第167話:枢機卿の苦労13
国には国境があり、その定義は時として流動する。
アイスは軍部の作戦室に身を置いていた。
レイヴの名代だ。
さすがに国家間の諍いに教皇が顔を出すわけにもいかず、次善の処置としてアイスが教会代表として作戦指揮に加わっていた。
神都の方は多少なりとも不安が根付いているが、さすがに軍人ともなれば肝のすわり方が違う。
地図が広げられ、アレコレと情報と議論が飛び交う。
「少なくとも国境沿いで迎え撃つならば」
と元帥が一点を指す。
峡谷だ。
「ここであるな」
アイスも異論は無かった。
先述したように帝国にはタイムリミットが存在する。
周辺諸国の憎悪と赫怒は外交的失策の最もたるものだ。
そこに間諜たる審問官の情報と、ガギア帝国からノース神国に南下してきた人々の白状を材料に帝国の投入戦力を把握する。
後者の情報源は、商人や業者の類だろうと踏んでいたが、実のところ一般市民も多いらしい。
帝国臣民もガギア帝の乱心に恐れを抱き、
「帝国から当国に逃げてきた」
という者も軍部の予想より多く現われた結果だ。
ノース神国とガギア帝国の国境は山脈と大河によって決まっている節があり、比較的進軍のルートを予想するのは容易い。
勿論奇策を用いて通常ルートではなく山脈や大河を越える可能性もあるにはあるが、その場合どちらにせよ軍馬や戦車の類が無力化される上に時間もかかる。
繰り返すが帝国の方には時間がない。
「圧倒的戦略を最短の距離で運営しノース神国を攻め滅ぼす」
コレを基点に判断すれば、やはり作戦の窮屈さが表に出る。
「次いで各国の支援状況は?」
元帥が尋ねる。
中将が答えた。
「サウス王国が軍の一部を派遣。イース皇国ならびにウェス帝国も騎士団を動かしているとのことです」
とはいえどこまで通用するかはアイスもあまり全幅の信頼はよせられない。
精々後方支援になるだろう程度だ。
神都はノース神国の中央にあるため帝国との国境には距離がある。
帝国の侵略に対処するなら、
「本土決戦に力を貸す」
が軍部の予想でアイスの共有するところだ。
「国境で敵を押し留める。鉄槌騎士団と――」
元帥が騎士団と軍隊の運用に話が移ったところでアイスは興味をなくした。
「どう思う師匠?」
思念で鬼一に話しかける。
「判断としては妥当じゃな」
「そうだろうけどさ」
戦争経験自体は無いとしても勉強を怠らなかったのだろう。
効率よく隙無し。
情報と補給で騎士団と軍を兵站する。
敵に騎士団相手に何処まで通用するか?
まぁ疑問ではあれ回答は無い。
「超過勤務に手当は付くと思うか?」
「レイヴ教皇猊下の有り難いお言葉が賜れるじゃろ」
「ブラック企業だぁな」
嘆息。
チョンチョンと鬼一の柄頭を叩く。
「アイス猊下」
元帥がアイスに水を向けた。
「何でしょう? 閣下」
「教皇猊下の御心は?」
「神の威光を知らしめよ。その一点に尽きます」
精神論ではある。
「その点についての杞憂はありませんな。戦力の投入の方を聞いておるのです」
「まぁそう言うよな」
思念で嘆息すると鬼一が笑った。
「私が参ります」
爽やかに言ってのけた。
「猊下が……!」
眉をひそめる軍人もいたが少数派だ。
枢機卿の保有する戦力の度合いは、誇張があっても虚構はない。
「国土防衛と情報収集……それから戦場からの市民の保護。この程度はしてもらいます。帝国の難民についてはガギア帝国正統政府の方に押し付けてください。こちらの関知するところでもありませんので」
肩をすくめてスラスラと。
「猊下は?」
「少し神罰の代行を」
剣聖。
枢機卿。
代行師。
教会の持つ特級戦力であり教皇のジョーカー。
「世界は遍く主の八紘一宇と相成ります。その天誅を具現化するためなら私も御使いと成り果てましょうぞ」
「危険ですぞ猊下」
「とはいえ魔族を誅するは教会の第一義でありますれば」
「む……」
詭弁だが黙らざるを得ない元帥だった。
教会が戦争に顔を突っ込むのは筋が違うが、魔族とケイオス派の処理という点においては国軍よりむしろ教会寄りの状況だ。
「どうか騎士の皆様におかれましては聖地の防御に専念なさってください。ケイオス派の誅戮は私の仕事です」
「頼って宜しいので?」
「いえ。相互の関係構築を此度は無くしましょう。私は神罰の代行を行なう。軍は聖地の防衛を行なう。それぞれが独立に行動し、戦果を上げようと申しているのです」
「勝てるのですね」
「神の威光ある限りは」
頷いてアイスは作戦室からフツリと消えた。
空間転移。
何にせよ破格の能力だ。




