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峡の劔  作者: 北白川 司空
第八章 暗夜行
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暗夜行(1)

 八月十七日深更、冴えわたった月の下で響く孟秋の虫の音を乱さぬよう、久秀と近習達が(ばい)を含ませた馬に乗り、夜陰に紛れて密かに天王寺砦を出た。

 百足という兎吉らしき影が再訪することを期待しながら、松永陣屋を監視していた亥介と総馬が息を潜めて久秀一行の静かな出立を見つめる。

「隠密には向かぬ月夜だが、夜討か…。」

 総馬が呟く。

「夜討ちにしては兵が少ない。それに他の陣屋は寝静まったままで動く気配もない。後をつけてみるか。」

 亥介が一行を見つめながら、総馬に答える。

 二人は一行と十分な距離を取りつつ、追跡を開始する。

 十七夜の月が西に傾き始めた夜半の摂津平野を、一行は何かを恐れるように無声無音のまま一列になって南行する。

 早秋の深更に特有の冷気を帯びた夜露が夜空から降り注ぎ、一行の精神を湿らせ、人馬の足取りを重くする。殿軍に位置する武将が妄想に怯えるように幾度も背後を振り返り、追手の有無を確認する。一行は和泉に入ると、堺の町域を避けて郊外の田園地帯を進み、次第に進路を東に変える。一行の進む街道は生駒山脈に向けて上り勾配を加えながら、山々を被覆する濃い樹叢に至る。山中に入った一行に微かな安堵の色が流れ、緊張と背後への警戒を緩めて、馬の枚を外し、山径を松明で照らしながら騎行に速度を加える。徹夜の行軍で一行の疲労は限界に達しつつあったが、峠を越えて朝靄の煙る薄明の向こうにまほろばの大和盆地を望むと、一行は生気を取り戻して、久秀の居城信貴山城に辿り着く。

 信貴山城は古刹朝護孫子寺の北方に高々と聳える信貴山の峻険な山頂に天守を構える防御に偏向した堅牢な山城である。

 久秀の入城を見届けた総馬が、清太達に報せるべく、天王寺砦へ蜻蛉返りする。

 亥介は信貴山城を引き続き監視するため、この場に留まる。


 清太は日が高くなっても戻らない亥介と総馬を案じて小屋を出る。

 昨日までに比べて砦内を多くの使者が忙しく往来するなど、天王寺砦全体の重心が上方に移動したような安定の低下が感じられる。それは松永陣屋に近付くにつれ、喧騒へと変質していく。

 清太は馴染みになった門番に陣屋内の様子を尋ねる。

「今朝方、陣屋の主殿(あるじどの)が忽然と消えたらしい。」

 回答の内容とは裏腹に、門番の口調は楽観的で、どこか他人事のようでもある。

 清太は門番の言葉に驚きを浮かべたあと、久秀が消えた理由を尋ねようとして、喉元で言葉を止める。

―一介の門番が、久秀が出奔した理由を知る由もなし。久秀が天王寺砦から消滅しても、雇傭に過ぎぬ門番や雑兵の日常は変わりなく、彼らの関心事はこの陣屋の次の主人が誰かということ程度でしかないだろう。

 清太は俗世に下りて以降、様々な事象を見聞し、それらを自分なりに咀嚼することで、この乱世における人々の生き様や考え方を合理的に理解できるようになっていた。

 清太は混乱の渦中にある松永陣屋を離れ、天王寺砦を一巡する。砦内の情報を集めても、久秀に陣替、陣払いの命令は下りてはおらず、久秀の失踪は独断と考えるべき状況だった。

 清太が小屋に戻ると、信貴山から戻った総馬がここまでの状況を報告する。

 昨晩の久秀の行動に鑑みれば、周到とまでは言えないが、馬に枚を含ませ、松明を準備するなど周到とまでは言えないが、ある程度は準備された暗夜行と想像できる。

 傷養生で横臥していた弥蔵が上半身を起こして、総馬に尋ねる。

「信貴山城の様子はどうじゃ。」

「久秀が帰城した時点では信貴山城に用意があったようには見受けられませぬ。しかし、久秀が帰城したあとは、次々と将士が城を出入りし、俄かに動き始めました。」

 総馬は自身の分析を加えつつ、

―おそらくは謀反。

と、暗喩する。清太は臓腑に落ちきらない不可解を自問するように小さく呟く。

「なぜ、久秀ほど世故に長けた男が、突然、戦陣を退去したのか…。」

 清太の脳裡に松永陣屋の外で干矛を交えた旅僧の姿が過る。

―旅僧が久秀に決起を促すほどの重大な報せをもたらしたのか…。

 であるならば、藤佐の強引とも言える勧誘を固辞し続けた久秀の態度を覆すほどの劇的な情勢変化が発生している可能性がある。

 清太は数日前に越前北之庄から天王寺砦に帰還した伝輔に視線を移す。

「重治様が予想した通りの展開です。直接、重治様に後事を相談したいが、伝輔殿、道案内をお願いできますか。」

 伝輔が頷く。清太が総馬に向き直る。

「総馬は信貴山に戻って、亥介と一緒に城外から信貴山の様子を探ってくれ。久秀がこのまま籠城して謀叛に至ったとしてもこれ以上深入りする必要はあるまい。弥蔵は傷養生も兼ねて天王寺砦を留守(りゅうしゅ)し、総馬は信貴山の状況を定期的に弥蔵に届けてくれ。」

 弥蔵が自分の負傷を責めるように頭を下げるのを、清太が右掌で優しく制止した。

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