第72話:アイス枢機卿の憂鬱05
「んだでば」
アインは言った。
「行ってくる」
靴を履いて玄関に立つ。
寮部屋のソレだ。
「お帰りをお待ちしております」
「ああ」
「どうぞご無事に」
「俺の強さは知ってるだろ?」
「ですけど……」
リリィが知ってるのはアインの剣術としての強さのみだ。
禁術については知らない。
だからとてアインに教える気はサラサラ無いが。
「さて」
寮を出て学院を出る。
準備運動をしてからアインは学院街を走り出した。
いつものランニングだ。
夜の時間。
街灯が付き、そこら中から喝采が聞こえてくる。
酒の時間だ。
酔っ払いたちの宴である。
そんな学院街の活気を横にアインは走る。
敷き詰められたレンガの通りを走っていると、
「…………」
ふと違和感に気づく。
続いて肌が熱波を予感させた。
「っ」
一瞬の判断。
アインはランニングをやめると全力で後方へ飛ぶ。
次の瞬間、エネルギーが炸裂した。
閃光、熱波、衝撃、爆音。
その順番でアインの顔を残滓が叩く。
魔術だ。
爆発したことから見て炎系のパワーイメージ……つまりファイヤーボールか……あるいはその上位互換。
「良い勘をしておられる」
苦笑交じりの声が聞こえた。
「何事じゃ?」
鬼一は既にアインの手に。
この手のことには師弟揃って慣れている。
アインは鬼一をベルトに差して帯刀すると、
「何者だ?」
魔術の根元に問うた。
「名などありませんが……」
爆発が収まった後、其奴はそう云いながら姿を現わした。
人型。
そうには違いなかった。
ただし人では無かった。
人と呼ぶにはあまりに無機質に過ぎたのだから。
基準世界ではマネキンと呼ばれる類の姿だ。
のっぺりとした漆黒の人型。
呼吸の機関も声帯の常備もないのに声を出してのける。
「魔族……!」
そう呼ばれる人類の天敵である。
「良い素体ですね。私と契約しませんか?」
「生憎と間に合ってる」
「ほう? 既に別の魔族と契約を?」
「お前らの力なぞ必要ないと云ったんだよ」
「残念ですね」
軽やかに皮肉ってみせる魔族だった。
「意思を持ってるって事は中級魔族か」
「あまりそちらの基準で測って欲しくないのですが」
「何故俺を狙う?」
「そういう風に命令を受けたもので」
「召喚者……か」
「ええ」
肯定。
「師匠。こっちを観察している人間は居るか?」
「エルザとソルトじゃな」
「つまりどちらかが……あるいはどちらもが……元凶か」
「二人に意思疎通がない故に前者じゃと思うがのう」
「ふむ」
唸るアインだった。
「一応契約なので……」
「…………」
「契約できないのなら殺すしかないのですが如何でしょう?」
「やってみろ」
「随分と自信がお有りで」
魔族は含み笑いの発声をした。
マネキンに表情も無いものではある。
「まさか剣一本で魔族に立ち向かうつもりですか? ああ、魔術師でしたね……。それにしても魔族に魔術戦を挑むその蛮勇は褒められたものですが」
「くっちゃべってないで掛かってこい」
アインはスラリと鞘から和刀を抜いた。
「こうなると問題じゃの」
「ああ、明日からランニングの時間を設定し直そう」
そういうことだった。
「――フレイムスフィア――」
魔族が魔術を行使する。
フレイムスフィア。
要するに炎を球体に押し込めて飛ばす魔術だ。
高速で迫る魔術にアインは和刀を当てる。
同時にフレイムスフィアは霧散した。
「……っ!」
能面のマネキン魔族から驚愕の雰囲気が溢れ出す。
「ほう」
と魔族。
「現象に対するアンチテーゼですか」
「生憎だったな」
アインも不敵だ。




