招かれざる者
妙な胸騒ぎに眉をひそめた。
この感覚は前兆、ひんやりとした空気は肌を抓り夜の冷え込みを体に刻む。暗闇に浮かぶ住宅街の光は地上の星を連想させる、だがそれに魅了されている場合ではない。
ねぐらの屋上で月影市の東側を警戒していると地獄の住人の気配を感じ取っていた。
「おそらくBってとこか」
意識を集中して潜む住人を探る。しばらく探り続け小さな気配を掴む、俺は直ぐにねぐらを後にして力の波動を感じる場所に駆けた。
時刻は深夜二時、多くの人々は就寝しているが門番の忙しい時間が夜中になる、亀裂は昼間には開くことは無い。
太陽光と言うものには次元を保護する力があるらしく亀裂が出来ていたとしても光が昼間の間だけ抑える、だが夜に成ると効力はなくなり封じていたものが開いてしまうのだ。
だから夜は警戒しなければならなく、昼夜逆転など珍しくは無い。
「結晶の蒼、発動」
目的の場所に近付いたので力を発動、そこは遊具が豊富な公園でそっと木の陰に身を隠し気配を消す、砂場辺りを覗くとソレがいた。
筋肉質な体と漆黒の肌が印象的でこちらに背を向けて佇んでいる、ここに馬に酷似した生物が存在するだけでも異常だが予想通り普通の馬ではない、体は馬の特長を備えているが頭部はそれに該当せず巨大な蛇が生えていた。
蛇の頭に馬の体を持つ生物が徘徊して辺りを見回しているようだがまだ気取られていない。
結晶の蒼は三つの機能を有している、一つは掌に氷を生成する力、二つ目は手で触れたものを凍らせる力、そして最後が手で触れた氷を自由に操る力。シンプルな性質だが使い方次第では絶大な威力を発揮する優れた能力だ、後は使う者の腕次第だが。
冷気を右手に集め濃度を上る、掌に野球ボール程の氷を出現させた。戦闘に集中するため深い呼吸をして慎重に狙いを定め解放させた。
見事に氷弾が命中、黒色の肌に張り付くのと同時に悲鳴が鼓膜を震わせた。数秒混乱するが直ぐに正常化、攻撃を仕掛けた敵を睨み付けて来る。視線がぶつかり互いを確認し合ったところで体を反転させ、蹄を高らかと鳴らかし追撃を開始。
倍以上の身長は言うなれば高速で移動する大砲の弾、正面から受け止めるのは不可能。
即、戦術的撤退を実行し二つの選択肢に迫られる、外に逃げるか、ここで戦うか。
考える余裕は二秒、即決断し走り出す。
馬蛇は怒りに身を任せ大地を駆けて来る、俺が選んだのはこの場所で戦うこと。もし外を選んでいた場合一般人を巻き込む可能性がある、だがその選択は狭い公園での戦いを余儀無くされ危険度が増すが被害は出せない。
奴の運動能力は人間のスペックを凌駕している、その証拠に今にも追い付かれそうだ。後方から迫る驚異へ氷弾連射、足止めにはならないが怯ませることで速度を緩めた。いくら逃げ場が無くともある程度の開けた場所があるから対処はし易い。
目の前に壁が迫り咆哮を反転、突撃する黒の塊をぎりぎりでかわす。壁に激突する直前急ブレーキを掛け即反転して対立する。蛇の舌を震わせ、蹄を鳴らす姿は臨戦態勢を高めている証拠、放った氷は鱗のように体中に張り付いていた。
後は相手の出方次第、予想するとこのまま突進して来るだろうが果たして上手くいくか、これは賭す前に一工夫を加えることにしよう。右手に冷気を集中、工夫の用意は出来た、いつでも来い。
そして望みは叶う。
眼前の生物は瞬く間に猛進、その瞬間右手の冷気を一気に解放、凝縮されていたものが弾けて一時的な霧を作り出し視界を閉ざす。透かさず右へ跳ぶ、その直後、轟音が木霊した。
馬蛇が後ろに設置されたジャングルジムで頭を強打して目を回していたのだ、好機と接近を試みて地面を蹴った。肌に触れることが出来ればこちらの勝ち、そう意気込んだがそれが油断となり蛇の特性を失念させてしまう。
触れる刹那、手が対象に触れることなく止まり、同時に圧力が腕に噛み付く。
「ぐっ!」
蛇の特性は自身の体を巻き付け動きを封じること、ならば同じことを再現するのは当然だ、太い首を腕に巻き付け締め上げる。激痛でどうにかなりそうだが蛇の顔はまだ正気に戻っていない、自動防御でも備わっているのか?
「この!」
右手が使えないなら左手が残っている、胴体に触れ結晶の蒼を注ぎ込む。すると氷が肥大化し胴体全てを飲み込む、蛇の頭が苦痛に悶え力が緩まり右手が自由を得た。
「終わりだ、固まれ!」
威力を上げ氷の彫刻を誕生させた。
「はあ、はあ……どうにかなったか」
右腕に大きな痣が残ったが潰れてないだけでも幸いと思った方が良い、まだ痺れてはいるが指はちゃんと動く、問題はない。
「紅の帰還、発動」
瞳が赤色へと変化、彫刻と化した馬蛇に赤い光を纏わせて準備完了、力を増幅させると馬蛇は風景と同化して行くように薄まり幻影となって消え去る。
紅の帰還はヘルヴェルトと同じ波動力を有している、波動力とは世界を覆う力のことで言わば重力や磁場のような世界に発生している力そのもののこと、それを利用し波動力からは動力へと道を作り一方通行でヘルヴェルトへと帰す。
「処理完了……さて、亀裂を修復しないとな」
亀裂から漏れ出す異界の波動を辿ると見上げることになった、上空十メートルにお目当てのモノを発見したがあんな高いところじゃ手が出せない。ただ方法がない訳じゃないが。それを試そうとした時人の気配が公園の入り口へと意識を向かわせた、するとそこには見知った顔が手を振っていた。
「終わっていたようっすね、お疲れ様っす」
「お前はトゲトゲボンバー」
「……あーー、それは止めて欲しいっす」
そこには門番の先輩である荒川蒼葉が浮かない顔をしていることに納得いかなかったトゲトゲボンバーのどこが悪いのか。
「普通に蒼葉と呼んで欲しいっすよ」
「むう、まあ本人からの要望ならそう呼ぶのはやぶさかじゃない……まあそれは分かった、どうしてここに来たんだ? 担当じゃないだろ?」
「新人のサポートに来たっすよ、連日の亀裂発生は僕らもきついっすからね、この街も確かに亀裂が多いっすがここのところは多過ぎっすよ。何か起きてるかもしれないっすね、こんな状況で一人でやっている峻は大変だろうから行ってこいって姉ちゃんに言われたんすよ」
「そりゃありがたい、助かる」
「良いんすよ同じ門番同士助け合わなきゃ。それはそうと皆川っちは大丈夫っすか? なんか倒れたって姉ちゃんに聞いたんすけど」
「ああ大丈夫だ、ルベスにも頼んで病気か調べてもらったが健康だったらしい。もしかしたら亀裂から出た住人にびっくりしただけかもな」
「それならいいんすけど……さてと、あの亀裂を修復しないといけないっすね」
上空に視線を放つと蒼葉の両足が薄緑色に輝く光の帯が巻き付きそのままジャンプ、すると十メートルへ難なく到着し亀裂修復促進紙とその上から亀裂を一般人に見えなくする隠蔽紙も同時に貼り付けた。
「処理完了っす」
「便利だなそれ、ルベスから貰った道具か?」
「そうっすね、これはリヒトリーニエと言って巻き付いた箇所の能力を増幅するっす、今回は跳躍力を上げたって訳っすよ」
「便利だな。だがこれだけ超人的な力を発揮するなら……」
「予想通り使うと筋肉痛になるし使い過ぎると暫く動けなくなるっす。後は限界以上に使用すると下手したらお陀仏、まあ程々使うのが無難すね」
「大変だな、今くらいでも筋肉痛になるのか?」
「少しだけ、使用して少し体が慣れたのかそこまではならないっすよ」
光は足を離れ彼の手首に纏わり凝縮、それはブレスレットに変化した。
「持ち運びも便利っす。あそうだ、峻のケータイ番号教えて欲しいっす、連絡取り易くしたいんすよ」
「けーたいってなんだ?」
「へ? 携帯電話のことっすよ」
「あ、ああ、電話のことか、携帯ってことは持ち運びが出来るんだなきっと」
「そうっすけど……その様子じゃ持ってなさそうっすね」
電話ってけーたいって言うのか、一つ覚えたぞ。
「来たばかりだしな、その内手に入れるさ」
後でルベスと相談してみるか。
「夜明けまでもう少しっすから頑張るっすよ」
「おう、よろしくな」
仲間を得て使命に勤しむ。仕事が一段落したのは数時間後、夜明けを確認する頃には疲労が蓄積して眠気に悩まされて辛い。こりゃ早くねぐらで休まないとな。
「それじゃまた今夜、良く休んどくんすよ」
「ああ分かってる。じゃあなトゲ……蒼葉」
「……本当にトゲトゲボンバー気に入ってたんすか」
呆れ顔のまま苦笑いに移行して去って行く、いいじゃないかトゲトゲボンバー、この良さを分かる奴はいないのだろうか。
ねぐらに戻ると疲れからかそのままベッドにダイブして目を瞑る、まこちゃんが襲われてから数日門番として頑張って来たが亀裂の発生が多過ぎると思うし気掛かりが一つ、それはまこちゃんだ。
これまで二度彼女は地獄の住人に襲われているのが妙だ、最初はワニに酷似したランクBに襲われていたがルベスが調べたらやはりあいつは肉食ではなかったとの話だ。
ならこれはどういうことになるというのか、草食の生物が人間を食べようとしていた矛盾は何を意味しているのか。そして偶然とは言い難い二度目の遭遇、あそこにスミスがいなかったらまこちゃんは今頃、いやそれは考えないようにしよう。無事だったことは喜ばしいが偶然がこうも続くだろうか。
これらの事実を照らし合わせると考えられることは一つ、誰かが影で糸を引いている。
もしこの予想が事実だった場合そいつは今どこだ。
ここまでの思考で眠気に落とされ次に気が付いた時は昼頃だった、だいぶ寝たんだなと気怠さが苛めるが眠気を振り払いベッドから這い上がり洗面台で顔を洗う。廃墟だったねぐらもルベスの手配によってだいぶ住み易く改良された、シャワールームとキッチンと冷蔵庫等が備え付けられ快適な暮らしを得られた。
これらの支援をどうして受けることが出来るのかと言うと人間界を守る門番は世界中にいて組織化しヘルヴェルトと人間界を守る為に活動している。その中には企業を立ち上げている者や富豪等もいて資金面や様々なサポートを活動している門番がいる。ルベスはその組織を通じて俺の部屋や当分の生活費を用意してくれた。
ルベスだけじゃこっちの世界の物を手に入れるのには限界があるからな、そこはこっちの世界の者に任せるのが適任だ。
シャワーを浴びてスッキリしたところで食事を用意することにした、ある程度の調理能力を有してから食べることには困らない。が、味はそれに比例するとは限らないので期待出来ない。
一人暮らしをやってみると大変なものだ、これまで食事は用意されていることが当たり前と思っていたが自分でどうにかしなければならない、他にも洗濯やら部屋の掃除を怠ると不清潔になって健康にも良くない、どれだけ甘えていたのかを思い知らされた。
俺を育ててくれたあいつは世話好きだったな。
簡単なものを作って食べ終えると満腹感に襲われたのでしばらくは動けそうにない。
「食い過ぎた」
「太りますよ」
「うぉ!」
油断した、こいつのマイブームに。
驚かせるために後ろから声を掛けてご満悦なルベスを睨んでやる。
「いきなり出てくるんじゃない!」
「おや、お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だろうが……はあ、こんなのがヘルヴェルトの番犬ケルベロスだとはな」
こいつは地獄世界ヘルヴェルトでヘルズゲートを守るケルベロスだ、三つの頭を持つ番犬でゲートの最高責任者でもある。
「にゃははは、峻の驚き顔は格別ですね」
「お前本当に性格悪いよな……で、今日はなんの用だよ」
「様子見です。ああわたしではなくて残りの二人がです」
「ああ、あいつらか」
ルベスは人間の姿をしているが頭の数だけの人格が有る、この状態で頭を三つにする訳にはいかないので別人格という形で現れることになる訳だ。ルベスがリーダー格の人格でその他にゲイズとスルルと言う人格がいる。
「ではゲイズと変わりますね」
人格が変わる、そう言われると中身が変わってしまうと認識してしまうだろうがこいつらの場合は全てが変わってしまう。
筋肉が増加し一回り体が大きくなり表情も掘り深く凶悪さを足した顔、それから髪の毛は短髪へと収縮して大男へと変貌を遂げた。
「……ふうっ、久し振りに出て来たぜ、よお久しいな小僧、元気でやってるかこの野郎」
「ゲイズも元気そうだな、相変わらず筋トレばっかりか?」
「ガハハハ! おうさ、俺様の筋肉は最強だからな、パワーならルベスには負けないぜ!」
俺にとってこいつは兄貴分的な存在だ、気も合うしな。
「仕事はどうよ、ちゃんとやってんのか?」
「まあぼちぼちだ、忙しいが充実はしてると思うぞ」
「充実ねえ、お前女とか出来たか? やっぱり色々と溜まってんじゃねぇか?」
「相変わらずエロいことばっかり考えてるな」
「俺様からそれを取っちまったらなんにも残んねぇよ」
まあ頭の中が喧嘩か筋肉かエロで構成されているようなものだからなゲイズは。
「ぬぅ、スルルの奴が変われって言って来やがる、かぁーー、声が頭の中でガンガン響いてうるせえ! 分かった分かった変わってやるから静かにしろ!」
うるさそうにしていたが頭を振り払い目を閉じるとゲイズの体が小柄になり筋肉も減少して全てが変わって行く、全てとは体の構造も当然関わることを示しておりスルルと言う人格は女性である、つまり女体化するのだ。
腰の辺りまでしなやかな赤毛が伸びパッチリとした目が特徴で少し幼顔を本人は気にしている、見た目十代の少女と誤解されやすいがケルベロスの年齢はそれを遥かに超越している。そしてスルルは俺の育ての親でもある。
「ぷはぁ、久しぶりに出て来たよお、元気にしてた? 仕事は大丈夫? お腹減ってない?」
「一度に言われると困るって、俺は元気でやってるから心配するな」
「そうだねいっぱい言っちゃうと混乱しちゃうもんね、でもでもボク心配なんだよ、ちゃんと美味しいもの食べてる? お腹出して寝てない?」
「たく、心配性だなスルルは……」
俺にとっては母親であると同時にスルルからすれば息子も同然だ、おっちょこちょいで心配性でお節介焼きだがそれらを嬉しく思っている。
ゲイズとスルルの代わる代わる交代して話をした、久し振りといっても数日経っただけなのにな。安らぎの時間は瞬く間に過ぎて四時過ぎ、ようやく満足した二人はルベスに交代した。
「ゲイズもスルルもちゃんとやっているのか心配していましたからね」
「まあ嬉しいよ、ちょっと恥ずかしい感じもするけどな」
「当然わたしも心配していますよ」
「……ルベスが言うと胡散臭さが倍増するんだけどな……まあ信じてやるか。さてとまこちゃんの様子でも見に行ってみるかな……今は?」
「はいスミスさんが付いていますから何か起きても対処してくれるでしょう。おそらくまたアクシデントは起こると思いますよ」
「やっぱり誰かが起こしているって睨んでるなお前も」
「ええ、偶然にしては不自然な部分が多々有りますからね……しかしこうならないために慎重にやって来たつもりだったですがね」
「慎重にやっても起きる時には起きるもんだと思うぞ……ま、気を落とすなよ」
「おやわたしを心配してくれるとは明日は嵐ですね」
「この野郎、心配してみればこれだ……俺はもう行くからな!」
「怒らないで下さいよ。照れ隠しですから大目に見て下さいよ……では気を付けて。これは峻の試練でもありますね……『輪廻の外』として」
「ああ……」
その言葉はあまり好ましくはないがな、俺は外出して彼女の高校へと向かう。
もう授業も終わってクラブ活動をしていると思う、予想的中であるならクラブ活動が終わる頃には太陽も沈み亀裂が発生し易いから何かを仕掛けて来る可能性がある。そんな真似は絶対に阻止してやる、この街の門番として、そして『輪廻の外』としても。
住宅街を抜け橋を渡り高校へと向かうと途中門番の先輩である荒川紅姫と出会った、こちら側を守る彼女と会うのは不思議なことではない、異変がないか見張っているのだから俺を発見するのは容易いし何か話があったのだろう。
あの夜のようにバイクを颯爽と動かす姿は惚れ惚れするくらいかっこいい。
「こうきちゃんか、お疲れ」
「お疲れ様。これから皆川真のところに行くのね?」
「ああ、このところの亀裂は彼女を狙っていると言い切っていいと思うし彼女の住まいは東側だからその帰り道まで護衛するのも俺の役目だと思ってな」
「そう、一理ある。サポートは蒼葉に言ってあるからこき使って、皆川真は可愛い後輩でもある……私は可愛いものは好きだから守る」
「分かった、相当こき使うからな」
「ええそうして」
「色々済まないな助かるよ……今度何かプレゼントでも贈ろうか、何か欲しいものないか?」
「くまちゃんのぬいぐるみ」
「……へ? くまのぬいぐるみがいいのか?」
「そう、くまちゃん、大きな奴」
「わ、分かった、今度探しておくよ」
了承すると嬉しそうに表情を緩めた、本当に嬉しいらしい。
かっこいい大人の女性だと思っていたがこの姿を目の当たりにしてしまうとギャップを感じて魅力的に思えた。
「じゃあまたな」
「さよなら。くまちゃん、よろしく」
バイクを乗りこなして去って行く姿もまたかっこいい。彼女を見送って学校へと向かうと授業は終わり放課後、数人の生徒は帰宅して行くがやはり部活動をしている者もいる。俺は部外者だから他の生徒に見付かるのは避けた方がいいか、裏門から侵入し木や建物の陰に隠れてまこちゃんを探す。
数分の捜索後一階のある部屋の窓を覗くとホラー映画のDVDや雑誌がずらりと並んでいる小さな部屋を発見しその中に二人の部員を確認、その一人がまこちゃんだった。
窓をノックすると俺に気が付いたまこちゃんは慌てて窓を開けた。
「し、峻くん! どうしてここにいるの!」
「いやあ暇だったから遊びに来た、お邪魔するぞ」
「へ、あ、ちょっと!」
ホラー同好会の部室へ入ると中のもう一人と視線が合う、そいつは女子でこっちを目を丸くして観察しているようだった。
「……あんた誰?」
「俺は佐波峻、まこちゃんの知り合いだ」
「まこちゃん? まこと、あんたそう呼ばせてんの?」
「そんな訳無いでしょ!」
「これは予想外だったわ、まさかまことが男を学校に連れ込むなんてね。で、いつから?」
「いつって何がよ」
「あんたの彼氏でしょ? 何よあたしにも内緒にしてるなんて水臭い」
「ち、違うってば!」
仲良さげに言い合いを始めるのを微笑ましく眺めて沈静化するとまこちゃんが彼女の紹介をする。
「……えっと、この子は私の友人で野口愛花って言うの、ホラー同好会の部員じゃないけどたまに遊びに来るんだよ。あいか、この人は彼氏じゃなくてちょっとした知り合い」
「ちょっとした? 嘘は通じないからね、まこちゃんなんて呼ばせて親しそうだし向こうも満更でもないんじゃないの? あれ目が怖いよまこちゃん」
「あんたがまこちゃんって言うな!」
「あはは、暫くこれでおちょくろっと……まあ学校まで押しかけて来る情熱的な彼にちゃんと挨拶しないとね、あたしはあいか、これからよろしく」
「おうよろしく、俺のことは好きに呼んでくれ峻でも峻ちゃんでもオッケイだ」
「んーーじゃあ峻ちゃんって呼んであげる」
ノリがいいな彼女。
「で? 峻ちゃんはまことのことどう思ってんの? 遊びなら許さないよ」
「ちょ、あいか何言って……」
「俺に遊びなんてない、全て本気だ」
断言するとあいかは俺を真剣に見詰め何かに納得したらしく表情を柔らかくする、はて何を納得したんだろうか?
「真剣さは分かった、あんたならまことを任せられそうね」
「あいか誤解してるよ私と峻くんは……」
「何も言わなくていいって、恥ずかしい気持ちは分かってるって。大丈夫、あんたらのこと応援してあげるから!」
なんの話だ?
「なんだかよく分からないがありがとう、心強い」
「お礼なんていいのよ。じゃあ邪魔者のあたしは帰るから後は二人きりで頑張って!」
そんな言葉を残して野口愛花はそそくさと部屋を去った。
「誤解して……ちゃんと説明したいけどどう説明したらいいのかな」
「なあまこちゃん頑張るって何を?」
「へ? あ、えっと…………なんだろうね、あはは……」
あいかの言葉に謎を覚えつつ座るように進められたのでパイプ椅子へ。
「なんだかよく分からないが良い友人を持っているんだな」
「あいかはいい奴だよ、ただ結構先走っちゃうけど……」
「退屈はしなさそうだな……まこちゃんってホラー映画とか好きなんだな、この部屋も凄いがまこちゃんの部屋にもいっぱいあったな」
「あはは、好きだからねこういった私が知らない世界って奴が。ホラーだけじゃないよファンタジーとかSFとかも好きだよ」
「へえ、どうして好きになったんだ?」
「え? どうしてって言われてもな……自分の知らないものを知るのが好きだし興味があるからだよ。まあ小さい頃に見た夢が原因の一つかもね、多分四歳か五歳頃でさ、私は知らない世界にいてそこを彷徨うって夢、殆ど覚えてないけど確か最初は怖かったけど途中からワクワクしていたような気もするんだ」
「そっか、知らない世界を冒険する夢か」
「うん、多分それが今の原動力になってるのかもね」
「なるほどな……俺は初めてこの街に来て世界の美しさに魅せられたよ」
「世界の美しさ?」
「なんて言うのか青い空がとても美しかったんだ、初めてだったからさ」
「初めてってどういうこと?」
「文字通りだよ、俺は……」
自分の生い立ちを話そうとした瞬間第三者がこの場所に現れた。
「ありゃりゃ皆川っちと峻が一緒にいるとは予想外っすね」
「蒼葉先輩! 珍しいですねほぼ幽霊部員なのに」
「手厳しいっすね、これでも色々と忙しいんすから」
荒川蒼葉が頭を掻きながら部室へやって来た、サポートに来てくれたのだろう。
「今日はおかしな日、蒼葉先輩は来るし他の人達が用事でみんな来ないし……」
不意に蒼葉と目が合うとウインクをして来たのを見ると犠牲者を出さないために何か手を回したことを理解した、このところの亀裂の頻繁性を考えるともしかしたら学校内で生じる恐れも否定出来ないから先に対策したというところだ。
まこちゃんが狙われていることは怖がらせないように伏せている、一番いい解決は彼女が何も知らない内に終わらせることだろう。
「それにしても紅姫さんが門番だったなんて驚きでした、蒼葉先輩もそうだって紅姫さんから聞いてますよ」
「姉ちゃんも皆川っちはお気に入りっすから色々教えてくれたんすね、僕らは小さい頃から門番として育ったんすよ、両親が門番でこの街を守っていた……まあ仕事中に亡くなって門番を引き継いだんすよ」
「そうだったんですか……」
「おっと暗い話は嫌いっすからそこまで、普通の話を希望っす」
気を使われるのが苦手なのかもな、なら話を変えるか。
「このクラブは普段何をしているんだ?」
「何ってホラー関係の作品とか見たり話をしたりとか調べたりとか……って私新入部員だから蒼葉先輩の方が詳しいよ、一応部員だし」
「皆川っち、僕は一年から幽霊っすよ」
「あーー聞いた私が愚かでした」
門番としての仕事が忙しかったのだからしょうがないだろう。
今ここには門番が二人いるがスミスがまこちゃんのことを護衛しているはず、あいつはどこにいる? 部室にはいないようだからそっと窓の外を捜索してみるとあいつは屋上でこちらを羨ましそうに眺めていた、まこちゃんにバレないようにしていたようだな。
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない。それよりもこれからどうする?」
「やることないなら帰った方がいいかもっすね」
「誰もいないんじゃ部活にならないしね……帰ろっか、準備するからちょっと待ってて」
荷物を片付け始めるとまこちゃんの手がふと止まった。
「あれ、数学の教科書がない……教室に忘れたんだ、ごめん取りに戻るね」
「なら俺も行こうかな、まこちゃんの教室を見てみたいし」
「別に普通のところだよ……どうしてもって言うならいいけど。一応生徒も少なくなってるけど見付からないようにしないとダメだよ?」
「分かった、努力する」
「じゃあ僕は帰るっすからお二人はごゆっくり」
そそくさといなくなるが護衛のサポートだから遠くには行かず俺が見えない場所の調査をしてくれるだろう、スミスも付いているしなんとかなりそうだが油断は禁物。
夕暮れの学校には懐かしさを感じていた、この光景は生まれ育った場所に少しだけだが似ている気がする、生徒にも会わずに無事にまこちゃんの教室に到着しお目当ての教科書を入手した。ここで授業を受けているのかと視線を冒険させてみると彼女が笑みを浮かべていた。
「教室ってそんなに珍しい?」
「そうだな珍しい、学校というものに通ったことがなくてな、勉強は育ての親に教育されたんだよ……だからさたまに知識だけを知っていて現物を見るのは初めてってことが良くある」
「そうだったんだ……じゃあこの場所は珍しいんだね」
「ああ、こんなところで勉学が出来たら楽しそうだ」
学友と同じ時間を共有して同じ学問に勤しむ、俺にとって貴重な体験は羨ましいものだ。
不意にまこちゃんが教卓へと歩み寄り眼鏡を上げる仕草をした。
「はい転校生の佐波峻くん、授業が始まってますよ席に着いて下さい」
唐突で一瞬の戸惑いがあったが直ぐに彼女の意図を理解して指示に従う。
「はい良く出来ました、授業を始めます」
と宣言して小走りで隣の席に座る。
「私は皆川真、クラス委員だから。分からないことは聞いてね」
「おう、よろしく」
「よろしくね。佐波くん教科書は持ってる?」
「持ってくるのを忘れたな」
「仕方ないな私のを見せてあげるよ」
そんな擬似授業を体験した。
「あはは、やっててちょっと恥ずかしいね。気分だけは味わえればいいなって思ったけどこれじゃママゴトだね」
「いや、充分だ……ありがとう。いいクラスメイトに出会えたみたいだ」
「面と向かってお礼言われると照れちゃうね」
「まこちゃんは優しいな」
「ま、まあクラス委員だから当然なんだよ……あはは」
「そっかクラスのリーダーなのか、通りでしっかりしているはずだ」
「おだてても何も出ないよ」
「そうなのか? なら残念」
ここで笑い合う、声は心地いい音となって教室中を反響して二人を抱き締める、温かい気がした。
楽しい時間を満喫させてもらったと席を立つ。
「帰ろうか」
「うん」
名残惜しかったが教室を後にして廊下を歩くと静寂に耳鳴りがしそうだ、もう誰も残ってないのかと注意して観察していると窓の向こうに聳える校舎の屋上にいたはずのスミスを発見出来なかったことを疑問に思わなければならない。
あいつはいい加減で直ぐに仕事をサボったりするが本当に大事な仕事を放り出したりはしない奴だってことは長い付き合いで分かっている、だからこそあそこにいないことは異常だと気が付かなければならない。
まさかと警戒態勢に入った。
「くそ、俺としたことが……」
「どうかしたの?」
「まこちゃん俺の側を離れないでくれ」
まだ夜ではないが亀裂が発生しない訳ではない、太陽光が封じてくれるが完全な封印には程遠いが強固だ。それを打ち破るには別の要因が働かなければならない、それが出来る心当たりがある。
結晶の蒼を発動させ感覚を澄ませた直後この場の異常さを即理解した。この階全てを生物が蠢き尽くしている、見付からないように物陰に隠れていたらしい。
「峻くん……もしかして」
「ああ、地獄の住人がこの学校にいる……ランクDだが数が異常だ」
目を凝らすと数匹視認する役三十センチ程の大きさ、赤色で芋虫に酷似したランクDが大群を作り影となっている場所全てに張り付いていた。凄い数だ、最低ランクだとしても数が多過ぎる、一斉に襲われたら一溜りもない。
「あ……何かいる、小さい虫みたいなの……初めて見る……」
彼女の瞳は異形の生命体を見詰め見間違えか口元が緩んでいる気がした、そんな馬鹿な話があるか彼女は普通の子だ。
「まこちゃん、まこちゃん!」
「あっ! え、な、何……」
「しっかりしてくれ気を抜いたら死ぬぞ」
「ご、ごめんなさい」
軍隊と化した蟲共は鳴き声を漏らしてこちらへと飛び掛ろうと構えたがそれを阻止するべくこちらが動く、冷気を右手に集中させ壁に触れ氷を張り付かせた、結晶の蒼の能力を組み合わせ氷を生成させつつ操り壁を伝わせる。すると小さな結晶は肥大化、成長する方向を操作して芋虫へと向かわせた。
要は津波のようなもの、氷の波が大群を飲み込み事は一瞬、このフロアは極寒の地へと変貌を遂げ生物は下敷きに。こうなれば紅の帰還を発動させ一気に芋虫をヘルヴェルトへ帰す。静けさが広がりここに生物がいたという痕跡は皆無、だが安堵には程遠くあれだけの数なら数匹難を逃れた可能性は否めない。氷に触れて気化させ戦いの痕跡を消す、生徒に発見されるだけでも大騒ぎだからな。
「付いて来てくれ」
「うん……」
まずは蒼葉と合流する方が賢明だ、廊下を捜索しながら進みこのまま真っ直ぐ行けば出口だがその途中四方から飛び掛る蟲を蹴散らす。だが数が多くそこまで辿り着けそうにない。一気に凍らせたいが飛び掛るスピードと数によりその隙が生まれず苦しい、まこちゃんを守りながらだから無理は駄目だ。
方向転換し階段で二階へ、窓から抜け出すことも考えたが矮小な蟲だとしても外へと出てしまったら街に入り込み人間を襲う、小さいとは言え人を殺す力を備えている危険生物であることに変わりはない。これ以上の被害を出さないためこの学校内で食い止めないと。
階段内にも這い回る蟲に嫌悪しつつ片付けて駆け上がる途中で壁に張り付く数匹を発見、直ぐに氷弾を放つと見事に命中し凍結に成功した。透かさず紅の帰還で数を減らす。
一歩階段を踏み締めた瞬間違和感が冷や汗を誘発する、地面を踏む感触が硬い床のものではなく綿ように柔らかな感触、何かを踏んだ、それがなんなのかと足を持ち上げようとしたが動かない、まるで接着剤で固定された感覚。
短い唸り声が噛み付く、発生源は足元。赤い芋虫が口から緑色の液体を吐き出して靴に掛けている、これが動きを封じているものかと冷静に分析してみたが内心はハラハラしていた、こいつは何をするつもりなのか。考える前に行動に出る、氷弾を即座に射出、しかし意外に身軽だったため難なくそれを回避してそのまま跳躍し手摺りへと着陸する。
刹那、視線がぶつかり合う、直後ノコギリに酷似した歯が口から垣間見えた。危険だと直感が告げ、再度の攻撃を決行させる。しかしまたもや跳躍で難を逃れ今度は天井へ。
「速いなこいつ……来いよ芋虫め」
それに応じたのか重力による自由落下と自身の跳躍を掛け合わせて迫る、恐ろしく速いが空中なら自由に動けないはず。歯が皮膚を切り裂くのが先か、結晶化させるのが先か。
落ちる異形生物を見定め結晶の蒼を纏わせた右手をかざす、互いが接触、音が反響して命を賭けた残音は程なく消滅した。
「峻くん!」
まこちゃんの声に奮い立つ。
「間一髪ってとこか……」
戦闘結果は掌に残ったこの異形を納めた結晶体が示す、動作が少しでも遅かったら手に穴が空いていたことだろう。捕らえたランクDは早々に帰還させ、一気に抜け出し二階へ。
「はぁ、はぁ、数が多いよ」
息切れしているまこちゃんは訓練を受けていないから息切れが激しい、仕方がないことだが逃げ回るのにも限界があることを教えていた。半径数メートルなら地獄の住人の気配を感知出来るがおそらく学校中にいると思う、まこちゃんを守りながら学校で奴らに対処しなければならない。
仕方がない、まずは機動力を補うか。
「まこちゃんちょっと失礼」
「え? きゃ!」
お姫様抱っこをして移動を開始した。
「ま、また恥ずかしい格好!」
「我慢してくれこの方が動き易いからさ」
一階からは階段を通じ大群が迫りこちらを目指している、多過ぎるだろこれ。
「峻!」
声に引っ張られ後方を向くと窓の外に蒼葉の姿を確認する、窓を開けてやるとリヒトリーニエを使い二階へと跳躍した蒼葉を中へ。
「二人共無事っすか」
「なんとかな、とにかく移動しながら話そう」
「了解っす」
廊下を走り出す。
「やっぱり皆川っちを狙ってそうっすね」
「らしいな……どうする?」
「…………皆川っち、申し訳ないけど協力大丈夫っすか?」
「はい、私に出来ることなら」
「まあ一番頑張るのは峻っすけどね。これを見て欲しいっす」
背負っていたリュックから何かを取り出した、長方形のテレビ画面みたいな奴だ。
「なんだそれ」
「タブレットっすよ、まあパソコンの親戚と思って貰えればいいっすね……ちょっと説明すると門番を支援する組織にはプログラムを組める奴もいて面白いアプリを作ったんすよ、地獄の住人を探知する小型の観測機を作ってそれをこのタブレットに映し出せるんすよ、つまり地図上に奴らの位置を表示するって寸法す……能力を使う門番とは違う僕や姉ちゃんはいつも街中に観測機を設置して仕事しているんすが、もちろんこの高校も設置しているっす、だから画面に奴らの位置を掴める」
確かに画面にはこの学校の地図が表示され様々な場所に赤い光が点滅しているところを見るとそれがあの蟲共らしい、俺には難しい話は分からないがこの機会を使えば居所が分かることを理解した。
「それでここで質問すけど峻はまだ凍らせる力は残っているっすか?」
「まだ大丈夫だ」
「了解、なら作戦を伝えるっす。あいつらは皆川っちを狙っているから必ず追い掛けてくる、現に画面上の蟲は二階に集まりつつあるっすから全部ここに集めて後は一気に峻に凍らせて貰うって計画すけど大丈夫っすか?」
「このフロア全体をか、少し厳しいかもしれないがやれなくもない。ただ少し時間が掛かる、その時間を作ってくれればどうにかなる」
「時間を稼げればこっちの勝利っすね、そんな訳で皆川っちを抱えてここを走り回っていたら集まるはずっすよ……怖いだろうけど必ず守るから力をかして欲しいっすよ皆川っち」
「私で役に立てるなら……」
「……ごめんまこちゃん、でも必ず俺が守るから」
「前も守ってくれたから信じてるよ」
「じゃあ作戦決行っす!」
タブレット上に表示された学校の見取り図に奴らを示す赤い光が二階に集まりつつあるがまだ全部ではない、集まり切るまで逃げ続けるがやはり大群は狭いところに集まると遭遇率が高まり襲撃を受け易い。回避に専念してどうしても避けきれないものを蒼葉に任せた、そうすることで生存率が上がる。
「まだ集まらないのか!」
「もう少しっすから!」
床に、壁に、天井にと纏わり付いて逃げ場が無くなり始め俺達の動きが止まる、完全に囲まれて身動きが出来ない。蒼葉が全力を尽くし蟲の攻撃から俺達を守っているが圧倒的に不利で攻撃をさばき切れていなかった、このままでは大群に飲み込まれるのは時間の問題だった。
防御網の隙間を掻い潜るのに時間は掛からなかった、蒼葉を抜き去りまこちゃん目掛け飛び付く蟲は牙を剥き出す。
「あ、いや……」
「まこちゃん!」
一瞬の隙が悲劇を呼ぶ。
だがそれは今回ではない、それを確信させる光景が目の前に広がる。
鋭利を体現し、生命を喰らい、恐怖を植え付ける。しかし美しかった、悪魔の誘惑を再現した美しさから目が離せない。それは漆黒の大鎌、鼻先数センチにも満たない距離に浮かぶと誤認しているだけで大鎌の向こう側に圧倒的に歓迎の味方がいた、その名を死神。
死神スミスがまこちゃんを襲った蟲を鎌で切り裂く。
「皆川、佐波、怪我してないか!」
「スミスちゃん!」
「スミス! 丁度いい、蒼葉を援護して俺達を守ってくれ」
「分かった、オレが守ってやる!」
「助かる、蒼葉状況は?」
「もうちょっとっす!」
死神と門番の援護により回避が容易くなり希望が手を伸ばしそれを掴む。
「このフロアに全部入ったっす!」
「分かった! まこちゃん俺にしがみつけ!」
「は、はい!」
「全力で結晶の蒼を発動させる!」
壁に触れ冷気を注ぎ込む。巨大なうねりは生命体を無慈悲に飲み込みながら束縛、二階全体を猛襲し這い巡る。数匹敵の攻撃だと認識して逃げ出し始めたが逃す訳にはいかない、動くもの全てを絡め取り絶望を与えた。
ここに氷結地獄が完成した。
「はぁ、はぁ……」
さすがに力を使い過ぎた、だがこいつらを帰さないとな。次は紅の帰還を始動させ次元で隔てられた世界へ送る。
「凄いっすね二階のフロア全部が氷漬けっすよ」
即氷を解除すると気化して砕け散る、だが気温はそのままだ。まこちゃんを下ろすと急にめまいがして膝を付き肩で呼吸するこの状況ではこれ以上の戦闘は無理だろう。
「峻くん!」
「大丈夫か佐波?」
「あ、ああ、なんとかな……さすがに疲れたよ」
「お疲れ様っす、画面にはもう住人の気配はないっすよ」
「被害はなかったのは良かった…………だが、まだ終わってない」
もう一度立ち上がり息を整えた。
「終わってないってどう言うことだ佐波?」
「おかしいと思わなかったか? まだ夕暮れ、それなのにランクDの大群が現れた事実……太陽光は次元の壁を強固にする、だが完全ではないが容易く破れるもんでもない。ならば」
「人為的な要因っすね?」
「ああ、誰かが裏にいる」
その心当たりは一つだ。
「いつまで隠れているつもりだ! 俺達を見ているだろう、出てこい!」
反響して闇に飲まれる叫びを拾い上げるかのように謎の声が響いた。
『ふふっ勘の鋭い子がいるようね……』
廊下の先にいつの間にか誰かが立っていた、一番最初に注目するのは上下血のように真っ赤な男性用スーツ、中に着ている漆黒のシャツを崩し着して胸の谷間を晒している。つまりそいつは女だった、聖母のように大らかで清潔感溢れるフェイスは美しい、高い鼻、切れ長の目、弾力感のある唇、全てを魅了する金の瞳が焦がすように見詰める、青く長い髪の間から。
颯爽と現れ俺達を見下す如くニヤリと笑う。
「お疲れ様、これだけの大群を処理出来るなんてとっても優秀なのね、ワタシ戦闘を見ていたら感じて来ちゃった……とてもいい気分」
「お前は何者だ、なぜまこちゃんを狙う?」
「あらワタシがその子を狙ったという証拠があります?」
「この状況にお前がいることが証拠も同然だ」
「状況証拠だけで犯人にされるなんて……ま、推理合戦をしに来た訳ではないわ、ここは犯人はワタシですって言ってあげましょう、蟲の大群を退けた褒美に。ワタシはウェルミス、ご覧の通り美女と認識して欲しいわね」
愉快に笑う姿に苛立ちが募り冷静さを取り戻すべく深呼吸で状態を戻す、だがスミスが激怒のままに行動する。
「ムカつく女だな、皆川を狙っていただと? どうして狙うんだよ、返答しだいによってはオレがバラバラに切り裂いてやるぞ」
「なんて暴力的な女なのかしらね、でもその怒りはとても素敵だわ……そしてそれ以上に素敵なのはその子、ミナガワマコト……ワタシは貴女が欲しい」
「うえ、こいつ変態女か」
「随分な言いようじゃない、ワタシの趣味を悪く言わないで欲しいわね、貴女の鎌の方がよっぽど趣味が悪い」
「なんだと? オレの鎌を馬鹿にしているな?」
一触即発、だがその前に俺がスミスを制した。
「なんだ止めるな!」
「待ってくれ奴に訊きたいことがある」
「…………分かった、だが今度なんかおごって貰うからな」
「オッケーだ、済まないな……ウェルミス、まず目的はまこちゃんなのは間違いないな?」
「ええその通りよ」
「その理由は?」
「ふふっ、分からないようなら話す必要はないわね」
こいつ。
「ならこれなら答えてくれるだろう、お前……門番だな?」
「……どうしてそう思うのかしら?」
「夜以外で地獄の住人が出て来ることは希だ、普段は太陽光で次元の壁は強固だが人為的にそれを壊せる、それが出来るのは門番だけだ。俺達が持つ亀裂修復促進紙を利用すれば亀裂を作ることは容易い、あれは修復中はそっとしておくのが門番の常識だが刺激を与えれば爆発して逆に亀裂を広げてしまう。お前はそれを利用してこの街の亀裂を誘発させていたな?」
「そう、見破られているなら偽ることはないわね、ふふふ……貴方名前は?」
「俺は佐波峻だ」
「覚えておくわ、サナミシュン。さてとこの大人数からその子を連れ去るのは無理みたいだから出直すわ」
「逃がすと思っているのか?」
「捕まえられるのかと逆に問うわ」
全員が戦闘態勢に入るや否やウェルミスは手から白い球体を放り投げ床に触れた瞬間に世界が白に染まった、堪らず瞼を瞑るが残光がいつまでも眼球に張り付いて苛める。視力が戻ったのはしばらくしてからだった、身動きが取れなかった全員は奴がいなくなった後の廊下を眺めるしか出来ない、門番に支給されていた閃光球を使い視界を奪い逃走してしまったのだ。
「ちくしょうあの変態女絶対に許せないぞ!」
「さっきのは閃光球、本当に門番なんすか奴は……」
「ああ間違いない閃光球を使ったのが証拠みたいなもんだな……まこちゃん大丈夫か?」
「私は大丈夫……」
浮かない顔なのは予想していたが実際に目の当たりにしてしまうと胸が苦しい、狙われていることも伏せていたが露見してしまい不安と恐怖を与えてしまった事実はもう変わらない。
「まこちゃん、あいつなんかに指一本たりとも触れさせないから」
「峻くん……」
決意は固いが黒く染まり行く風景を睨む事しか出来ない現状に苛立ちが募るだけ、門番として、男として、輪廻の外として、自身を奮い立たせる。
存在しない者の存在価値を証明してやる。