十二話 嫌われ者の許思浩③
楊陳翔について行くと蔵書室の近くにある部屋に通される。部屋の構造的に恐らく彼の執務部屋なのかと思った。
「それで。冷静君、言い分を聞こうか。」
紙は潤沢にあるから遠慮する事はないと通された席の目の前の文机にドカリと置かれる。筆と墨も一緒だ。
「因みに朱願凜は黙ってろ。お前の言い分はさっきので充分だ。いや、例え不十分でも聞く気はない。今日は兄様は居ないしな。冷静君を助けてくれる胡聯は今日はきっと部屋を出なれない。だから今日の事は全ての判断は僕にある。僕の自由なのさ。」
「……僕はこの剣に誓って二言はないのでそれで構いません。」
「ふん、顔に見合った可愛げを身につける事をお勧めしようか。」
私は腕が痛いなぁ、とボンヤリと思いながら、確かに今の主人公は可愛げは無いなぁと共感する。顔が良すぎるから真面目な顔は本当に怖いのだ。
「…それで、僕が聞きたいのは冷静君の事だ。何故、アレを自分で辞めた?お前はいつもアレをただ眺めてるだけだった筈だ。ここに来たからずっと。」
えっと、何故自分で辞めたって…そのいつもとやらが私は知らないし、ただ嫌だったから打開策をとアイちゃんに求めた結果、ある意味最悪な感じになった。気にしない様にとしていたが未だに胸から腹辺りは血塗れで気持ち悪いし、腕は痣だらけで痛いし、あの一瞬見えた情景は今思い返すととても気持ち悪く、恐ろしいスップラッター映画のワンシーンの様だったと思う。
と言うか、腕を切られたのを見て発狂しなかった私を褒めて欲しい。モザイク処理とか謎の黒い影とかって大事だと思う。
「ダンマリか?」
なんて答えたら許思浩なのかと考えたが結局解らないから、私は私の答えで“嫌だったから”と書く。
その答えを見てニヤリと不気味に笑って成る程と一言言った。
「お前のアレはお前が奴隷の時にされた事の再現だと前に言っていたな。お前はアレに対しての心情は一切語らなかった。それが何故突然に嫌だと?僕のお前の唯一好きだった所は自己主張の無さだった。その男に何か言われたのかい?声を無くしたのも彼がここに結丹してこちら側にやって来てしばらくからだったか。」
あの男と言って指差したのは朱願凜だ。
確かに他人からしてみたら彼と関わったから何か心情の変化があった様に見えるだろう。どうやら、声を無くしたと言うか私が憑依したタイミングと被るらしい。
「どうした?この男は結局罰は受ける。僕の可愛い弟子の手を切り落としたのだから、兄様が居ても僕からの咎めは免れないさ。お前を罰する事はしない。お前を罰すると胡聯が怒るからなぁ。僕はそれはしたくない。あ、その腕も黙っているのだよ。いつもみたいね。…それで、もう一度聞くがどうして突然自己主張をしたんだ?」
よく喋る口だと思う。今朝絡まれた時も今も変わらずペラペラと喋る。
朱願凜がどうこうと言う事は無い。彼は彼として勝手に動いてる感じがあるし、正直私は何も頼んだ事は無いのも事実だから。そもそも、助けるならあの人の手を切り落とすなんてグロい事せずに責めて蹴り飛ばして匿って欲しかったぐらいだ。
自己主張を突然と言われても、私は憑依した他人で許思浩の本人の思惑なんてちっとも分からない。多分夢で見たあの人は歌を聴いてる感じで穏やかそうだったし…人が変わったからしか私に答えはない。
アイちゃんに聞きたい気がするけど、今さっきの最善策とやらは最悪だったのだから聞きたく無い気持ちが凄い。空気を読んでなのか今は黙って翻訳だけしてくれてるからこの考えは筒抜けなのだろうけど、嫌なのに頼るのを辞められのは気分の悪いモノだ。
「……ふははっ、やっぱり今朝も思ったけどお前さ、表情に出る様になったか?前は悟られまいとピクリとも動かさなかったのにな。確認も出来たし、まぁ答えなくても良いや。お前が黙るのはいつもの事だからな。」
その私になった事での表情の機敏を確認したかったのか、それとも他の何かを確認したかったのか解らないが答えなくとも良い様なのでとりあえず良かったと考えるのを辞める。
話のキリがついたと思うとノックが聞こえて、楊陳翔が入れと言う。
「失礼します。林游露殿の怪我の具合を報告しに参りました。」
「おや、貴方が呼ばれもしないのに部屋から出るなんて珍しいな、薬老師よ。」
「私とて気分転換くらいにはね。それに手を切り落としたのは誰かと言う好奇心ですよ。」
扉を開けて現れたのは薬老師だった。この人にはここに来てから何度かお世話になっている。私の部屋でしか会ったことがなかったから、そんな彼が呼ばれない限り部屋を出ない人だとは全く知らなかった。
「それでどちらが切り落としたのです?」
「冷静歌君じゃない方だ。」
「あぁ、やはり。余りにも綺麗な切り口でしたよ。お陰で綺麗にくっつけられそうです。」
「……私の弟子の手が失われる事がない様で何よりだ。」
「えぇ、それでどちらか怪我をなさってるでしょう?縫い合わせた手には何度も殴った跡があったので。」
「目敏いな。手当てしに来ない奴なんて放っておけば良い。」
「成る程、許思浩が怪我をしたのですね。貴方は本当にわかりやすい。清酒劍士にバレたくない事があると直ぐにそうだ。毎回彼を悪い酔いさせて一日使い物ならならなくするのもわかりやすい。」
余裕ありげに笑って指摘する薬老師を楊陳翔は睨み付けて舌打ちをする。どうやら、楊陳翔は薬老師が嫌いらしい。やって来たのが薬老師だと分かった時の顰めっ面ったら見事だった。
「許思浩、お声は相変わらずですか?」
和やかに近寄って目の前でしゃがみ、毎回の診察の決まり文句の様に尋ねられたから私は頷く。すると、そうですかと笑って、殴られたのは何処ですか?と次に尋ねららから大人しく腕を差し出せば、袖を失礼しますと捲られて、「あぁ、これは酷い。」と眉を顰めて言う。
「何が酷いだ。うちの弟子より遥かに軽症だろう。」
「えぇ、そうですね。でも、私が証拠隠滅しなければ貴方はどうでしょう。」
「貴方とは本当に会話しずらい!!何故、兄様はこんなのと仲良くなれるんだ。」
クスクスと薬老師は笑って、私に薬と包帯を塗りますねとテキパキと治療をした。お陰で痛みは引いたからありがたい。
「さて、やる事も終えたので部屋の主がこれ以上機嫌を損ねないうちに去りましょう。」
「さっさと出て行け、ついでに冷静君も連れて行ってしまえ。」
「そうですか。ならば冷静歌君、お部屋まで送りましょう。」
私は驚く。まだ、正直ここに居なきゃいけないかと思ってたからだ。薬老師が早々に追い出されるのは雰囲気として自然だったから解るが、まさかの送りましょうって…朱願凜は呑気にニコリと手を振ってる。
「なんだ?そこの男が罰を受ける姿を見たいのか?お前そう言うの嫌いだろう?あぁ、違うか好きだったな。あはははっ!」
私の目線に気が付いた楊陳翔は不機嫌さが一変して愉快そうに大笑いした。それを見た朱願凜は苦笑いをしつつも私に言う。
「許師兄。僕は分かっててあの男の手を切り落としたのでお気になさらず。」
え、でもと近寄ろうとすると薬老師が止めて、行きましょうと言って肩を取られてそのまま部屋を連れ出された。
部屋を出れば持たれて押されていた肩から手は離されて行きましょうと歩き出す。
もう一度扉を見て主人公だからきっと死ぬとかそう言った事は無いだろうと信じようと薬老師の後をついて行く。
「あぁ、そうだ。今日はもう部屋で安静にしてなさい。」
しばらく無言だったのに突然喋り出した薬老師にそう言われる。
「沐浴用のお湯と食事は私から頼んで置きますよ。その服は残念だけど時間が経ってしまったからきっと落ちないから雑巾とか掃除服になりますね。」
この人は独特な雰囲気のある人だと思う。初めて会った時は憑依したばかりで混乱してたから気にしてられなかったけど、起きて三日は毎日診察に来てくれてたし、昨日も帰ってきて直ぐの玄関先で薬草の入った籠を抱えている彼に会い、声の調子はどうだい?と会う時の挨拶になりつつあるそれを尋ねられた。それに毎回首を振るか頷くかで答えてる。正直この人と筆談をした事は無い。いつも、言葉巧みに首を振るか頷くかすれば良い様な会話をしてくれるからだ。医者兼カウンセラーなのかと少し思ってる。でも、カウンセラーの様な心を覗かれそうな恐怖心は抱かないから不思議だ。私はとにかくカウンセラーは天敵の様な思いを勝手に思ってるから不思議だと思う。だからと言って安心できる人では無いけど。
「部屋に着きましたよ。後ほど人が来ますので服はもう少しお待ちなさい。あと、腕の薬は明日まで落とさない様に。それでは。」
本当に送る途中で医者としてのお小言的な事を言われるだけ言われて部屋に送られただけだった。多分その為に送ると言われたのだろうと思う程。
服を着替えるにもべったりと付いた血は地肌も汚しているので水を持って来て貰わないと着替えるにもまた汚してしまうから大人しく待っていればしばらくして部屋の戸を叩く音がして開ける。
「マジでお前!!って血塗れじゃんか!!」
やって来たのは李梦蝶こと王芳だった。他には誰もいないらしい。沐浴用のお湯とかは何処だろうと王芳に肩を揺ら揺らと揺さぶられながら思う。
「薬老師に突然呼び出されたと思ったら、沐浴のセットの乾坤袋渡されて許思浩の面倒を見て欲しいって頼まれた時は本当何かって思ったけどさ!!それに昼からずっと冷静歌君の悪い癖の噂で持ちきりで今日がまさかあの日だなんて思わなくって本当探したんだからな!!」
勢いよく捲し立てられてそろそろ気持ち悪くなりそうだ。
取り敢えず乾坤袋はそんな持ち運び風呂的な事にも使えるのかぁ…早く着替えたいと思った。
一通りやんやん言われた後、ようやく着替えて落ち着く。
「はぁ…血塗れだったから本当腹に怪我でもとか思ったけど、腕の打撲だけみたいで安心した。にしても、今日があの日って予想してたから懲罰房に行こうとしてたけど、どう言う事だ?」
“懲罰房?それよりもあの日って?“
なんの偶然で薬老師が李梦蝶に声を掛けて、私の世話を頼んでくれたか分からないが、近々どうにかして話したかった王芳とこうして話す場を設けてられたのは本当に有難い偶然で、今の所一番気兼ねなく話せる人なのもありがたい。
「あ、あーそうか、鬼姫編の後の詩白龍派編のの話とかまだだったもんな。そもそも、このイベント前に話すつもりで直ぐに話そうと帰りの道中で声かけたのに帰って直ぐにイベントなんて本当展開早すぎるだろ!」
男口調でぷりぷりと怒っているが、見た目が美少女だからただぷりぷりしてる様にしか見えない。
「取り敢えず、詩白龍派編の始まりってさ許思浩の悪事から始まるんだ。その悪事ってのが気に入らない奴を修練場に集めて、縛って取り巻きに棒打ちさせるって言う感じので、その現場を見た主人公が辞めさせて許思浩を楊陳翔に協力してもらって懲罰房に入れるって流れから始まるんだよ。」
どっこいしょと勝手知ったらようにお茶を用意して王芳は向かいの席に座る。まぁ、今日はきっと邪魔は入らないだろうから話は長くなるだろう。
「許思浩が懲罰房に入ってないから実際とは違う事が起こったんだろ?何があったんだ?」
私は何処から話せばと悩んで文字にする。
それをお茶を啜りながら書き終わるのを待っていた王芳に渡せば興味深そうにした後に全然違うないよじゃないかと頭をわしゃわしゃとする。
「実際、これが詩白龍編の冒頭なのは間違いないが主人公様が許思浩の取り巻き筆頭の林游露の手を切り落として懲罰房行きになるなんて…と言うか、林游露が許思浩の取り巻きじゃ無いとか、それが激昂して殴るとか、お前が見た許思浩の過去みたいなのとか…どう言う事なんだ。と言うか、許思浩に取り巻き居ないって本当?確かに何か問題起こす時以外一人でいるって描写だったけど…。」
“多分、あの感じは許思浩の指示に従ってるとかじゃなかったよ。それに彼らは楊陳翔直下の弟子だったよ。“
「それだ、楊陳翔の弟子って言うのも原作では触れてなかった。けれど今思うと師尊とも師兄とも呼ばずに号で呼んでたし、許思浩が彼等に指示をするなんて描写もなかったからしっくりくる気がする。」
あー原作の見えない所が謎過ぎる!!考察はたくさん読んだけどと叫んで机に潰れる。原作では読んでても語られるの主人公の事が殆どだから確かに裏設定なんて言うのは作者が語らない限り闇の中。
「しかし、主人公が懲罰房かぁ。そういえば聞き流したけど許思浩がもとは奴隷って噂はガチだったのか?」
“多分、奴隷上がりがって言わらたし、朝食を一緒にした楊陳翔もそう言ってたかな。“
「そこも意味がわからないだよなぁ。原作では楊兄弟は初めは許思浩の味方をしてる人達で次第に朱願凜に惹かれるって感じだった。そのきっかけになるエピソードがこれだったんだけど…ご本人様は許思浩が受ける予定だった懲罰行きだ。それも乱入とかじゃなく、初めから許思浩に付き添っていて、何か知ってる風だったって…本当に主人公が謎。」
ウダウダと悩んだ結果今日はともかく、明日辺り主人公の様子は探ろうと言う話になった。
「許思浩が嫌われてるのは俺がここに来てから嫌ってほど噂を聞かされたから知ってるけど、これはいよいよ考察班が考えてた許思浩の冤罪の可能性も考えて行動した方が良いかもしれないな。」
“冤罪?処刑される程の罪が?”
「あぁ、もとより本編の後半辺りからそんな雰囲気があってさ。許思浩の付箋ってほぼ回収されてないから仕方ないけど、処刑までの流れが異様に早かったとか、あの事件の不自然さは主人公と胡悠天が調べる回もあったんだよ。胡悠天がメインで出る話しの時は必ず許思浩の話ってのがお決まりな程。」
許思浩と胡悠天の切り離せない感は最早お決まりなのか。これじゃまるで二人をカップリングして下さいって程だな。私は出来ればそうなりたく無い。
「分からないと言うか、明日の朱願凜の事も考えなきゃだし、今後の流れの話でも話そう。」
空になったお茶をまた入れ直してそう王芳は言ったのだった。
久々の薬老師さんの登場です。たまに出てきますの彼の事もよろしくお願いします。