鏡に映る世界。(三十と一夜の短篇第19回)
これが、私だ。
これが、私なのか。
これが、私なのだ。
何度そう繰り返したところで、鏡の中で佇んでいる、涼しい顔をしたそいつを、私だと認めることなどできなかった。
モンスターよ。
目の前に姿を現してくれるにしても、他に何かあったのではないかと、私は思わないでいられない。
どうして、私が鏡の前に立つ、ただそのときのみに限って、私の目の前にその姿を現すのだろうか。
なぜまさにモンスターと呼ぶに相応しいような、不気味な外見をしたそいつは、さも私かのような顔をして、私のいるべき場所に座っているのだろう。
あぁ。鏡の中というのは、私が前に立ったときには、私を映さなければいけないものだろう?
それなのに、そいつは私が映っているべき場所に、やはり涼しい顔をして佇んでいるのだ。
見た目で判断をするつもりは断じてない。
断じて、そういうわけではないのだけれど、涼しい顔をしているのならば、もう少し涼しい見た目をしていたらどうなのだと思わないでもない。
どうにもそいつは見苦しい。
もっと涼やかな見た目だったなら、ちょうどそうだな、クールだったらば、私だってそいつのことを認めてやることができたかもしれない。
こう考えると、目の前のそいつは、私そのものなのだろうか……?
不安になって堪らなくて、私は友人を部屋に呼び寄せた。
「どうかしたのか。」
「鏡の中に怪人が現れたのだ。きっとそいつは、鏡の中の私の場所を乗っ取ったように、こちらでも私の居場所を乗っ取るに違いないのだ。」
必死に語ったのだけれど、笑い話としか思われなかったのだろう。
「何を意味のわからないことを言っているんだい。おまえが鏡の前に立ったのに、おまえ以外に、何が鏡に映るというのだ。しかし、鏡の中の自分を見て、怪人だとは、そうは思いたくないものだな。」
真面目には考えてくれず、友人は私を馬鹿にしているようだった。
「ならば、あなたも鏡の前に立ってみたらいい。そうしたら、私の言わんとしていることも、自然に見えてくるに違いないさ。」
こうなっているのが、私だけなのでは、とは考えなかった。
自分が特別であるとも思えないし、もしそうだったとしたらば、そこで私が変人であると確定してしまう。いや、むしろ、変だと思われるくらいなら、いくらもましなことだろう。
幸い、私の幻覚というわけではなかったらしい。
「おや。不思議だ。ここで見るのは僕の顔のはずなのに、なぜだか、鏡の中にはグラマーな美女がいるようだよ。」
「なんと羨ましい。その美女というのを、私にも見せておくれよ。」
彼の言葉に鏡を覗き込んでみれば、そこでは、モンスターと絶世の美女とが仲良く肩を並べていた。
なんともシュールな光景であろうか。
そして、どうして、私はモンスターであるのに、この友人は、これほどの美女を鏡に持っているのだろう。
美女だったらば、多少は奇妙であろうと、これもまたいいと思えただろうに。
「ちなみに、触ることはできるのかい? 触れ合って、体を温め合うようなことも、できるのかい?」
彼の問い掛けに、たしかに、と私は思う。
所詮、相手がいるのは鏡の中なのだから、触ってみたところで、温もりのようなものはないのだろうか。
それとも、手を伸ばしては遠ざかってしまうような、鏡にはあるまじきことをして、触ることさえできないのだろうか。
はたまた、鏡の世界からこちらへ連れ出して、彼が美女と望んでいるだろうことができるほどに、相手は実体を持っているのだろうか。
何にせよ、私の場合は、触れたいとも思えない相手なものだから、考え及びもしない発想であった。
「知らないよ。知りたいなら、実際に、試してみたらいいだろう。私の方は、触るだなんてごめんだから、どうか試すなら一人で頼むよ。くれぐれも、私の方まで、一緒にこちらへ連れて来ないでおくれよ。」
「五月蝿いな。わからないけれど、僕だって、望んでその怪物をこちらへ連れ出したいとは思わないから、忠告は無用だよ。それよりも、大事なのは、そう上手く美女だけを呼べるかってことだね。」
私たちは頷き合って、鏡に近付いていく友人の指を見ていた。
触れた。そう思ったなら、なんと、鏡の中の美女が友人のその手を掴んだではないか。
「ありがとう。あたし、あなたに感謝するわ。」
これまで美しいと思って、趣味で聞いてきた音楽たちなんぞは、雑音でしかなかったのだと思い知らされるような、どこまでも澄み渡り、何にも形容できない美しい音色だった。
比べるものなど存在せず、言い表す言葉さえ存在しない。
そんな美しい音色が、美女の口から発せられたのだ。
気付いたなら、そこに友人はおらず、私の隣には鏡の中にいたはずの美女が微笑っていた。
これは私が実際に経験してきたことである。
けれどきみは、それを信じはしないだろう。
今、私の隣にいるこの美女は、そのときに鏡から出てきた女なのだよ。これだけの美女、そういるものでもないのだし、……――まだ、信じられていないようだね。
美女など見えない? 何を言っているのだい?
私の隣には、ほらたしかに、絶世の美女がいるじゃないか。
これが私と彼女との出会い。そうして惹かれ合い、今に至っているのだというのに、なのだから、私は一つも嘘など吐いていないのだというのに。
嘘など、吐いていないのだというのに。
男は悔しそうに言葉を漏らした。
「モンスターよ。おまえこそが、僕になったというのなら、僕だったあれは彼になるのかい? そうしたらば、僕と彼は友人なのだから、彼女と僕とが繋がれるのかい?」
「むごんごごごぐご。」
「そうかそうか。それはよかったよ。あの美女が僕のものになるのが、楽しみで仕方がないね。」
ヒヒ、ヒッヒッヒッヒ、ヒッヒー。
ほらもう一度、覗いてごらん。
ほらもう一度、この世界を。
僕を巻き込んで犠牲にして、それで幸せになるなんて、許されるとは思うなよ。この場所ならば譲るから、さあ、僕にそちらの世界を返しておくれ。
ヒヒ、ヒッヒッヒッヒ、ヒッヒー。
あとがきまでお読み頂いているようで、まことに、ありがとうございます。
キーワードの設定としては、少しズルかったかな、と自分でも思います。
騙されたという方、褒め言葉を感想欄に残して、ブクマに登録し、最高点を付けてレビューで絶賛した後、さっさと消えやがれ! 文句だったらノーサンキューだ。
しかし、ローファンタジーというわけですけれども、随分と、ホラー風味な仕上がりになってしまったものだと、不思議に思っています。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ、とすごく思っています。
本当にお付き合い下さりありがとうございました。
これからも拙作をよろしくお願い致します。
また、最後の文の意味が「こういうことなんじゃないかな?」程度にでも、わかった気がするという方、感想欄にて是非チャレンジ下さい。
正解者には景品を用意していたりしていなかったりするかもしれません。