二、確定と準備
帰りに旦那ちゃんの実家に寄り、日和やといわい屋の二択に絞ったことを伝えた。
すると、母はいわい屋を薦めてきた。
日和やは宴会場っぽく、いわい屋なら地元の慶弔事に利用する人が多いと。
確かに、予算的にもリーズナブルで、かつイベント事にこなれているいわい屋がいいかなあと旦那ちゃんも思った。
嫁ちゃんも同じだったようで、「いいね」とサムアップ、オッケイがでた。
これにて会場はいわい屋に決定する。
ちなみにこの日に、お店に予約をして場所を押さえた。
早いと呆れる嫁ちゃんをよそに、善は急げの旦那ちゃん。
食事会は3月の中旬、土曜の12時に決まった。
事は回りはじめたら早い。
まずは二人、手分けして電話で親戚一同にお伺いをたて、案内状を送る。
なにぶん、コストカットの手作りなのでスマホ等で調べ、会のプログラムや会場の席次レイアウトを作成する。
刻々と時間は過ぎていく。
なにより旦那ちゃんはやるべき目的があった。
それは「ガッチャマンのうた」を歌うこと・・・それは何より優先すべき事案。
我を通すとは、まさにこのこと。
かつて、妹たちの結婚式で初披露し、祝い事にはほぼ必ず歌ってきた。
沖縄の結婚式では歌えなかった・・・歌うシチュエーションさえなかった。
ここで歌わなければ、伝説の継承などない・・・歌はない事などあり得ない。
やってやるってばと、旦那ちゃんは不退転の決意を固める。
さらには食事会のプログラムを進行させることも重要であった。
司会進行の存在である。
当初、旦那ちゃんは自ら新郎兼務で行おうと考えていた。
しかし、甥と姪の康太、由里花がその役をかってでてくれたのだ。
やる気マンマンだった旦那ちゃんは、うーんと曖昧な返事をした。
しかし、冷静に考えてみる。
新郎が司会だなんて品がないし、本当にやれるのかという不安もあった。
それに、康太と由里花にとって貴重な体験となるだろう。
何よりその話を聞いた爺、婆(父、母)が喜んでいる。
私はふっと肩の荷が降りたように感じた。
よっし、二人にまかせることにしよう。
嫁ちゃんも、
「それがいいんじゃない」
と、笑顔で同意してくれた。
それから日々ドタバタ、紆余曲折ありながら食事会の日を迎えた。




