Side芽亜里&翔騎
ワトスン君、君は沈黙という素晴らしい素質を持っているようだ。だから君は相棒としてかけがえのない存在なんだ。僕にとっては、必要な時に話し相手になってくれる友人がいるというのは、実にありがたいことなのだよ。(『捻れた唇の男』1891年)
Side漏田芽亜里
芽亜里は本日二度目だが、慈英の元を訪れていた。
「やっぱり推理した通りだったよ、君のスマフォのある画像から、コンピュータ・ヴァイラスが検出されたよ。マックOSを感知するもので、感染した媒体がマックOSと接続したらそのマックOSに乗り移り、特定のプログラムを作動させる仕組みだった。そのプログラムを調べてみると、特定の時間になったら警視庁のメイン・コンピュータに犯行予告の内容のメイルを送りつけるものだった」
「そう、じゃあ、進次が爆破予告を出したわけじゃないんだね」芽亜里は愛する人の無実を知り、安堵した。
「ああ」慈英はスマフォを芽亜里に返却した。「これは、かなり計画的だ」
「確かにね……。時間を設定してたりとか……」
「よほど、警視庁に強い怨みがあるんだろうな。直感だが、話に聞いた院長殺害事件の犯人も同一犯、いや、同一の犯人グループだと思うよ」
「グループ?」
「ああ。一人ではない。一人ではこの芸当はできないと思うよ。まあ、直感だから論理的な説明が難しいけどね。あのロジカル・シンキングの二人に訊いたら、面白い解答が得られるんじゃないか?」
「それで、どの画像にそのプログラムが仕掛けられてたの?」愛実はスマフォを受け取り訊ねた。
「それは、一番最新の画像だったよ。画像自体のデータは残ってるから、今でも見られると思うよ」
「最新……?」愛実はフォルダを開いた。「え、これって……!」
芽亜里は、このことを愛実に伝えるかどうか、迷った。こんなこと、知らせたくない。
「ありがとう」芽亜里は礼を言って、慈英の部屋を退出した。
「頑張れよ」慈英が、芽亜里の去り際に言った。
「え?」
「理想主義のあいつが動いてるんだ。理想とまではいかないでも、最悪の事態にはならないはずだ。きっとな」それは、慈英なりの励ましの言葉だった。
芽亜里はもう一度礼を伝え、部屋のドアを閉めた。
芽亜里が地上に降り立つと、ちょうど愛実が車を運んできたところだった。車種はトヨタのアクアだ。芽亜里は助手席に乗った。
「どうだった?」愛実が訊いた。
「やっぱり、私のスマフォから感染してた。特定の時間になると、警視庁に爆破予告を送るプログラムが発動する仕組みになっていたみたい」
「時限式かあ……。やっぱり計画的だなあ。今回の、関わっていそうないろいろな件全部が、その場その場のものではなく、計画的なものが多いね。
はじめの東野院長殺害は、突き落とすときの小細工が細かすぎる。衝動的な犯行なら、あそこまで考えが及ばないよ。
ワトスンが逮捕された(実際には逃走しちゃったけど)タイミングが、警視庁へのサイバ攻撃の直前というのも都合が良すぎる。ワトスンのパソコンを解析し無実が証明されるまでにサイバ攻撃が始まってしまう。つまり、その間ずっと、ワトスンは取調室に拘束されるのだから、直接的な関与が否定できる。その後にパソコンの解析により、間接的な関与の疑いもかなり晴れるから、無実が証明されたのも同然。
他のものも含めて、どれももかなり計画されたものだね。そして、ワトスンにかなり近いところで発生しているのも共通している。それに、東野院長殺害犯が、院長のパソコンで『サタンの母』を購入したと推定されると同時に、その購入時の名義が爆破予告の名義と同じ。たぶんこれら全て、同じグループの犯行だよ」
「同じグループ?複数犯なの?」
「うん。だって、院長殺害時の容疑者リストと、事務所のパソコンの秘密を知っているもの、その両方に入っている人物はワトスンしかいないけど、先の理由から否定されるから、単独犯ではありえない。もちろん、ワトスンの自作自演の可能性はあるけれど、それだと逃げたことが不可解だ。逃げずにそのまま捕まったほうが、確実に無実が証明されるのだから。そういうわけで、院長殺害と事務所のパソコンのクラックの両方を行えた人物はいない。だから、複数犯だというわけだよ。」
「なるほどね……。そういうことか……」
「ところで、どの写真だったの?」
「え?」芽亜里の心拍数が急上昇した。
「メアリィのスマフォを感染させた写真だよ。その写真を提供したクライアントが犯人グループの一人の可能性が高いんだから。」
芽亜里は話そうかどうか悩んだ。あまりにも酷なものではないだろうか?
そのとき、ふと芽亜里は愛実と目があったように思えた。もちろん、運転中なのだから、そんなことはないはずだ。それでも、芽亜里には見えた。真実と向き合う覚悟を初っ端から決めていた瞳だった。その瞳を前にして、真実を隠すのは、卑怯ではないだろうか。芽亜里は意を決した。
Side海月翔騎
翔騎は自分のパソコンを眺めていた。画面にはジェリィ・フィッシュ社の検索エンジンサイトに掲載されるJFニュースが映し出されている。そこには、赤い枠に囲まれ、「緊急」という文字がインパクトを与えるように構成されたニュースの見出しがあった。ジェリィ・フィッシュ社のパソコン・スマフォを使っているユーザのログイン画面にも、このニュースの内容が表示されるようになっている。万一のことを考え、PC類の製造を始めたときから備わっていた緊急時の会社からの連絡方法だが、これまで一度も使用されたことがなかった。はたして、この画面を見た何人のユーザが指定された行動をするのか、まったくもって未知数だった。
「緊急!
いつも本社の製品をご利用いただき、ありがとうございます。以下の製品をご利用のお客様にご連絡があります。
(中略,いくつものIoT製品名とその写真が掲示されている。そのほとんどが、ここ五年以内に製造された製品ばかりだ)
以上の製品を購入いただいたお客様は、至急、それぞれの写真をクリック、あるいはタップして、その先のHPに掲載されている手順に従って、製品を破壊してください。
破壊されました製品の修理、あるいは買い替えについては、当社にて負担させていただきます。どうか、ご協力お願いします申し上げます」
自社のIoT製品に書き換えられたプログラムが発見され、そのプログラムにより懇意にしている警視庁に損害がでるということがわかると、社長の鋼猩はすぐに社員全員に呼びかけた。自社のIoT製品の通信を破壊せよ、と。通信を不可能にすることで、サイバ攻撃を阻止しようという算段だ。
攻撃の母数が減少すれば、サイバ攻撃は失敗する確率が高くなるし、一度サーヴァがダウンしても、すぐに復旧できるかもしれない。翔騎はサイバ攻撃が未遂に終わることを願った。
また、社長の親戚で信頼の置かれている翔騎と鋼磨においてはもう一つ、社長から命令されていた指示があった。それは「製品のプログラムを書き換えた犯人を捜せ」というものだった。自社の在庫に置かれている製品にもそのプログラムがあったということは、自社の中に、そのプログラムを組み込んだ者がいるということだからだ。
内部の事情聴取などを鋼磨に丸投げした翔騎は、溜息をつくと、目の前のパソコンを起動して内部の人間のパソコンのハッキングを始めた。翔騎には一人、犯人として目をつけている人物がいた。翔騎はその人物のパソコンに侵入すると、ファイル・データを慎重に探っていった。