クロバト
雑司ヶ谷にある雑司ヶ谷霊園の帰り道、池袋との途中、東通りにあるベローチェに寄ってアイスコーヒーを飲んでいると、近くの席から面白い話が聞こえてきて、ついつい、マナー違反ではあるのだけど、ついつい聞き耳を立てた。
「最近、なんか池袋の鳩が怖いよね」
「ああ、わかる。よく見るあれでしょ」
「なんか、なんかさ」
「わかるよ。わかる。なんかね」
池袋の鳩って怖いんだ。ふーん。すかさずスマホで調べてみる事にした。池袋 鳩 すると何件か、ぽつぽつと、それについての話がヒットした。どうやらまだまだ大きな話題にはなっていない様ではあるが、少なからず噂になっているらしい。
《池袋の鳩 怖い》
《池袋の鳩がなんか怖い》
《襲ってくるとかじゃないけどなんか怖い》
《見られている》
《黒い鳩》
《クロバト》
黒鳩。見た事ないなあ。黒いのは。池袋には黒い鳩がいるらしい。
私自身、以前の雑司ヶ谷霊園の帰り道、朝方、池袋駅の近くで鳩を見た事はあった。普通の鳩であった。都会の。都会によくいるやつ。鳩について詳しくないので、あの鳩がどういう種類なのかとかそういうのは知らない。でも一般的なやつだ。何処の駅前、公園とかにも居そうな。灰色の。結婚式とかオリンピックに出てくるのとは違う。白くない奴。それが、こっちに二羽、あっちに三羽、みたいな感じで、居て、エサ探して歩いているみたいな感じ。過剰に近づかない限り、飛んで逃げることもしないみたいなやつ。
そう言うのは見たことある。あるけど。でも、黒い鳩は見た事ないなあ。
そもそも、黒い鳩も居るんだなあ。そう思った。意外な気がした。意外な気はしたがでも、同時に、昔、以前に読んだこち亀の事も思い出した。何話目かは知らない。覚えていない。何処で読んだのかも記憶に無い。偶々あったジャンプで読んだのか、あるいはコンビニとかで売ってるやつで読んだのか、定かではない。でも、ハトについての事が書いてあったのはおぼろげながらに、記憶の、遠いところで覚えていた。詳しい言い回しとか、そういうのは覚えてない。でも、確か、中川さんが言ってたんだよな。確か。
都会の鳩が白くない理由について。
「白い鳩は目立つ。それ故にカラスとかに襲われる。それで自然と、灰色の鳩が増える。自然淘汰。適者生存だ」
って。確か、そんな感じのニュアンスの事を言っていた様な気がする。定かじゃないけど。
それを読んだ時、へえー。って思った。確か。なるほどなーって。白い鳩は白いがゆえに目立つんだ。だから灰色の鳩が増えるんだ。コンクリートジャングル、ビル群に紛れれる灰色の鳩が多いんだなあ。そうかあ。なるほどなー。
カラスは怖いもんなあ。子猫とかも食べちゃうって言うからなあ。カラスが生まれたばかりの子猫を咥えて飛び去ってしまうとか、聞いた事あるものなあ。それに昔、父親が家の前にいた雀にパンをあげていた時も、突然一羽大きさの違うカラスが飛んできたことがあったなあ。カラスが来たら雀はあっという間に散ってしまった。雀にとってカラスはモンスターに他ならないんだろうと感じた。
だからカラスとかに襲われにくくするために鳩はそうなるんだなあ。へえー。
そんな事を思ったことを思い出した。
しかし、その思考から考えれば、黒い鳩というのも、そういう鳩がいるという事もまあ納得できる。つまり、灰色の鳩よりももっと襲われにくくするためにそういう風になったんだろうなと。そう思える。黒い鳩。クロバト。灰色よりももっとカラスに外見を似せた方が、襲われないのだろうなと。そう考える鳩がいたのだろうなと。でももう極限だよな。と思う。カラスと交配しているんじゃないか。そんな事を勝手に想像してしまう。そんな訳無いだろうが。生命、どうのこうのについても詳しくないから知らないけど。
「クロバトなあ」
思いがけず有意義な話を聞けたなあ。そう思ってベローチェを出て、家に帰るために池袋駅に向かった。その途中、若干薄暗い路地裏みたいな所を通った。そこには何用なのか知らないがベンチがあり、そこに黒い服を着た人が一人座っていた。そしてその周りに黒い鳩が居る光景に遭遇した。
「うわあ、僥倖」
さっそく黒い鳩を見つけた。そう思うと同時に、本当に黒い。とも思った。黒い鳩は本当に黒かった。思っていた以上に黒かった。パッと見カラスと変わらないくらい黒かった。でも鳩だとわかった。動きが鳩なのだ。カラスみたいにぴょんぴょんと跳んで移動する感じじゃない。歩いている。池袋駅前にいる鳩みたいにエサを探して、とことこと歩いている。人間が少し近づいても逃げることもしない。足元まで来て、そこにエサがあるのではないかと、とりあえずゴミだろうと何だろうと、一回咥えるみたいな動作を行う。
それにしても。
立ち止まって少しの間それを眺めて思った。
黒い。
そう思った。
それにしても黒い。
本当に黒い。
でも、
それは完全な黒でもない。
べっとりとした。塗りたくった墨のような黒でもない。カラスみたいな黒ともまた違う。異なる。一部分は確かにカラスみたいな黒。でも、一部分はカラスとは異なる黒。それが、個体によって様々で。カラスにしか見えない黒も居れば、カラスには見えない黒も居て。斑。まだらにいて。マーブルにいて。
それがベンチに座っている人の周りに群がっていて。
一体、どれくらいいるんだろう。
わからないなあ。
でも、とにかく黒い。
黒いなあ。
黒い鳩。
クロバトだなあ。
それが、わちゃわちゃと。
ベンチの人に目を向けると目が合った。咄嗟にどうもという感じでちょっと頭を下げた。
ベンチの人もこちらに向けてちょっと頭を下げた気がした。
それで、私はなんとなく近づいた。
不用意に。
何の心構えも無く。
クロバトに。
エサでもあげてるのかなと思って。
死んだ父みたいに。
家の前の雀にパンをあげてた父みたいに。
そう思って近づいたら、
人ではなかった。
それは人でなかった。
生ごみに群がっている鳩だった。
黒い鳩だった。黒い鳩の群れだった。重なって固まっている。黒い鳩の塊だった。偶々、たまたま人に、人の形に見えただけ、黒い鳩だった。
さっき、
なんとなく目が合ったと思ったのに。
ちょっと会釈、頭を下げてきたと思ったのに。
それは人じゃなかった。
鳩だった。
黒い鳩だった。
黒い鳩の塊だった。
私は、すぐさまその場を立ち去った。
その場にいた黒い鳩が私の事を嘲るようにやけに耳障りなバサバサという音を立てて、何羽も何羽も、空に舞い上がった。