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輪廻の外

 その感情に陥るのは初めてだった、これまでもそれを覚えることはあったが身を焦がす程のものを抱え込むと誰が予測出来ただろうか。憤怒が噴火の時を待っている、内部にエネルギーを溜めて。

 初めて女を殴りたいと思った。

 ウェルミスはやり過ぎた、まこちゃんを傷付けるだけに飽き足らず傷口を無理矢理にこじ開け、あろうことか容赦なく塩を塗りたくり、挙句に文字通りゴミのように捨て去ったのだ。

「ふざけやがって……」

 感情は静かに、だが確実に燃え滾らせ、漏らさずに留めている。

 もちろんウェルミスを殴るその時まで。

 ただ彼女の悲しむ姿を見たくないと思っただけだ、動く理由はそんなもので良い、彼女をあざ笑った奴をどうしても許せない。

 願わくば彼女にはいつまでも笑って欲しい。

 その囁かな願いを叶える為に、目の前の戦闘に集中する。屋上から追いかけて来たが奴の姿を見失ってしまったのはミスだ、廃墟であるマンションでは隠れるところは限られるだろうがあいつは今まで存在を気が付かせなかった程に隠れることに長けている、なら出来ることは一つだけ。

 それは釣り、餌を撒き標的が食い付くのを待つだけだ。曖昧な方法だが試しても損はない、それにウェルミスは人を陥れることに至福を感じる異端、人間の感情が何よりのご馳走、それを利用すればいい。

「クソ野郎が! 何処にいやがる、出て来やがれ!」

 表面上荒波を立て、内面は静かに獲物を探す。怒りの感情は力を増す、しかし冷静さを奪い、ここぞという瞬間を見逃す。俺の戦闘スタイルとは真逆だ、どんな状況だろうと冷静に相手を観察し、思考に務める。

 果たして釣れるだろうか、もう神頼みだ。

「出て来いって言ってるだろうが! ぶっ殺してやる!」

 壁を蹴り、氷弾を四方へ乱射し、窓ガラスを割る。怒りに我を忘れた哀れな道化を演じながら六階へと差し掛かった。

『あはははは!』

 ウェルミスの笑い声が反響する、良し、餌に食らい付いた。

「どこだ! 出て来やがれ!」

『なんて愉快な男、ほらもっと暴れなさい! もっともっと憎しみに身を焦がしなさい! あはははははは!』

「姿を見せろ!」

 声は探し出せたが、ここからが一番難しい。奴は相手の不幸を楽しむ外道、こちらが暴れるだけで愉快と笑い、姿を現すことはない。

 だからここでもう一つの賭けに出ることにした、この女の言動から推測したとある言葉を叫ぶ、ただそれだけだが上手く行けば、或いは。

「ふざけやがって、ブスが……」

 一瞬の間が生まれる。

『……今、なんて言った?』

 食らい付いた!

「ブスって言ったんだよ! このドブス!」

 と叫んだ瞬間、深い沈黙が訪れた。あの女は自分のことを美しいと公言している、つまりナルシストだと睨む。そこを貶すことにより誘い出そうとしたのだが、黙り込んでしまった。

 もしかして失敗だったか? それとも嵐の前の静けさか。

『誰が……ブスですって? しかもドまで付けたわね……』

 後者だったらしい、六階の通路奥の部屋から姿を完全に現した標的がこちらを睨む。

「ようやく現れやがったか」

「あなたの目は石ころと等しいのかしら? この絶世の美女と言っても過言ではないワタシにドブスとは何事か! 許さないからね? あなたはじわりじわりと観察して、苛め抜いた挙句に殺そうと思ったけど気が変わったわ、これから殺してあげる、惨めにぐちゃぐちゃにしてあげるわ! そしてここを抜け出したらもう一度あの哀れな娘を苛めて苛めて、ワタシだけの人形にしてヘルズゲートを開く力を奪ってやる!」

「黙れクソドブス!」

 まこちゃんは苦しんでいた、けど幸せになりたいと頑張って来たはずだ。負い目に感じて回りに悟らせないようにいつもの自分であり続けようとしていた。それは辛いことだろう、偽り続けることと同じなのだから。

 間違っているのかは分からないがそれは他人を思いやる心、その尊く、高貴な精神に俺は魅せられた。

 そんな彼女を馬鹿にする奴は誰であろうと許せない。

「貴様だけは許せない、覚悟しろよドブス、その自慢の顔をボコボコにしてやる」

「この、言うに事欠いて二回もドブスと言うとは……しかもクソまで付けて! 人間如きが、調子に乗るな!」

 殺意を感知した、それが開戦の合図。

 先制攻撃に氷弾を生成、即射出、狂いなく眼前の敵に突き進む。

「ふふっ」

 だがウェルミスは軽々と避けた、氷弾のスピードは豪速に等しい、人間では避けるのは困難だが秀でた身体能力がそれを可能としている。

「遅いわね、それで本気? ワタシには止まって見えるわ!」

 お喋りな奴だな鬱陶しい、そんなに遊びたいなら次は数で攻めてやる。

 氷弾の連射、速度も更に上げ回避する暇も与えない。

「あははは、何これ、流行っている遊戯かしら?」

 ダンスを楽しむかの如く氷弾を躱し続けている、余裕を醸し出す表情に苛立ちが募って行く。

 やはり動きが速い、全然掠りもしない。現状は膠着状態ですらない、ウェルミスが有利だろう。氷の嵐を乗り越えて攻撃を仕掛けるなど奴には容易い、つまり気紛れで生かされているようなもの。打破するにはどちらかが動くしかない、向こうが動けば最悪の展開が待っている、ならば語ることはない。

 踵を返し、この場を離脱し下へと駆け出す。

「あら、逃げた……? それとも鬼ごっこかしら? どちらにしろ逃すと思う?」

 予想通り追い掛けて来た、良しこのまま鬼ごっこに洒落込もう。

 迫る鬼へ向け威嚇射撃、命中するとは思っていない、力の差はさっきの攻撃で分かっているつもりだ。その差を埋める為には策が必要だ、俺は策士って訳じゃないから簡単なものしか用意出来ない、それに仕掛けている時間もない。

「ほらほら! スピードを上げないと追い付いちゃうわよ!」

 完全に楽しんでるなあのブス、捕食者としての快楽を存分に満喫しているらしい。

 撤退と攻撃を繰り返し三階へ。

「あははは! もう直ぐ一階よ? このまま外に行く?」

 うるさい、そんなことは分かっている。だから三階のフロアへと踏み入り、この階最初の部屋へ飛び込む。

 ここは比較的綺麗な空室、部屋の中央まで走り百八十度転回、入口へと手を向け氷弾発射の準備を整え待機。

 勝負は一瞬、タイミングを間違えれば死を意味している。入口は一つ、どんなに速く動けようともあそこを通らなければここへは入れない、侵入した瞬間に攻撃すれば逃げ場などはない。

 さあ早く来い、飛んで火に入る夏の虫、ここは虫籠だ、絶対に逃がさない。

 だが、虫籠は誰に対しても平等だった。

 時間にして数秒、体感にして数時間、その誤差が引き寄せてしまったのだろうか。

「単純ね?」

 奴の声、しかし入口は未だに無人だというのにどこから聞こえる?

「でもあなたにしては上出来のトラップなのかしらね?」

 後ろから噛み付く声に誘われて振り返る、そこには窓ガラスとベランダとウェルミスが存在していた。悠々と窓を開け、内部に侵入を果たしている姿は戦慄そのもの、今攻撃しても避けられるのは目に見えている。

「着眼点は良いかもね? でも詰めが甘い甘い……子供の発想そのもの、ワタシが裏に回り込むって考えには至らなかったのかしら?」

 クスクスと反響する笑い声が不愉快さを倍増させる、戦意は失うことはないが自然と後退する足、哀れな姿に更に反響は強まった。

「あははははは! 散々ワタシをバカにした挙句がそれぇ? 逃げたければ逃げれば良いわ、でも無理だと思うけどね?」

 確かに逃げられはしないだろうな。

「逃げ道はないか……」

「そういうこと、観念しちゃう?」

 だからこそだ。

「お前だって逃げられない!」 

 フローリングに手を置く、すると床を食い破り氷塊が出現した。

「何!」

 事は刹那、ウェルミスを飲み込み氷の柱となって天井へ張り付く、ここに氷壁が完成する。

 結晶の蒼は手で触れた氷を操ることが出来る、元々ここは俺が改造したトラップ部屋だ。

 床を取り除き、氷の床を張り巡らせまたフローリングへと戻す、結晶の蒼は普通の氷ではない、人間界の温度では溶けたりはしない。

 後はここに敵を誘い出し捕縛するだけだ、入口から侵入する敵を狙撃する策と合わせた二重トラップ、最初から子供騙しが通用するとは思ってない、ならばそれこそをトラップへの伏線としたのだ。

 あいつの顔面を一発殴りたかったが能力値が違い過ぎたのが誤算だった、なので捕らえただけで良しとするしかない。これを解き自己満足を得たところで同じ手が通用するとは思えない、そう言い聞かせなければ今にも愚行を犯してしまいそうだ。

 だがこの状態でも生きている、永遠に動けず、氷に責められ、眠ることすら許されない。

 ウェルミス、お前はそれ程の罪を犯した、門番の罪は組織が裁くことになっているが俺はそれじゃ収まりそうにない、永久に苦しめ。

 これで彼女を仇なす驚異は去ったと願いたい、それは成就されるのだろうか、そんな不安に襲われた。

 信じる者は救われると聞いたことはあるが本当なのかと疑いたくもなる、この透明な氷を眺めていたら一層とその感情が増し、焦りが生じる。

 そんな馬鹿なと口走った途端、戦慄が心臓を鷲掴む、思考回路を白く塗装する、それだけはないと信じたかったが、目の前の現実が全てを物語る。

 ならば、この声が答えだったのだ。

「大丈夫? 顔色が悪いわ」

 何故後ろから声が聞こえる?

「そんなに不思議? その答えは目の前にあるのに、おかしな人ね」

 こいつは氷壁の中に居なければならない。

「お前はここに居てはならない!」

「あはははは、面白いことを言うわね、そんな決まり事、どこに存在するの?」

 ウェルミスは何事もなかったと証明する如く笑う。

「くっ……どうやって抜け出した?」

「そんなことも分からないの? あははは!」

 落ち着け、相手のペースに乗せられたら終わりだ。

「そもそも抜け出したって? 違うわよ、普通に避けただけ。人間とはスピードが違う、ただそれだけの些細な事実。それでも面白い罠だったわ、ちょっとびっくりしたけど人間にしては楽しい罠だったわよ? 誇りに思いなさい」

 一頻り笑うとこちらを一瞥して来た。

「人間にしてはだと? どういうことだ……」

「ふふっ、だって体はそうでも中身は人間ではないのだから」

「何?」

「この体は気に入っている、美しいワタシにはぴったりの肉体、一目で気に入って貰っちゃったのよこの体」

「…………おまえ、まさか地獄の住人なのか?」

「そういうこと。遥か昔から様々な門番に寄生して来たの、それも美しい体を持つ者だけにね、まあ半分は趣味になっているけど力を持つものはこの世界では門番だけだからね」

 門番の体を渡り歩く地獄の住人なんて聞いたことがない、何者だこいつ。

「遥か昔だと?」

「そうよ、数百年前にこの世界に迷い込んでしまった地獄の住人なのよ……不本意だった、ワタシはヘルヴェルトを気に入っていたのよ、力が強い者の体を手に入れて自由に遊ぶ生活がね、この世界と違って力が強大だから楽しかった……でもここは貧弱過ぎてつまらない、ワタシは圧倒的な力を振るえるあの赤い空の世界に戻りたい。だからこの世界の力を持つ門番に取り付くことにした、戻れると信じていたけど門番共は亀裂は作れてもヘルズゲートは作れない!」

 ヘルズゲートと亀裂は似て非なるもの、ヘルズゲートは正式な門であり開くと二つの世界を安定して結び行き来が可能だ。

 逆に亀裂は二つの世界の狭間にある虚無の世界へと一方通行で行ける、あそこでは時間が止まっているから入ってしまったら身動きが取れず出ることが困難だ。出る方法は別の亀裂に運良く入ることだ、地獄の住人が亀裂から来るのは誤って亀裂に入りずっと漂い続けて運良く脱出したのがこちらに現れるのだ。

「亀裂に入っても出られる保証はない、だからワタシはヘルズゲートを開ける力を持った者を探し続けて来たのよ! そしてミナガワマコトを発見した! 亀裂が多い街だと思っていたら彼女が無意識に漏れる力が亀裂を生じさせていたのを突き止めた、笑いが止まらなかったわ」

 甲高い笑い声が反響して不快にさせた。

「まあでもここの暮らしは退屈でも門番には綺麗な者多くて良かったと思うわ、こちらでは力ではなく美しい体を求めることに執心していたのだから……まあ数百年掛けてここでの楽しみを作ったと言うところね……でもその楽しみもここまでかしらねヘルヴェルトに戻りワタシは強大な力を持つ住人に取り付き破壊の限りを尽くす、その為のミナガワマコトをてに入れるのにあなたが邪魔。そろそろこのお遊びにも飽きて来たわね、攻守を交代してみましょうか?」

 ニヤリとウェルミスが不敵な笑みを浮かべた直後、黒い向かい風が吹く。直後、視界が漆黒に覆われ何も見えなくなる、けれどそれは錯覚に過ぎない。そう悟った時にはもう手遅れだ、視界を覆うのは憎き対戦相手の胸元、その距離は零。

「ワタシの胸に見とれるなんて、いやらしいわね?」

 雑音が走る、世界が反転する、激痛が広がる。

 腹部に強烈な痛みが生まれ、それと同時に後方へと吹き飛ばされる。

 壁に激突して一瞬息が止まる。

「がっ!」

 何が起きたのかと動揺が広がる、落ち着けと何度も自分に言い聞かせ、状況確認に努めた。視界に捉えるのは膝を上げているウェルミスの姿、おそらく腹に蹴りを入れられたのだろう。

 しかし奴が蹴りを入れる姿を確認出来なかった、やはりスピードが桁違いだ。

 速いと表現するより瞬間移動と称した方がしっくり来る。

「ほらほら休んでいる暇わないわよ!」

「ちっ!」

 高濃度の冷気を散布し濃霧を擬似的に発生させた、互いの姿は白に食われた。ここで氷弾の再々発射、隙間なく眼前一面に叩き込む。

 一つだけでも当たれ!

「うっ!」

 苦痛の声、一矢報いたらしい。

「お、おのれ! 小賢しい真似を!」

 この濃霧は数秒しか維持出来ない、だからこれが攻撃のラストチャンスになるだろう。

 薄れてゆく霧にウェルミスの目立つ服装を捉えた、攻撃方法を接近戦に切り替える。

 右手に氷を生成しながらもう一つの力、触れた氷を操る能力で飴細工の要領で短剣を作り上げ、切り掛る。

 霧を纏わせながら左下から右上への一閃、しかし空を切るだけでウェルミスの鼻先をすり抜けた。だがバランスを崩している姿が目に焼き付く、それを見計らい天高く掲げた左手には新たに創作した短剣を右下へ疾走させる。

「ぐぅ!」

 咄嗟に右腕でガード、接触した剣はあっさりと粉々に砕け散った。

 鼓膜を痺れさせる笑い声が苛立たしい。

「所詮氷、脆くて残念ね!」

 それを油断と言うんだ、右下から生き残った剣を左上へ走らせた。

「そんなもので!」

 腕を叩かれ氷剣が地に落ちて破片と化す。

「万策尽きたかしら? ああごめんなさい悪足掻きの間違いね? あはははは!」

 絶対的勝者に許された満悦に酔うウェルミス、屈服させる喜びを真に理解しているのだろう。

「さてと、ワタシの髪に汚らしい氷を掠らせるとは万死に値するわ、その罪を償って貰おうかしらね? どうしてくれようか、この美貌にもケチを付けたしね、五体満足でいられると思わないことね? 先ずはその手を踏み潰して順番に体を壊してあげる、最後まで声は出せるようにしてあげましょう、苦痛に染まる叫び声はさぞ心地が良いでしょうね? その美的感覚がズレた眼を抉ってあげる! きっと面白いわ、ああ、ゾクゾクしちゃう! あははははは!」

 泥酔だなこれは。

「……あーー長話の途中で悪いんだが、気が付いてないのか?」

「はあ?」

「おいおい、その形だからと言って用途も比例するとは限らないぞ?」

 剣とは人を殺すことを目的とした武器だ、硬く鋭利な程に存在理由を知らしめる。

 しかしそれだけではなく様々な用途に対応する剣もまた存在する。

 狩猟用の剣、儀式用の剣、競技用の剣と他にもあるがこのように多様化している。

「な、なんだこれは!」

「ようやく気が付いたか」

 故に、砕け散ることを前提にした剣が存在する。

 驚愕しているウェルミスの右腕が結晶に覆われ固定されて行く。

 結晶の蒼は貼り付く性質を持つ、それを利用してわざと壊れやすい剣を作り、破壊させて飛び散らせることにより広範囲に結晶が張り付いて動きを奪う。

「ぐっ、あああああ!」

 飛散した氷は結晶化を早める、その際に抉る刺激を伴わせ痛みを味合わせる。これで両手は使えず戦力がダウンした、このチャンスを終わらせるのは得策じゃない、直接体に触れて氷結させてやる。

 追撃を開始、顔面へ手を伸ばす。

「調子に乗って!」

 首を傾げ攻撃をやり過ごし、蹴りのカウンターが胸に直撃、またもや壁に飛ばされ衝撃が呼吸を奪い地面に尻を付かせた。

 くそ、チャンスを生かせなかったか。

 報いたのは微々たるもの、蹴り飛ばされる瞬間に奴の顔に爪が引っ掛かり軽傷を負わせた程度、痛みに耐え帰還する呼吸を噛み締め素早く思考を回復させ打開策を探す。

 しかし凍らせてしまったかのように奴が動かなかった、どうしたのかと観察する。

 頬から血が滲む、頬を伝い落ちて地へと吸い込まれる。

 その光景を呆然と眺めるウェルミスは俺に目もくれない。

「あ、ワタシの……顔……傷が……」

 震える指で傷に触れ血を絡め取り、穴が開く程に見詰め、決壊する。

「おのれ、おのれおのれおのれおのれえぇぇぇぇ! 美しいワタシの顔に良くも傷を!」

 噴火する怒りは留まることはなく、彼女から余裕は去り、遊びも滅び、手加減が消え去るのを直感した。

 警告のサイレンが頭の中でガンガンと鳴り響く、このままでは死ぬと体が理解しているのだ。

「幾星霜、模索の末に辿り着いた美しき体は我の一部、たとえ奪った体だとしてもこれは我の美、それに傷を付けるなど以ての外だ!」

 口調が変わった?

「……何者だお前」

「誰が喋るのを許可した?」

 静かに右手に足を乗せた、そしてリヒトリーニエを足に纏わせて踏む。容易く砕ける、変異する形状に遅れて神経を縫いながら登り、叫ばせた。

「がああああああああああああ!」

「怨恨を癒す良い声だ、少しだけ冷静さが戻った。しかし感謝しろ小僧、我の気紛れにより右手を生贄に寿命が伸びたことを。貴様は必ず殺す、それは決定事項だ。このフェイスは選び抜いた造形の極致、傷付けた罪は重い、少しずつ壊してやる」

 指が有り得ない方向に曲がっている、熱を帯び、まるで内部から溶かしているみたいだ、この手はもう使い物にならない。

 状況は悪化するばかりで光は遠退き退路はない、声すら出すことを禁じられ監禁に近い状況、罠に誘い出したのが逆に仇となったか。

「そら、もう一泣き奏でよ」

 負傷した右手を順番に下から上へと踏まれ骨折して行く、右腕が見るも悲惨に形状が変異し、血潮に塗れ痛覚に感情が狂う。焼けた鉄を右腕中に打ち込まれたかの如き衝撃が脳髄を燃やす、熱い、それ以外に何も考えられない。

「ぎぃ、ぐっ、ああ! がっ! がああああああああああああああああ!」

「惨めだな、だがそれがまた心を癒す」

 このままじゃ全て壊されるだけじゃない、負けはまこちゃんに脅威を近付けさせてしまうことと同義、それだけはさせない。

 痛みに耐えながら回数にして二回目、濃縮冷気を放出する。

「また小細工を!」

 氷剣による攻撃時の目眩まし、一気に部屋中に充満して残り数秒で透明化するだろう、その前に部屋の外へと駆け出す。

 強襲に構えていたが無事に脱出、ここを離れて先ずは身を隠し戦略を練るしかない。どこまで小賢しい真似が通用するのかは分からないがやれるだけやってみる、その決意と共に走り出す、身を隠すなら他の部屋がいい。

 その考えを瓦解させるおぞましい戦慄が背筋を這い上がり、違和感に足を止めた。

「どうした、もう逃げぬのか?」

 気配などなかったはずだと冷や汗が全身を冷却させ、思考すら凍結してしまいそうだ。

 逃げた先に現れたそいつに畏怖し一歩後退した。それは屈辱、憎むべき相手を臆してしまった事実に怒りすら覚える。

「……口調が変わったなお前」

「ふっ、時間稼ぎをしようと会話を始めたか。だが乗ってやろうそれでどう出るのか見せてみよ……口調を変えていた理由など外見に見合わせる為、美しいものには美しいものを。この戦いで我は不覚にも曝け出してしまった、ならば本来に戻るのが正しい。そしてこの声も」

 そして変わる。

「これが本来だ」

 自分の耳を疑った、放たれた声はうら若き乙女のものではなく低く嗄れた異性のもの、ウェルミスの声が男に変わってしまった。

「お前……男だったのか?」

「ふっ、否であり肯定だ。元々我に性別はない、メスであろうとすればそこが秀でる、オスであろうとすればそこが秀でる、二つ持つ。ただオスが長かったという理由がこの声だ……さて、何か秘策は思い付いたか? 思案する時間は平等であることは理解しているな」

「……何が言いたい」

「そちらが秘策を考える間に我は苦痛の与え方を思い付いた。肉体的苦痛は充分に与えた、次は精神的苦痛が適切だろうとな」

 一瞬の判断が遅れウェルミスの突進に対応しようとするが無意味だった、顔面に突風が吹き何かが絡まる、それは蛇のように植物の根のように絡まる奴の指、掴まれ地面に叩き付けられた。

「がっ!」

「このまま握り潰すことは容易い。だが精神的苦痛とは程遠くこちらとしては不本意……ならば貴様の行動原理が蹂躙されることが一番の苦痛だろう」

「ま、まさか……まこちゃんのことか!」

「ミナガワマコトを精神的に追い詰めたがまだ肉体的には何もない、おそらく手を出そうにも他の門番と死神が邪魔をするだろう、だがもしそれがなかったとしたらミナガワマコトは無防備……殴ろうが切り裂こうが思いのまま。方法はいくらでもある、その光景を思い浮かべてみろ、悔しくて自分の無力さに落胆し怒り狂うだろう?」

「ぐっ、てめぇ! まこちゃんに手を出させるか!」

「だがもし手も足も出なかったらどうなるだろうな?」

 懐に手をやりウェルミスは何気に取り出したものを空に放る、それは空間に張り付き効果を発動させて行く。

 それは門番が使う亀裂修復促進紙だった。

「解り辛いだろうが今張り付いた場所には小さな亀裂がある、数百年の鍛錬と言うべきか我にはそれが分かる、そしてこじ開けることも容易い」

 力の限り紙を殴ると爆発が起きる、しかし規模が小さい。

 修復中だったならば大爆発で大惨事だったろうが小さな亀裂に貼り付けていれば修復の規模が少なく刺激による爆発は小さい。

 だが問題はそれが亀裂を作り出すってこと、廃墟の通路に見事な亀裂が生まれた。

「虚無の世界には時間の流れはない、即ち入ったが最後、永劫にこの世界を漂うのだ動くことも思考することも老化することもなくな。これから貴様をここに放り込む、安心しろまた出してやる、暫くは漂わず固定される……だがミナガワマコトを好きに蹂躙し変わり果てた姿を目撃することになるだろう」

「こ、このぉ、ふざけるな! ぐっ!」

「一番の方法は目の前で切り裂くことだが貴様は悪賢い、何らかの方法で妨害される恐れがある。ならばここに閉じ込めれば門番だろうが死神だろうが動くことはない、邪魔されず目的を遂行出来るのだ……ヘルヴェルトに帰る前の娯楽として楽しもうか。さあ落ちろ、体感でことは一瞬だろうな、瞬きにて地獄が待っている」

「や、やめ…………」

 無力にも抵抗もしないまま俺は虚無へと落とされた。







 漂う中で自分を振り返る。

 俺には自分の世界がない。

 輪廻の外、輪廻転生から外された存在。

 本来なら人間界で生まれてそこで生を謳歌するはずだった、だがそうはならずこの世界と世界を隔てる虚無の世界で生まれた。

 母もなく父もない、二つの世界にすら存在できない虚ろな幻影となんら変わりはない。

 しかし地獄の番犬ケルベロスが虚無より連れ出してくれた、存在できないが存在する者に触れることで存在を得られる。

 こうして地獄世界ヘルヴェルトで暮らすようになる。

 ケルベロスの人格であるルベスに知識を、ゲイズには戦う術を、スルルからは母の温もりを貰った。

 時を経て門番として人間界へと出向いた、それが始まり。

 こうやって生まれ来るはずだった人間界を歩けるのは夢のようだった、見るものすべてが新鮮で青い空を眺めた感動は未だに忘れられない。

 ヘルヴェルトには赤い空しかないのだから。

 存在できないはずの人間界を闊歩出来るのは幼き頃の邂逅が始まりだった。

 もう記憶にはないだろう、覚えていなくとも夢幻として刻まれるのみ。

 手を繋いだ記憶はまだこの胸に留まっている、震えているその手を引いて導いた、迷い込み不安な心情を和らげる為に。

 もう泣かないでと、俺が守ってあげると約束して。

 そう、約束したんだ。

 忘れていようとその約束は生き続けている、俺がこうして戦う意志がある限り。

 瞼をこじ開ける、天も地もない赤色の世界で一点を見詰めた。それは放り込まれた亀裂、その向こうには先程まで戦っていた戦地が垣間見えている。

 そこへと前進する、俺はこの世界で生まれた、時間の縛りは無意味だ。

 虚無から抜け出して去ろうとしているウェルミスを呼び止めた。

「どこに行く気だ!」

「な……に?」

 信じられないと驚愕の表情でこちらを向く。

「馬鹿な、何故出て来ている!」

「……俺は輪廻の外だ」

「輪廻の外だと! 異世界の守護者として輪廻転生を外された者、貴様がそうだと言うのか」

「そうだ」

「……くくっ、何を馬鹿なことを。もしそれが事実だとしてこれ程に弱い輪廻の外など知らぬな、我の攻撃に手足も出ぬではないか」

「確かにな。門番としては完全な負けだ……だからここからは輪廻の外として戦う」

「ほう、ならばやって見せろ!」

 自分の世界がない、誰かと触れるまでは存在すらできない稀薄な俺には特別な力なんて最初から無いに等しい。

 出来ることは一つ、紅を持て、蒼をかざせ。

「何……?」

 ウェルミスはあることに気が付き見開く。

 通常ならそれは半透明で色はない、それでも敢えて表現するなら青だろう、しかし常識を逸脱するこの世界でそれもまた常識となるだけ。

 真紅に輝き宝石を思わせる風貌、果たしてこの世に存在するのだろうかと疑う。

 蒼紅の併合。

 それが名称、攻撃時に所々に貼り付いていた氷が紅く輝きを放ち存在感を主張している、結晶の蒼より生まれた全ての氷が色を紅に変化させている、そして俺の両の眼も紅と蒼に染まり、オッドアイと呼ばれた異色となる。

「これはあまり使いたくなかったが状況が状況だ、使わせて貰う」

「それがどうしたと言うのだ、優位に立ったつもりか?」

 また突風が吹く、だが今度は違う、はっきりとこちらへ走ってくるウェルミスの姿を目撃出来た、到着する前に対処を。

「蒼紅の併合」

 発動後、場面が切り替わりウェルミスのを確認し、紅に染まる氷弾を発射、見事背中に数発命中した。

「ぬ、があああ! 馬鹿な!」

 ウェルミスの背中に氷が範囲を広げながら寄生して苦痛を植え付ける、後ろにいる俺を睨み付け憎悪を育ませた。激情に牙を剥くタイミングを見計らっている、だがこちらは待っている余裕もなければ余力もない。

 蒼紅の併合とは結晶の蒼と紅の帰還を同時に発動し、能力を掛け合わせ、新たな力を発現させた、これが輪廻の外としての力。

 ケルベロスに触れた時に存在することと同時に向こうが所有している能力も流れ込んで来た、それが結晶の蒼、そして人間界の者と触れて手に入れたのが紅の帰還だ。

 オリジナルには程遠いとは言っても人外の力を受け取り使うことが出来ることも輪廻の外の特徴だ。

 触れることを契約と称して契約者の力を受け取りそれを掛け合わせる。

 結晶の蒼は氷系の能力で実質的にはそんなに変化はしていないが、上乗せする形で紅の帰還が作用している、つまり氷の中には波動力が備わっているのだ。

 波動力と波動力を繋げて道とするのが紅の帰還、あらゆる場所に波動力を含んだ紅い氷を張り付かせマーキングとすることで、そこを目標に転移する。

 結果、人間離れした機動力を得た。

「何が起きているのだ、人間が消えるだと!」

「動きが止まってるぞ!」

 紅き氷弾を連続掃射、ぶれなく対象に迫るが軽々と回避された。しかし後ろの壁に衝突して氷が貼り付きマーキング完了、蒼紅の併合を発動後その氷へと瞬間転移、ウェルミスはまだ気が付いておらず冷静に死角を攻めた。

「ぬう!」

 今まで何も考えずに戦っていた訳じゃない、あらゆる場所をマーキングする為、無駄弾と見せ掛けていたに過ぎない。

「何故だ! 何故消える!」

 理解不能な出来事に冷静さを欠いだウェルミスは思考を働かせるのを忘れている、それが最大の勝機と悟った。

 氷弾発射と同時に死角へと転移して攻撃、それを繰り返し怒涛の攻防戦が繰り広げられる。

 気が付けば戦場は階段内へと移行していた。

「おのれぇ!」

 突進する怒れた地獄の住人は圧倒的破壊力で階段と壁を破片へと変化させた、相変わらずの猛スピードで迫るが何度も観察している内に目が慣れ、完全にではないが見切れる。

 それは逆も然り。

 ウェルミスもこちらの攻撃パターンを見切り始めていた、転移と攻撃を仕掛ける際に死角を突いていたが当たらなくなって来たのだ。それはそうか、消えたら死角に来ると分かっているのだ、そこに気を付けていれば避けられる。

 ワンパターンだったのが仇となった。

「もう貴様の攻撃は驚異ではない、消えたとて我の反射神経ならば対応も可能! 焦りはしたがもう己を失わぬ!」

「そうかよ……」

「それにもう一つの有利が存在する。貴様、息が切れて来ているぞ?」

 見抜かれた、蒼紅の併合の有用さには目を見張るものがある、しかし寄り添うように落とし穴もあるのだ。一回の発動に五十メートルを全力疾走する程の体力を消費する、一応、常に体は鍛えているから基礎体力は高い方だと思う、だが蒼紅の併合の連続使用で体力の限界が迫っていた。

 攻撃も見切られ体力も残り少ない、このままでは均衡が瓦解する。

 そんな心配を余所に戦場は屋上へ。

 一定の距離を取り対面する、肩で息をしなければならない状況では蒼紅の併合の使用回数は、持って一回、もしくは二回だろう。

 この戦い、短期で終えなければ。

「はあ、はあ、はあ……」

 気持ち悪い、吐き気がする。

「峻くん!」

 彼女の声がする、屋上にはまこちゃんと溢れ出ていた住人に対処し終えたスミスと空いた亀裂を補修しているこうきちゃんが俺らに気が付いた。

「傷だらけ……」

 傷を気にしてくれるこうきちゃんだが彼女の肩にも切り傷があり住人との戦いも大変だったことを教えていた。

「大丈夫か佐波! 加勢するぞ!」

「俺は大丈夫だ……まこちゃんを守っていてくれ、俺がこいつを倒さないと気がすまない」

「散々に手こずらせてくれたな、だがこれで終わりだ」

「それは……どうかな……」

「強がりだけなら我を超えるか、これは愉快だな。だが生憎笑ってはいられん、我の冷静さを戻してしまったことが敗因となるだろう」

 満身創痍で重りを背負った気だるさが鬱陶しい、でもまだ動く、これが最後の一手だ。

「ぬ? またそれか」

 氷剣を装備する、しかし今度は刀身の長い長剣、これを当てれば完全に凍らせることが出来るはずだ。

 たったの一撃、それだけに全てを賭ける。

「決死の覚悟と言ったところか、しかし当たらなければどうということはない!」

 リヒトリーニエを駆使して高速攻撃に突如の痛みが思考を断絶する、右頬に熱が走り血液が噴き出す。

 傷の数は四、多分爪で引っ掻いたのだろう。透かさず左脇腹、続いて右太もも、そして左肩と傷が増え続けて行く。

 体力の欠如に足が震え出した、氷剣を持つ手が痺れ始め、歪む視界に落ちてしまいそうだ。

 姿は見えているのに体が追いつかない。

「先程の威勢はどうした?」

「がっ!」

 額から血が伝う。

「所詮は人間だったという訳だ……我の体を傷付けた報いを受けろ!」

「ぬぐっ……」

 血が水溜まりとして地面に広がっている、披露の上血も足りない最悪な状況は意識を虚ろへと手招く、麻痺する感覚が戦意まで略奪した。

 ここは闇、体中に纏わり付いて飲み込もうと狙っている。諦めろと囁き、無駄だと諭す。

 その言葉が首を締め付け泥沼の中へと誘う、底はない永劫の苦しみ、沈みながら水面へと手を伸ばすが掴めるのは泥のみ。

 ああ、落ちて行く。

 諦めに憑依され堕落する我が身には何もない、何も残されていない。

 そのはずだった。

「峻くん!」

 彼女の顔が両の目に焼き付く、闇は光に照らされた。

 まだ終わりではない。 

 ──血液が爆ぜた。

「貴様は何も出来ない、何も守れない!」

 この戦いに赴いた理由を忘れるな。

 ──鮮血が舞う。

「精神的苦痛などもういい、貴様の存在を消去する!」

 傷付き、血を流し、耐えて来た意味を忘れない。

 ──血潮が飛ぶ。

「貴様を屠った後はミナガワマコトを可愛がってやる!」

 この痛みの向こう側に、光が待っているのなら。

 ──血気に震える。

「終わりだ。地獄に落ちろ」

 それは終焉への言葉。

「……地獄に、落ちるのは……お前だ!」

 どんなに高速で動こうと、俺はお前を逃しはしない。

 氷剣を掲げ奴の背中に付着している氷に転移完了と同時に振り落とす。

「はあ!」

 振り落とした氷剣は砕け散った、その直後攻撃の成果を聴覚が捉えた。

「ぐがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 奴の体の半分は氷に侵食され、下半身は動くことはもうない、徐々に痛みを伴いながら上を目指し、範囲を広げるのみ。

「我はここを出てヘルヴェルトに!」

「……お前にはもうそれは訪れない」

「ふざけるなふざけるなぁ!」

「終わりだ、固まれ」

 氷は最後の浸蝕を終えた。

 数百年彷徨った異界の者の終焉。

 蒼紅の併合を解除した、脅威は去ったと安堵が芽生え気を抜いた瞬間に地面へと崩れ落ちた。仰向けで空を見上げると頭の中にぼやが掛かったように意識が遠くなり眠気が襲う。

 体力もゼロに近く、血を流し過ぎた、一番大変な仕事だったな。

 これでまこちゃんを悲しませずに済む、彼女が泣いている姿は見たくはない。

「傷だらけだな?」

 と希望が語り掛けて来た。死の象徴となる武器を悠々と操り、白銀の髪をなびかせた一人の少女がこちらへと微笑む。

 そいつは死神と言うよりも、神々しく別の何かに映った。

「……スミス、ありがとな戦わせてくれて」

「傷を受け過ぎだバカ」

「確かに……な、まだまだ……精進が……足りてなかった……」

「その通りだぞ! ……だが良くやったな、褒めてやる」

 優しくほくそ笑むスミスは心を和ませた、悪くないなこういうのも。

「直ぐにルベスを呼んで来るから寝ていろ」

「そうさせて……貰う……」

 スミスが立ち去るの姿を見送る。

「大丈夫?」

 こうきちゃんが心配で駆け寄って来たがそっちも傷が酷いな。

「そっちも……大変だったな……」

「貴方の方が酷いわね、ゆっくり休みなさい」

「ああ……」

 意識をどうにか保たせまこちゃんと視線を交わす。

「峻くん……」

「どうだ、胸を張って頼れたか?」

「うん、私を助けてくれてありがとう」

「無事で良かった……」

 もう限界だ。

「済まない……少し寝る……」

「うん、おやすみ」

 瞼を閉じると落下するように意識が落ちた。







 深層から浮上し、水面の光を目指す。

 これはなんなのかと疑問に思っていたが、しばらくして誰かの声が聞こえる。

「……おや、気が付きましたか?」

 重石を乗せられたような瞼を無理矢理こじ開けると、真っ赤な長髪が目の前に浮かんでいる、聞き覚えのあるこの声と照らし合わせると目の前にいるこいつはどうやら俺の契約者らしい。

「現状を理解出来ていますか?」

 また質問かよと不貞腐れながら周囲を見回す、どうやらここは自分の部屋らしいな、そしてベッドで横になっていることまでは理解出来ている。どうして寝ている? 体を眺めると包帯やらガーゼやらで重症患者ごっこかと突っ込みたかったが、実はそうなのだと記憶の方が突っ込む。

 ウェルミスとの対決が生んだ副産物だというのなら迷惑極まりない。

「重症患者ごっこか?」

 ただ単にその言葉が気に入ったので敢えてそう答えた。

「惜しいですね、ごっこを取ると更に追加点です。ユーモア溢れていたのでマイナス点を差し上げましょう」

「面白くなかっただけだろそれ、遠回しなんだよ」

「そういう性格なので仕方がないのです」

「諦めてどうする、努力しろ」

「そうですね、努力して徹底的に他人の粗を突っつくように心掛けましょう」

「いや、それはただの嫌な奴だ」

 とまあ冗談はここまで。

「生きているな俺……どれだけ寝ていたんだ?」

「あれから三日が経過しています、中々のお寝坊さんぶりですね」

「三日も寝ていたのか……この手当はお前が?」

「ええ、特別に私がヘルヴェルトより持参した薬を特別に配合した治癒力上昇薬を使いましたので一週間程で完治しますよ、それまでは絶対安静なので動かないように心掛けて下さい」

「分かったよ。俺が寝ている間に変わったことはなかったか」

「そうですね……変わったことはなかったと思いますから現状報告に他の方々について語りましょうかスミスさんなら死神のお仕事でヘルヴェルトへ帰りました、心配していましたよ?」

 普段暴君のミスも基本的にはお人好しだよな、まあ、心配してくれるって本当は有り難いことだよな、感謝しないといけないか。

「ああそうだ、スミスさんからの伝言を預かっていました、心配してやったんだからしゅーくりーむを今度遊びに来るまでに用意しておけコノヤロウ、だそうです」

 やっぱり暴君健在か、感謝の心が薄れそうだぞコノヤロウ。

「荒川姉弟はいつもの通り門番としての勤めを果たしています、ウェルミスがいなくなって亀裂の連続発生がほぼなくなり楽になったと言っていましたね」

 元凶がいなくなったことで沈静化したことは喜ばしい。

「皆川真はいつもの日常に戻りました、元気に学校へ通っていますよ」

「そうか……」

 それを聞いただけで安心した。

「そう言えばあのウェルミスはどうしたんだ?」

「あのランクDですか」

「あいつランクDだったのか?」

「ええ、ウェルミスと言う名を聞いたのは数百年ぶりですね、ヘルヴェルトで一時期ランクSに取り付き混乱を招いた、しかしある時から姿を現さなくなったことを不思議に思っていましたがまさかここに来ていたとは……」

 Sならば相当の被害が出ただろうな、街一つなくなっても不思議ではない。

「ウェルミスと女性の分離に成功しましたよ、取り付かれていた女性は外国で門番をしていた者です、三年前に行方知れずでしたが今回のことで行方が分かったので良かったです」

「そうか……ウェルミスは今はどうなってるんだ?」

「現在ヘルヴェルトの牢獄へ入れました、但し結晶化させてですけどね。ヘルヴェルトと人間界を混乱に招いた罪は償って貰わなければなりませんからね」

「そうだな……」

 奴には罪を償わせなければならない、それだけのことをやったのだからな。

 彼女を傷付けたこと俺は一生忘れない。

「しかし今回のことで門番として、そして輪廻の外としての試練を乗り切った感じですね」

「……まあ門番としてはウェルミスには勝てなかったけどな」

「それでも貴方は使命を果たしました。異世界の守護者として人間界とヘルヴェルトの混乱を防いだ、まずは上々でしょうね」

「体はボロボロだけどな」

「そうですね未熟な部分もありますが生きているのなら恥じる必要はない。十七年前ですね貴方を虚無の世界で見付けてから、数百年に一度現れる輪廻転生から外された守護者、どの世界にも存在できない者……わたしが見付けて触れた瞬間に貴方はヘルヴェルトに存在出来るようになった、同時にわたしの力をも再現するとは実際に輪廻の外に出会って驚愕しましたよ、触れた瞬間に契約が完了して契約者の力を再現するだけではなく契約者の方にも影響を与えることが出来る。そうやって皆川真を助けたように」

 学校で胸を苦しくしていた彼女に触れて彼女の能力を沈静化させた、心の不安が力を暴走させそうだったから危なかった。ヘルズゲートを作り出す人間なんか聞いたことがない、精々いたとしても亀裂を生むことぐらいだが。

 だがあの時とは違い力が安定していなかった、ウェルミスの影響が大きだろうが彼女は自分の力に気が付いていない。

「彼女こそ貴方の契約者、この世界に存在出来るようにしてくれた恩人でもある。貴方は命をかけて守ろうとする気持ちは理解出来ますよ」

「……ああ、ただこちらに来て直ぐに再会するなんて誰が予想出来たか」

 いつの日か探し出して見守ろうと思っていたが皮肉にもウェルミスの策略が俺達を再会させた、なので不思議な気持ちだがな。

「赤い糸でしたかね人間界で良く言われる運命の出会いの言い回し、貴方もそうなのでは?」

 運命の赤い糸で結ばれているか、本当にそうなら嬉しいけどな。

「それで彼女に話すんですかあの日のことを」

「いつか思い出すと思うんだ、彼女にとってあれは怖い思いをしている、無理に思い出させるのもどうかと思っている」

「そうですね、不安定な力ですからそれが引き金になる可能性もありますね」

 彼女の安全を考えるならこのままがいいだろう。

「優しいですね峻は……さてと、そろそろお暇しましょうか、喋り疲れましたよ」

「……話が長くて面白くない、教師かお前は」

「教鞭を執るのも悪くはありませんね、その場合スパルタですので覚悟して下さい。ただ峻限定ですが」

「そう言うと思った、俺に予想されるとは腕が落ちなたルベス」

「そうですね、この程度のことを予想出来ただけで有頂天になっている峻は確かに腕が落ちましたね、にゃはははは!」

 くそ、一枚上手も変わらずか。

「そういうことです」

 満足そうにしたり顔をしやがって。

「お前、帰るんじゃなかったのかよ」

「おっと、つい峻の面白い表情を楽しんでしまいました、その顔、罪深い」

「この野郎、地獄に落ちろ!」

「地獄から来ましたからそれは間に合ってます」

 はいはい、口じゃお前に勝てないよ。

「それでは今度こそお暇します、くれぐれも絶対安静を心掛けて下さい」

「分かった分かった、さっさと行け!」

 高笑いをしながらルベスは去って行った、残ったのは耳鳴りと痛みだけ。

 ケガは治療してあるがやはり痛みが残っている、絶対安静と言っていたが動けそうにないから心配無用だ。

 まあ今回は言う通りにしてやるかと瞼を閉じた、彼女と初めて会ったあの日を夢で見られるように祈りながら。


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