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峡の劔  作者: 北白川 司空
第十三章 よしの
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第十三章 よしの(5)


 翌朝、朝陽が山の端を離れた頃、信貴山に出張っていた弥蔵が夜駆けして大原に戻った。

「宮内卿法印が信貴山城に赴き、久秀に翻意を促しましたが、久秀は拒否しました。」

 宮内卿法印、名を松井友閑といい、堺商人出身の著名な茶人で、織田政権の中枢にあって堺奉行を務める。茶の湯を通じて久秀と懇意にしている友閑の説得を以てしても、久秀の決意は崩れなかった。

 友閑の報告を受けた信長は、すぐさま、嫡男信忠を総大将に任命して兵一万を預け、岐阜を進発させるとともに、天王寺砦に滞陣中の明智光秀や細川藤孝などに信貴山城への転戦を命じた。信貴山城周辺には織田の軍勢が参集しつつあり、総大将信忠と主力の到着を待っている。

「藤佐らしき武士が信貴山城に入ったそうです。」

 弥蔵が次の話題に移る。

「藤佐という悪党とはよくよく因縁があるようだな。」

 清太は苦笑したあと、平次郎とよしのに関する昨日の出来事を、弥蔵に説明する。

「偶然とはいえ、若様が伏見でよしのを救ったことから始まった繋がりがこのように広がるとは思ってもみませんでした。」

 弥蔵は様々な経験の中で、大成する人物が不思議なほどに奇縁良縁に恵まれる場面を幾度も自分の目で見てきた。あるいは、逆に、天に(えにし)を恵与された者が大成するということかもしれない。いずれにしても、清太を中心にした縁の広がりに沁々と感じ入る。

「序章は、伏見でよしのを救ったことではなく、御劔からかもしれぬな。」

 清太が天象を予測する時に見せる茫洋とした表情で呟いた。


 翌日の昼過ぎ、近江長浜から飛脚装束の伝輔が大原を訪れる。

 伝輔は離れ屋から出てきた清太を見て、安堵の表情を浮かべ、時間を惜しむように、

「重治様をはじめ羽柴家の重臣方が隠密で播磨に下向することとなりました。出立は明日。重治様が清太殿に播磨までの先導を依頼したいとのこと。子細は道中にてお話するそうですので、急なことではございますが、明日の夕刻、大津で重治様一行と合流いただきたい。」

と、その場で清太に切り出した。

「承知した。」

 清太に是非はない。

 伝輔は復命のため、休息を取ることなく、長浜への帰路につく。

 翌朝、鍛練を終えた清太は、普段と変わらず井戸端で洗濯をしているよしのに、

「今日、大原を発ちます。」

と、ことさらに明るい口調で告げる。

 よしのが洗濯の手を止めて、哀愁を帯びた瞳で清太を見上げる。

 よしのは、

―いつかはこの日が来る。

と覚悟して、心の準備をしていたが、いざ現実に直面すると、自分の瞳が潤んでいくのを抑えることができない。気持ちを緩めると込み上げそうになる嗚咽を必死に飲み込み、清太よりもさらに明るい笑顔を作って返事する。

「無事のお帰りをお待ちしております。」

 その声に、清太は、なぜか、

―この娘が待っているならば、必ず無事に戻れる。

という、根拠はないが、何か確信にも似た未来を予感した。同時に、清太の胸中に淡い煙霧のように漂っていたよしのへの想いが瞬間的に凝結し、明瞭な輪郭をもって精神の水面(みなも)に浮かび上がった。

「必ず戻る。」

 清太が屈んでいるよしのの右手を取り、そのまま身体ごと引き寄せて両腕で包み込む。二人は抱擁の中で静かに唇を重ねた。


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