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追憶は涙に濡れて  作者: タロ
1章
6/12

第3話 神々の子 凍える息吹きの満ちみちて

 シシは踊る。風速き草原で、百獣の王として。

 クマは踊る。霧深き森林で、最強の番人として。

 ワシは踊る。天高き大空で、獰猛(どうもう)な狩人として。

 リュウは踊る。光無き深海の底で、世界の守り手として。


 彼は踊る。さかしまの大地で、道化師とも知らずに。


                 ――《贄とされたもの》一章六Pより――




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「旦那様は馬車にお乗りになられています。トワイル様も表へどうぞ」


 アンヌの後につづいて馬車へと向かう。近づくとメイドと御者に一礼された。

 貴族の所有らしい造りのしっかりした豪奢な馬車に乗り込もうとした途端、いたずらな足取りの重さを感じるようになった。

 いまになって緊張がピークになったのか。

 なんとか勇気をふりしぼり父の向かいに座る。


 そんな彼の後にメイドがつづき、おくれて馬車が動きだす。

 静かな車中。息づかいさえ凍りついたようで。正門が見えなくなるまで、アンヌが頭を下げているのが遠くに見えた。


「寒くはないか?」


 表情はそのまま、気づかわし気な視線だけが向けられる。


「はい。ひざ掛けもありますから」


 母の手製のひざ掛けが暖かく身を包み込む。


 馬の吐く息は白く、カタカタと震える窓は曇りつつある。

 外では身を切るような冷たい風が吹き、閑散(かんさん)とした木々は凍えるようにふるえ、暗灰色の空を透かして見せた。

 もうじき雪が降るのかもしれない。


「なにか珍しいものでもあるのか?」


 窓の外をしきりに眺めていたトワイルは子供らしい無邪気な笑みを見せる。


「はい。屋敷の外に出るのは初めてですから。全部がめずらしいです」

「そういえばそうだったか……」


 町を横断する石畳の街路、木造の家々が脇をかため、馬車を避けて端による人々。

 物珍しげに馬車を見る者もいれば、家紋を見て頭を下げる者もいる。食べ物を売っていると思われる屋台の一覧にできていた人だかりは仕方なさそうに列をくずした。


「人がいっぱい……。なにかお祭りでもあるのでしょうか?」


 これだけたくさんの人間を見るのは初めてのこと。


「いや、もうじき夕食の時間だからな。その買い出しのためだろう」

「なるほど……」


 トワイルは感心しつつ、外をのぞくのを止めない。

 目に入る一つ一つが彼の心を奪うに十分な力を持っている。


「家は木でできているのですね。屋敷とは全然違います」

「王都などに行けば煉瓦(レンガ)造りのものも多いが、この辺りではまだ木造ばかりだな。

 煉瓦造りの建物はごく一部しかない。木造建築は火が出たときに周辺を巻き込んでた惨事さんじになることもあるから、徐々にでも変えていかなければならん。

 そんな余裕はいまのところないがな」


 トワイルはこくりと頷く。その表情は真剣そのものだ。


「我々は貧しい。

 ここ五年で餓死者が出るようなことはほぼなくなったが、生活水準は依然として低い。

 大きな理由は農作物の収穫量の低迷と経済の流通がとどこおっていることにある。

 まずすべきことは開拓と交通網の整備だ。耕作地を新規に開拓し農作物の収穫量と種類を増やす。

 そのためにも大量の人員が必要だが領内では動かせる数は限られている。

 ゆえに、他領もしくは他国から人を招かねばならん」


 トラナヴィは西方、遠く国境の方角を透かし見る。

 隣国との関係はまずまず良好である。けれど、それは国家間で見た場合にかぎる。

 実際に国境付近では行き交う人々や検問の兵士との間で度々いさかいが起こっている。


 その根本的な原因は隣国との経済格差にある。

 貧しいとはいっても、そこは大陸内において中規模を誇るオーガムノ王国の一都市。小国であるイジマシとは比較にならない。

 貧しいというのはあくまでもトラナヴィの中では、の話だ。


 セアリアス伯領にはそこそこの領土と歴史がある。

 彼は自領のもつ潜在力を理解しているがために、うまく引き出せていない現状に不満をもっているというだけのこと。

 イジマシから流入する民は総じてセアリアス伯領に住む者たちより貧しい。

 とりわけ、国を捨てて移住しようとしてくる者たちの財布には羽がついているにひとしい。裸一貫というものすらいる。


 宿代などの物価に文句をつけたり、言葉が不自由だったり、道端でごろ寝をして汚いなどの苦情がきたり、通行料を払いたくないがために不法に入国したり、と頭がいたい。魔物の駆除も一仕事だ。


 大きな問題にまでは至っていないが、それもどこまで抑えられるか……。

 検問の強化や柄の悪い不心得者(ふこころえもの)の流入を防ぐこと。それもまた、解決せねばならない懸案(けんあん)事項の一つだった。


「他国から招くにしても安全に人が行き来できる交通網を整備する必要がある。

 路面が悪いままでは馬車の車輪が故障しやすい。雨でもふれば泥に足をとられることもある。それでは安定した交通量の確保など夢のまた夢だ。

 人の行き交いが多ければ多いほど魔物も寄りつきにくい。農民だけでなく商人や兵士、冒険者の流通にもつながるだろう。民の安全にも一役買える。

 さらに、ここセアリアスの領地は西のイジマシ国と接している。有事のさいには第一の盾となる責務がある。

 王都からの援助は物資人員ともに期待できない以上、国境防衛と治安維持のためにも彼ら冒険者の力があって困ることはない。

 なにより、商人の数が増えれば地域経済の活性化を促すことも可能だ。これからは町の商工所に力を注力(ちゅうりょく)する必要も出てくるだろう」


 領地経営というものは壊すに(やす)くつづけるのに(かた)い。

 人は常に堕落に誘われている。改善が劇的なものになることなどまず考えられない。


 ゆっくり根気良く漸進(ぜんしん)していくこと、それをひたすらつづける忍耐力。

 それが領主に求められる最たるもの、トラナヴィはそう教わってきた。

 しかし、聞くのとやるのとではまるで勝手が違う。


 先代は臆病者のそしりを受けてもなお態度を改めなかったほどの惰弱(だじゃく)な人間だった。自分の父であることが情けないほどに。

 旅行に出かけていたイニーク王国にて、たまたまかの災難に巻き込まれて死んだわけだが、それもセアリアス家と領民にとっては幸いだったのかもしれない。


 トラナヴィ就任以来、セアリアス伯領は着実に歩を前に進めてきた。それには多大なる労力が要されたがなんとか歯を食いしばって耐えてきたのだ。


 当主就任よりはや12年。

 領民からは良い領主で良かったという声がそこここで聞かれるようになったが、優秀と持てはやされるトラナヴィであっても、ときにはすべてを投げ出したくなるような気分になることもある。

 それほどまでに領主という仕事は心身に多大な負担を与えるのだと、過ぎていく年月の重みと共に身に刻まれていった。

 凡人を自称する彼にとって、それは苦難の日々にすぎない。


 俊英(しゅんえい)とうたわれた兄が早世(そうせい)していなければ、領主などという役回りがめぐってくることはなかった。皆の夢を一身に背負い、自身の魂もふるわせた兄さえいれば。

 だから思ってしまう。

 誰もが期待していた兄が存命であったなら、もっとうまくやれていたはず、と。

 心から慕っていたがゆえに代わりになれない歯がゆさ。身の程を知れと(ののし)る内からの叫び。辛くなる自己評価。

 そのような彼だから、次期当主にトワイルを指名しなかったのは当然だったのかもしれない。窮屈で不自由な己の性質を受け継いでしまった息子への、淡い親心がゆえに。


 沈黙がパカパカと走る。

 父を見据えているトワイル。なにかを問うようでいて、けれど言葉はない。

 そんな視線に気づいたのか、トラナヴィは息子と目を合わせた。


「なぜこんな話をしているかわかるか?」

「……すみません、わかりません」

「私が次期当主にフォンを指名したのは知っているな」

「はい」

「どう思う?」


 トラナヴィの目が探るように光る。

 トワイルは少し息苦しさを感じつつも、目をそらすことはなかった。


「ぼくは、ただ従うだけです」


 トラナヴィの表情に色はなかった。

 歴戦の領主相手に八歳の子供が腹の探りあいなどできはしない。

 同乗したメイドだけが彼の胸中を()いだ強い失望を感じとっていた。


「……我が領地には課題が山積(さんせき)している。それが理由だ」

「……えと、すみません。よくわかりません」

「自分で考えなさい」


 それきり、トラナヴィは目を閉じて黙った。

 トワイルは必死に考えるも、頭は重い。

 父の言葉を脳内で反復してみても、やはり核心はつかめない。


 ただなんとなく感じることができたのは望まれた返答をできなかったようだということ。

 せっかくの父子の会話を途絶えさせてしまったことへの無念さが心に苦しい。


 思考の迷宮にひとり取り残されたのは八歳の子供には酷な内容であったからであるのに、自分の未熟さゆえだと思ってしまうのは彼の気質なのだろう。




◇◆◇




 車輪のきしむ音が車内にささやく。

 しばしの沈黙が馬車を通り過ぎた。


「そういえば」


 沈黙を保っていたトラナヴィが悩める息子の頭を一撫でする。


「ルークスが褒めていたぞ。お前は優秀な生徒だと」

「先生が……」


 それだけで、トワイルはくすぐったいように首をすくませ、頬を赤らめた。


「授業は楽しいか?」

「はい、とても」

「ならいい。好きなようになさい」


 と、そこで馬車は歩をゆるめ、ほどなくして止まった。


「着いたようだな」


 メイドが鞄を携えて先に降り、主人を出迎える。

 父の後を追ってトワイルも降りると、そこは大きな教会だった。


「教会?」

「ああ、マウント神父がおられるところだ。おまえも何度かお会いしたことがあるだろう。だが、今日用件があるのは裏手の孤児院のほうだ」

「孤児院……」


 付近のわびしさに反して威容のあるたたずまいをしている教会に目を奪われていた息子を放置して、トラナヴィはさっさと脇の路地に入っていく。トワイルは慌てて父の後を追った。


 すすけて雨に汚れた路地裏は狭くきたない。

 最近住み着いたばかりと思わしき浮浪者はやってくる貴族らしき風体の男に驚き、ちぢこまった。まさかこんな汚い路地に金持ちの貴族が来るとは思わなかったのだろう。


 トワイルは前を歩く父の顔を盗み見るも、トラナヴィは一顧(いっこ)だにせずに奥へと進んでいく。

 付きしたがうメイドが浮浪者に貨幣を渡すと、大の大人の男が何度も何度も地に頭をこすりつけていた。

 こういう人もいるのだなと、男を憐れに思った。それだけだった。

 居心地が悪く、足早に父を追った。

 

 まもなく、目的の孤児院があらわれる。

 路地裏の奥まった広場にひっそりと建つそれは、日の光をさえぎって広場一面に大きく影を作っている。


 木でできた入口の扉をはさんで、左右にそれぞれ一本ずつ大きな木。

 樹高(じゅこう)八メートルほどのコブシの木は葉もなく閑散としているが、春にはきっと可憐な白花で飾られ、目に良い色合いをくわえるのだろう。


 広場の一隅には子供たちの遊び道具か、汚れた革製の球が一つ転がっている。

 教会と同じように煉瓦造りの孤児院は多少汚れてはいるが、トワイルの想像以上にしっかりとして見えた。


 トラナヴィのノックの後に扉から現れたのはシスターと思しき白の修道服を着た妙齢の女性。


「これはご領主様。わざわざお越し頂きありがとうございます。院長は中にてお待ちでございます」

「うむ」


 シスターの案内にしたがって連れていかれた部屋では初老の女性が彼らを待っていた。

 部屋に案内されるまでにトワイルがきょろきょろと辺りを見回さなかったのは日ごろの教育の賜物(たまもの)であろう。


「本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。本来ならこちらから(うかが)わなければならないのですが」

「いや、足が良くないのだから仕方がない。気にしないでほしい」


 見ると、院長が腰かけたソファーの横には年季の入った木製の杖が立てかけられていた。


「あら、そちらのお坊ちゃまは――」


 院長がトラナヴィの隣にいるトワイルに若干目を見開いた。


「ああ、息子のトワイルだ」


 ぺこりとお辞儀をするのを見て、院長は母のような慈愛(じあい)に満ちた笑みを浮かべる。


「ずいぶん可愛らしいご子息ですね。それに、利発そうな目をしていらっしゃる」


 トワイルははにかんで目を伏せた。

 生まれてこのかた、褒められるという行為にあまり慣れていなかった。

 そんな仕草も院長にはほほえましい。


「ははっ。世辞はそれくらいにして、用件を手短に済ませてしまおう」


 言うと、トラナヴィの背後に立っていたメイドが抱えていた鞄から二枚の紙を二人に手渡した。


「確認してくれ」

「はい……はい、これで全く問題ありません」

「では署名を」


 トラナヴィと院長はそれぞれ契約書とみられる紙に署名する。

 二人のペンが紙上をおどる音が静寂に満ちた室内に細くひびく。


 トワイルはその様子を息を止めてじっと見守っていた。なにをしているのかよく理解できなかったが、邪魔をしてはいけないということだけ感じることができた。


 自署(じしょ)を終えた院長はほっと胸を撫で下ろす。


「……今年もありがとうございます。孤児院を代表してお礼申し上げます。

 トラナヴィ様の温情がなければ、私たちはとうにたち消えていたでしょう」

「なに、礼を言うのはこちらの方だ。貴女たちがいなければ、多くの幼い子供たちは冬をこせていなかったろう。

 路地裏で横たわっている子供を見ることほど心の痛むものはない。想像するだけで苦しくなるというものではないか。

 まあ、私の場合はそれが良心の呵責(かしゃく)に起因するものなのか、領主としての浅才(せんさい)叱責(しっせき)されているように感じるからなのかは曖昧(あいまい)だが。たまに嫌になるよ、この仕事も。

 ――ああ、悪い。愚痴(ぐち)になってしまいそうだ。これも貴女(あなた)の仁徳かな。つい口を滑らせてしまうのは。懺悔(ざんげ)をしに来たのではないのだがな、困ったものだ。

 とはいえ、ためいきもつきような。この世はあまりに過酷すぎる。

 日の光が遠ざかるときに忍びよるものの破廉恥(はれんち)なことといったら。ずうずうしく、えげつない! 寒気が身体をはしるのは生理的嫌悪感を示しているあらわれだと言われても首肯(しゅこう)せざるをえん。

 考えてもみよ。冬の訪れは一つのサイクルの終わりを意味する。四季しかり、草花しかり、人しかり。

 コオロギの鳴き声が止み、ユウバミの(さえず)りがかすれていくように。熟した果実は地に落ち、木々から葉が離れていくように。人の命もまた、社会という大樹からもぎとられていってしまう。足踏みをとだえさせてしまう。

 どれだけ努力しようとも、自然の摂理から逃れることはできぬ」


 院長はそっと目を伏せて耳を貸す。

 重いまぶたの奥で、黒々とした瞳は(まど)いを見せていない。

 

「このあたりは恵まれている。冬に外で夜を明かそうとも凍死することは(まれ)だ。

 が、それはあくまでも体力のある大人の話。体力のない者、弱き子らも平気だとは言えん。残念ながらな。

 自然は豊かで鷹揚(おうよう)で、無情なほどに平等だ。決して差別などしない。この世に生きるすべてを愛し、すべてを(なぐさ)め、すべてに与え――奪う。

 わけへだてない優しさを、その行儀の良さを()めたたえるべきだろうか。

 はんっ! おろかしい。

 我々は浅ましくも摂理に逆らわねばならない。種の存続のためには彼らと対立することも()むをえん。そうではないか?

 死の息吹きが満ちる冬とて、幼き命が奪われるは道理ではない。そのようなこと、道理であってはならぬのだ。人の生きる道が世の(ことわり)に沿うは必定(ひつじょう)と誰が言えよう」

「……神に仕える身の上としては、なかなか耳に痛いお言葉。

 所詮、人は世界の一部。世界を流れる大河から()いでることはかないません。

 水面(みなも)陽炎(かげろう)。上澄みを見るは世界を知るにあらず。底流(れいりゅう)にこそ世の深遠がひそんでいるのです。

 陸にしがみつき流れに逆らうは神のご意思に背く行為。

 (ことわり)を犯すものは破滅からまぬがれえない。たちまち激流に翻弄されるか座礁(ざしょう)してしまうことでしょう」

「シスター、あなたは――」

「ですが、私も人の子。人の社会に生き、人とともに暮らす只人(ただびと)。同胞にたいする哀れみが尽きることはありません。

 誰が幼き子らを見殺しにできるでしょう。冬の路地で枯れはてていく様を見過ごせるでしょう。

 彼らはなにもしていません。この世に生まれ、生きた。それだけなのです。

 それだけで、かような目にあう因果がありましょうか。もしあるとするならそれは、彼らではなく、人間みなで背負うべき罪過(ざいか)なのです。

 我らが神も、きっと、お目こぼしくださることでしょう」


 交錯(こうさく)する視線にお互いの意志がまざりあう。

 トラナヴィは口髭を軽く引っ張った。


「……教義にそむく領主と言われてはかなわぬから、ここらで止めておくことにしようか」

「ふふふ、まさかそのようなことは。

 理想と現実のはざまで苦しむのは人の(ごう)というもの。

 それは王に仕える身であっても、神に仕える身であっても変わらないのですよ」

「俗人と隠者(いんじゃ)が同じか……。

 そう考えると、孤児院とは難儀なものだな。神の庇護下(ひごか)にあって、神と人との架け橋にならねばならぬとは。

 まあ、貴女が治める孤児院なら心配はしていないが」


 この部屋には暖炉がないためたいそう寒い。

 それでも、外のように風が吹きすさぶことはない。雨が身体を濡らすこともない。

 なにより、愛という名の人の(ぬく)もりが施設内には満ちている。

 それこそ最も肝要な点なのだとトラナヴィは考えている。


「幸いなことに、志を同じくしていただける方もおりますから」

「金を出すだけで胸をはれるのは恥を知らぬ者だけよ。

 身寄りのない子供たちを引きとり育て上げる苦労はいかばかりか。

 支援をするのは領主としての最低限の仕事。むしろ、抜本(ばっぽん)的な解決ができないことを謝罪せねばならん」

「もったいないお言葉です。

 それに、ご領主様が成さっていることはみなよくよく承知しております。感謝はしても、不平を言うことはありません」

「まあ、その辺にしておこう。――それでは、失礼させてもらうよ」


 トラナヴィが仕事は終わったと立ち上がろうとすると、トワイルも遅れじとならう。


「あ、トラナヴィ様。――実は、一つお願い事があるのですが」

「ん? なんだ?」


 浮かびかけた腰をふたたび落ち着かせた。


「……この院にいる、シャリークという女の子のことなのですが」

「シャリーク? 聞かぬ名だな。どこの国の者だ?」

「国元は不明です。ただ、本人曰くエルフの血が混じっているそうなのです」

「……エルフ、か」


 トラナヴィは口の中でエルフという言葉を転がす。

 トワイルは聞いたことがないのか、頭に?マークを浮かべていた。


「はい。父親がハーフエルフだったらしく。

 本人はクォーターということになりますが、見た目は人間の女の子とそう大差ありません。

 彼女は半年ほど前にこちらにやってきたのですが、それまで奴隷だったようで。

 そこから縁あって連れ出したという冒険者の方の話では、魔法の素養があるらしいのです」

「エルフの血が混じっているのが本当なら、魔法が使えるのもおかしくはない、か」

「はい。しかし、いくら素養があれど、学ぶことができなければ宝の持ち腐れと同じ」


 院長は沈痛な面持ちで頭を下げる。


「トラナヴィ様、どうかシャリークに魔法を教えてくださる人をご紹介いただけないでしょうか? 

 ずうずうしいお願いとは承知しておりますが、これからの彼女の苦難を思えば、せめて一人で生きられる力を、と。

 それに、彼女が魔法を覚えれば、この地域、ひいてはご領主様のためにもなるかと。孤児院におきましても、もし彼女に治癒魔法の適正があれば非常に助かります」


 トラナヴィは眉をひそめる。厄介事を頼まれたことがすぐに理解できたからだ。


 エルフといえば、唯一といっていい外見的特徴である、新雪を連想させるような真っ白かつ、ゆがみのない直毛の髪。

 人々がなによりも真っ先に思い浮かべるものである。


 その驚くべき純白は罪のけがれのない清らかさを、枝毛のない流れるような直毛は生物としてのゆがみなき実直さを表していると言われており、見る者にときに柔らかく清廉(せいれん)で純粋な気を思い起こさせ、ときにすべてを拒絶し反射する畏怖を喚起(かんき)する。


 姿形(すがたかたち)は人間に近しいが本質的に人間とは別種とされており、寿命は300年以上ともいわれ、彼らはその長い生のあいだ本来人の住処(すみか)に姿を見せることはない。

 森の奥深くに里を作り、そこで慎ましやかに暮らしていると伝えられていた。


 なぜ森の中かというと、面白いことに一つこんな話がある。

 どんなに荒れ果てた土地でも、彼らが住み着くとそこは豊かな森になる。反面、彼らが去るとそこは草木も生えぬ荒野へと成り果てると。


 物語の類の話だが、彼らは人間よりも魔法によく精通していると知られているため、あながち幻想だと言い捨てることもできなかった。


 エルフは里に引きこもる。

 ではなぜ、エルフの事が世間一般に知られているかと言うと、まれに里を抜け出てくるハグレ(・・・)がいるのだ。


 人里に降りてきたハグレは新たな知恵を人に授けてくれると言われ、また、その深遠な知識と豊富な魔力により、里の者から拒絶されるのと引き換えに人間からは様々な方面で重宝されている。


 そのぶんエルフを狙う輩も出てくるので彼らには常に危険が付きまとうことになるのだが、エルフはみな魔法に長けているので彼らを直接狙うような愚か者は少ない。荒くれ者どもが狙うのは彼らの子供だ。


 エルフよりも価値の低い、人間との間にできたハーフエルフ。とはいえども、人よりかはかなり魔力は多く見目もより美しいとあっては絶好の捕獲対象となってしまう。

 抵抗する力のない子供はときおり奴隷として市場で高値で取引されることがある。おそらくシャリークという少女もその類なのだろう。


 院長の言うとおりの境遇であるならば、彼女の言わんとしていることは理解できる。

 そして、院長と同じものを脳裏に思い浮かべてしまえば不快感を覚えずにはおけない。


「……その子、シャリークといったか。どこに?」

「少々お待ちを。呼んで参ります」


 院長は部屋から出るとあまり間をおかず部屋に入ってきた。

 その手にはトワイルと同じくらいの背格好をした白皙(はくせき)の少女が連れられていた。小柄でやせぎす、目を奪う白髪とは対照的に服装はみすぼらしい。


 どうやら部屋の近くに待機させてあったようだ。

 シャリークの方も心得ているのか、なにも反抗的な態度を示していない。事前に話を通してあったのかもしれない。


 トラナヴィは二人に歩み寄ると、少女の方を値踏みするように見やった。


「ふむ……聞いた話とは違うな。黒が混じっている」


 少女の頭を見て、トラナヴィはそうつぶやいた。


 基調は純白といえるが、ところどころ染みのように黒っぽくにじんでいる。

 純白でないエルフなどいるのだろうか。彼のとぼしい知識では判断がつかなかった。

 容姿は流石エルフの血といえるものだったが、少しばかり生気にとぼしいのは奴隷だったことが影響しているのだろう。


 決して返答を期待したものではなかったが、院長がこぼさず拾いあげる。


「はい。私にもよくわかりませんが、もしかしたらクォーターのせいなのかもしれません」

「ふぅむ」

 

 トラナヴィにじっと見つめられているのが嫌なのか、シャリークはうつむいて動かない。

 その様子はトワイルにはすこし憐れに感じられた。


「シャリーク。私は院長から君に魔法を教えてやってほしいと言われている。君はそれについてどう思うかね?」

「……おじいさんが教えてくれるの?」

「お、おじいさん……」

「しゃ、シャリーク!」


 痛打におそわれたトラナヴィ。あわてて院長が訂正させる。


「ご領主さまが、教えてくれるんですか?」

「い、いや、私は魔法を扱えない。魔法を使える者を君と会わせてあげることはできる。どうするかね?」

「教えてほしいです」


 シャリークは間髪おかず答える。

 トラナヴィは顔を上げた少女の銀色の瞳から子供らしからぬ、理知的で思いのほか強固な意志を感じとった。


「……君はいくつだったかな?」

「12歳です」

「12……それにしてはすこし幼いな。トワイルと同じくらいに見える」

「トラナヴィ様、エルフの血が混じっていると人よりも多少成長が遅いのだそうです」

「ああ、なるほど。そうだったか」


 トラナヴィは顎に手を置いて思慮にふける。


 エルフは人間から重宝(ちょうほう)される一方で、その能力の高さから憎悪の対象となることも多々ある。下手に抱え込んで争いの火種を持つことは好ましいことではない。

 実際エルフを王宮内部に登用(とうよう)したことで内紛が起き、瓦解(がかい)しかけた国もあったほど。慎重を期するのは領主として当然のことだ。


 シャリークの見た目からはエルフの血を引いているとは見分けにくい。

 見目(うるわ)しいだけならば、注目をひくことはあっても純白の髪と知られるエルフとバレることはないだろう。

 自分がそうであったように、ほとんどの人間にとってはその程度の知識しかないのだから。


「シャリーク、魔法の授業は息子のトワイルと一緒に受けてもらうことになるが、それでも良いか?」


 少女は隣に立つトワイルを一瞥して、トラナヴィを見直す。

 トワイルはぼーっとする頭で頭上を行ききするやり取りを耳に流していた。


「はい、なんでも」

「では明日から一日おきに屋敷に来なさい。時間は、そうだな、朝食をすませてからで良かろう」

「わかりました。よろしくおねがいします」


 シャリークが軽く頭を下げるのに合わせて、院長も大きく礼をする。


「ありがとうございます。なにからなにまで」

「大したことではない。マウント殿は留守だったかな?」

「はい、王都で教区会議がありますので」

「戻ったら連絡をするように。今年の領内の巡察についてまだ予定を聞いていないのだ」

「かしこまりました。かならず」

「よろしい。では、今度こそ失礼するよ。行くぞ、トワイル」


 ぼんやり気味な息子をうながしトラナヴィが部屋を出ようとすると、一人の男の子が室内に転がり込んできた。

 メイドが扉を開けた拍子に、盗み聞きでもしていたのだろう、支えを失ってしまった体がでんぐり返しをしてしまったのだ。


 トワイルよりも少しばかり体格の大きい坊主頭の少年は混乱したように目をぐるぐると周囲に流し、標的を見つけるやいなやキッとトラナヴィをにらみつけた。


「おい、じじい! シャルをどうするつもりだ! 貴族だからって調子に乗るんじゃねえぞ!」


 暴言に目をむくトラナヴィに、半狂乱になりながら院長があいだに入った。

 ここで領主様を怒らせるようなことがあれば、ないとは思うが、孤児院がどうなるかわかったものではない。


「ナディネス! あなたはなんてことを言っているの!」


 院長の杖がナディネス少年の頭に落ちる。

 ごつんという重そうな音、次いで膝をおった少年。頭頂部を両手で押さえた少年は涙目で院長をにらんだ。


「なにするんだ、院長先生! いてーじゃねえか!」

「なにするんだじゃないよ、このバカタレが! 早くトラナヴィ様に謝りなさい!」

「なんで俺がこいつに。このじじいはシャルをテゴメにしようとしてるんだぞ!」

「て、手籠め……」


 トラナヴィはくらくらしてくる額を抑え、トワイルは父を視線で気遣う。

 

「こいつとは何ですか! ナディネス!」


 振りかぶられた二撃目は素早い腕白坊主にするりとかわされた。


「へへんだ。――おい、そこのお前! お前もシャルをたぶらかそうとしてるやつだな」


 ナディネスは今度はトワイルに目を向け、鋭い視線で威嚇する。

 あまりの勢いにトワイルは先ほどから目を白黒させてばかり。少年の言葉もろくに頭に入ってこない。


 返答がないことに苛立ったナディネスがトワイルの肩を軽く押す。それだけで彼は尻餅をついてしまった。

 小さな悲鳴が聞こえたのは院長だろうか。


「シャルは孤児院の仲間なんだ! お前みたいなガキにやらない――」

「やめて、ナーディ。そんなんじゃないから」


 シャリークがさえぎるように二人の間に立つ。

 表情のとぼしい顔からは少年には感情を()しはかるのは難しかったが、心なしか怒っているようだった。


「しゃ、シャル、だまされるな! こいつらお前を好きなように――」

「私は、私の意志でお願いしてるの。ひどいこと言わないで」

「ぐっ」


 シャリークの瞳が色合いを増す。ナディネスは気圧(けお)されるように後ずさった。

 一歩二歩と後退する少年が不意になにかにぶつかる。ふり仰げば、そこには不自然なほどの笑顔をしたシスターが立っていた。入口で最初に対応してくれた妙齢のシスターだ。


 ひぃと小さく(うめ)くナディネスの襟首(えりくび)をつかみ、シスターは引きずって退出していく。


「お、おいおまえ! シャルに手を出したらしょーちしないぞ!」


 トワイルを指さして叫ぶナディネスが扉の奥に消えていく。

 わけもわからず尻餅をついたままのトワイルにシャリークが手を差し伸べた。


「だいじょうぶ?」

「あ、うん」


 その手をとり、起き上がる。なんだかうまく力がはいらない。

 心配そうにシャリークがのぞきこんできた。


「ごめんなさい。ナーディは悪い子じゃないんだけど」

「いや、だいじょうぶだよ」


 言って、どこにも怪我がないことを示そうと手足を振ったトワイルがふらりとぐらついた。シャリークはあわてて抱き寄せるように支える。

 やけに頭が重かった。

 何度も頭を下げていた院長がそれを見て、蒼白な顔をさらに真っ青にした。


「だ、大丈夫ですか? どこか怪我でも――」

「いや、息子は生まれつき身体が弱くてね。大丈夫か? トワイル」


 トワイルは首を縦に振る。

 トラナヴィは手を振り、どうにか院長を落ち着かせた。


「だいじょうぶなの?」

「う、うん。いつものことだから。ありがとう」


 トワイルはシャリークから離れるが、動きはどうも鈍い。熱も出てきたようだ。

 ごうんごうんと頭の中で鐘が打ちはじめ、潮騒(しおさい)に似た血潮がさざめいていく。

 全身が熱くなり、発汗が進む。

 体内をうごめく熱気が悪寒のごとく縦横無尽に走りまわる。

 いつもの魔力暴走の症状だ。

 かすむ視界に(うれ)いをおびた銀の瞳が、不謹慎ながらも綺麗だと思った。


「今日はもう帰らせてもらおう。トワイル」


 トラナヴィに連れられ孤児院を後にする。

 外に出るさい、中の方から少年の叫び声が聞こえてきた気がした。

 帰りの馬車の中ではトワイルは終始横になっていた。


 屋敷に戻ってからも体調は一向に戻らず、マリッサの手厚い看護の末、授業を受けられるほどに回復したのは三日後のことだった。


※紹介


アンヌ・・・黒髪執事。最初だけ登場。出演料でますよね・・・?


トワイル・・・頭でっかちになりそうな気配ぷんぷん。魔力暴走ってしんどいの。おやすみ。


トラナヴィ・・・領地を治めるって大変なんですよ、みなさん。この苦労をだれか分かってくれ!


同乗のメイド・・・あれ、わたしの名前は・・・? 


妙齢のシスター・・・名前なんて飾りなんです。そう、わたしは飾らない女。悪い子にはげん骨だっておとしちゃうんだから。


院長先生・・・孤児院の院長。老婆。トラナヴィからの評価は高い。最近、脚がわるくてねぇ・・・。


シャリーク・・・12歳。父親がハーフエルフだったらしい。本人はクォーター? 美人だけど表情に乏しい。


ナディネス・・・孤児院のわんぱく坊主。貴族だろうがやっちゃうぞ! お!?


オーガムノ王国・・・王都はなにも援助してくれないの! やんなっちゃうわ(トラナヴィ談)


イジマシ国・・・オーガムノ王国の西方にある小国。セアリアス伯領と隣接している。おら、隣の国さ、行くだ。

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