第4話 講義 洋々たる青を前に黄は
もし、自分が突然すさまじい力を手にしたら――などという妄想を抱いたことはないだろうか。
何者にも負けず、何事にも屈せず、世界を支配することのできるだけの力を得ることができたなら、あなたならどうするだろう。
狂喜乱舞してその力に身を委ねる者もいるだろう。
得体のしれぬ力に怯えて夜も眠れぬ者もいるだろう。
冷静にこれから先どうするのか思案する者もいるだろう。
彼はそのどれもに当てはまった。
急かされるままに力を行使し人々を唖然とさせ、興奮が冷めれば歯の根も噛み合わぬほどにふるえ、生来の生真面目さがすべきことを考えさせた。
苦悶が羽をひろげ彼を引きずり回しても、ふりしぼった勇気が三半規管を整えた。
ふんぞり返る苦悩に押しつぶされながらも、背を折るのを拒絶した。
その力を人々のために使うことを、心に誓ったのである。
――《贄とされたもの》一章15Pより――
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孤児院から帰り休養すること三日、体調の戻ったトワイルはルークスを前に真剣な表情で耳をかたむけている。
隣には黒い染みのようなものが混じった白髪の少女、シャリークもいる。
彼女もまた、トワイルに負けず劣らずの熱意をもって授業にのぞんでいた。表情にはあまり出ていなかったが。
「では、授業を始めましょう。
今日からは生徒が二人に増えたことなので、進行速度もゆっくりになるかと思いますが、トワイル様、あせらずに参りましょう」
「はい」
「シャリーク嬢も、改めてよろしくお願いします。読み書きの方は大丈夫なんでしたな?」
「はい、よろしくお願いします」
シャリークが頭を下げると、ルークスは相好をくずす。
機嫌が良いのは可愛い孫のようなものだからなのか、それとも彼女の幼いながらもわかる美貌のためなのか。
そんな邪悪な大人の心に二人が気づくことは当然なく、トワイルは少女に申し訳なさそうに頭を下げた。
「この前はごめん。ぼくのせいで一回授業がなくなっちゃったみたいで」
「ううん。私は魔法を教えてもらえるだけで十分だから」
シャリークはほんのかすか、ほほえみと分かるそれを浮かべた。
生憎トワイルにはそのささやかな変化はわからなかったが、怒ってはいないということは理解できて安堵する。
「さて、今日は魔法――の前に、まずは魔力についてお教えしましょう。トワイル様には復習となりますが、よろしいですかな?」
「はい」
壁に張り出されたまっさらな紙に、ルークスが大きく魔力という文字を書く。
そして、魔という字を丸でかこんだ。
「魔とは人外を意味しております。魔物とは人外なる生物、魔性とは人外なる性質を意味し、魔力というのも人外なる力、という意味を表しています」
まっさらだった紙に次々と文字が付け足されていく。
彼の手が動くたびに二人の目が右左と動いた。
「魔力は人外なる力でありながらすべての人が宿しているものでもあります。
それはなぜですかな? トワイル様」
「はい。それは太古の昔、私たちの祖先が原罪を犯したからです」
「はい、結構です」
ルークスは新たに『原罪』と紙に書きくわえる。
「私たち人類の祖先は原罪という大罪を犯したと伝えられております。
原罪は魂に刻まれた罪の記憶。
それによって人は理からはずれ、自らの魂に魔なる力、魔力を備えることになりました」
魔力という文字を中心に人体の絵が描かれる。
「では、原罪とはなんなのか。
どのような罪を我々の祖先は犯したのか、それについては残念ながら判然としません。
人類史において、最古の記録は約2000年前、イニーク王国の建国時と重なります。
そのころは人口も少なく、大陸に国家というものがまだない町村規模の集合でしかありませんでした。人類にとって初めてとなるまとまった規模の国こそが、イニーク王国なのです。
いわば、我々のルーツといえましょう」
ルークスは話しながら、ときおり過去に想いをはせるように遠くを見る傾向がある。今もその癖がついつい出てしまっていた。
「――とと、すみません。話がそれましたな。
当時はまだ魔力を宿した人間はおらず、とうぜん魔法を使える者もおりませんでしたそうな。
ところが、建国から数十年後の王国史には魔法についての記述が見られるようになり、魔法士の存在が確認されております。この間になにがあったのかは不明瞭です。
現在大陸各地で最も古く、最も多くの人間から信仰されている聖ジョージ教では、そのころに王国の人間が犯した原罪が今も連綿とうけつがれていると教えられています。
聖ジョージ教会の設立も同様の年月になりますので一応の信憑性はあるでしょう。
ただ、教会内部でも原罪の具体的な内容については記録が一切残っていないそうです。
一説によると、口伝によって極秘裏にうけつがれていたが、あるとき継承前に継承者が死んでしまったために逸失してしまったとのことですが、真実はうやむやに」
渇きをうったえる弱い喉を紅茶でしめらせる。
つられるようにシャリークも一口含んでそのおいしさに声を失っていた。
「またまた脱線してしまいましたな。
ようするに、原罪の内容はわかっていませんが今の私たちに受け継がれていますよということです。
それが我々人間を人外の者とし、その身に魔力を宿らせることとなりました。
ここまでは良いですかな?」
トワイルが頷き、おくれてシャリークもうなずく。
ルークスはそれに満足し、つづける。
「とはいえ、エルフの血を引いているシャリーク嬢にはとくには関係のない話です。
エルフは元より人外の種。人間よりもはるかに長い歴史を持ち、古くから魔法を使用していたそうですから」
トワイルが横を見ると、シャリークはこてんと首を傾げた。
エルフではあっても、幼くして親から引き離され奴隷としての人生しか経験がなかったので、実感としてはあまり感じたことはなかったのだろう。
その仕草にルークスが鼻の下を伸ばす。二人が前に向きなおると空ぜきを繰り返した。
「えー、魔力は魂に依存しています。
したがって魂を持たない存在、たとえば植物には魔力がありません。
くわえて、一般的な動物も同様、魂はありますが理から外れていないがために魔力を持ちません。
そして、この魔力を制御するということが魔法を使用する上で大変重要になります。
身にあまる魔力は使用者の身体にとって毒となりえますから。
その弊害については、トワイル様はよくご存じですね」
トワイルは神妙な顔で肯定する。つい先日も味わったばかりだ。
隣からじぃっと見つめられた彼は、いまはだいじょうぶだよと笑った。
「身にやどす魔力量というのは個人差があります。
年齢と習熟度によって決まりますが、限界量は生まれつき決められていると言われており、それがため、優秀な魔法士になるには才能が必要になります。
年齢による成長は20歳過ぎで止まり、それ以降は鍛錬することでしか増加は見込めません。それも限界量が来ればおしまいですが。
トワイル様の場合ですと、この年齢と習熟度に比例するはずの部分が壊れているのか、出生当初から限界量まで魔力を保持してしまっているせいで、器である肉体が悲鳴を上げているわけですな」
ルークスの記憶にあるかぎり、トワイルのような事例は存在しない。
このようなことが起きたのが初めてだからなのか、もしくは同様の事例が起きても生き残ることができなかったために知られていないだけなのか。ルークスにはわかりかねた。
実際、トワイルがこの歳まで生きていられているのは奇跡としか言いようがなかった。
尋常ではないほどの魔力におかされながら、肉体が弾けとぶこともなく精神が崩壊することもないというのは奇跡という以外になんと呼べばよいのか。
少なくとも、それだけの強靭な精神と魂を保有しているということは疑いようがない。
「魔力の制御がある程度なれば、次は魔法の習得に移ります。
魔法を唱えるのに大事なのは集中力とイメージです。魔法名を唱える必要はありません」
「えっ、いいんですか?」
シャリークが不思議がる。
トワイルは彼女がなぜそこに引っかかっているのかわからなかったので黙っていた。
「はい、それがなにか?」
「あの、私の知ってる人は何回も唱えていたんですけど」
「ああ、なるほど。そういうことですか」
ルークスが、うんうんと何度も頷きつつにやにやと笑う。
「中にはいるんですよ、魔法名や詠唱を唱える魔法士も。本来必要のないものなんですが。かくいう私も若いころは唱えておりました」
ルークスは恥ずかしそうに頭をかく。
「なぜそういう人間がいるかというとですな、かつて大賢者タロー・ヤマダが若かりしころに毎回魔法名を唱えていたのです。
彼にあこがれた者は大賢者がするからにはきっとなにか意味があるのだろうと、彼をまねて魔法名を唱えるようになりました。
魔法名や詠唱を行ったほうがイメージがしやすくなるという者もおりますが、実際関係しているのかは判明していません。
ともあれ、私は実感できませんでしたし戦闘において不利になりますから。
かの大賢者も壮年になるころには詠唱するのを止めておりましたし、有効性には懐疑的です」
「そうなんだ……」
「きっとシャリーク嬢の知っているという方は、まあなんというか、お若い方だったのではないでしょうか?」
「はい、たしかに若かったです、けど。それが?」
「いえ、なに。その彼だか彼女だかも、そのうち詠唱しなくなると思いますよ」
「?」
「ほっほっほ。お気になさらず」
二人のいぶかしむ視線をルークスは愉快そうに笑って受けながす。
「話を戻しましょう。
魔法は集中力とイメージと言いましたが、平たく言うと、それ以外に必要なものはありません。
魔力を持ち、最低限コントロールすることができるなら、あとは脳裏に唱えたい魔法をイメージすることでそれは世界に顕現します。
実際にやってみせましょうか」
ルークスは前に突き出した手のひらを上に向ける。
たちまちのうちに人の頭ほどの大きさの炎塊が出現した。
炎は揺らぎを許容しつつも形がくずれる気配はない。外縁部をおどる小さな炎柱が生命力を感じさせた。
小さな太陽、トワイルの頭に浮かんだのはそれだった。
赤々とした装いに見事な炎球。魔法というものの偉大さと恐ろしさ。自身も扱えるようになりたいという期待と興奮。それらが入り混じり、魅入るうちに覚えた違和感。
さほど距離は離れていないのにまるで熱気というものが感じられない。
「これは……ほんとうに火の球なのでしょうか?」
「というと?」
「この大きさの炎なら、もっとこう、ぼくたちの方にも熱がきていいのではと」
「なるほど。失念していました。これは熱探知を切ってあります。
触れれば炎そのものですが、接触しないかぎりは熱を感じないようにしてあるのです」
「へぇ。そのようなことも可能なんですね」
「いわゆる付加効果というものになりますな。
程度にもよりますが熟練の魔法士であれば必須事項にあげられるでしょう。
つい忘れておりました。失礼を」
ふっと炎が消える。
「こんな感じですかな。
イメージが確固たるものであればあるほど、魔法もイメージ通りのものがあらわれます。
トワイル様、やってみてください」
「はい」
トワイルは師のように手のひらの上に炎の塊を念じる。
身体の中がじわじわと熱くなる感覚。体内をめぐる魔力を活性化させるのが一。二にそれに指向性をもたせて手のひらへ向かわせるイメージをもつ。
このとき必要以上に活性化させてしまうと制御を失い、せっかく温めた魔力が霧散してしまうから注意が必要だ。
慌てず、途切らせず。徐々に高まっていく手のひらの圧力に負けずに、それが破裂しないよう抑えながら膨らませていくのが三。
そして四、十分に魔力を練り集めることができたと判断したら、手のひらから溢れるように伸ばした魔力を炎へと転じるように集中力をとぎすます。
結果、一分ほどして拳大の炎が生まれた。
ゆらゆらと揺れる炎。熱気が周囲をあたためる。気を抜くとすぐに形が崩れてしまいそうになりながらも、なんとか維持につとめる。
「よろしい。シャリーク嬢も試してみますかな?」
「はい」
シャリークが手のひらに炎を念じる。
トワイルよりもさらに間をおいて、サクランボほどの大きさの炎ができた。
「おお、素晴らしい。魔力の制御訓練も行わずにできるとは、さすがはエルフの血ですか」
「すごいなぁ……」
トワイルは苦もなく魔法を使ってしまったシャリークにほとほと感心した。
休みがちとはいえ、ルークスに師事してから四年近く経過してようやくここまできたのに、彼女はなんの訓練もせずにいきなり魔法を使用することができた。
これがエルフの血というものなのだろうか、と。
しかしながら、それは彼の思い違いである。
トワイルの師事した四年というのもほとんどは休息にあてられていたうえ、彼の場合、多すぎる魔力の制御自体が非常に困難であった。
まずはそれを克服するために時間を費やす必要があったのだ。
いまだ魔法の使用という点においては初心者同然なのも、覚えが悪いのではなくたんに十分な時間がそこにあてられていないだけなのである。
単純に生まれ持った力という点だけ見れば決してシャリークに劣っていないばかりか、純血のエルフと同等以上の魔法の素養を秘めていることに本人は気づいていない。
ルークスも教える気はなかった。少なくとも今は。
『過ぎたる力は身をほろぼす』というトラナヴィの言葉を懸念したために。
大賢者にも匹敵する魔力。
さしずめそれは世界を破壊することも可能な力ということ。
たしかに心が未熟なうちは、強大な力の保有をつたえることは逆効果になりかねないだろう。
隣に気をとられているうちに炎が消えてしまったトワイルがあわあわとしている横で、生まれて初めて魔法を使ったシャリークは自分にも魔法が使えたことに少し驚き、しばしその弱弱しい炎を眺めていた。
暗闇の中にともされた蝋燭の炎を眺める子供のように、嵐の夜に幻想的な気持ちを起こさせてくれる篝火のごとき炎を見つめる孤独な人間のように、ひそかに好奇心に目を輝かせる少女。
よほど気をとられすぎたのか、彼女の愛らしい炎も消えてしまい、トワイルと二人でがっかりしたような視線をかわす様は、魔法って難しいねと慰めあっているようだった。
そんな二人を楽しそうに見ながら、ルークスはふたたび手のひらに炎球を作り出す。
「魔法はイメージ次第でいかようにも動かすことができます。
たとえば、このように――」
炎球はルークスの手をはなれ、天井付近まで上昇したかと思うと勢いよくトワイルとシャリークの頭上を通り過ぎ、弧をえがいてルークスの手に戻ってきた。
二人から小さな礼賛が起こる。
「では、お二人もやってみましょう」
あらためて時間をかけて出すと、二人はそれぞれ自分の炎を見つめる。
「大事なのはイメージです。
どのような形を保ち、どれくらいの速度で、どのように動かしたいのか、それをできるだけ詳細に思い描かなければいけません」
ルークスは喋りながらも、二人の耳にはもう自分の声が届いていないことを知っていた。
恐るべき集中力。この歳でもう、と思う一方で、いやいやと頭をふる自分がいる。
過去の経験に照らし合わせてみても、そういう人間に出会うことは何度となくあった。自分が生きてきた世界はわけてとがった人物が多かったのだから。
めずらしいことではない。そう、めずらしいことではない、のだが――なぜ、こうも心が躍るのだろうか。
才に年齢など関係はないのだと再認識するとともに、愉悦的展望がタケノコのようにむくりとわきあがるのは、魔法士として高みに昇った自分をこえられるかもしれない存在をこの手で育て上げることができるのだという欣喜雀躍たる思いと天への感謝からだった。
ふわりふわりとゆらゆらゆらり。
トワイルの炎がゆっくりと上昇を開始する。
シャリークはそれを見て自分もなんとかしようとするが、炎は一向に動かない。
トワイルの炎もルークスの目線辺りの高さまで上がったところで、霧散して消えてしまった。
「はい、そこまで。
トワイル様、イメージができた後はどれだけそれを維持できるか、集中力の問題になります。次は集中を切らさないようにがんばりましょう」
「はい……」
トワイルのこめかみを一粒の汗が伝う。
覚えたのは肉体的精神的疲労感。考えごとをしすぎて頭が疲れてしまったときに似ている。
慣れるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「シャリーク嬢は炎の適正はないようですな。次は水の魔法を試してみましょう」
「……はい」
シャリークは炎を消す。残念だったのか、わずかに目尻が下がっていた。
つづけて水の球体を手のひらに作り出すと、それをわずかながら左右に揺らして見せた。
「お見事。やはり、シャリーク嬢の適正は水のようです」
「水? 適正ってなんですか?」
シャリークは手のひらの水球をもう片方の手でつつきながらきいた。
「そうですな、次は属性のことについてお話ししましょう。
――魔法には、火水風土の4属性にくわえ、聖魔の合わせて6属性が基本となります。
ただし、聖魔は血統などの特殊な条件が必要となってくるので、実質、覚えるべきは火水風土の4属性と考えて良いでしょう」
ルークスが紙に火水風土の4文字を書き出す。
「火は攻撃系、水は治癒系、風は攻撃・補助系、土は強化系と区別されています。ですが、これはあくまでも大まかなものでしかない。
例をあげると、火は攻撃系とされていますが、火を装備にまとわせて補助として使う場合もありますし、水は治癒系とされていますが、水球を相手にぶつければ魔力相応のダメージを相手に与えることが可能です。
土が強化系と言われるのは人体強化が土系統に属するからです。厳密に言うと物体への強化作用は原理が異なってくるのですが、それはまだ先でいいでしょう。
そういうわけで、大体のイメージとしてそれぞれの傾向を知っていればかまいません。
俗に火は風と、水は土と相性が良いと言われています」
と、シャリークがいじっていた水球が形をくずし手のひらに落下する。
濡れてしまった手を見て小さく嘆息がもれた。
トワイルに渡されたハンカチでしっかり手をぬぐうと、話を中断させてしまったことをルークスに詫びる。
「長時間の維持はさすがに難しいようですな。
――魔法の形状や動作はイメージ力、威力はこめられた魔力濃度によって決まります。速度や付加効果などはその両方に影響を受けますが、これもまた今は置いておくとして。
どちらか一方だけを鍛えるのではなく、双方をバランス良く鍛えることが魔法技術の向上において大変重要なことと心得ましょう。
そして、適正ですが、人によって得手不得手が何事にもあるように、魔法においても例外ではありません。
適正がない魔法は絶対に扱えないというわけではありませんが、鍛錬に通常の何倍何十倍と時間がかかるうえ、習得できてもその精度や威力は適正のある者と比べて大きく見劣りする傾向があります。
ゆえに、魔法士は自身の適正がある属性を優先的に鍛えていくこと。
シャリーク嬢の場合は主に水属性となりますな」
水、と小さくシャリークがこぼす。
水属性といえば治癒系が主要な使い方になるという。それを聞いて、肩にはいっていた力がすっと抜けた。
人を傷つけるということに対して強い抵抗を抱いている自身にとって、それは好都合なこと。誰かを傷つけるよりも誰かをいやすこと、その方が――。
「水属性といえば一般的に治癒魔法を連想されますが、治癒魔法はちょっと他とは違って独特な修練が必要になります」
「どくとく?」
「はい。治癒魔法を使うには相手の魔力を感じ取り、同調した上で怪我や病気をする前の状態を強くイメージすることが求められます。
これには非常に繊細な技術が必要であり、また、怪我や病気が一定以上進行していますと、被使用者の魂自体にその情報が刻まれてしまいますので、魔力が歪んでしまい元の健全な状態に回帰するのが困難になります」
「一定以上っていうのはどれくらいまでですか?」
「使用者の腕次第ですな。
極めれば魂の修復すら可能とすると言われておりますが、現実問題としてそのようなことができる者はいないでしょう」
「大変なんですね……」
「はい。習得するためには多大な時間と努力が必要不可欠です」
不意にシャリークは顔を上げた。
「トワイルは? どの属性が得意なの?」
つぶらな瞳にとらえられ、小さく息を呑むトワイル。
宝石が埋め込まれたかのごとき銀色のほのめきには、森の向こうからせり上がってくる払暁の光のような、すうっと惹きこまれる魅力がある。
「ぼくは……四つともあるらしい」
「四つって――全部?」
「うん、そうなるかな」
シャリークは小さな口を開けて、声をひりだした。
「……トワイルって、すごいんだね」
「そんなことは」
少女の称賛にトワイルは下を向いて目をそらした。
単純に恥ずかしかったからだ。それに、彼女に褒められるのはなぜだか無性にこそばゆかった。
ルークスはその様子を見て口元をゆるめる。
「さてさて、話はここまでにして、早速実技に移りましょう。
まずは、魔力制御から――」
◇◆◇
「ナディくんナディくん」
トランプを積み重ねて三角タワーを作ろうとしていたナディネスの肩を叩いたのは、年少組のミルドという女の子だった。
今までの最高記録は三段タワー。
ここ二ヶ月は四段タワーに挑戦しているものの、いまだに成功はなし。
今日何度目かの試みの末についにたどり着いた四段目。残すはあと二枚を頂上に乗せるだけ。
今日は調子がいいぞ、ついてる! とノリノリだった彼が両手に一枚ずつカードを持ち、ぷるぷると小刻みに腕を震わせながらゆっくりと重ねようと――という具合だったのだ。
ばらばらと倒壊する努力の結晶。
両手からカードがひらひらと舞う。
積み重ねられた自尊心の見るも無残な姿に嘆きは断末魔のごとし。
「うわあぁーー!」
ナディネスの悲痛な絶叫。
地面に落とした小銭をかき集めるときのように、崩れ落ちたカードを泣きそうな顔でまさぐる背中に同情したのか、ミルドはいたわりの情をこめてぽんぽんと肩をたたいた。
「だいじょうぶ? どこかいたいの?」
ナディネスが肩越しに見たのは驚きつつも心配そうに見つめてくるまんまるとした茶色の瞳。
いつかチョコレートを買って食べるんだと胸に誓い、リンゴのようにぼわんとふくらんだ少女の黒い頭に手を置いた。
「うんにゃ、なんでもない。だいじょーぶだ、ハハ……。それより、どーかしたか? ミリー」
「あっちでね、メイニアくんとカリッジくん、ケンカしてるの」
「まーた、あの二人か」
同い年であり、同じ頃この孤児院にやってきた同期ということもあって、暮暮朝朝争っている二人。
自分からしたらかわいいものだし、またやってるのか程度でとくに気にするものでもないのだが、五歳と幼いミルドにとっては少々怖いようで、服の裾をぐっと握ってくるその力にやれやれとナディネスは立ち上がった。
「シャルは? いないのか? あいつのほうがこーいうのは得意なんだけど」
「シャルねぇ、お勉強に行ったから。いないよ」
「お勉強? ――あっ!」
チッと小さく舌打ちをしたナディネスは、怒られたと思ったのかびくっとしたミルドにあわてて大丈夫だと弁明して、頭をなでてやる。
「シーラ先生いま忙しいって。ナディくんに言えって」
「あーそっか。わかったわかった」
「ちょっと待ってろ」と一旦手を離してもらい、向かった先は自分の勉強机の前。
古びた木の机は色も汚く、落書きと傷あとばかりであったが、もう20年以上この孤児院にて代々受け継がれてきた由緒ある代物だ。
その一番下の引き出しから取り出したのはごつごつとした木の実がちょうど三つ。土を水にひたしてこねたような色の殻に覆われたそれは、非常時にとっておいた大切なおやつである。
クルミと同じくらいの大きさしかないのが唯一の欠点と言えば欠点で、夜中お腹が空いたときや贅沢をしたくなったときに口に含んで恍惚とするのが少年の嗜みであったが、やむをえないだろう。
そうやすやすと見つかるものでもないが、また取りに行けばいいと判断して引き出しを閉じる。
少女の手をとって喧嘩をしているという部屋に移動するあいだ、ちらちらとポケットにいれた木の実に視線を感じながらも、何も言ってこないミルド。
たまに視線が上に向けば、ナディネスは何もわかっていないといったふうにどうかしたかと問うような視線で返すも何も言ってこない。だから少年も何も言わない。
そうこうするうちに言い争う子供の声が届いてきた。
「おまえが先に言い出したんだろ! 交代しろよ!」
「ちがうね。玉があたったら一回って数えるんだよ。さっきのボクのは当たってないからノーカン」
「そんなこと言ってなかっただろ! 一回は一回なんだから終わりだ! よこせ!」
「あっ! なにするんだよ! まだ終わってないって言ってるだろ」
「もうやったんだから次はオレの番だ!」
「やめろはなせよ」
「おまえがはなせ!」
二人がとりあっているのは孤児院に一つしかないケンダマだ。
お互いに両手で小さなケンダマを握りしめる二人。どちらも譲る気はない。
「ナディくん」と言うミルドに押され、ナディネスはパンパンと手を叩きながら二人の前に立った。
「ストップストップ。ほらイッペンはなして。はなせってほら」と二人からケンダマを取り上げると、メイニアとカレッジの二人の少年はふてくされたようにうつむく。「――ったく、なにがあった。言ってみろ」
「こいつが渡さないんだ。オレの番なのに」と主張するカレッジ。
「ちがうよ。ボクの番、まだ終わってないもん」と返すメイニア。
「もうやっただろ。ウソ言うな!」とカレッジ。
「ウソツキはそっちだ。まだ玉があたってない。あたったら終わりなの」とメイニア。
「言ってなかっただろ、そんなこと!」とカ。
「言ったよ。言った言った」とメ。
「このやろう!」
「なにを!」
とっくみ合いに発展しそうな二人。
ナディネスは割り込んでそれを止める。
「わかったわかった。――よし、こうしよう。玉があたったら終わり。もう一度メイニアからやらせてやること。カリッジ、それでいいか?」
「えー。ずるい」
「おまえらもう六歳なんだから、すこしは相手にゆずってやれっての。
な? カリッジ、頼む。いいだろ?」
「むー……」
「メイニアも、あたったらちゃんと交代すること。わかったな?」
「はーい」
「それと、今度はちゃんと最初に確認しておくこと。お前も相手にゆずるってことをそろそろ覚えろよな。熱中するのはいいけど、周りもちゃんと見ろ」
「……むー」
「ほら、ふてくされるなっての。カリッジも。な?
よし、じゃあちゃんと約束を守れるなら、これをやろう」
そう言って差し出された木の実に二人の目が輝く。
「シッピア!?」「ちょーだい!」
「まった!」
目に入るや否や奪おうとしてきた二人に突き出された手のひら。
「約束だ約束! ちゃんと守れるならやる。どうする? 守れるか?」
「うん!」「まもる!」
だから早くとせっつく二人に一つずつ渡してやると、二人は靴の底で踏みつけて荒々しく殻を割った。
出てきたのは毒々しいほどに真っ赤な実。
カリッジは芳醇な香りに鼻を楽しませ、メイニアは舌の上に乗せて味わいに目をほそめる。
こんなんで消え去っちまう怒りなんて安いもんだな、と心の中でぼやくと、ナディネスはくるりとふり返った。
そこには、指をくわえてうらやましそうに二人を眺めていた女の子が一人。
「ミリー」
その声に、ミルドはハッと居住まいをただして、くわえていた指をはなした。
この子にはこういうところがある、とナディネスは眉を落とす。
幼いながらも自身の境遇やここでの生活のことを察してしまっているのだろう。
アレが欲しい、コレが欲しいと言葉にすることはまずない。
表情や態度はあからさまなのでバレバレなのだが、自身の希望を口に出すのをためらってしまう利口さと繊細さに、この厳しい世界の中で無事に生きていけるのだろうかと、彼のみならず孤児院の年長者はみな心配がつのる思いだった。
ナディネスはポケットから残りの一つを取り出して、ミルドの前にしめす。
「もう一個あまってんだけど、ミリーもいるか?」
「いいの!?」
「ん」とナディネスは靴底で殻を割ってやると、中の果実をつまみとった。「はいよ。落とすなよ」
「ありがと!」
小さな口を目一杯あけて頬をふくらませる少女。
見守る少年の目はあたたかく、ゆるやかな日常が正午の鐘の音を知らせていた。
※紹介
トワイル・・・復活のショタ。四属性が使える!天才!無敵!きゃー
シャリーク・・・エルフの血をひく少女。怖いのはもう、いや。
ルークス・・・子供たちの先生。ショタと幼女・・・ぐへへ。
ミルド・・・孤児院の小さな女の子。ふんわり頭。引っ込み思案。なにもなくたっていいもん!
ナディネス・・・トランプにとりつかれた坊主頭の少年。面倒見はいいようだ。猿山の猿かな?
メイニア・・・孤児院の小さな男の子。一度やりはじめたらとまらないぜ、けんだまぁ! ぼくルール発動!
カリッジ・・・孤児院の小さな男の子。ぐぬぬ、俺のけんだまが・・・でも俺大人だからへーきだし。泣いてねえし!
シーラ先生・・・孤児院のシスターの一人。孤児院の中では、お袋ぉ・・・的な立ち位置。