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峡の劔  作者: 北白川 司空
第九章 策士
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第九章 策士(2)


 清太と弥蔵は、身分ありげな武士の案内で姫路城内に入って、細い渡り廊下を通り、小さな庭園に面した書院造りの小部屋に入る。矢竹が厚く植えられた庭の向こう側に鬱蒼と繁茂している常緑樹が小書院からの眺望を遮り、周囲の様子を窺うことはできない。小書院の出入口は一枚の薄い障子戸だけで、そこさえ固めれば、この部屋に入った人間は容易には逃走できない構造になっている。

「何かと行き届いていますな。」

 弥蔵が小書院の造作を眺めながら、小声で清太に呟く。

 数人の武士が渡り廊下を踏む足音が聞こえてくる。清太は小庭を背にして平伏したあと、武士達の着座を見計らい、顔を上げる。清太の正面にやや距離を置いて、上座の中心に小柄な武士が、彼を扇の要にして二名ずつが両脇を、さらに清太達の背後を四名が固めて、清太達の挙動に油断なく注意を払う。

「竹中家中の池田清太、後ろに控えますは、同じく穴吹弥蔵と申します。」

「黒田孝高でござる。遠路の使者、大儀です。」

 孝高は、

―虚飾や詭弁を見逃さぬ。

という鋭い眼光を、清太達に向ける。清太は臆することなく、重治の言葉を伝える。

「主人重治が黒田様の播磨におけるご活躍に感服し、秀吉様も播磨のことは黒田様にお任せしておけば間違いないと周囲に語っております。」

「過分なる御言葉、かたじけない。」

 孝高は表情を崩さない。

 初対面の挨拶を交わすと、早速、清太が会話の舵を切る。

「播磨での織田氏の評判はいかがでしょうか。」

 清太の質問が呼び水となり、孝高は貪欲に収集した情報と精緻な分析に基づき、播磨、そして、山陽・山陰、さらには、天下の鄒勢に関する持論を滔々と展開する。勿論、孝高は清太達の背後に、秀吉の帷幄にあって千里の外に策を巡らせる重治の存在を、強く意識している。

 孝高曰く、革新に溢れる織田氏とは対照的に、毛利氏は、今は亡き山陽・山陰の覇者元就の遺徳に安住して保守的な色合いが濃く、旧態依然で、今後、一念発起したとしても、旧領維持までがせいぜいで、家勢は縮小衰退の途上にある。しかし、凡庸な播磨国人衆には霞の向こうにあって遠望することしかできない織田氏よりも、近視眼的に、かつ、明瞭に輪郭を把握できる毛利氏の容姿が美しく、また、大きく見える。さらに、播磨は、浄土真宗を中興した蓮如上人が布教のために高弟達を派遣したことなどにより真宗王国の風土が濃厚で、伊勢長島願証寺や比叡山延暦寺を焼き払い、現在も石山御坊と交戦するなど仏教勢力をはじめとした旧体制を次々と破壊していく織田氏よりも、安芸門徒と称される堅牢な門徒集団を内包し、織田氏の攻囲に苦しむ石山御坊を積極的に支援する毛利氏への親和性が高い。

「それにしても…。」

 孝高が呟く。

 昨年七月の木津川河口における織田水軍の大敗が織田氏に靡いていた播磨国人衆を未だに動揺させていると言う。

 毛利氏はそこにつけ込んで、

「上杉謙信が間もなく北陸の織田軍を蹴散らして上洛する。そうなれば、織田氏の滅亡勝は疑いない。」

などと、多数の諜者をばらまいて吹聴させる。

 孝高の冷静な目でみれば、これまで雪国越後から腰を上げることができなかった謙信がそう易々と大軍を催して上洛するとは思えず、万一、上洛しても京で長期的な安定政権を樹立するとは考えがたい。言い換えれば、

「仮に、織田軍は一敗地に塗れたとしても、謙信が越後に帰れば、息を吹き返す。」

と言う。しかし、毛利贔屓の播磨国人衆はその単純な論理を理解しようとせず、ただ織田氏と上杉氏の全面対決の行方を固唾を飲んで見守りながら、日和見的な態度を続けている。

 清太は、

―孝高殿の分析・評価は、重治様の読みと大筋で一致している。

という印象を持つ。そして、孝高の詳細な情勢分析に耳を傾けながら、孝高の人格を計る。

 孝高の発する言葉は明瞭で、曖昧さがない。それは、聞いている清太にともすれば息苦しさを感じさせる。表現を選ばずに言えば、異論を挟む者を微塵に論破し、

―結果的に恨みを残しかねない。

という鋭利で危うい成分が孝高の言葉に内在しているように感じられる。

―才気煥発。ただし、人格に重治様のような奥行きを欠いている。

 清太が自分の若さを脇に置き、客観的に孝高の人物像を評価する。

 その時、ここまで持論を展開してきた孝高が主客を転じる。

「松永弾正忠が摂津の天王寺砦から無断で退去し、大和信貴山城に籠ったというが、真偽をご存じか。」

 孝高が清太の瞳を覗き込む。

―やはり知っていたか。

 事前に覚悟していた質問ではあったものの、清太は孝高の情報収集能力に改めて感服する。そして、丹田に力を込めて孝高の鋭い眼光を受け止め、真っ直ぐに、

「相違ございませぬ。」

と答える。

 孝高は唇を固く結ぶ。

 僅かな時間だが、沈黙が小書院を支配する。

 清太がその沈黙を破って、

「羽柴勢は謙信との合戦に備えて越前に出陣しておりますが、久秀退去の一件を受け、主人重治は秀吉殿とともに可及的速やかに北陸を離れて播磨に馳せ参じる所存です。それまでの間、播磨および山陽道の動揺を押さえることができるのは黒田様のほかにはいないと申しておりました。」

と、重治の言葉として伝える。

 孝高は、自分の才能に対する高い評価に、強く頷いて、

「お任せ下さい。」

と、逡巡なく重治の要請を請け負う。

 清太は孝高の全身から溢れ出る自信を見る。同時に、先刻の懸念が再び清太の胸中に浮かび上がる。

―それでも頼れる武将はほかにはおらぬ。

 播磨の空気は様々な混乱要素を内包しつつ、不穏な圧力を増し続けている。播磨国人衆は情勢を注視し、巷間の噂が含有する温度や湿り具合の微妙な変化を皮膚で感じながら、一族郎党の保全という大義のもと、時にその変化に鋭敏に、過激に、そして、本能的に反応する。それらの反応が播磨全体の空気をさらに圧縮・加熱し、外部からの僅かな擾乱や内部で発生する極めて小さな撹乱を発火点にして、戦乱という爆発的な燃焼反応を産み出すことになる。


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