第6話 千鳥足の少年はただ空を見上げる
力が喜びを生み、期待が力となる。
手にしたこともない力。手にしたことのないまばゆさ。
歩むたびに期するものがある。乞われるたびにかがやくものがある。
磨くほどに芯ができ、集まる熱情に胸をはる。
彼は力をつけていった。より高く、高みへと。
それが人々になにをもたらすのかを考えることもなく。
――《贄とされたもの》一章62Pより――
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
授業を終え、トワイルとシャリークは連れだって屋敷の正門へと向かう。
少女の癖のない直毛が肩をかすめるように揺れるのをじっと見つめながら、トワイルはそわそわとしていた。
「疲れた? シャリーク」
彼女が振りむくとほのかに鼻をくすぐる甘い香り。
それは女の子だからなのか、彼女特有のものなのか。不思議だなあ、とぼんやりとそんなことを思った。
「ううん。トワイルこそだいじょうぶ?」
「うん、平気だよ」
先日の体調不良が頭に色濃くのこっているのだろう。
どうやら彼女の中では自分はすっかり病弱に思われてしまっているようだ、と舌を苦いものがなめる。
無論、それは事実であったので否定することはできないのだが、自分と同じくらいの少女からさえも心配されるのは、男心に少々こたえた。
やっぱり自分は頼りなく見えるのだろうか。
彼女のほうが年上なのだからおかしくはないのかもしれないけど、背は同じくらいだし、やっぱりなんだかむずがゆい感じがしてくる。
とりわけ今は危なっかしそうなのは彼女のほうであったから。
大人四五人はゆうに歩けるほどの幅広の長い廊下。
一定間隔おきに壁にかけられた珍妙な絵画たちや脇にしつらえられている小棚の上には年代ものの壺やさわやかな花瓶の群れ、五メートルはありそうな高い天井を飾るのはこれまた立派なシャンデリアであり、地を整えるのは臙脂色の肉厚な絨毯だ。
そのどれもが高級そうで、シャリークはすっかり委縮してしまっていた。とくに重厚感のある絨毯の上をゆくのが心苦しいのか、おっかなびっくり歩いているように見えた。
小動物のようでかわいらしいけれど、そのままにしておくのも申し訳ない気がする。ここは彼女にとってアウェーなのだから、ホスト側が気を配る必要があるだろう。
そう思って彼女の気をやわらげてあげようと先ほどから何度も話しかけていたが、残念なことにほとんど効果は出ていないようだ。
表情にとぼしすぎてよくわからないとも言えよう。
来るときはどうだったかな、と思い返してみるが、緊張のあまりほとんど注意を向けていなかったから覚えていなかった。ひょっとしたらそのときも同様に気おくれしていたのかもしれない。
トワイルにとってシャリークは家族以外で同年代の初めての知り合い。
できれば仲良くしたかったが、どんなことを話せばいいものなのか。
今までの話し相手といえば、メイドのマリッサと母のアンドリアくらいしかいない。
二人ともに大人で話もうまく回してくれるので自分は徒然に話すだけですんでいたが、いざホスト側に回ると非常にこまった。
これぐらいの年代の子たちは普段どんなことを話しているのか、隔絶された世界に生きる彼には見当もつかない。
「だめだな、ぼくは……」
つぶやきが拾われることはなかった。
話しかけたくともそうできぬまま周囲をつつむ沈黙はかたくるしい。
もどかしい想いは置き去りになって、結局、長い廊下を渡りきるまで一方的な気まずさを覆すことはできなかった。
廊下を歩ききり玄関ホールにたどりつくと、シャリークはほっと安堵の息とともにかすかに眉尻を下げた。
それは高級そうな絨毯を踏んで歩くのが気が進まなかったからなのだが、彼には自分の不甲斐なさを責められているようにも感じられ、心が一つ重くなる。
気にしすぎだと教えてくれる大人は今はいない。ひとりでの初めての経験は少しばかり苦い味がした。
つと、少女の目がそれに止まった。
「ねえ、トワイル。あれって本物?」
指さした先には刀身のそり返った一本の真っ黒な刀。
きらびやかな銀の装飾がほどこされた真鍮の台座がうやうやしく掲げている様は、来客一同をうならせるに十分な威容がある。
真正面に配置されているのは玄関から入った人間が真っ先に目がつくようにだろう。
鞘や柄は漆黒に彩られ、柄や鍔には複雑で精緻な模様があしらわれているのが一目でわかった。
飾り刀であったとしても見事な一品であることはたしかだ。
シャリークはその刀からなんとも言葉にあらわしがたい不可思議な雰囲気を感じていた。
「本物みたいだよ」
「みたい?」
「うん。みたいっていうのは、ぼくはその刀が抜かれているところを見たことがないんだ」
「誰も使ってないの?」
「たぶんね。必要になることもないし。ずっと飾りっぱなしなんじゃないかな。
聞いた話だと、あの刀は聖剣エクスカリパーっていってね、先祖代々伝わっているものらしいんだけど誰にも抜けないんだって。父様も抜けなかったって聞いたことがある」
「誰にも抜けないのに、本物?」
トワイルは困ったように笑う。
「うーん、ぼくも聞いただけだから。
一応うちにつたわる話だと、初代のこの家の当主には抜けたらしいんだけどね。
刀なのに聖剣っていうのも、初代の人がこの刀をゆずり受けたときに言われたんだって」
「ふーん」
シャリークはすこし思案したあと、おもむろにその刀に近寄っていく。
興味深そうに間近でじろじろと眺めると、ふりかえった。
「ねえ、トワイル。わたし、この刀抜いてみてもいい?」
「え?」
トワイルはあわててかたわらに歩みよる。
「危ないよ。本物だったらどうするの。それに子供に抜けっこないよ」
「ちょっと試してみたいの。だめ?」
上目づかいに見やる少女。
トワイルはきょろきょろと周囲を見渡した。ひとまず、誰もいない。
見つかれば叱責されるだろうことは疑いようのないことだったが、反応の薄い彼女が興味を示してくれたことは純粋にうれしかった。距離を縮めるためには、すこしばかり譲歩が必要なのだ。
「はぁ……。ちょっとだけだよ」
「うん、ありがとう。――っ。おもい」
言って、シャリークは両手で刀を台から降ろす。
予想以上の重量に一瞬よろめきそうになったときはトワイルのほうが慌てたものだ。もし傷でもつけたりしたらとんでもないことになる。
その点、彼女はやけに大胆だった。
さっきまでは高価な品々にかこまれてあんなにもびくびくとしていたのに、あきらかに値のはりそうな刀を前にしても臆するところがなかった。
好奇心とはかくもおそろしいものなのか。
柄にちいさな手がかかる。トワイルはじっとそれを見守った。
力をこめて刀を抜こうとうんうん唸っている彼女はかわいらしかった。
「んんんっ……。だめみたい」
少女がおどけて舌を出す。少年は苦笑をかえした。
こんな仕草もするんだなという感慨と意外な押しの強さと。
やはり子供に抜けるようなものでもないのだろう。大人でさえ誰も抜けないのだから。
ひとり得心していると目の前に刀が差しだされた。
「じゃあ、はい」
「え?」
「トワイルの番」
「え、え、無理だよ。ぼくにできっこないって」
トワイルは両手をふって拒否するが、少女はその胸にむりやり刀を押しつけた。
「試してみたことあるの?」
「……ないけど。でも……」
「トワイルならできるかもしれないよ?」
銀の瞳が目をひいた。
強くて儚げでいて、どこか憂鬱そうな、かなしい瞳。
この瞳に見つめられるとなぜだか胸がつまりそうになる。
どのような経験をへれば、このような目になるのだろう。
「…………」
渋々と受けとったトワイルは手の中に収まる刀を見下ろす。
なにかを塗りこめたような漆黒の闇。暗さを通りこして吸い込まれそうな不安定さがある。夜であれば手に持っていても視認できないのではないか。
不安定であり、魅力的。
『闇がひきつけるのは魂であり、魂は光とおなじくらい闇を求めるもの』とルークスが言っていた記憶がある。先祖もそうして惹きつけられたのだろうか。
ずっしりとたしかな重さが本物という話を裏付けているように感じられた。
もし、もしこれがぼくに抜けたら……。
それはセアリアス家にとってすごく重大なことなのではないだろうか、と思わずにはいられない。
玄関ホールには他に誰もいない。
柄をとり、力をこめる。
「んんんんんんんんんんぐぐぐぐぅ!」
………
……
…。
刀を元の場所に戻して、シャリークに向きなおった。
「行こうか」
「……そうね」
トワイルは真っ赤になった顔を隠すように外に出る。
少女はとことことその後をついていった。
「不思議な刀……。抜けるかもって思ったのにな」
彼女の小声だけが虚しくホールに置いていかれた。
◇◆◇
見送りに外に出ると、正門の方から二人のもとへなにやら喧噪のようなものが届いた。
きゃんきゃんと吠えたてる犬の喧嘩のような甲高い音。たまに理解できる単語がまじることからきっと人間同士に違いない。
トワイルとシャリークは一瞬おたがいの顔を見合わせ、正門の方へと足を速める。
近づくにつれ、門の付近に三人の人影が見えてきた。
ひとりは執事のアンヌ。背の高いがっしりとした壮年の男だ。
ひとりはミルクティーのような髪の色をした少女。
もうひとりはと見れば、なにやら自分よりもいくらか大きい坊主頭の少年がアンヌらに向かってわめきちらしているのが確認できた。
「ナーディ!」
誰だろうと首をかしげたとき、横合いから大きな声が上がった。かと思うと、彼女はトワイルをおいて門へと駆けていく。
見知らぬ坊主頭の少年はどうやら彼女の知り合いらしい。
それにしても、と彼は思った。
玄関ホールのときにも感じた違和感。生気の不足した人形のような表情から時折みせる溌剌とした態度。静動いりまじるちぐはぐな印象はより彼を困惑させ、彼女への理解を困難にした。
「あ! シャル! 無事だったか!」
少年は立ちふさがる二人のあいだをすり抜けてシャリークに近づく。
とり残された二人も同様だ。少女は怒気をおびた顔つきで、執事はやれやれとわずらわしそうに。
「なんなのこの子! トワ、あんたの知り合い!?」
毛先がくるんと波をえがいているミルクティーの少女は、肩先まで伸ばした髪をイラつくように後ろにはらう。
「お嬢様、少々落ち着かれたほうがよろしいかと」
「私は落ち着いているわよ!」
執事のいさめに少女――パーシー・セアリアスはどなりかえした。
執事は無表情のまま頭を下げる。こういったやり取りが堂に入っていることからも、いつものことなのだろう。
一方、初体験であるシャリークはその声に怯え、ナーディことナディネスはべぇと舌を突きだした。それがまた、彼女のこめかみを引きつらせるので世話がない。
「姉様、なにがあったんですか?」
トワイルも内心どきどきしながら怒れる姉をうかがう。
パーシー・セアリアス、正室ティミーダの長女にして三歳上の姉。
彼女は自分と違って勝気でやんちゃなところがあるため、やや苦手としていた。できることなら関わりあいたくない相手なのだが、このままシャリークをほうっておくこともできない。
「なにもへったくれもな――」
「そこの男女がうるせーんだよ。ごちゃごちゃとやかましいったらねえな。いったいどういうシツケされてんだか。
あーやだやだ、これだから貴族ってのはいけねーや」
鼻をならすナディネス。
パーシーは怒りに打ちふるえているようだったが、トワイルの胸中は正反対にふるえていた。
それは般若の姉への恐怖からではない。無謀きわまりない初対面の少年への讃嘆ゆえにだ。
この姉にたいしてこうまで強く言える子がいるとは、と感心しきり。ちょっとしたヒーローを見るような気分でこっそりと少年を見ていた。
もしそれが姉にばれていたら、あとでひどい目にあっていただろう。
「あ、あんた――」
彼女の堪忍袋の緒が切れそうになったところで執事のアンヌがすかさずその口をふさぐ。もがく彼女を素知らぬ顔ではがい絞めにして、これ以上しゃべらせない魂胆のようだ。
不敬きわまりない行為だが、それが許されるだけの権限が彼にはある。
アンヌからしてみれば、これ以上面倒な事態はかんべんしてもらいたかった。
「そちらの少年がむりやり敷地内に入ろうとしておりましたので、私とちょうど通りかかったお嬢様とで事情を聞こうとしていたのですが、聞く耳持たずというやつでして。
なんだかんだでお嬢様と少年が言いあらそいに、というわけです」
「なるほど」
「ナーディ……なにしに来たの。
そんなことして、あなただけじゃない。孤児院にまで迷惑がかかるわ。わかってるの?」
貴族にたいして無礼をはたらけば、それだけを理由に一般庶民は処刑されることもありうる世界で、ナディネスの所業ははたから見れば馬鹿な行為以外のなにものでもない。
たとえ子供だからといったって、見過ごされない場合もあるのだから。
幸い、ここセアリアス伯領ではトラナヴィの人柄もあってそういった不敬に対する理不尽な裁きはなかったが、一歩間違えれば彼がどうなるかは誰にもわからない。
貴族にたいしては注意してしかるべきなのである。それは孤児院でも、生きていく知恵としてよく教えられていることだ。
とがめられたナディネスは唇をとがらせる。
せっかく助けにきたのに――彼の中ではそうなっている――小言を言われてはたまったものではない。それも助けにきた当人からとあっては唇の一つや二つ尖りもしよう。
「あの女が邪魔するのが悪いんだ。
そんなことよりさっさと帰ろうぜ。こんなとこにいたら貴族くさくなっちまう」
「あんた、いい加減に――」
パーシーは指の隙間からどなろうとするが、すぐに封じられもがもがとしている。
アンヌの申しわけなさそうな目配せをトワイルが敏感に感じとった。
「シャリーク、もう今日は帰ったほうが」
「そうね――」
「おい、おまえ! おまえが指図するんじゃねえ!
このまえ俺にやられたことをもう忘れたのか!」
食ってかかるナディネスの中で、彼は仲間を奪おうとしているにっくき敵となっているようだ。
さながら悪者から仲間を守る勇者の気分、なのかもしれない。
「このまえ?」
「とぼけるな! 孤児院でシャルにかばわれてた弱虫が」
「……ごめん、覚えてないや」
「おまえ……」
ナディネスの顔がみるみる真っ赤に燃えあがっていく。
トワイルに挑発されていると感じたためだ。
無論、彼にはそんなつもりは毛頭ない。
なぜなら、ほんとうに覚えていなかったからだ。
あのときは魔力暴走により体調が悪くまったく頭が働いていなかったので、あの場でのやりとりについてほとんど記憶になかった。
ナディネスのことも今日初めて出会った人物で、姉と言い合えるちょっとしたヒーローという印象しかない。
そんなこととはつゆ知らぬナディネスはきょとんとしている彼のおとぼけに怒りを爆発させた。
「勝負だ! 俺が勝ったら二度とシャルに近づくな」
息巻く少年にトワイルは戸惑いをかくせない。
初対面と思っている相手にいきなり勝負だと言われても、どう対処すればいいのか。
第一そんなことをしてなにになるのか、勝とうが負けようがなにも変わらない。
シャリークに近づくなと言われても彼女の方から屋敷に来るのだし、万が一怪我でもしたら、また皆に迷惑をかけることになる。それだけは避けたかった。
「え、いやだよ」
「な、なにいってやがる! それでも男か!」
「トワ! そんなやつやっちゃいなさい!」
なんとか口だけ脱したパーシーがアンヌの制止をものともせずに両手を振りまわす。
そんな彼女を見て、ナディネスは黙っているような性分ではない。
「女はだまってろ! このブス!!」
「なんですって! だ、だれがブスよ!」
「おまえだ、おまえ。このお豚さま」
「このクソガキ……発言を取り消しなさい! いまなら許してあげるわ!!」
「やなこった。くやしかったらここまでおいで~」
「くぅぅ、アンヌ! いますぐ離しなさい!! 命令よ! 離して!! ぶんなぐってやるんだから!」
また二人の言いあらそいが始まった。
心のうちで頭を抱えるアンヌに、勝負などする気のないトワイル。
正門付近で繰り広げられる舌戦に、鳥は興味なさそうに飛びさり、頭を真っ赤にそめた門番の兵士はあくびをして夕飯の献立を夢想する。
かしましい小鳥たちの囀りをとめたのは低く深みのある声だった。
「そのへんにしておきなさい、二人とも」
「ほっとっ――あら、マウント神父。ごきげんよう」
「げっ! ジジ先生。なんで」
膝をおり会釈するパーシーにたいして、ナディネスは咄嗟にシャリークの背後に隠れてそっぽを向く。
「ジョビーがなにやら派手な頭をしていると思ったら。ナディネス、キミだな」
「な、なんのことだか」
「まさかあのトマト、盗んだんじゃないだろうね」
「ち、ちがいます! 落っこちてたから、拾っただけで――ってあっ!」
「あとで彼にちゃんと謝っておきなさい。いいね?」
「はい……」
「店の人にも、だよ。くわしい話は後できくから、今日はもう戻りなさい。みんな心配していたぞ。シャリーク、孤児院まで連れていってくれ。道草くわないようにね」
「はい、先生」
しょぼくれたナディネスが連行されていく。
パーシーはいい気味ねと腕を組み、傲然と見送った。少しは溜飲が下がったようだが、まだぴしぴしとした気配は残っている。
こういうとき、トワイルだったら決して姉に触れようとはしないが、神父ほどの老体なればあまり関係ないらしい。
「やあ、アンヌ君。ひさしぶりだね。いや、いいいい。そんなにかしこまらなくて。
あの子が迷惑をかけてすまなかったね。元気がありすぎるというのも考えものだ。
まあ、あのくらいの年齢ならしょうがないのかもしれないが。ああ、そう。そうなんだ」と自身の背後に控えていたメイドのマリッサを振りかえる。「さっき、エトウォール広場で偶然会ってね。うん、トラナヴィ殿に用があったから、それで連れ立って来たんだ。
しかし、ここの坂は結構こたえるね。歩いてのぼるのはやはりきつかったよ。歳はとりたくないものだな。命長ければなんとやらだ、ハハハ。
ときにパーシー嬢、マーシフル様はお元気かな?」
「ええ、お婆様はお変わりありませんわ」
「なら、のちほど寄らせてもらおうかな。ひとまず先に行くとしよう。あまり領主様を待たせるのもアレだ。ではね」
すたすたと歩きさるマウント。マリッサはパーシーらに一礼し、トワイルに小声で「昼食はもう少しお待ちくださいませ」と告げて司祭とともに屋敷へ消えた。
一転して嵐が過ぎ去ったあとのような静寂につつまれる。
トワイルはちらちらとパーシーとマリッサを交互に見やってからそうっとその後についていこうとしたが、ふんと鼻息荒くならす姉にびくりと動きを止めた。
「あんな生意気なガキ初めて見たわ。最悪の気分よ」
息を切らしたパーシーはぷりぷりと髪を左右にふっている。
あのような侮辱的な振るまいを見せられたのは初めての経験だ。いまでも思い返すと腸が煮えくり返ってくる。
彼女がこのような状態の場合、下手をうつと周囲にいる自分にまで飛び火してくることをよく理解していたトワイルは、逃げるのはまずそうだと判断してとりあえず応じておいた。
「姉様とはりあえる人、初めて見た」
「トワ! あんたなに呑気なこと言ってんの! なんで勝負から逃げたのよ!」
逃げなくても同じらしい。
なぜこうも激情に身をゆだねられるのか。姉というのはそういうものなのだろうか。
もっと穏やかに過ごせばよいのに、と理解に苦しむ一方で、うらやましいのも少し。
そういった身をふるいたたせるような激しい感情は自分の中には見つけられないのがちょっとさみしくもあった。
しかし、なにはともあれ、避けられない火の粉をどう払うべきか、判断に困る。
「なんでって……意味がないし」
「はーあー、意味があるとかないとかどうでもいいのよ。
あの生意気な鼻っ柱をへし折ってやらないでどうするの!
そんなんだからフォンに当主をもっていかれるのよ」
「…………」
――次期当主。
父にも言われたことだが、正直とくに関心を持っていなかった。
当主になりたいともなりたくないとも、そもそもそれは与えられるものであり、自ら掴みとるようなものではないという意識があった。
生来の気質のせいか、物心ついたころにはすべてを諦めていたせいなのか、彼自身わからない。
受けいれて当たりまえ。抗おうなどと思うことすらおかしい。
フォンが家をつぎ、自分は家をつがない。それだけではないのか。
黙りこくってしまったトワイルに勝気そうな眉を落とし、パーシーは肩をすくめる。
「あんたの場合、すこしはあのクソガキを見習ったほうがいいかもね。
なんてったって覇気がないもの。そんなんじゃこの世の中を生きていくことなんてできっこないわ。わかる? 惰弱な人間は使われる側でしか存在できないの。
あなたが思ってるほど穏やかじゃないのよ? おてて繋いでニコニコしていられるような世界じゃね。
いいのよ、べつに。平民なら。強すぎる民はうとまれてしまうから、あなたみたいなのは大歓迎よ。
でもね、私たちは違うの。
幸か不幸か、伯爵家に生まれてしまったのだから。すくなくとも貴族の一当主としてはあるまじき性質だわ。
それにね、男なら気概をもってなんぼでしょ。ねえ、アンヌ?」
「……一般論で言えば、そうですかね」
「あんたの身体のことは聞いているけどね、身体が弱いことに甘えていたらロクな人間になれやしないわよ」
彼女の叱咤は助言にしてはトワイルの胸を深くえぐった。
肉体の弱さに甘えている。姉からそう見られているというのは、悲しかった。
トワイルとパーシーは仲睦まじいとまでは言えないが、決して悪くはない。
お互いの母親のこともあって積極的にたがいの部屋に会いに行くような関係ではなかったけれども、会えばそれなりに会話をするし、気にかけもする。
彼女の母のティミーダと違い、トワイルのことを蔑ろにはしてこなかった。
彼を自分の弟としてきちんと数えている程度には気をさいた。
トワイルの方でもパーシーはきちんと姉だった。
彼女から与えられる小言のような助言からは、ティミーダからとは違って愛情を感じ取ることができたし、乱暴な言葉づかいの中にもこちらへの気遣いを見出すことができた。ときにはうんざりしてしまうこともあったが……。
彼女の活発で負けん気の強いところはトワイルにとって苦手な部分であり、憧れでもあり、尊敬にあたいする姉ぶりだったのだ。
だから、彼女から責められるのは父や母から責められるのと同じくらい胸にくる。
「お嬢様」
アンヌの気づかわし気な促しにわかっていると言わんばかりに目をむく。
「……まあいいわ。あのバカのせいで余計な体力使わせられたから、もう部屋に戻るわ。
トワ、あのバカにはもう二度とこないように、きちんと言っておくのよ」
「……うん」
そう言って立ち去ろうとしたパーシーだが、数歩行ったところで急に立ち止まり、トワイルのもとへ身をひるがえした。
「言い忘れてたけど」
沈んでいる弟の胸倉をつかみ、顔を上向かせる。
トワイルはビクッとのけぞった。両手で顔をおおわなかっただけマシだろう。
そんなことをしていたら恐らく彼女は手を出していただろうから。
我の強いヘーゼルの瞳が気弱な弟の委縮した心を射抜いた。
「アンドリアさんにまたお人形頼んでおいてちょうだい。私から言うとなにかと面倒なことになるから。当たり前だけどお母様には内緒よ。
種類はなんでもいいわ。とにかくモフモフなのをお願いね」
ちゃんと伝えるのよ、と大きな声で叫びながら屋敷へと戻っていく少女。しっかりとした足取りはみなぎる自信を感じさせた。
屋敷の中には彼女がもし男だったら、という声がある。
勝気な性格に周囲にまで与える影響力の強さ。
彼女が長男であれば後継問題など起きはしなかったろう、と落胆している者は一人や二人ではない。なにを隠そうトワイル自身ですらそう思っているのだから。
フォンに不満があるのではない。
もしパーシーが長男であったなら自分がやいのやいの言われることもなかっただろうから、という後ろ向きな理由である。それがまた情けなくもあった。
アンヌもトワイルに一礼してすぐに後を追う。優先順位がどちらにあるのかは今さら言うことでもない。
少年は広い庭に一人ぼっちで立ち尽くす。
脳内を駆けめぐるのは姉の言葉とはっきりしない自分の心。
家に恩返しをしたい、この気持ちに嘘偽りはない。
誰に対しても、なにに対しても不満などない。
ただ生きていられることだけで十分満足しているからだ。
だから、どんな扱いを受けようと、どんな言葉を投げかけられようと不平はわいてこない。誰かにあらがおうなんてこれっぽっちも思いつかない。あらがうのは自分の身体に対してのみ。
けど、それは周りから見れば、自分を持たない薄弱な人間と映るのだろうか。
いつまでも弱弱しい守るべき対象に見えるのだろうか。
そのようなありさまで家の力になるような人間に、なれるのだろうか。
トワイルは体が揺らぐのを感じた。
(父様にとっても同じなのかな……)
父トラナヴィからも同じように思われているのかもという考えは彼をひどく物寂しくさせた。
争いは好まない。
だが、争いから逃げることしか選択肢がないままで良いのだろうか。
姉の言ったように、ときには争いに挑まねばならない場合もあるのではないだろうか。
それが家のためになるとき、自分ははたして行動できるのだろうか。
そもそもなにが家のためなんだろうか。
小さな頭には考えるべきことが多すぎた。
今日も風が冷たい。世界はいま冬なのだ。
トワイルは二三度頭をふって屋敷の方を見た。
本館を見て、別館を見る。
堂々とした佇まいの本館と陰に隠れるように控えているちんまりとした別館。
それが今の自分の立ち位置を示しているように感じられた。
まだまだ自分は幼い。
できることなど、ほとんどなにもない。成長しなければならない。
ため息がもれる。
まずは自分のできることをしよう。
トワイルは別館の母の部屋へと足を向ける。
母アンドリアの中で、自分が人形好きという誤った認識が定着していくのを諦めるしかないと決意した。
◇◆◇
南向きのテラスの窓から白の薄地のカーテンを通してさしこむ光が室内に影をつくっている。
テラス窓は三組の内一ヶ所だけひらかれていて、そこから入りこむ風が上質な絹の亀甲紗をゆらゆらと揺らしては、閉じこもりがちな部屋の主を外へと誘っていた。
陰の中かくれるようにしてしつらえられた天蓋つきのベッド、その上で上体を起こしている老婆こそ、この部屋の主マーシフル。
歳のころは70過ぎ。食の細そうな外見は燃えつきたような白髪とあいまって、実年齢よりもいくぶん老けて見える。
若かりし頃はさぞ美人であったろうと思わせる顔立ちはしおれていて元気がない。そのせいで余計人生のたそがれを意識させてしまっていた。
ベッドの脇の小棚には桃色のシクラメンの花瓶。
足元から届く風は冬をはらんで冷たく肌を閉ざさせる。
階段状にパーマのかかったセミショートの白髪が頬をなでる。
精気を吸い取られたような肌は髪にあわせて色を失い、うるおいを求めて水路をつくっていた。
テラスの手すりでちゅんちゅんと囀る小鳥たち。
寄せては引く波のようなカーテンに心を奪われていた彼女を現実に連れ戻したのは扉をたたく軽い音。
「どうぞ」
神の前で告解するような声音のあとに扉からあらわれたのは大きな腹、ではなくマウント司祭だ。
「やあやあ、マーシフル様、ごきげんよう」
にこやかに入室してきた司祭は示される前にベッド脇の椅子に重い腰を下ろした。
「いやーちっともお変わりないですな。
前回来たのはいつだったか――半年? そんなに前でしたか。ああ、そうだ。夏の大祭の打ち合わせ。あのときにもこうして寄ったんでした。
なにしろ暑くて暑くて。涼めるところが――っと、いやいやマーシフル様のお顔を拝見せずに帰るなんて不敬、言語道断。敬虔なる神の信徒たる若輩としては聖母にお目通り願わずにはいられないというわけで、ハッハッハ。
いやまあ、しかし、ご壮健ですかな?」
マーシフルはふっと顔から力をぬく。
老いたとはいえ、風貌にしみ出たおごそかな性質は川べりに鎮座する巨大な巌のようで、見る者を圧倒すると同時にどこかひきつける魅力があった。
「あなたほどではないですけどね。おかげさまでつつがなく」
「それはそれは。神のご加護に感謝を」
「あなたこそ、変わりはないかしら?」
「ははっ、わたしは、ほら、このとおり」と司祭は大きな腹をぽんと叩く。
老婆はやや怪訝そうな顔をして首をふった。
「あまり無理をしないように。あなたの身体はあなた一人のものではないのだから。
神の試練をのりこえるために無理をするということを神は望まないのではなくて?」
「ははっ……、どうですかな。世が世ですからね。じっとしているというのも性にあわないのですよ」
「仕事熱心なのはよいことだけれど。いえ、いいわ。そうね、私がなにを言っても――。
いいのよ、気をつかわないで。あなたは信念の人だから。自身の身体よりも他者を優先してしまうのでしょうね」
「そんなこと! マーシフル様の言葉ならなんでも聞いてしまいますよ。わたしは従順なしもべなのですから。神の前では羊となり、あなたの前では犬となる。ほら、わんわん」とマーシフルの手に手を重ね、お手の真似をした。
「またそんなことを」と苦笑して、老婆は握られるがままにする。「ほんとに変わりはないようね。もちろん、悪い意味で。それに、様づけは止めてと言っているでしょう。
私はただの老婆。もうなんの力もない。ただ神の呼び声を待つだけの無力な抜け殻に不要です」
「なにをおっしゃる」と司祭は握る力を強くした。骨と皮だけになった手はふりほどく力すらなくなっている。それが無性にせつない。
「あなたに救われた人がどれだけいようか。
あの頃、今よりもはるかに貧しかったあの頃、マーシフル医院が無くば!
傷ついた貧しい者たちはロクな治療も受けられなかった。私の母だってそうだ。
病に倒れ衰弱していくのを見守ることしかできなかった。なにもできず、なにもしてやれない。愛する人がただ命を手放していっているというのに。なにも!
お金さえあれば、と何度思ったことだろう。
小さな子供がくすねてこれるものなんて、たかが知れていた。くり返し、くり返し。朝から晩まで機をうかがって。必死の思いで盗みをはたらいて。それでも足らない。足らなかった。
戦果のない日のあの言いようのないせつなさよ。
母の待つ家の前でただ立ちつくす! 扉を開けることもできずに、ただ!
空気の重さに、世の厳しさに――忘れることなんてできやしない――拳を握りしめて、ただ、コウベを垂れたあの頃を。
絶望しかなかった。苦しげにうめく母の横で小銭を数える。あかぎれた手。鳴るお腹。風が窓をうって。錆びた小銭のにぶい音。母から抜け出る命の声……。
ああ、マーシフル医院!
いまでも鮮明に覚えています。民衆の前で高らかに宣言した若き日のあなたを。貧しき者たちへの救済を叫ぶあなたを! まさしく天使だった。
多くの民が救われた。
迷い挫折した者たちがどれだけ励まされたか。どれだけ心強かったことか。あなたの導きが我々を光へと向かわせてくれたのだ。
あなた無くして私は無かった。あなたのおかげなのです。
のたれ死ぬ寸前だった私がこの歳まで生きられたのも、すべて。たぐいまれなる万民への愛と献身さゆえに。
あなたは我々の希望。まだまだ旅立つのは早いですよ。
幽明のへだたりは生者の願いがつくる。あなたの慈愛を必要としている者は大勢いるのですからね」
「希望は誰の前にもあるのですよ。それに気づく努力さえ怠らなければ」
「それをこともなげに言えるからこそ、あなたは我々の希望なのです。
努力という一語にこめられた壁の高さ! その山の高さを思えば!
どれだけ険しい道程なのか。獣道すらない藪の中を手探りで進むこころもとなさを考えれば。
頂きすら見えない山肌を、空すらうかがえない木々の中を、傷つきながら足を前に進めることがどれだけの人間にできようか。
途中で断念してしまうのも無理ないこと。それが凡人というものなのですから。
だからこそ、我々には必要なのです。藪を切り払ってくれる者が。頂きから呼びかけてくれる者が。横で励ましてくれる者が。希望を指し示してくれる人間が。あなたのようなね」
手が痛む。
こちらを見つめてくる熱のこもった目が痛い。
老婆は悲しそうに視線を切った。
「真に人を治めることができるのはその人自身だけ。己の主は己でなければなりません。他者に身をゆだねていいのは、その者の所有物だけなのですからね」
「いかにも。希望を人に依存するのは好ましいことではない。それでもあらがう力がないのが凡人というものなのです、マーシフル様」
「……希望というのは、時として苦しみをもたらすもの。あなたのお母さまだって――。
私は無用なことをしたのかもしれない。する必要のない我慢を強いてしまったのかも。いたずらに苦痛を与える結果になったのは逃れようのない事実なのだから」
「それでも! あのひとときは私たち母子にとってかけがえのないものだった。
猶予が伸びたおかげで、その後に絶望することがなかったのです。受けとめるだけの助走期間なしに与えられる衝撃は容易に断絶を呼び起こすのですから。
その時間を与えて下さったあなたに感謝こそすれ、恨んでなどおりませんよ。きっと、母も」
「……こんな老体にまで鞭をうつなんて。ひどい人」
マーシフルはそっと手を握りかえす。
「あの子が司祭にまでなるなんて。わからないものね」
「ハハッ。薄汚れた雨だれといえども侮ってはいけないという教訓ですな」
「鼻たれの間違いではないかしら」
「これは手厳しい」
二人はほほえむ。
おだやかで、敬う気持ちがある。愛があり、求めるものがある。
同じ空気をつくりだし、そこに居心地の良さを感じることができるのは互いに理解しあっているからこそだ。まるで長年連れ添った夫婦であるかのように。
無論そんなことはないのだが、あながち間違いとは言いきれないのかもしれない。
人生の晩年にいたって、古き記憶を共有する者がいることはそれだけで喜ばしいことである。
時の流れは徐々に脱落者を生み出す。
自身の過去を、若き日の記憶を、時代の移り変わりを覚えている者が減っていくなかで、閉ざされていくものがある。かわいていくものがある。
どんなに哀愁を覚えようとも一人きりではためこむばかりで、底深くに沈んでいくのを黙って見守ることしか人にはできない。
その沈殿物をすくい上げ、日の下にさらけだし、ろ過してやるには相方が必要なのだ。ともに語り合い、手に手をとりあえる相棒が。
その共同作業の相手として、司祭と老婆はこの世の誰よりもふさわしかった。
司祭にとって、老婆は救世主であり、女神のような存在だった。
老婆にとって、司祭は悔恨の象徴であり、苦難を別った友だった。
それぞれ道は違えども、重ねた歩みが互いへの敬意をもたらす。この歳になって、結びつきは一層深まっていくように思えた。
遠い記憶は現在の共感を連れてやって来るものなのだから。
そこへ扉を叩く音が二つ。
「あら、だれかしら。どうぞ?」
手をはなす老婆に、司祭はすこし残念そうな顔をした。
うらみがましく見つめた扉から出てきたのは、、先ほど面会をすませてきた領主のトラナヴィ、の妻ティミーダ。
クローブを煮詰めたような濃香色の髪は長く、見るからにつややかだ。
娘のパーシーに比べればやや色が濃い。それがためか、切れ長の目のためか、冷ややかな印象をいだかせる。
ティミーダは司祭の存在を認めると眉をあげた。
「お久しぶりね、マウント神父。トールにはもうお会いしましたの?」
「ああ、さきほどね。相変わらずお美しいね、ご婦人は」
言われなれているのだろう。「ありがとう」とそっけなく返すと、それきり司祭のほうへ視線を向けることなく老婆のそばへ歩み寄る。
「お義母さま――」となにか言いかけて、ベッド脇のシクラメンの花を見やると、ちらと眉根をよせた。
彼女にはすぐにわかった。それがアンドリアからの贈り物であることが。
ぴくりとした動きは眉だけにとどめて、それに触れることなく用件を切り出す。
「お食事のご用意ができました。お話がお済みでしたら――」と脇に控えていた車いすを用意する。
「そうね、そうしましょうか。あなたは食事はお済みになって?」
「まさか!」と待ってましたと言わんばかりの勢いで立ち上がるマウント司祭。「いや、ちょうどお腹が空いてきたところで。そろそろお暇してお昼にでもしようかなと」
「良かったら食べていきなさい。一人では寂しいわ」
「ええ! いいのですか!? でもそんな急に。悪いような――」
ちらりとティミーダのほうをうかがうマウント。申し訳なさそうにするのがポイントだ。
「すこしお時間をいただければ」
「もちろん待ちましょう!」
ティミーダの手をかりて車いすに移ったマーシフルはくすりと笑う。
「これであなたの当初の目的も果たせたでしょう? 顔に書いてあったもの。
ふふ、いいわ。これ以上追及しないから。お見舞いということにしておいてあげる。
さ、いきましょう。彼のお腹の音で小鳥たちがひっくりかえってしまう前に」
こうして豪勢な昼食にありついたマウント司祭の一方、孤児院に戻ったナディネスはお仕置きとして昼食抜きの刑に服していた。
好物のレンズマメのスープを前に涙ながらに正座させられていた彼に同情した幼女のミルドが内緒で一口分けてくれようとしたものの直前で見つかり、ナディネスだけがさらなる罰を受けることになったのは言うまでもない。
◇◆◇
二日後。
「えーっと……」
「ごめんなさい。どうしてもついていくってきかなくて」
正門まで迎えに出たトワイルの前にはシャリークと坊主頭の少年が一人。
「お前たちがシャルに変なことしないか見張っておかないとな!」
「……行こうか、シャリーク」
「ええ」
息巻くナディネス少年を置いて、二人は屋敷へ入っていく。
少年は門兵のジョビーにおさえられ、とうぜん中に入ることはできない。
「お、おい! ちょっと! 俺も中に入れろよ! おーい!!」
ナディネスのむなしい叫びが冬の空にこだました。
※紹介
トワイル・・・弱気なショ〇タ。シャリークにはとんだ赤っ恥をかかされたぜ、けっ! っ! 今の見て――いや、そんな、え、いや、えーっと、テヘッ?
シャリーク・・・エルフ族の少女。トワイルも抜けないなんてださっ――っ! なーんてね! トワイル、おしかったね!
アンヌ・・・執事のお兄さん。子供の相手は大変。オールバックは礼儀なのさ、坊や。
パーシー・セアリアス・・・ティミーダの娘。セアリアス家の長女。勝気な性格でじゃじゃ馬。母に似て美人だが気の強さも遺伝したらしい。なに、文句あんの!?
ナディネス・・・孤児院からやってきた自称ヒーロー。この世の悪は俺がぶっつぶす! って、おい! 置いてかないでー
マウント・・・司祭。腹がでてる。下記のマーシフルには大恩がある。マーシフル様ラブ! それはそうとごちそうは。
マーシフル・・・トラナヴィの実母。マーシフル医院の設立者。女神とも聖母とも呼ばれていた。今は・・・。
ティミーダ・・・こわい第一夫人。うつくしい? 誰に言っているの。当然でしょ。ふんっが似合いそう。マーシフルの世話をするのは第一夫人として当然と思っているようだ。
ジョビー・・・門番。頭にトマトをぶつけられてたそがれることに生きがいを見出そうとしているらしい。