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追憶は涙に濡れて  作者: タロ
プロローグ
2/12

第0話 めぐるもの 伝説は潰えて

――王国歴1903年・夏――



「諸君! こうして再びそなたらに会えて嬉しく思う」


 若々しい精気に満ちた男は声を大にして叫ぶ。

 高揚(こうよう)とも陶酔(とうすい)ともとれる叫びは心の底からの表明であるだけに、人々の胸を強くうった。

 伝染する喜び、共有される至福。天にも昇る心地とはこのことだろうか。


 大広場に向かい合うバルコニー。その上にたたずむ我らが王の(よそお)いに、集まった聴衆はうっとりとしている。

 金や銀、色とりどりの宝石がならぶ豪奢(ごうしゃ)なプラチナの冠。紅の地に金竜の刺繍(ししゅう)がなされたマントが風に泳ぎ、黒線が入った白の内服が顔をのぞかせる。

 天空にいただく日の光を受けて、キンキラキンと輝きあふれる姿はうるわしかった。


 王の言葉一つ一つに耳をかたむけ、ふるわれる手の動き一つ一つに魅入(みい)る人々。

 今このときばかりは太陽もこの王の引き立て役でしかない。

 暑さを忘れ、熱気と一体化し、熱中するほどに広場の空気は高まりを見せる。

 しかしそれも、この暑気のなか多くの人が駆けつけたのも、ただ一つの理由のため。

 いかな王といえど、彼らの崇拝(すうはい)の対象である王家の象徴といえども、この後に控える存在を越えることは、この場においては不可能であった。


「さて、諸君。これ以上みなが待ち望んでいることを引きのばすのは、私としても不本意だ。

 前置きは十分。前途はようようと。我らが若き英雄を、新たなる時代の象徴を、多大なる歓喜をもって迎えようではないか!」


 わき起こる地響き。

 万を超える民衆がひしめきあい、万雷(ばんらい)の拍手と歓声をもって男の登場を待つ。

 背後を振りかえる王。

 観衆の視線が一点にあつまる。

 王のささやかな所作(しょさ)の一つ一つにまで注目していたのは、いつ彼が紹介されるのかを見逃さぬようにするためだったのだと、平時(へいじ)ならば誰も思うまい。


 国難を排除した我らが英雄、偉大なる魔法士であるタロー・ヤマダの登場を。




◇◆◇




――王国歴2003年・秋――



 轟音(ごうおん)とともに瓦礫(がれき)が崩れさる。

 崩れおちた建物の破片が周囲に飛びちり、土ぼこりは砂塵(さじん)となってもうもうと舞い上がった。


 人影はない。

 さきほどまでの幾重(いくえ)にもおよぶ剣戟(けんげき)の音が止んでしまえば、そこはもう無人の廃墟と言えたろう。


 市街地での戦闘は刻一刻とはげしさを増し、さながら戦場のような様相をていしている。

 逃げおくれた市民の犠牲は千ではきかない。

 今もなお、そこここの瓦礫の下には数えきれないほどの死体、もしくは生存者が放置されているのが現状だ。

 それでも誰ひとり彼らの救出に動けないのは、この都市を覆う未曽有(みぞう)の災厄が健在だからである。


 通称『死神』にこの都市が襲われたのはわずか一時間前。

 たったそれだけの時間で、辺り一帯は灰燼(かいじん)()そうとしていた。

 不幸中の幸いだったのはちょうど『彼ら』一行が先日から滞在していたこと。そしてそれが唯一のたどるべき道筋であったこと。


 煙が晴れぬうちから一つの影が飛び出すと、その影を追うように煙の中から刃が追いかけた。


「っく!」

 

 影は刃に爆炎を当てかろうじてはじき返し、その剣の持ち主をにらむ。己の野望をはばもうとする男を。

 

「キサマァ……」


 対峙するは赤く()にやけた金髪の男。名をバウロス・オプフェールという。


 双眸(そうぼう)はするどく目の前の男から離れることはない。

 巨漢というほどではないが、ほのかに青白い気をまとわせた恵まれた体を包むのは空の青さよりもなお青い鎧。その下には若さと力強さを示すたくましい筋肉が(みなぎ)っているであろうことは一目瞭然だ。

 右手には陽光にはえる(まばゆ)いばかりの銀剣をたずさえ、そのきらめきは『天からの恵み』と呼ばれるにふさわしい。


 意志の強さを示すように引き結ばれていた唇がゆっくりとひらかれる。


「大賢者タロー・ヤマダ、お前はここで討つ!」


 タローと呼ばれた影は苦々しげな表情をさらにゆがませた。


 身の内から漏れでる魔力が(たけ)りくるう様は威嚇(いかく)する猛獣のそれ。

 その気にあてられれば常人ならたやすく失神してもおかしくない狂暴さであったが、今ばかりは相手が悪い。

 どこ吹く風と泰然(たいぜん)としている金髪の男の態度がなおさら腹立たしく、顔のゆがみをいや増した。


 パリンと甲高(かんだか)い音をたてて左手の小指の指輪が砕けちる。

 限界をこえた魔導器の喪失にも反応はない。それ一つで巨万の富をえられる代物であったが今はそれどころではなかった。命を失えば金などに意味はなくなるのだから。


 切り裂かれてフードのなくなった黒ローブは血と埃にまみれ、所有者をうす汚く見せている。

 幾閃もの傷痕(きずあと)が激戦を思わせる一方で、バウロスの鎧には傷一つ見当たらない。

 この戦いが徹頭徹尾、一方的なものであることを如実(にょじつ)に物語っていた。


 目の前の金髪の男に比べれば一段と小さく見える姿のなんとか細きことか。

 くしゃくしゃの(しわ)に、時の重みに耐えかねた背筋。

 まぶたは重く力尽きる間際に見えるが、うっすらとひらかれた隙間からのぞく光は老体とは思えぬほどにぎらついている。


 頬をたれる血が皺によって流れを変え、(あご)の先へとゆっくりと伝いおちる。

 ぎりぎりと怒りにひずむ口は痛々しい。かわいた唇の端にも赤黒くなった血痕が。その他にも身体のいたるところに擦り傷や切り傷が刻まれている。

 致命傷を避けること、それだけで手一杯だった。


 しわがれた手には黄金の錫杖(しゃくじょう)、その遊環(ゆかん)がチリンと震える。

 己の死に様を思い浮かべてしまったことによる動揺と焦慮(しょうりょ)

 残された魔導器である指輪は右手の薬指と中指の二つだけ。それ以外にも魔道具は多々身につけてはいるが、魔力を限界以上に増幅させる特製のものはその二つしかない。

 つまり、状況はとうに危険域を踏みこえていることを意味していた。


 124年の長き生において、ここまで追いつめられたことがあっただろうか。

 ひたひたと忍びよる悪魔の、命をたぐり寄せようと呼ぶ手のひらを見たことがあっただろうか。

 平等主義の死神は死の権化と化した自身にもその(たた)えるべき精神を発揮するというのだろうか。


 だとしたら――これほど薄情なことはない。


 この歳まで生きていれば、望む望まないにかかわらず人の死に立ち会う機会も相応に多くなる。

 病気で死ぬ者、事故で亡くなる者、殺される者もいれば天寿をまっとうする者もいた。

 なかには、彼自身がその命を絶った者たちも大勢いる。


 文字通り数えきれないほどの死。

 それら数多(あまた)の死を見つめてきた経験は死というものへの考察をより深層へと歩ませた。


 最初は人としてごくごく自然な感情、すなわち恐怖であり忌避(きひ)であり畏怖(いふ)であった。

 この世から旅立つということ、脆弱(ぜいじゃく)な肉体からの解放と精神の霧散(むさん)、そして――魂の消失。


 タローは率直に言って恵まれた環境で暮らしてきた。


 彼が出会ってきたうちの多くは困窮(こんきゅう)(とも)として苦汁の日々を送る。

 それをことさら嘆くこともなく常態として受け入れている人々がほとんどで、憐憫(れんびん)の情をいだかずにはいられないほどであった。

 そうした人たちにとっては、肉体は真実牢獄のようなものなのかもしれない。


 この世界は貧しい。

 タローがやってきた当初は赤貧(せきひん)洗うがごとしを社会が体現しているように思えた。

 平和で豊かな世界で暮らしていた人間からすれば、絶望してしまいかねないほどに。


 日々を生きることを()とし、流した汗に見合わぬ賃金をえて笑顔をうかべる。

 日に一食しか食べられない者もめずらしくなかった。「まとめて食べれば安上がりってもんさ」と笑い、冬にもかかわらず「今日はやけに虫が騒がしいなぁ」と豪気(ごうき)に腹をたたいた。


 空腹であっても陽気に騒ぎ、バカを言い合っては腹の虫を(さかな)にする。

 二日間を水だけで過ごし、やっとの思いで骨付き肉にありつけたときですら愉快そうだった。「これで一昨日と昨日の分も取り戻せるぞ」とほとんど骨しかない肉のカケラに赤ん坊のようにしゃぶりつくのだ。

 

 その純粋な魂を地上につなぎとめるための(かせ)であるならば、それから解放されることはともすれば喜悦(きえつ)ではなかろうか、と感じることもあった。

 だからといって、魂の解放だ、などと述べて人々を手当たりしだいに殺しまくるというような単純な人間でもない。生来の彼は心優しき人間であったのだから。


 魂と精神の行方を考えるうちに、彼はあることに気がつく。

 それまで感じていたような恐怖や震えを死にたいしていだかなくなっていたのだ。


 死とはほんとうに恐れるべきものなのか。

 それを怖がるのは闇を恐れているようなものなのではないか。

 そこになにかが潜んでいないか、得体のしれないものがこちらをうかがっていないか、誰かが危害をくわえようと息をひそめていないか。


 (おび)え、ひるみ、すくむ。

 手にした松明(たいまつ)で闇を照らし、ほっとしてはさらに濃くなった闇のむこうに用心する。闇がはれる日はいっかな訪れない。目が見えなくなるその日まで……。


 明かりをとおして闇をすかし見ようとしてもなにも得ることはできない。

 闇のむこうを知りたいのであれば、明かりを消して自ら闇に同化せねばならない。自身が闇の一部となったとき、闇は恐怖の対象ではなくなるのである。


 結果として、彼がしていたことはそういうことだった。


 あまりに多くの死を見つめてきたせいで、彼の精神は死を超越しつつあった。

 それでも人の世界に引き止められつづけてきたのは生まれながらにして授かった善性ゆえ。

 いつしか死神と呼ばれるようになって死を乗りこえんとしたとき、彼の精神はもう闇の一部と化していた。


 死は与えるものであって与えられるものではない。

 ――超越者。人間の枠をはみだせし者。もうすぐそこにまで手が届きかけていた頂き。

 砂上の楼閣としてくずれさりつつある未来の終焉がすぐそこに迫っていた。


 (よわい)124にして初めて味わう殺されるという恐怖。

 大賢者と呼ばれた己が――今では死神とも呼ばれているが――地に伏せる未来。

 そんなものは想像だにしたことがなかった。


 タローは明らかに劣勢だった。本来こんなことはありえないはずだった。

 老いたとはいえ大賢者の名は飾りではない。並び立つ者などこの百年、誰ひとりとしていなかった。それほどまでに圧倒的な力を有している自分が、なぜ今、このような状況におちいっているのか。


 油断からくる慢心であろうか? 

 いや、対峙した当初こそ油断していたとはいえ、一合二合と切りむすんでからはそのような考えは(つゆ)と消えている。


 では、実力の差か? 

 いや、自分に比肩(ひけん)する力がこの世に存在するなど聞いたこともない。それだけの力を持った人間がいれば、少なからず自分の耳に入ってくるはずである。


 目の前の男はたしかに雰囲気を持ってはいるが、これほどまでの力を有しているとはにわかには信じがたいことだった。現実とは思えない、思いたくないほどに。

 

「ハッ!!」


 バウロスが一足飛びに駆け、銀剣を()ぐ。

 その動きと太刀筋は常人には見えぬほど速い。

 

 たとえこの場に観客がいたとしても、彼らにはバウロスが突然消え、タローの目前に現れたかと思えばすでに剣を振り切った姿しか見えなかったろう。

 魔力によって強化されたタローの感覚を持ってしても、目で捉えることはできなかった。


 バウロスの姿が消えた瞬間、タローは迷わず後ろに飛びのく。

 ゆえに、間一髪その一撃から逃れることができた。


 剣が空を切る。タローの額に浮かび上がる一筋は赤。皮一枚の猶予があるばかり。

 と、同時に、疾風の刃と爆炎の合成魔法がバウロス目がけて放たれる。二階建ての建物を丸ごと飲みこんでしまうほどの大きさの火球だ。

 息をつく間などない。


 だが、男には余裕が見えた。 

 大気を揺らめかせ駆ける刃の塊は、無情にも着弾する手前で横にかわされる。

 さらに塊の影に隠れるようにして放たれていた漆黒の球体が急激に進路を変え回避行動をとったバウロスに迫り、至近で爆発したかと思えば無数の黒粒にわかたれ四散するも、その一粒一粒すら完全に見切られやすやすといなされてしまった。

 タローの魔法も目にもとまらぬ速さだというのに。


 けたたましい音がとどろく。

 業火の刃は背後の建物をけずりとり、触れるものすべてを焼きつくす。

 必殺の一撃がとおりすぎた跡にはただ一本のやけた道が残るのみ。

 漆黒の球体が通った道も同様に跡形もなく消滅している。

 支えを失った建物が次々と倒れ、粉塵(ふんじん)が背景を塗りつぶしていく。


 また一つ指輪が砕けちった。

 当たりさえすれば、どんなものにも防ぐ手立てはないというのに。

 当たりさえ――。


「その力は……キサマ何者だ!」


 タローの落ちくぼんだ両の眼がぎらつく。

 吐き気がするほどいまいましい。

 目の前の男を見る瞳は最早おどろおどろしいまでに黒くにごっていた。


「バウロス・オプフェール。それがお前を殺す者の名だ」

「そのチカラっ、どうやって! ありえない。貴様ほどの力があれば、(わし)が知らぬなどあろうはずがない!」

「火事場の馬鹿力ってやつかな」


 バウロスが鼻で笑うと、タローは卒倒しそうなほど激昂(げっこう)する。

 己をここまで虚仮(こけ)にする者は――少なくとも表だって虚仮にする者は――いなかった。それだけの実力と名誉と権力と実績を持っていた。


 が、剣閃によって刻まれ、ところどころ焦げついた漆黒のローブ姿からは、かつての威厳(いげん)はなきにひとしい。

 大賢者として世界中の人間から称賛と尊敬の念を浴びてきた権威も、死神として世界中の人間から恐怖と怨嗟(えんさ)の叫びをあびてきた暴力も、今やどこにも見受けられない。


「なにを馬鹿なことをっ!」

「……俺も命がけってことさ」


 バウロスがひどく真面目な顔をして答えるので、タローはすこし面食らった。

 彼の発言をどう受け取ればいいのか迷ったからだ。

 動揺させる罠か思慮をうばうための挑発か、はたまた意味などありはしないのか。


 そして、わずかの逡巡(しゅんじゅん)ののちに、その可能性に思いいたった。

 身をつつむ青白い闘気、常人離れした動き、巨人をも凌駕(りょうが)する膂力(りょりょく)、尽きることない魔力の漏出(ろうしゅつ)、くわえて、生命の放逸(ほういつ)――。


「ま、まさか……貴様、エリクタルを……」

「ご名答。さすがは大賢者か」


 タローは驚愕すると同時に今までの不可解なまでの男の力に納得していた。


 エリクタルは使用者の魂の(かせ)を無理やり外すことによって限界以上の魔力を暴走させ、使用者の肉体および魔力を魂レベルで極限まで高めるという伝説の秘薬である。

 力なき者が服用してもたいした効果はえられないが、力ある者がひとたび服用すれば、今まさに目の前で見せつけられたような人外の力を発揮することも可能にする。


 その希少さと危険性ゆえに極一部の選ばれた人間しか存在を知らない上、それを知る者でさえ、実在するかどうか確信をもって言うことは困難な薬――。

 そして、自身も一度は入手せんと試みた薬。結果は失敗であったが。


 たしかにエリクタルならこれまでの超常的な力も理解できる。できるのだが、それが意味するところは――。


「どこで入手を……。エルフーーいや、そんなはずはない。奴らはもう……まさか見つけたのか? しかしどうやって。

 っち――そんなことはどうでもいい。今は意味がない。

 ……まさしく死ぬ気か」

「…………」


 そう。エリクタルにはもう一つの効果、副作用がある。


 魔力は魂に依存する。魂の枷を解きはなち魔力を暴走させれば、その効果が切れたあとに使用者はどうなるのか。

 タローは過去にエリクタルを使用した者を見たことがないため実際にどのような副作用が現れるのかわからなかったが、おそらく命の危険がつきまとうものであろうことは想像にやすかった。


「タロー・ヤマダ。もういいだろう。大賢者の名と、その身が成した栄光に敬意を表して、この命、お前に捧げよう」


 バウロスが傷一つない綺麗な銀剣を向ける。

 その顔には怒りも喜びも、狂気も悲しみもない。

 自らの使命である、目の前の老人をほうむり去る、ただそれだけしか見ていない。


 まっさらな瞳で見つめられ、タローは悟る。この勝負に勝ち目はない、と。


 風が流れる。景色が晴れる。夕暮れが近い。

 瞑目(めいもく)する彼に、バウロスは内心首をひねった。

 勝算なしと知って大賢者はあきらめたのだろうか。

 

「……バウロス・オプフェールと言ったか。どうやら儂はお前に勝てぬようだ」

「……そうか。おとなしくしているのなら、苦しまぬよう()かせてやるよ」


 バウロスは一歩一歩タローに近づいていく。口ではそう言いながらも、けっして油断することなく。ちらと上空に目をやり、ふたたびタローに目を戻す。


 彼我(ひが)の距離は20メートル。

 今のバウロスが本気で駆ければ、コンマ一秒もかからずに到達できる距離。

 にもかかわらず、男は一足一足を、あえてゆっくり咀嚼(そしゃく)するように進めている。気がのらない散歩でも()いられているかのように。


 そして、やはりというべきか、タローが動いた。


 錫杖の底を地面にさっと走らせたかと思うとまたたく間に一つの魔法陣が地から浮かび上がる。

 五層に重なる六芒星、その隙間を縦横無尽にはしる回路が描き出すはからみつく双頭の竜のごとき姿。それらが球状にふくれあがり自身を包みこむ積層構造の円陣を形どった。

 これこそ彼が最も得意とするオリジナル魔法である。

 一瞬でこのような複雑な魔法陣を描けるのも、おそらく大賢者ただ一人しかいない。


「ここは退()こう! 儂はまだ死ねんのだ!」


 言うと同時に魔法陣が光を放ち、タローの姿は輝きにつつまれる。確信にも似た笑みがうかんだ。もう発動は止められない。

 秘中の秘である転移魔法。千里の彼方(かなた)、事前に設定してある地点へ一瞬で移動することを可能とする。

 勝ちこそ逃しはするが、つないでこその命。いや、相手に次はない。離脱こそ勝利である。詠唱する間など与えずに攻撃しつづければいいものを、望外の力におぼれたか。転移魔法の存在を知らぬとは言え、まだまだ青い。

 上がる口角をおさえることができない。


 不思議なことにバウロスはそれを黙然(もくねん)と見守っていた。

 阻止しようとするでもなく、むしろ哀れみの視線をもって。


 そうして輝きだしたタローの身体であったが、しかし、次の瞬間には光はすべて消え失せ、魔法陣は消失し、呆然とした哀れな老爺だけがその場に取りのこされていた。


「な、なんだ! 一体っ!」


 タローは即座に足元に目を落とした。


 描いたはずの魔法陣が消えている。

 陣を描き間違えたのかと一瞬考えたが、描き間違えなどありえないと思いなおした。

 では、なぜ、魔法陣は効力を発揮することなく跡形もなく消滅してしまったのか。

 いくら考えても答えは出てこない。


 事態がつかめぬのか、|愕然とした面持(おもも)ちで視線を上げれば、一切あわてることなくこちらをまっすぐ見つめているバウロスがいた。


「無駄だ。転移魔法とやらだろう? 使おうとしたのは。

 ――そう驚くなよ。おまえがそれを使うのは初めてではないはずだ。

 対策はできている。知っているんだ。あいつが、命を()して残してくれた情報だからな……無駄にはしないさ」


 頭蓋(ずがい)痛打(つうだ)されたような衝撃とはこのことだろう。

 転移魔法の存在が露見(ろけん)していた上に、それを使おうとしていたことが筒抜けであったなどどうして予見できようか。


 転移魔法は大賢者が編み出した魔法であり、かつ誰にも教授することなく秘匿(ひとく)していたため、この世で彼のみが使えるもの。 


 魔法というのは魔法士にとって生命線であり、自身がどのようなオリジナル魔法を使用するのかということは、すべての魔法士にとって極力隠匿(いんとく)しなければならない最重要事項である。

 それを敵に知られるということは戦いを著しく不利にするだけでなく、場合によっては、対策をとられ致命的な事態を招きかねないことにもなりうる。――ちょうど今のように。


 よって、オリジナルである転移魔法だけは最重要機密として、タローも一部の弟子にしかその存在を教えていなかった。

 これを切り札としていつでもこの場から逃げ出せるという考えが、この追い詰められた状況の中で彼にわずかばかりの余裕を持たせてくれていたのだ。

 それがすでに明るみに出されていて、対策をとられているということは……。


「頭上をよく見てみろ。わかるだろう? 薄く結界がはってあるのが。転移魔法を阻害する結界だ。この都市一円にな。

 おまえに気づかれぬよう、戦闘がはじまってから静かに、静かに、仲間がはってくれていたんだよ。

 なぜまだ生きていられていると思っているんだ?

 俺の攻撃を避けられたからか? おまえの攻撃が俺にきいているからか? 

 俺たちの力が拮抗(きっこう)しているとでも? それとも幸運がおまえに味方してくれているとでも思っていたのか?

 ナンセンスだ。あるはずがないだろ? そんな偶然。

 甘く見るな。おまえからすれば俺たちなんてちっぽけな虫同然だろうが、地べたをはうノロマなナメクジにだって角はあるんだぜ? 

 もう今ならわかるよな。俺はただ時間を稼いでいただけだったってことが。

 おまえを確実にここで殺すために」

「っくそ――!」

「うぬぼれがすぎたな。才につまずくとは大賢者も人の子か。

 おまえの弟子たちは俺の仲間の相手で手一杯。助けはこない。そして、結界のおかげでここから逃げることもできない。……おしまいにしようぜ、大賢者」


 長き時のあいだ図抜けた一強であったがために積もり重なった(おご)り。

 後手に回ろうが、相手の好きなようにさせていても優にひっくり返すことのできる力を持っていたがための失態。


 もし、タローとバウロスの力が拮抗していたら――

 もし、タローが自身よりも格上の相手と戦う経験をつんでいたのなら――

 もっと冷静に対応することができただろうし、周囲への注意も(おこた)ることなく張られた結界にも気づくことができたかもしれない。


 そのような無意味な仮定が一瞬でも頭をよぎってしまったのは取り返しのつかない失態に動転してしまったがため。


 そもそも、この都市の壊滅などわざわざ自分が出向く必要もなかったのだ。

 ほんの気まぐれで随行した行楽(こうらく)、弟子たちと興じるささやかな(うたげ)、小一時間もかからずに終わる児戯(じぎ)


 その程度の心持ちで(おもむ)いたさきにいた予想外の強敵。

 弟子達とは分断され、強いられた一対一の戦闘。

 つのる焦慮とすりへっていく神経。

 一事が万事、ことごとく彼を裏切っていった。その果てがこれとは。


 バウロスの身にまとう聖気が一段と勢いを増した。

 炎のような青白い揺らめきが周囲を焦がす。

 大きくなったり小さくなったり、炎はようとして落ち着かない。

 それは彼の怒りゆえか哀しみゆえか。その両方だろうか。


 ここで、死ぬ。

 今こそまさに、タローははげしく揺さぶられていた。


 逃げ出すことすら許されず、戦っても勝機は皆無。脳裏にちらつくのは死の一文字。

 逃れられない死、遠ざけようとしていた死。なんの目的も果たしていないのに、無残にも断たれる命。


 たった一つの小さな願いすら、この傲慢(ごうまん)な世界は許してくれない。

 これではあまりにも非情ではないか。


「……こんな、こんな結末があってたまるかあぁっ!!」

「!?」


 タローの涙なき慟哭(どうこく)に呼応するかのように、突如として一陣の風がその場をないだ。

 風は質量をともなってバウロスにぶつかると、一人の人間大の塊となって行く手をはばむ。


 バウロスに絡みついたのは一人の若い男。

 どこから現れたのか、男は抱きしめるように両腕を背中に回した。拘束せんと残りの力を振りしぼり、鎧にまで噛みつかんとする必死さはおろかしくも一途だった。


「タロー様!!」 


 男は叫ぶ。

 この程度で抑えられると思うほど、男はおろかではない。

 なればこそ、一刻も早く。

 恩師の脱出を助けんと盾となる。自身の命などどれほどでもない。


 自分に襲いかかるように体当たりしてきた男に舌打ちをして、バウロスはその身に剣を突きとおす。まるで豆腐に指を突き込むかのように、簡単に突き刺さった。

 

「ぐぶっ」

 

 だが、突き刺した剣は男を貫きながらも、全身の肉と魔力によってつかまれ捉えられてしまう。


「ダロー様! もうダメです! 早ぐ、アレを゛!!」


 血反吐を吐きながらも叫ぶ男に、タローは絶望と憤怒から立ち上がる。

 思考する時間すらもったいない。

 すぐさま状況を理解し、後ろに距離をとると詠唱を開始した。


 迷いはない。今このときを逃しては、未来はない。

 生き永らえる選択肢はただ一つ、秘術の詠唱以外にない。

 ここからはもう時間との勝負だ。


 タローの詠唱が終わるのが早いか、バウロスの剣が届くのが早いか。


 バウロスとてその様子をじっと見てはいない。

 なんの魔法かはわからないが、あの詠唱は中断させねばならない。

 これまでつちかってきた経験と、いざというときに頼りになる自身の勘がそう告げていた。

 

 剣をつかみはなすまいとしている男の腹を力のかぎり蹴りとばす。

 骨は粉砕され、内臓の潰れる音がにぶい。

 男はぼろくずのごとく吹き飛び、瓦礫の中に突っ込んだ。

 バウロスにはもう男など眼中にない。

 引き抜かれた剣は迷いなく。瓦礫に一瞥(いちべつ)をくれることもなく、ぶつぶつと詠唱をつづける老爺目がけて駆けた。


 少し離れたところで怒号(どごう)がする。

 遠くではいまだにあちらこちらで仲間の戦闘音が鳴りひびき、こだましている。

 一瞬一瞬が幻影のようでいて、現実感が妙に希薄だった。


 (もや)のようにただよう血の臭いはこの都市の住民のものか、はたまた仲間のそれか。

 無事かどうか定かではない。

 確認している余裕はないし、誰も助けを求めてはいない。すべては自分がこの男を倒すこと、そのために皆が協力し命を投げうっているのだから。

 だからこそ、自らもまた、命を消費してこの災厄を打ち払わねばならない。


 数瞬の果てに、バウロスはタローの眼前に現出(げんしゅつ)する。


 タローは依然(いぜん)、詠唱の最中(さなか)

 その面貌(めんぼう)がわずかに引きつる。

 ふりかぶった剣が夕陽を反射し、まばゆく辺りを照らす。

 バウロスの顔はどこかわびしげで。


 タローは咄嗟(とっさ)錫杖(しゃくじょう)を前にかかげた。まるで、それで剣戟(けんげき)を防げるかのように。


「終わりだ!!」


 シミ一つない(あざ)やかな白銀の剣が斜めに振り下ろされる。

 錫杖を真っ二つに切りさいた切っ先は肩口から侵入し、脊椎(せきつい)を両断して腹部まで駆け抜けた。

 その瞬間、タローの身体はにわかに発光し始めるが、時すでに遅し。肉体は無残にも二つに分かたれていた。


 血しぶきが舞った。

 タローは目を大きく見開き、盛大に喀血(かっけつ)する。

 誰の目から見ても致命傷だった。


「……身勝手な、ものども、め……。あぁ……とう、さん、かぁ……さ…………」


 分断された肉片が地に落ちる。

 その瞳に、もう光はない。ただ一条の涙がこめかみを伝って大地にしみた。


 剣で貫かれたぼろぼろの男は大賢者の名を吠えながら影のように大地に溶け消える。

 バウロスは天を見上げた。


 空は赤い。日が暮れようとしている。

 返り血を浴びた金の髪は一層赤みを増す。目にはえる真っ青な鎧は赤く濡れ、銀の剣には大賢者の血がまとわりついているように粘つく。


 あれほど戦場に鳴りひびいていた戦闘の証も、いまは鳴りをひそめている。

 大賢者の濃密な魔力が消えたことを察知したにちがいない。

 じきに生き残った仲間が集まってくるだろう。

 それまでのあいだ、いま少しはこの静寂にひたっていたかった。


 この瞬間が好きだった。

 戦闘が終わったあとの言いようのない充足(じゅうそく)感と孤独感。最後なのだという想いが、それをかつてないほどに引き立てていた。


 終わった。

 これで自分の役目は終わった。


 冷たい風が火照(ほて)った体に心地よい。震えているのはきっとそのせいにちがいない。

 オーガムノ王国に冬が近づいていた。




 その日、大賢者は死に、英雄が誕生した。




◇◆◇




 大賢者の死から、約八ヶ月後。


 オーガムノ王国のとある貴族の屋敷にて、一人の男が廊下をせわしなく歩き回っていた。

 トラナヴィ・セアリアス。伯爵の位をたまわっているセアリアス家の現当主である。


 常日頃であれば、優しげな眼差しと柔らかい物腰で領民と接する穏やかな男が、今はいたく冷静さを欠きあわてふためいている。


 眉間には皺がより、口元は真一文字に引きしめられ、こめかみには一粒の汗が浮かぶ。

 ()でつけられていたはずの髪の毛はそこここが散りみだれ、両手は(あご)や額、腹や腰へと落ちつかない。


 ふと立ち止まり、目の前の扉をにらみつける。

 待ちこがれる声を求める瞳は、しかし裏切られた。依然として部屋の中から声はかからない。

 これで二度目だというのに慣れることはない。

 

 もうかれこれ五時間になる。

 あとどれだけ待てば良いのか……。


 と、その時、部屋の中からひときわ大きな歓声がわいた。

 それを聞いたトラナヴィは声がかかるのを待たず、扉を勢いよく押しひらいて中にまろびでる。

 目指すはベッドの上に横たわる女性の下。小走りにベッドに近づくと、横たわる女性の手をぎゅっと握りしめた。


「大丈夫か、アンドリア!」


 茶褐色の髪を額に張り付かせた女性は、つらそうな表情に玉粒の汗を浮かべながらも気丈にほほえんだ。


「はい、あなた。私は大丈夫です。それより子供は――」


 言われて初めて気がついたといった風に、トラナヴィは妻からわが子を抱くメイドに目を向ける。

 そういえば、部屋に入ってからあるはずの声がぱたりと途絶えているような――。


「おい、子供は――」

「旦那様!」


 問いかけを待たず被せるように、顔面を蒼白としたメイドが叫ぶ。途端、赤子は耳をつんざくような大声で泣き叫び始めた。


「赤子が熱を」

「なに! 治癒魔法を早く!」

「やっております!」


 赤子を抱えたメイドの脇にいた女が応じる。が、その顔はすぐれない。


「ですが、一向に良くなりません!」


 なんのためにお前はここにいるのだと怒鳴(どな)りちらしたくなりながらも、トラナヴィは舌打ちするのをこらえた。


「教会へすぐに連絡しろ! マウント神父を至急呼ぶのだ!」

「ただいま!」


 一人の小間使いが慌てて部屋を走り出た。

 魔法士は懸命に治癒魔法をかけつづける。

 アンドリアと呼ばれた妻は不安そうに夫を見た。


「あなた……」

「大丈夫だ。じきにマウント殿が来てくださる。きっとすぐに良くなるよ」


 トラナヴィはつとめて優しく妻に語りかけた。ここで自分が慌てていても仕方がない。


「大丈夫さ。なにも心配しなくていい」

「はい……」

「大丈夫。大丈夫……」


 ――一時間後、屋敷に到着した司祭の治癒魔法によって赤子は危機を脱した。

 喜ぶのもつかの間、完全に治癒できたわけではなく、「今後も引きつづき注意深く見守っていかなければならない」との司祭の言葉はトラナヴィらを暗澹(あんたん)たる思いにさせた。

 それは今後の赤子の人生を象徴するかのような苦難のはじまりを暗示していた。



 後日、赤子はトワイルと名付けられ、セアリアス家の長男としての生を歩むこととなる。




◇◆◇




 トワイル誕生と時を同じくして。

 エーユ共和国のとある都市の民家。

 

「奥様! 元気な男の子でございます!」

 

 助産婦がかきいだく赤子が元気に大声で泣くと、ベッドに横たわる女性は安堵(あんど)の息をこぼした。

 初めての出産ということもあって緊張感と不安感は並大抵のものではなかった。

 無事大役を果たせたことに自然、笑みが浮かぶ。


 枕元にやってきた助産婦に赤子を渡され、恐る恐るといったふうに女は我が子を抱いた。


「あの人に似てる……」


 共に戦った最愛の夫の面影を残す面立ちに、女は知らず涙を落とした。


「ありがとう。生まれてきてくれて」


 この子が背負うであろう重責を思えば、母として辛いところではある。

 それでも、今は、今だけはすべてを忘れて感謝した。


「ロス……貴方によく似ているわよ」


 つぶやく声は誰にも届かず宙にとける。


 ベッド脇の小棚には、まだ駆け出しの冒険者だった頃に撮った二人の写真と、戦友達と撮った最後の写真。

 見守る彼らは笑顔で……。


 女――リーベ・オプフェールは、新たな生の誕生を再びかみしめた。




 ――ここに、歴史に名を残す二人の男が生まれおちた。


※紹介


タロー・ヤマダ・・・現代日本より召喚された男。大賢者とも死神とも呼ばれる。124歳で死去。


バウロス・オプフェール・・・タローを討った男。英雄となる。エリクタルを飲んでやばい。


トラナヴィ・セアリアス・・・オーガムノ王国の伯爵。トワイルの父。まだ壮年なのに老け顔なのが悩み。


アンドリア・・・トラナヴィの第二夫人。トワイルの母。子供を産むのって大変。


トワイル・・・トラナヴィとアンドリアの息子。生まれつき身体が弱い。はふ。


マウント神父・・・セアリアス伯領の教会長。司祭。回復魔法が使えるらしい。


リーベ・オプフェール・・・バウロスの妻。やっぱり子供を産むのは大変。


オーガムノ王国・・・セアリアス伯領がある国。


エーユ共和国・・・バウロスとリーベの住む国。



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