
地面の一部が隆起し始める。アスファルトの道路にヒビが入り、液状化も発生する。
風が強くなる。破壊された瓦礫すらも吹き飛ばす強風、暴風。
ミズハが立ち上がる。虚ろな目、だらんとした腕、そして逆立った髪の毛。
地面が揺れ始める。まともに立っていることすら許されない。
雷が落ちた。アキハシに落ちた。
「……は……?」
何が起こったのか、アキハシは理解できていなかった。ただ、がつんと殴られるかのような激痛が全身に走り、気付いたら倒れていたということしか分からない。彼に雷が落ちたことを理解できたのは、間近で見ていたマヤだけだろう。
「……これが、『厄災の匣』」
立ち上がったミズハの目に生気はなかった。ただ、冷ややかな視線をアキハシへと向けているだけ。ふらり、ふらりと足を進め始める。
「んだよ、お前……! 力を失ってるんじゃなかったのかよぉ!? なんなんだお前はぁぁぁ!!」
「あめ。ゆき。かみなり。じしん。かぜ。ようがん。つなみ。かわき。どしゃ。それが、わたし」
たどたどしい言葉遣いで、ミズハは口を開く。
大地の揺れと荒れ狂う暴風は激しさを増していき、アキハシは立っていることすらできない。そんな中でも、ミズハだけは悠々と歩いていく。
「嘘だ、クソッ! こんなの、どうしろと……!」
銃を撃とうにも、狙いが定まらない。爆弾化させた物を投げつけようにも、まともに手に持つことすらできない。ただ、目の前に迫る"厄災"の到来を待つことしかできない。
「クソっ、ざけ、ざけんなクソぉッ!! どうして、この俺が、こんな、目に――――」
「ひらけ、やくさいのはこ」
ミズハのその一声で、厄災がその本領を発揮した。
落雷、大地から漏れ出た溶岩、そして洪水がアキハシを襲う。無限に等しい苦痛の中で、瞬く間に彼の残る命の火は燃え尽きていった。
GameOver。
残る命の火を失ったアキハシの肉体は、灰となって濁流に押し流されていった。
そして、リベルがその場へと駆けつけたのは、その直後のことだった。
[シナーズ・ゲーム TIPS]
『爆破』︰プレイヤー・御船アキハシが使用する異能力。物体を爆弾化させ、任意のタイミングで爆破することができる。ただし、プレイヤーを爆弾化させることはできず、また爆弾化にも時間がかかるため、事前に用意をすませて戦闘に備えておく必要がある。なお、爆発の威力は爆弾化した物体の質量に比例する。