第一章第十五話
「君んところのパソコンがクラッキングされたとなると、侵入経路はたぶん、一つに絞られるかな。」慈英は言った。
「え、一つ?」愛実は驚いた。
愛実と芽亜里が、進次が事務所を去った事情を説明し、パソコンが遠隔操作された可能性について相談すると、すぐに返答が返ってきた。
「ああ。たぶんね。」
「どうして、そう言い切れるの?」
「事務所のパソコンはヴァイラス対策がほぼ完璧だからだよ。」
「え、それでも、新型のコンピュータ・ヴァイラスが作られたら、どんなに完璧な防御だって、破られる可能性があるでしょ?」
「普通のヴァイラス対策だけでないんだよ。オリジナルの対策があるんだよ。」
「オリジナルの対策?」
「そう。いくら事務所の人間だとしても、企業秘密だから詳しくは話せないけれど、俺のハッキング能力をフル活用してるってことかな。」
愛実がさらに深行った質問をしようかと思ったところで、芽亜里が本題に戻そうとした。「で、侵入経路は?」おそらく、芽亜里はその企業秘密を知っているのだろうと、愛実は推測した。
「ん。」
慈英は芽亜里のハンドバッグを指差した。
「え?私のカバン?」
「その中に入っているだろう、君のスマフォだよ。」
「スマフォ!?」芽亜里は驚いてスマフォを取り出した。
「おそらく、そのスマフォの中に保存されている画像の中のどれかに、コンピュータ・ヴァイラスが仕組まれていたんだろうな。」
「なんでそんなことまでわかんの?おかしくない?」愛実は反論した。
「少し考えたらわかることだ。リーズニングなんて、探偵事務所の基本だろう?それを確かめたいから、ちょっとそのスマフォを貸してはくれないか?」慈英は芽亜里に手を出して要求した。
芽亜里は頷き、その手の上に自分のスマフォを乗せた。愛実はそれを見て、愛実のスマフォを取り上げ、妨害した。
「初めから、芽亜里のスマフォを手にするのが目的だったんじゃない?」愛実は慈英を睨みつけた。
「大丈夫よ、アイミ。ありがとう。」芽亜里が愛実を制止した。「慈英が言っていることは合ってるから。事務所のパソコンのヴァイラス対策状況を考えると、私のスマフォが一番怪しいのは確かだから。」
「……どういうこと?」
「俺が説明して良いか、漏田?」と慈英。
「ええ。アイミも事務所の一員なんだから、知る必要があるわ。」
「え、なに?どういうこと?」
「実は、あまり外には漏れないようにして欲しいんだが、和田探偵事務所では、調査を行う上で非合法的な方法も取ることがあるんだ。」
「非合法?」
「ああ。その一つに、顔認証システムがある。」
「顔認証システムって、科捜研とかが行なっている、防犯カメラの映像に映る人々と捜査対象者のそれぞれの顔を照合させて炙り出すアレ?」
「ああ。その顔認証システムをこの事務所にも導入しているんだ。」
「それのどこが非合法……?って、まさか!」
「そのまさかだよ。その照合する映像が、まさに俺がハッキングした防犯カメラの映像なんだ。」
「確かにそれは合法的じゃない。」
「ああ。事務所に失踪者の捜索依頼のようなものが来た場合、聞き込みと同時並行でハッキングした映像を使った顔認証を行うんだ。その二つを効率よく行うことで、失踪者発見の実績を上げてきたんだ。」
「そういうこと……。じゃあ、あたしが病院にいるってわかったのも……、」
「ああ。クライアントの君の旦那さんの証言から、自宅近くの防犯カメラをハッキング・分析し、君が梅花市にいることがわかったんで、今度は梅花町での聞き込みと、顔認証を行い、梅花市民病院にいることが判明したってわけだ。顔認証はあの事務所のパソコンを使っているんだよ。」
「なるほど。……あ、わかった。その顔認証に必要なのは、捜索者の写真。それを事務所のパソコンに取り込む必要がある。また、聞き込みのときにも写真があることはとても有利。だから、依頼があった際、依頼者からまずその写真を受信するのは、メアリィのスマフォってわけね。メアリィのスマフォを媒介してパソコンに写真を登録する。だから、パソコンの唯一の外界とのアクセス・ポイントはメアリィのスマフォということで、コンピュータ・ヴァイラスがパソコンに感染したとなると、その感染源がメアリィのスマフォ、それも画像フォルダの中にある可能性が高いってわけね。」
慈英は愛実の話を聴いて、小さく頷いた。「なるほど、和田と同じくロジカル・シンキング・タイプか。事務所の人間はそのタイプの方がいいのか?」
「え?ロジカル?」愛実は慈英の独り言を聞き漏らさなかった。
「ああ。いわゆる『論理的思考型』だよ。俺もよくミステリィを読むんだが、探偵には『論理型』と『直感型』がいるとは思わないか?」
「ええ、確かに。」
「俺は、その前者の考え方をロジカル・シンキング、後者をラテラル・シンキングって呼んでるんだよ。どっかのミステリィ小説にあったかな?」
「あ、あれね。あたしもそのミステリィ読んだわ。」
「まあ、それで、言いたいのは、お前――樫谷って言ったか――の考え方が比較的論理的で、ロジカル・シンキングだってことだよ。そこの漏田や俺は、かなりの直感――ラテラル・シンキング――型。だから、その漏田のスマフォが感染源って推理も、ほぼ直感ででたもんだから、そんな論理的には考えてないんだよ。」
「ふうん。ま、いいや。じゃあ、お願いしてもいい?」
「もちろんだよ。」
愛実は芽亜里のスマフォを慈英に渡した。
「そういや、」愛実はふと思いついた疑問を投げかけた。「ワトスン――和田の行方ってわかる?」
「いや、さっきもパソコンで調べてみたけど、見つからなかったよ。たぶん、携帯の電源を切ってるんだろう。その方が、警察からも発見されにくくなるだろうし。」
愛実と芽亜里は礼を言い、スマフォのチェックを託して慈英の元を離れた。
「顔認証システムの仕組みって知っている人は限られてるよね。」愛実は道中、芽亜里に訊ねた。
「ええ。もちろん。だって、知られたら大問題だし……。」
「でも、メアリィのスマフォを経由した方法でパソコンをクラックしたんだとしたら、明らかにその仕組みを知っていた人物が関わってるってことだよな。」
「あ……、確かに……。」
「それで、どれだけの人間があのシステムを知っていたのか、と思って。」
「えっと、あれは、進次と私の他に、慈英と、あと、ジェリィ・フィッシュの一部の人間かなあ……。」
「え、ジェリィ・フィッシュ?確か、海月翔騎がいた……。」
「そう、主に彼の協力があって、顔認証システムが作られたの。」
「じゃあ、そのジェリィ・フィッシュ社の中ではどのぐらい知られてるの?」
「多分、かなりトップクラスの人間だけだと思うわ。詳しいことは、海月君に訊かないと分からないよ。」
「じゃあ、今から行こうか。」
「え?」
ちょうどその時、メアリィのカバンからヴァイブレイションの音が鳴った。メアリィはそこからガラケイを取り出した。
「え?二台持ち!?」愛実は驚いた。
「まあね。いろいろ使い分けてるの。あ、ちょうど噂してた海月君からだ。」
「へえ、面白い偶然だね。なんて書いてあるの?」
「『例のウェブカメラの解析が終了しました。それに関して話があるので、本社のボクの部屋に来てください。』だって。」
「ちょうどいいな、早速向かおうよ。」
ちょうど近くを空のタクシーが通りかかったので、愛実たちは乗せてもらうことにした。




