異変の街
どうしてこうなってしまったのだろう。
下弦の月が薄ら笑う口に思えてしまいそうな程に動揺している、自立歩行を他人に任せ体を預けている、しかも今日初めて会った男の人にだ。
衝撃の出会いと非日常を多少体験した私に取ってこの状況も慣れなければならないのだろうかと自分自身に問い掛けるも返事はない、当たり前かと溜め息を一つ。
「ん? どうかしたのかまこちゃん」
悩みの種が話し掛けて来る。
「なんでもないよ、気にしないで」
この人は何も考えてないのではと疑う、そうではければ下着の上にワイシャツでけの姿をした女の子をお姫様だっこして夜の道を歩くと言う愚行はしないだろう常識的に。まだ人気がないことが救いだけどこんなところを知人に目撃されたらと思うと気が重い。
それに挙句の果てに家にお泊り?
まあ一応命の恩人だしあの狭間の世界からも抜け出せた訳だし感謝している、そのお礼で泊めてあげてもいいけど一番の問題はママだ。門限破りの言い訳もしなければならないのに頭が頭痛の元。
言い訳を考えながらマンションを出て徒歩十五分、すると私の家が視界に入り込む。
白壁と青い屋根の二階建のコンクリート作りで形成された家だ、長年住み慣れた愛着湧く我が家は住宅街の一角であり違和感なく風景と同化している。そんなリラックス出来るはずの場所に畏怖を感じて苦しい。
門限を過ぎたからきっと折檻が待っている、妙な格好で男を連れ帰ろうものなら想像を絶する地獄が待っている。
「落ち着け私、なんとかなる、大丈夫、大丈夫……」
あの人に見付からなければどうにかなる、頑張れ私、負けるな私!
心を強く持とうとしていたが悲しいことに玄関前に辿り着いてしまった。
「ストップ、作戦会議をするから」
「分かった、俺は何をしたらいい?」
「とにかく私を下ろして」
恥ずかしい状況からの生還は果たしけど問題はこれからなのだ、大げさに聞こえるかもしれないけどこれは命懸けの潜入だ。
「プランA、まずはどこかの窓が空いてないか調べよう」
「分かった、任せとけ!」
家を一回りして調べて行くが結果的に防犯意識が高い母親であることを思い知らされる結果となってしまったのが悲しい、一回周りは全滅で二階の窓は峻くんの特別な力を駆使して氷の階段を作り登って調べて貰ったけど徒労に終わる。
「簡単には入り込めそうにないぞ」
「さすがママってとこかな。ならプランB、玄関からそっと入るよ」
忍び足で玄関に近付きそっとドアノブを握りゆっくりと回す、良し鍵は掛かってない。
「ただいま……」
気付かれないように小声で中へと踏み入る。
「早く入って」
「分かった」
靴を脱ぬぎ見付かりませんようにと祈りながら異様に静かな廊下を進む、なんかドロボーをしているみたいだと妙な気分だ。玄関先の廊下を少し進んだら二階へと上がる階段を進ませて私の部屋に彼を招き入れれば一応隠せるかも、彼を先に二階へと向かわせ階段の一段目を踏んだ瞬間にそれが来た。
「まこと、なにしてんの?」
「ヒィッ!」
唐突過ぎる掛け声に心臓が飛び出してしまいそうだった、ついに見付かったと。
だけど今の声はあの人の声ではない、なら心当たりは一つだけ。声がした後ろへと振り返るとそこには誰もいない、と誤認しそうだけど視線を下げればお目当ての人物が現れる。
そこには私の弟である皆川心が不思議そうに見上げていた。
「な、なんだ心か、ビックリさせないでよ」
「まことがかってにビックリしたんだよ?」
心とは年が結構離れていて今年で八才になる、つまり小学校二年生。ほっぺが真っ赤なのが特長でとにかく可愛い、クリクリの目と小さな口、愛らしくてとにかく可愛い。小動物の愛嬌を兼ね備えていると言えるだろう。
私は弟を溺愛している、けど今は悠長にしてはいられない。
「心、お姉さんを今見なかった、お姉さんは二階の私の部屋にいるの、良い?」
「まことはここにいるよ?」
当然の反応だよね。
「いや、だからね……」
詳しく説明しようとした瞬間、頭に急な異変が。圧迫されたような、頭を鷲掴みされたような、変な感じ。と言うかどんどん痛くなって来るんですけど?
「あらあら、お帰りなさいまことさん。随分とお早いお帰り出すね?」
全身から汗が吹き出す。
「あ、あはははは、ただいま、あはははは……」
穏やかな口調で語る第三者だが私は知っている、そこに憤怒が潜伏していることを。壊れかけたロボットのように後方へと視線を移すとあの人がいた。いつの間に。
「マ、ママ……」
名前は皆川真美、栗色のショートヘアで私の髪の色は母譲り、口元のホクロがあるのが特長でそれが妖艶さを印象付け子供二人を生み育てているのにも拘らず二十代を思わせる肌とグラマラスな体を駆使して若い頃のパパを篭絡したとかなんとか。
しかしそんな逸話は通常時なら面白いかもしれないけど怒りを携えたママには冗談も効かない。幸運だったのは峻くんが素早く二階へと身を潜めてくれた御陰でややこしい話にならなくて済んだことか。
「まことさん、今何時だと思いますか?」
「ごめんなさい! あ、あのね、これには深い訳があるんだよ、すっごい深いの!」
「まあ、それは随分と深そうですね。でも、それが交渉の材料になると思いますか? それに、わたしが説得で意思を曲げるかしら?」
「……曲げません」
「はい、良く出来ました。では早速折檻しましょう」
「ちょっと待ってよ、それはさすがに酷い……」
「ふふっ、問答無用です。それにどうしてそんな刺激的な格好なのかも問いただしますね」
頭を掴まれたまま引き摺られ、廊下の一番奥に存在するママの部屋へと連行された。そこは地獄を体現する場所、そして折檻と拷問が同一視される。
「待って! 慈悲を下さい! 待ってよ、待って…………うぎゃああああああああああ!」
家中に悲鳴が木霊した。
小一時間程笑みを崩さないママの折檻に耐え、どうにか地獄から生還することが出来た。
ママは怒ると怖いなんて生半可も甚だしい、恐怖そのものであり天罰なのだ。肝心の折檻の内容は余りにも恐ろしいから声に出すことすらおぞましい。なので永久に内緒にしたい。
私の格好については着替えていた途中だと説明してどうにか沈静化してくれた、こんな格好で外にいたなんて言っても逆に信じて貰えないしね。
「まことさん」
「ヒッ! な、何かなママ……」
「どうしたんですか声が震えていますよ?」
「そうかな、あははは……」
「お腹が空いているでしょう? 今日はカレーライスを作っていますから食べて下さい」
「う、うん」
「それからすぐに着替えて来るように」
「はい……」
どうやらいつも通りの優しいママに戻っているみたい、本当に良かった。丁度お腹も空いているし、少し遅めの夕食にしよう。
階段を上がって一番最初の部屋が自室となる、ここの廊下で峻くんは不安そうにしていた。
「まこちゃん大丈夫だったのか? 物凄い悲鳴だったけど」
「き、気にしないで……とにかく隠れていて、もう少ししたら戻って来るから」
「分かった、待ってる」
部屋へと入る、内装は青を基準としていて六畳程の広さ、右側にベッドがあって左側には勉強机、部屋の奥に棚が設置されそこにはCDプレイヤーとホラー映画が好きだからDVDも何本か並べている。ベッドの横に置いてある巨大なクマのぬいぐるみがここのもう一匹の住人だ、小さい頃に誕生日プレゼントとして貰ったもので当時は良く抱き着いて寝ていたっけ。
私服に着替えながら思っていた男の人を自分の部屋に招く日が来るとはと、見られてまずいものはないかと大急ぎで片付けた。これで大丈夫だと思うけど。
着替え終わって外へ行くと峻くんの姿はなく上手く隠れたことを確認してダイニングへ、そこには空腹を促進させる香りが出迎えた、席に腰掛けると私の横に溺愛する我が弟が駆け寄って来て笑顔を振り撒く。
「まことまこと、しりとりやろ、しりとり!」
心はしりとりがマイブームだ、いつもしようしようと言って来る姿がもうキュート過ぎて悶えてしまう、本当に可愛い奴め。
「良いよ。じゃあしりとり」
「り、り、えっとね……リンパセン!」
なんでそれをチョイスしたのだろう、しかもんが付いてるし。
「んが付いたね、私の勝ちだよ」
「むぅうううう!」
頬っぺを膨らませて悔しがっている姿がもう堪らなく愛くるしい、マジで可愛いよこの子。心とは年が離れている所為なのか目に入れても痛くはないと断言出来る、つまり親バカならぬ姉バカなのだ。
「もっかいもっかい!」
「良いよ、じゃあ次は心からどうぞ」
「うん! うんとね、えっとね……ぜいきんもんだい!」
本当に小学校二年生? そんな言葉をどこで覚えてくるのだろう。多分意味は理解していないのだろうけど。
「……犬」
「ぬ、ぬ、ぬ……ぬるいたべもの!」
「そんな答えはダメだよ。はい、また私の勝ち」
「むぅうううう!」
また悔しがる姿を拝めた、それが私の心を刺激して理性を崩壊させる。もうダメだ、我慢出来ない! 心を思い切り抱き締め、膨らんだ頬を指でツンツンしてやる。
「わあ! まことやめろぉ! くすぐったい!」
何これ、もの凄く柔らかくてマシュマロみたい、これは病み付きになりそう。
「まことさん、食事の用意が出来ましたよ……あらあら? また心ちゃんを苛めているんですか?」
「もう人聞きが悪いな、苛めじゃなくてこれは姉弟のスキンシップ。ほら心も嬉しそうにしてるじゃない」
「ううっ! まことのおにぃ! あくまぁ!」
「スキンシップには見えませんけどね。でも楽しそう、わたしも混ぜて下さい!」
そんな訳で私とママで心をおもちゃにして弄んだ。
私の家族はいつもこんな感じで賑やかだ、ママは優しくて料理も旨い、だけど怒らせてしまうと死を覚悟する必要がある。心は無垢で可愛くて笑顔の眩しい天使、それを見るだけで活力となる。
ちなみにパパは長期出張中で今はいない、少し寂しいけど仕事だから仕方がない。
心行くまで弟と遊んだので夕食を食べることにした。
「うん、やっぱりママのカレーは最高だよ」
「あらそうですか? まことさんだって最近はお料理の腕が上がって来ましたよ?」
「そうかな、それが本当なら嬉しい」
「本当ですよ。さてと、そろそろ心ちゃんを寝かし付けないといけませんね」
テレビを見ていた心はママの声に反応してぐずらずに電源を落とした。
「さあ心ちゃん、歯磨きして寝ましょうね?」
洗面台へと連れて行こうとしたが弟はそれを制する。
「いいよ、ぼくひとりでできるもん!」
「あら……そうですか? そうですよね、心ちゃんはもうお兄さんですものね」
「うん! おにいさんだもん!」
そう言って愉快そうに駆け出して行くお兄さんな弟、子離れ出来ないママは寂しそうにその背中を見詰めていた。
「……寂しいものですね」
「ああやって大人になるんだよ」
「そうかも知れませんが……そう簡単に納得出来ません。よちよちとわたしの後を追い掛けて来た心ちゃんは本当に愛らしい姿で……いえ、これ以上は何も言いません、大人になったと素直に喜ぶのが正解だと思います。なのでまことさん、早く大人になって下さいね?」
「へ?」
意味深な言葉を残してママは逃げるようにキッチンへ。
「それって私がまだ子供ってこと? ちょっとママ!」
「まことさん、食事を終えたらお風呂に入っちゃって下さい」
「話を逸らさないでよ!」
もう茶化してさ、私ってそんなに子供っぽい? ママの方が子供みたいだと思うけどな。
納得いかないまま食事を終えてお風呂に入るとほっと出来た、お湯の心地良さが今日あった非日常をとろけさせる感覚に夢ではなかったのかと思わせた。しかしこの目はしっかりと非日常を現実だと捉えている。
私の知らない世界は確実に存在している、自分が知り得たものが世界の全てではない。
なんて面白いことだろう、自分が知る常識を超えたものを間近で感じ取れることにワクワクしている。
怖い思いもしたけど好奇心の方が大きい、平凡な日常は好きだし壊れて欲しくないと願っているけど非日常って響きは魅力的で胸を熱くする。
でも魅了されたことが罪のようで痛み入る。
化物も不思議な力も現象も空想の中だけで栄えているものだと思っていたけどそれらと邂逅したのは運命だったのだろうかと夢見る乙女を装ってみたら少し恥ずかしくなったので自重することにした。とにかく興奮を落ち着けなくちゃ。
お風呂から上がる頃には落ち着いていつもの自分になっていた、青色のパジャマに着替えて
二階の自分の部屋へ向かい彼を探す。
「……あれ、峻くんはどこ? もういいよ、出て来て」
「分かった」
誰もいない廊下に響く姿無き声を不審に思って後を辿ってみると視線は天井へ、両手両足を氷で固まらせて張り付いている地獄の門番の姿が。
「うわあ忍者みたい」
「これ便利だろ? 色々と多用出来るんだ」
「凍り冷たくないの?」
「能力の使用者には冷たさを感じないのもこれの特長だ」
自慢げに笑う。
「ちょっと声が大きい、早く入って、ママが来たら大変だから」
「あ、ああ、すまない」
氷を難なく解除して廊下に降り立ったけど着地音が廊下に木霊すると冷や汗が吹き出す、彼と顔を合わせてしばらく神経を尖らせるが音沙汰はなく気付かれなかったらしい。
「し、静かにね」
「悪かった、静かにする」
部屋へ入れて静かにドアを施錠して訪問者をベッドに座るように促した。
「へえ、綺麗な部屋だな掃除が行き届いてるようだし綺麗好きなんだな」
「え、まあね、あはは……」
そりゃあ慌てて片付けたからね。
「へえ、まこちゃんのお風呂上がり姿っていいね、色っぽい」
「恥ずかしいこと言わないでよ」
「本当のことを言っただけだ」
恥ずかしげもなくさらりと言うところがずるく感じるのはどうしてだろう。話を変えなきゃこっちがまいってしまいそうだ。
「えっと、そうだ、バタバタしてたけど峻くんご飯食べてないんじゃない?」
「あーー、そう言えば食ってなかったな」
「じゃあ私が簡単なものを作って来るから待ってて」
「え、いいのかよ」
「遠慮しないで一応命の恩人なんだしこれくらいはさせてよ」
そんな訳で急いでキッチンへと出向くと思った通りママはお風呂に入っていることを確認出来た、急いで作らなきゃと炊飯器を確認するとまだご飯は残っているからおにぎりと冷蔵庫からたくあんと、市販のわかめスープがあったからそれを用意しよう。おにぎりの具は色々入れて味に飽きさせない工夫を凝らしているとあることが気になってしまった、男の人はどれだけ食べるのだろうかと。
男性におにぎりだけど料理を作ったことなんかないし家にはパパがいないからどれくらいの量を食べるのか知る術がない、おそらく多めに食べると思うからいっぱい作った方がいいのかと思案して自分が食べる量よりも倍近く増量した。
どうにか見付からず無事にキッチンを脱出して二階へ、自室に入ると彼が珍しそうに部屋を眺めていてなんだか恥ずかしい。
「あ、あんまり見回さないでよ恥ずかしいから」
「ああごめん、女性の部屋は初めてだからさ、ついな」
「別に普通の部屋だから……あ、大したものじゃないけどご飯どうぞ」
「お! 旨そうだな、しかもボリュームも凄い」
あれ大過ぎたかな、でも喜んでいるようだしいいのかも。
机の上に置いて彼を招くと嬉しそうに従う姿に愛らしさを感じてしまい犬に餌付けしているような感覚で失礼な想像をしてしまった、だって今にも尻尾を振ってしまいそうな程にいい笑顔だったから。
何故だろう峻くんの表情に母性をくすぐられる感じがする。
「ん、俺の顔に何か付いてるか?」
「へ! 気の所為だよ、うんうん、気の所為気の所為、あははは……」
「そうか? まあいいか、せっかくの料理が冷めたら勿体ない。頂きます」
おにぎりを頬張ると表情を明るくしてご満悦の様子だった、具はツナマヨや昆布の佃煮に高菜などバラエティ豊かな内容だ。
「旨い! まこちゃんは料理上手だな」
「上手って具を入れて握ってるだけだよ」
「いやいや、このおにぎりって奴も握り方も絶妙な硬さで違うもんだ、俺の保護者が作ったのはボロボロでおにぎりじゃなかったしな…………うっ、なんか酸っぱいぞ」
「え? ああそれは梅干だよ。もしかして初めてなの?」
「これがウメボシか、噂には聞いていたが本当に酸っぱいんだな」
もう一口食べてまた酸っぱそうにするけど気に入ったらしく黙々と食べていた。
さて、食事が終わったらどこで寝させようか。私のベッドで一緒に寝るなんて論外だし空いている部屋はあるけどママに見つかる確立が非常に高い、ならこの部屋の床に布団を敷けば問題なし、とはいかない。
男の人と同じ部屋で寝るってことの衝撃は私には強すぎる、厳密には二回目だけど。
「じゃあ床に布団を敷くからそこで寝て」
「分かった、今日一日だけだからよろしくな」
「うん、変なことはしないでよね」
「変なことって?」
冗談交じりで言ったのに真面目に質問されても困るな、なんて言おうかと悩んでいると不意にそれが二人の視線を縛った。
そこは窓から伝わる異音、この向こうにはベランダがあって音はそこからだと思う。
「今の物音は何?」
「分からない、だが誰かがいるような音だった……何かいるぞ」
「え、まさか泥棒?」
「もしくは地獄の住人、抜け出したのはワニだけではなかったのか」
「ちょっと待ってそれって危険じゃない、ここにはママと弟がいるのに」
「大丈夫、俺が対処する」
緊張感が増す中で彼はカーテンで仕切られた窓に近付くと瞳を青にして能力を使う為に待機した、けど部屋が冷まされて行く。
「うう、またこれだよ」
「すまん、我慢してくれ」
ベッドから毛布を取って体に巻くと多少緩和されて温かいけど毎回寒くなるのは勘弁して欲しい、でも緊急事態だから仕方がないと覚悟したその時窓の外から声が放たれた、一瞬体を固くしてハプニングに備えた。
けど、その声は化物に程遠い。
『おい、ここにいるのは分かってるんだぞ!』
「あれ? これって女の子の声?」
「……この声は」
「もしかして峻くんの知り合い?」
『聞こえないのか? おい佐波!』
一発で知り合いだと丸分かりだった。
「……ごめん、家に入るの見られてたらしい」
力を解除させカーテンを開けるとベランダに小柄の女の子がご立腹だと仁王立ちしていた、銀の髪の綺麗な人。
『ほらオレの目に狂いはなかった、こんなところで何しているんだ佐波!』
「し、峻くん中に入れてあげて声大きいから近所迷惑だし、ママが気付いちゃう」
「分かった」
窓を開けて彼女を迎え入れると私と目が合う、銀の髪の隙間から覗く鋭利な金の瞳が綺麗で美しさと可愛さを兼ね備えた、とても神秘的な少女だ。私と同じくらいか年上だと思うけど睨まれてる。
「なんだこの女は?」
殺されかねない程の威圧を持つ眼力に圧倒されそう。
「あの、私は皆川真って言います、峻くんに地獄の住人から助けて貰ったんです」
「佐波が助けた? ほーーう、住人を知ってるってことは説明を受けたのか」
「は、はい……」
上から下まで観察されて緊張するな。
「おいスミス、失礼なことをするな、困ってるだろうが」
「ふん、佐波は世間知らずだからな、どんな女か見極めないと貴様が苦労するんだぞ?」
「苦労ってなんの話だ?」
「皆川って言ったな? 佐波はこの女と交尾したいんだろ?」
「こ、交尾って!」
「は? ス、スミスお前何言ってんだよ!」
「何ってオスとメスが同じ部屋で二人きりなんだ交尾する以外の何があるって言うんだ」
「馬鹿かお前! オスメスじゃなくて男と女だ! それにそんな気はない!」
「意気地なしだな佐波は、やはり常識知らずだな」
「お前が常識知らずだ!」
私の前で妙な話題で言い合いしないで欲しいなと顔を真っ赤にしてそんなことを思っていた。
「なんだと? 佐波!」
「なんだ!」
「腹減った、なんか食わせろ」
リアルでずっこける人を初めて目撃した瞬間だった、見事な転びっぷりの峻くんは滑稽で転ばせた原因が大爆笑していた。
「はっはっは! 佐波は面白いな!」
「誰の所為だよ!」
「そんなのは知らん! とにかくオレは腹が減ってるんだ!」
「横暴過ぎるだろ……まこちゃんこのおにぎりこいつにやってもいいか?」
「それは構わないよ」
「悪いな。ほらまこちゃんにお礼を言えよ、このおにぎりを作ってくれた人だ」
「おにぎり?」
机の上にあるおにぎりを掴むと暫く見詰めた後そっと口にした、すると表情を一変させる。
「旨い! これは旨いぞ!」
瞬く間におにぎりは消え去って彼女の胃の中へ、凄い食欲。
「こんなに旨いものは久し振りだ、皆川だったな貴様は天才だな! 気に入ったぞ!」
八重歯を剥き出しで笑う姿に先程の殺伐さはなくなって親しみ易さを醸し出していた。
「あ、ありがとうございます……えっとスミスさんでしたよね」
「おいおいオレ達は友達なんだそんなよそよそしくするな」
「図々しい」
「なんか言ったか佐波?」
殺気を込めて峻くんを睨み付ける。
「何にも言ってません」
「ふふん、それでいいんだ」
この二人の関係性が大体これで察した、彼女の尻に敷かれているんだな。
「皆川オレ達は友達だな?」
「う、うん、友達です……あ、友達だよ」
「だよな! オレのことは気軽に呼んでいいぞ」
「あーー、じゃあスミスちゃんって呼ぶよ、よろしくね」
「おう! いいな、人間の女の友達は初めてだ」
「人間のってことはスミスちゃんは……」
まさか地獄の住人?
「察しがいいな、まこちゃんこいつは地獄の住人でランクはA、そして死神なんだこいつ」
「へーー死神ねえ…………え、死神ってあの魂とかあの世に連れて行っちゃうあの?」
「はっはっは! そうだぞ、オレはヘルヴェルトの死神スミスだ! ほら証拠見せてやる」
証拠が部屋に広がる、それは漆黒で人間にはありえないものが彼女の背中から伸びていた。それは翼、蝙蝠の羽に酷似した黒い翼が人間以外の者の証拠だった。そしておもむろに手の平を突き出すと中央部が黒化し始めそこから植物が生えるかの如く棒状のものが飛び出し、それに刃が付属されていた。これは死神が持っている鎌だ。
「どうだオレの自慢の鎌だ! これは死神の中でも一番の切れ味を持つんだ」
「凄い……けど」
狭い部屋の中で翼を広げて鎌を出されると窮屈だった。
「凄いのは分かったから直ぐにしまえ、狭いんだって」
「なんだこれからオレの鎌がいかに凄いかってことを教えてやろうと思ったのに」
「それはまた今度な、狭い場所じゃ鎌が本領発揮出来ないだろ?」
「むーー確かにな、ここじゃ全部切り裂いてしまうか……すまんな皆川また今度見せる」
「あ、気にしないで」
正直助かったしね、これは本人には言えない。
突如の乱入騒ぎで慌ただしかったけどスミスちゃんのお腹がいっぱいになることによっておとなしくベッドに座ってくれた、雑談をして彼女のことを色々と知ることが出来た。
地獄世界ヘルヴェルトでは亡くなった人間の魂を死神が連れて行き輪廻転生を管理しているそうだ、手当たり次第連れて行く訳ではなく向こうには死者のリストと言うものがあって寿命が尽きる者を連れて行くらしい。
一般的な地獄は悪いことした人間が落とされて罪を償う場所だけど話を聞いているとだいぶ印象が違う、輪廻転生って生まれ変わることだからそれを司っているのは普通は天国とかになると思うけどそこだけでも認識していたものとは異なる。
「へへ、これでもオレは優秀な死神だからな、給料も高いんだぞ」
「……え、死神ってお給料貰うの?」
「当たり前だろ? タダ働きなんてまっぴらだ。それにちゃんと保険とか労災も出るし社宅とかもあって中々働きやすい職場だぞ」
「そ、そうなんだ……」
今まで抱いていたイメージとは百八十度も違う、ファンタジックな想像は吹き飛んで現実的過ぎる地獄情報に唖然としつつちょっと面白いと思った。
「夜通し語ろう皆川、貴様のこと知りたい。そんな訳だ佐波は外で寝ろ」
「は? ふざけんなよいくら春だからって夜は寒いんだぞ」
「これから女同士の話をするんだ男は邪魔だ」
「だからって外はマジで勘弁してくれ風邪引くって」
「むーー仕方ないな、じゃあアレをするか。細いことするの苦手なんだがな」
「アレって……まさか、ちょっと待て、お前苦手だろうが!」
「大丈夫だ最近練習したんだぞ、ちょっとだけ」
「ちょっとだと! ま、待て!」
スミスちゃんの金の瞳が輝き始め峻くんと視線を交わす、すると崩れるように彼が床に倒れて動かなくなってしまった。
「え、峻くん! ど、どうなってるの?」
「死神が使う瞳術だ。色々な術があるがその中にある強制的に眠らせる術を使ったんだ……どうやら成功したようだな」
「どうやらって……」
「鎌とか振り回すのは好きなんだがこういった術とかは面倒臭いからあんまり練習してないんだ、この前佐波に強制睡眠を掛けたら術が掛かり過ぎて数日起きなかった。だが今回は練習したから朝には目覚める……多分な」
今不安な台詞を聞いたような。
「これで女だけの話を始められる、佐波も男だから夜中に発情して襲ってくるぞきっと、そうなると話が出来ないからな」
眠っている間に色々言われてるよと哀れみを込めて眺めてみると気絶同然で眠っている姿にこのままでは風邪を引くと布団を敷くことにした、スミスちゃんに手伝ってと頼むと快く引き受けてくれて軽々と抱き抱える姿に力持ちなんだと安易な感想を思うのだった。そのまま下に布団を引きそっと寝かせてもらい一段落、小さな寝息に一応の無事を確認しつつ私達もベッドへ。
夜遅くまでスミスちゃんとの会話を楽しんだ、地獄での暮らしはこちらの世界とほぼ変わらないとかどんな食べ物が好きだとか他愛ない話で盛り上がった。彼女との距離が近くなったと自負して夜が更けて行く。
翌日、目が覚めて一番最初に見たものはスミスちゃんの可愛い寝姿だった、眠っている姿はもう外国の人形のような美少女そのものでゴスロリファッションが似合いそう、それからファンタジーに出てくるお姫様の格好をさせても違和感はないと思う。そんなことを考えているといつの日か彼女のファッションショーをしてみたく思ったけど同時に視界に映り込んだ物が現実に意識を根付かせた。
ベッド横にある目覚まし時計が起床時間の七時になろうとしていた、学校に行く支度をしなくちゃと起床して部屋を一瞥したら峻くんの姿がないことに気が付く、死神の瞳術がちゃんと成果を果たしていた証拠だけどどこに行ってしまったのか。
スミスちゃんを起こさないようにそっと立ち上がり彼を探してみるとどこにも見たらない、廊下やベランダ、後は二階の部屋を一応確認したけどいなかった。気掛かりだけど学校に行かなきゃいけないから捜索を中断して高校の制服に着替えて一階へと降り洗面台で顔を洗い歯を磨いていると可愛い弟の心がまだ眠そうにこちらにやって来た、この心も可愛いなあ。
「おはよう心」
「うーーおはようまことぉ……」
「やっぱり朝が弱いね心は、ほら顔を洗ってスッキリしよう」
促して顔を洗わせると冷たいと可愛らしい声を上げたので心が満たされたので気分が良い、どうしてこうも可愛いのかな心は、私の弟で本当に良かったな。スマホがあったら直ぐに写真撮るのに。
ん? スマホがあったら?
「……そう言えば私のスマホどこだっけ?」
ポケットにはないし部屋でも見当たらなかったし鞄に入れてたっけ? と言うかそもそも私の鞄すら行方不明なんだけど。
そう言えば地獄の住人に連れ去らわれてからの記憶が曖昧だからその間に鞄を何処かで落としたのかもしれない、色々と非日常的なことが有り過ぎて忘れていた。やばい、確か今日は苦手の数学の宿題が出てたんだ。
「どうしたのまこと、かおがあおいよ?」
「へ? そうかな、あははは……」
鞄を落としたとしてそれはどこだろう、昨日のことをよく思い出さなきゃ。学校の放課後までは覚えているから問題はその後、友達と途中まで一緒に帰って別れた、そして……。
ダメだ、その後はマンションの部屋で起きたことしか思い出せない。地獄の住人に襲われた瞬間の記憶がないって怖いな、でもないものは仕方がないのだ。
「まこと?」
気が付くと長らく思考に時間を割いていたらしく心が覗き込むように私を見上げていた、その姿も可愛いと思いつつ大丈夫だと伝えリビングに移動する。
「あら心ちゃん、まことさんおはようございます」
「おはようママ」
「おはようございます」
丁寧にお辞儀する弟の姿に今直ぐ抱きしめたい衝動をどうにか抑えて平常心を保つ、姉バカを前面に出してしまうと自分を抑えきれずに可愛がってしまうから。でも緊急事態が発生しているからそれどころではないのだ、私の鞄をどうにかして探し出さなければ。
朝食を手早く済ませママの手作り弁当を受け取って一度部屋に戻るとスミスちゃんが今起きたところだった。
「ふあぁ、もう朝かよ……あれ、佐波はどこに行った?」
「私が起きた時にはもういなかったよ、どこいったんだろう」
「ふーーん…………術、ちゃんと掛かってたか」
「そうみたいだね。えっと私もう学校に行かなきゃならないからスミスちゃんはどうする?」
「んーー、オレは腹減ったぞ」
「え、どうしようこっちも時間ないから…………そうだ、峻くんを探してご飯をおねだりするといいよ、きっと美味しいものをご馳走してくれるはずだよ!」
「おおそうか! あいつにねだれば良かったのか! だったら早く探さないとな!」
ごめん峻くん時間ないからスミスちゃんを頼むねと心で謝ってベランダに出て自分の背中から翼を広げる彼女を見詰める。
「じゃあ気お付けてねスミスちゃん」
「おう! ……そっか、皆川はこれから学校か……」
何かを呟いてあっと言う間に上空へと飛翔する、死神って空を飛ぶんだなと観察してから登校を開始した。
通学路でのミッションが追加されたのが痛い、自分の鞄が落ちてないかを探す無謀そうな探し物。見付かるかは不明、だけどなければ学校生活に支障を来す可能性も秘めている、こんな時に峻くんみたいな力があったならこんな悩みを直ぐに吹き飛ばしてくれるような気がするよ。
そんな現実逃避気味な考えを蔓延させながらいつもの道を歩く、手ぶらで。
だからだろうか、それとも願ったからだろうか。
記憶が途切れる前の通路に差し掛かって何気に電柱を視界に組む込むと見慣れた物を発見したのだ、それは学校指定の栗色をした鞄が立て掛けてあり括り付けられた交通安全のお守りが私のものだと証明している。
嘘、こんなところにあるなんて。早速拾い上げて中身を確認してみると教科書も筆箱もスマホも無事だったのだ。
「奇跡だ」
無事に見付かって良かった、これがなかったら本当に困るからね。
「あれ、でも……」
どうしてわざわざ電柱の影に置いてあったのだろう、地獄の住人に襲われて落としたのなら綺麗に立て掛けられた状態で発見されるのだろうか。
違和感が纏わり付く。
「……今考えても分からないよね、とにかく学校に行かないと」
疑問と共に早朝の道を進む。
住宅街を過ぎて商店街先の西側に続く橋を渡り駅前を少し過ぎた場所に私の通う母校である私立月影高等学校が聳えている、生徒数は三百人程で普通科の普通コース、大学進学コース、体育コース、英語コースと別れていて私は普通コースだ。
将来のことは漠然としていてまだ考えてない、何がやりたいのかも分からないから取り敢えず高校には通わないとって感じで中学時代は勉強していたっけ。三年間で答えが出るかは未知だけど今のところは友達と楽しくやっている。
まあ悩ましいことは入学早々クラス委員に選ばれてしまったことだろうか、小学校からの幼馴染みで親友がクラス委員を選ぶ時に私を推薦した、確かに中学時代もクラス委員をしていたからって高校でもすることは無いよと反論するも先生が即決してしまったのが憎らしい。しぶしぶ引き受けるけどやるからには最後まで全うするのが私の信条だ。
いつも頑張ろうと気合を入れてから校舎に踏み入っている、これはもう日課なのでいつものように中へ。教室に行くと仲の良いクラスメイトと挨拶を交わして席に着く、それからしばらくして私の親友が遅刻ギリギリに登校するのだった。
「危なっ! セーフねセーフ!」
「いつもギリギリだねあいか、たまには教室に一番乗りとかしてみたら?」
「ふっふっふ、あたしにそんな超能力が有る訳がないじゃない」
「普通の登校は決して超能力ではないよ」
「それは嘘ね、遅刻ギリギリこそ人間らしい行動なのよ」
「意味分からないよ」
こいつは親友の野口愛花、気が強くて時には男子を圧倒するスペックを保有している。スタイルは抜群で美人に該当する、肩に掛かる程度に伸ばされた黒髪は少し癖っ毛で天然ウェーブになっている、切れ長の目と高い鼻がより一層と大人びて魅せ、おまけに背も高い。なので男子に人気なのだが生憎、あいかには彼氏がいたりする。羨ましいと思うけど、それを本人に伝えてしまうと自分が負けた気がするので黙秘を貫くと決めている。
情けないな私って。
「……あたしの顔に何か付いてるの? さっきからずっと見詰めてるけどさ」
「目と鼻と口が付いてる」
「……いや、知ってるし面白くない」
私にギャグセンスはないらしい、悲しいことながら。
「あそうだ、ねえあいか数学の宿題やって来た? ごめんちょっと見せてくれない?」
「はい? あんた本気で言ってんの? まことが宿題忘れるなんて初めてじゃん」
「あはは、ちょっと色々あって……お願い見せて!」
「うわあ、いつもそれはあたしの役なのになんだか新鮮で面白い、いいねこの優越感、まことに恩を売るって悪くないね」
悪々しい笑みを浮かべ鞄から数学のノートを取り出して私の目の前で揺らす。
「ほれほれ、珍しく自力で宿題をやったあたしの努力の結晶だよん、欲しい?」
あいかめここぞとばかりに。
「ぐぐぐっ……は、はい……欲しいです」
「声が小さいな、もっと大きな声で」
なぜか頬を赤らめているあいかにイラッとするけどノートがないと数学の先生に怒られるよ。
「欲しいです!」
「なんか興奮するね」
「変態っぽいんですけど!」
「まあ冗談はここまで。いつもまことには助けられているからねここで恩返し」
ノートを手渡してくれた。
「ありがとうあいか!」
「昼休みは売店で何か奢ってね!」
利益を求める妙な恩返しであった。私の感動が台無しだよ全く、でもありがたいのでその条件を飲む。
「さすがまこと話が分かるクラス委員ね、推薦して良かったよ」
「クラス委員関係ないからね」
ぶつくさと言いつつも数学のノートを写し始め少し時間が過ぎると担任教師がホームルームにやって来た、坂下優美先生はセミロングパーマで可愛らしい感じに幼顔で男子生徒から失礼だけど見た目だけなら可愛いと評判だ、ただ性格に問題があるのが欠点だ。
「うーーい、ホームルーム始めるぞ、席に着けアホ共」
欠点一口が悪い。
「おいこら! 早く席に着けって言ってるだろが!」
欠点二短気。
「もう優美を怒らせないでよね? ぷんぷん!」
欠点三たまにぶりっ子。これにムカついている女子が多いけど先生の弱点を突くことによってクラス崩壊が免れていたりするのはここだけの話、現にムカついているあいかが弱点を突こうと狙いを定めていた。
「先生質問!」
あいかが動く。
「おうなんだ?」
「先生彼氏ってどうやったら出来ますか!」
「……か、彼氏だと?」
「いやあ先生程の美人なら男の一人や二人手玉にとってそうだから聞きたいなって思って!」
「そ、そりゃあ優美程の美人になれば一人や二人……まあ学生に話すようなことは無いな!」
彼氏が今までに出来たことがない事実をクラス全員が知っているのであった。
「まあそんな感じで後はよろしく!」
逃げ出した、勝ったと勝利の余韻に浸るあいかに数人の生徒が健闘を称えている姿にカリスマ性を見たのは気の所為だろうか。
そんなこんなで授業を受け難関だった数学の時間を乗り越えて昼休みが訪れた、学校での楽しみの一つはやっぱりお昼ご飯だね。
「まことあたし売店に行くから付いて来てよ、奢りよろしく!」
「はいはい、分かってるよ」
一階にある売店まで来るとそこは昼ご飯を求めて来た生徒で溢れている、みんなここの名物であるカツサンドを目的に行動している。一度食べたことがあるけど安くてボリュームがありとても美味しかったのを覚えているのでこの人気も納得だ。
「カツサンドなくなる! 行くよまこと!」
「あそこに飛び込むのか……」
嫌だなと思っていると理由は不明だけど嫌な感じを受けた、何だろうこの感じ。
「ん? まこと、どうしたの?」
「分かんないけど、嫌な予感が……」
その予感は的中する事になる。売店の窓から外を眺めると男子達の群れが出来上がっていて何かを囲んでいるようだった。目を凝らしてそこに集中すると校庭の真ん中、大群の中央に銀色の髪の女子生徒がいた。
「あれ……いやまさか……でも……」
留学生ってことも考えられると思うのだけれど確かこの学校にはいなかったはずだしもしかしたら転校生だって思えば都合がいい、現実逃避には。
だけど現実は違うのだ。
「ごめんあいかちょっと行ってくる」
「は? え? ちょ、まことぉ!」
売店を抜け出して昇降口へと向かい靴に履き替えて外へ、男子の群がりに辿り着くとある女子を質問責めにしていた。
「ねえ外人の君、転校生? どこから来たの?」
「なんだ、オレに話し掛けるな!」
「マジ美人!」
「日本語上手だね!」
聞き覚えのある声に予想は的中し少し絶望しつつも大群の中に飛び込んだ。
人が多くて中々前に進まない。
「ちょ、通して、痛てて……」
「お! 皆川!」
彼女は満面の笑顔で手を振っていた、その女子生徒は予想通りスミスちゃんだった。
「やっぱり……こんなところで何してるの?」
「何って暇だったからな! 学校見に来たぞ!」
「暇って……」
死神の仕事は無いのと突っ込みを入れようとしたけど男子の大群の前では言える訳も無く彼女の手を無理やり引っ張って行く。すると嫌な視線を感じた、発生源は男共だ。睨んでるし。
「皆川、腹が減ったぞ!」
「……あれ、峻くんと会えなかったの?」
「あの野郎どこに行きやがったんだか、今度あったらぶん殴ってやろうか」
「暴力はいけないって……えっととにかくここじゃ目立つから付いて来て」
「おう分かった」
「職員室行こうね!」
と言ってこの場を離れてどうにか体育館の裏まで来れたのでほっとした、昨日から予想外過ぎて面白いけど疲れるな。
「スミスちゃん、学校に来ちゃダメだよ」
「どうしてだ?」
「えっと基本的に学校に通っている生徒じゃないとは入れないんだよ」
「ふーーん、面倒臭いところなんだな人間界の学校って、オレが学生だった頃は……」
「え、死神も学生時代ってあるの?」
「当たり前だろ? 死神の専門学校もあるしな。ま、オレは由緒正しい死神の家系だから学校とか行ってないけどな」
新事実を知ろうとは夢にも思わなかった、本当に地獄って人間界っぽい。
「腹減ったぞ、何か食わせろ」
「えっとじゃあ売店で何か買って来るからここで待ってて?」
「おう!」
急いで売店に戻るとこっちを不満そうな顔で睨んでいる待ち人あいかの姿を見掛けてしまったと思ったが緊急事態だからなんとか誤魔化さなきゃ。
「遅い、どこ行ってたのよ」
「えっとちょっとクラス委員の仕事思い出してね、あはは……」
「嘘だね、あんたが何か隠し事がある時の笑い方がわざとらしくなる」
さすが幼馴染み私を全て理解している。
「分かった降参、実はね親戚の子がここに来ちゃってね」
「親戚?」
「そう! 昨日遊びに来てね、だから少し話したら帰すよ」
「こんなところに遊びに来るかな普通」
鋭いな。
「ま、まあ変わった子だからね! あはは……」
「…………まさかその子って男? まさかあんた彼氏が出来たの!」
「ち、違うよ! その子は女の子で……」
「あたしに嘘は付けないよ? そっかまことがついに……で、どんな奴? あたしが見極めてやろうじゃない、あんたに相応しいか!」
「え? ちょ、違うったら! もう!」
逃げるように売店で売れ残りのパンを数点購入してあいかの分を渡して走り去った。
「まこと! もう恥ずかしがり屋だな」
なんか言ってるようだけど気にせずに校舎裏へ、その間目新しい銀髪少女を連れ去った女なので男子達の視線を感じてこれからの学校生活が不安になりつつ目的地を目指す。退屈そうに地面の石を弾かせて遊んでいるスミスちゃんが私を発見した途端に満面の笑顔を咲かせて八重歯を晒しながらハニカム。
可愛い、こんな妹がいたら楽しいだろうな。
「お待たせ」
「待ってたぞ!」
久し振りに再会した家族のように私を抱きしめる。
「い、痛たたたた!」
「おお悪いつい力を入れ過ぎた許せ」
「つ、ついじゃ仕方ないよね……」
力強い、さすが死神ってとこかな。買って来たパンを差し出すと子供のようにはしゃいでパンを食べ始めた、食べる姿が幼児のようにほっぺを膨らませて食べていて弟の心を思い出させる。もちろん心は可愛くて私の天使、スミスちゃんもいいな。
「そういえば失礼だけどスミスちゃんって何歳?」
「ほふ? ほれほほしか?」
「食べ終わってからでいいよ」
「むぐむぐ……むぐ! オレの歳か? 何歳だと思うんだ?」
「えっと、十五歳……とか?」
「くくくっ、オレがそんな赤ちゃんな訳がないだろう。まあ確かに歳よりも若く見られてなめられることはあるけどな」
「十五歳が赤ちゃんなんだ……」
「オレは千百二十一歳だ、まだ成人じゃないけどこれでもちゃんと仕事してるんだからな!」
「せ、千って……」
もの凄い年上だった。
「皆川は何歳だ?」
「私は……今年の九月で十六だよ」
「え、皆川貴様は赤ちゃんだったのかよ……大きな赤ちゃんだな」
もう基準が分からないよ。なんだろうここが変だよ人間って言われているようなカルチャーギャップを感じている。
驚きながらも会話を楽しんでいたらチャイムが鳴り響き午後の授業が始まろうとしていた。
「ごめんねスミスちゃん私もう行かなきゃならないの、授業が始まるから」
「そうか、残念だな……まいっか、放課後にまた来るから一緒に帰るぞ」
「うん分かったよ。あ、でもクラブ活動で遅くなるよ?」
「構わんぞ」
「そう? なら校門の前で待ってて、クラブが終わったら直ぐに行くから」
「分かった、待ってるぞ!」
元気な返事と一緒に背中の翼を広げ羽ばたいてあっと言う間に空へと消えた。
「うわあすごいな……って、誰かに見られてないよね?」
誰かいないか見回すけど姿は無い、どうやら大騒ぎにはならなそうだ。
教室に戻ると怪しんでいるあいかをどうにか話題を逸らさせて誰と会っていたのかを知らせないようにしたけどクラスの男子何人かが私に視線を送っているのを感じるのが悩ましい、言わば美女を奪った女なので恨まれているのかそれとも好奇の眼か。
どちらにしろ居心地は最悪だ。
午後の授業を全て終えた後ホームルームを終えるとクラブ活動となりホラー映画研究同好会に所属しているのでそこに顔を出して同好会活動に勤しんだ。とは言ってもホラー映画の話をしたり視聴したりするので物好きの集まりである。
終わる頃には既に夜に成り掛けていた、スミスちゃんに悪いことをしたな。帰りに何か美味しいものをお詫びに買って一緒に食べよう。
昇降口で靴を履いているとまた視線を感じたので後ろをそっと覗いてみるけど誰もいなかった、今までホラー映画の話を同好会メンバーと嫌と言う程にして来たところだ。
もしかしたらと期待してしまうのはおかしいだろうか、私の知らない世界がそこにあってこちらを伺っているって思うだけでワクワクしてならない。自分でも変な性格だと理解しているけどそれが自分らしくて好きでもある。
でも、危険な目にあったあのマンションでの一件は強烈だったな。
――いつかの夢のような。
校庭を小走りで進み校門へと近付くと案の定退屈そうに待っていたスミスちゃんが笑顔で出迎えてくれたことに申し訳なさと嬉しさで声を掛けようとしたその時、私は異変に肩を叩かれた。
それは音、何かが切り裂かれた、爆ぜる如く。
背中に伸し掛かる威圧感は自然と首を発生地点へと導きそこで目撃する、まだ覚えているあの世界の色、漂っていたあの場所、世界と世界の狭間。
亀裂が出来ていたのだ、赤い光を漏らして。
「え……学校に亀裂?」
自分の親しみを持つ場所で亀裂が出来てしまうと誰かが傷付くかもしれないと考えただけでワクワクしているなんて非常識だったと申し訳なさに顔が強張る、そして好奇心が芽生えるものが亀裂より現れ眼下に。
褐色の肌を持つ犬が一匹、口角が首を通り越し肩まで伸びて巨大な口を持つ、それがこちらを伺っている。呻きながらじわりじわりと近付いて来る、腹が減っているらしい。
凄い、私の知らない生物だ。きっと地獄の住人なのは分かるけど間近で観察すると異端なものだと実感させられた。
「皆川逃げろ!」
逃げろの意味を理解するまで少しの間があった、動揺と好奇心が判断を鈍らせたのだ。
無情にも走り出す、ご馳走にありつかんとヨダレを垂らし、巨大な口を開け、針の山に酷似した牙が現れた。あまりの歪さに見入ってしまった、こんな生物この世界にはいない。犬が近付くにつれて好奇心は去り恐怖が蔓延して行く、私は何をしているのか早く逃げないと。
目的遂行を第一とし速度を緩めない、犬は限界まで開口し、体のフォルムが消え去り、見えるのは口内一色。
「あ、ああ……」
馬鹿な私への天罰が待っている、好奇心に心奪われ命を粗末にした代価に食われて消える運命に心深く懺悔した。
私は馬鹿なのだと異端なのだと自身を罵り涙した、ごめんなさいと口が動く。
私は罪人だ。
罪には罰をと向かう牙に瞼を閉じて絶望した。
暗闇は恐怖を煽る、全身に振るえを誘発して涙を吐き出させる根源、数秒は数分、数時間とも思える錯覚に縋り付いていたい、この間だけは無事なのだから。
罪人にそんな考えをさせることも罰なのか、いまだに助かりたいと願う醜い心に自分が嫌いになりそうだった。
しかし、絶対の罰の前に耳奥に貫かれた悲鳴は何を意味している?
恐る恐る瞼を解放すると犬が白目を剥きながら宙を舞い、顔面から落下し鈍い音を奏でた。
「……え?」
「大丈夫か皆川!」
「スミス……ちゃん?」
死神の鎌を振り回し地獄の住人を吹き飛ばした彼女の背中を目撃していた。
「ちくしょうこんなところに亀裂が出来るなんて、どうなってんだ!」
「わ、私は……」
「もう大丈夫だぞオレが守ってやる」
死ぬところだった、直ぐに逃げればなんとかなったかもしれないのに。
知らないもの未知なる物体にワクワクするけど死が迫っているのにも拘らず魅了されてしまう程に私は狂っていただろうか。
どうしてしまったと言うんだ。
「大丈夫か? どこか怪我したのか?」
「え? あ、大丈夫だよ……助けてくれてありがとう……」
「怪我が無いなら良かったぞ、それよりも少し休んだ方がいい、顔色が悪い」
「うん……」
校庭の横に芝生が茂っている場所があるからそこに行って腰を下ろした、襲われたショックと自分の浅ましさにぐちゃぐちゃな感情で気持ち悪い。
「本当に大丈夫か?」
心配掛けちゃいけない、話を逸らさなくちゃ。
「うん、ちょっとビックリしただけだから……ねえスミスちゃん亀裂ってこうも簡単に遭遇するものなの?」
「まさか、普通人間が亀裂に遭遇することはまずありえない、亀裂と言う現象自体が稀で数十年に一度あるかないかだ。もし発生したとしても門番が直ちに修復と対処をする……これは通常の場合の話だけどな」
「通常って?」
「……この街に訪れてから異変だらけだ、ここ数日による亀裂の連続発生はありえない。佐波は多分町を調べて回っていると思うぞ」
だからいなかったんだ。
「さてと、亀裂の修復とランクBは帰してやらないとな……んーーオレじゃ出来ないから門番を呼ばないとな。えっとこの街の担当を呼びに行かせるか」
首に掛けていたドクロのネックレスを掴み取ると空に放り投げるや否やドクロから黒い翼が生えて空を漂う。
「おいこの街の門番をここに連れて来い」
命を下すとドクロは空高く舞い上がり瞬く間に消え去る。
「あれは何?」
「あれは死神のサポートをする道具だ、ああやって連絡に使ったり人探しにも役立つんだ。少し待ってろあいつがここにいる門番を連れて来てくれるはずだ」
「その間この亀裂はどうするの? まだ学校に残ってる生徒もいるから危ないよ」
「ま、オレが対処してやるよ。亀裂も見えなくするくらいなら出来るからな」
スミスちゃんが手をかざすと亀裂と気絶中の住人が風景と混ざり合って波紋を広げて飲み込まれて行く。
「根本的な解決じゃないがこれで一般人に見付かることはまず無い、地獄の住人が出て来てもオレが倒してやれば大丈夫だろ?」
「ありがとう、スミスちゃんがいてくれて心強いよ」
「そ、そうか? 面と言われると照れるぞ」
照れる姿も可愛いなと思い休んでいると遠くからけたたましくバイクが学校へと侵入して私達の目の前でエンジンを止めた、赤いバイクに跨っていたのは黒のライダースーツを纏った女性でスタイル抜群のライダースーツ姿がとてもかっこ良かった。
「死神の要請を受けて来た」
凛とした声に更にかっこ良さが上がる。
「お、じゃあ貴様が門番だな? 助かったぞ。ほら隠蔽してるけどそこに亀裂が出来てるから修復してくれ、それと住人の帰還もルベスに頼んどいてくれ」
「了解、直ぐに取り掛かる」
ヘルメットを取ると絹のように滑らかで美しい黒のロングが現れ素顔を拝見出来た、切れ長の目と高い鼻、そして小さな唇に記憶がこれらを記録していると主張する。
「……あれ、もしかして紅姫さん?」
「ん? ……皆川真じゃない、何をしているここで」
「なんだなんだ、皆川こいつ知ってるのか?」
「知ってるも何も中学からの先輩で荒川蒼葉って人がいてそのお姉さんだよ、蒼葉先輩が私と同じ高校で同じ同好会、紅姫さんもこの高校の卒業生だから知り合いなの」
「……なぜ死神と一緒に? 皆川真、貴女まさか……全て理解しているの?」
「えっと昨日知ったばかりです」
「昨日……とにかく亀裂の処理に取り掛かる、話はその後」
機械的に作業に取り掛かる紅姫さんを眺めて少し混乱していた、彼女は門番だった事実が驚きだった。身近な知り合いが知らないところで非日常を生きている事実に羨ましいと感じている自分に気が付いた時落胆する、危険な目にあったばかりなのにそれを忘れている自分が怖くなった。
こんな私は異常だと。
酷く気分が悪い、胸を締め付けられ息が出来ない。
「うっ……」
「皆川? おいどうかしたか!」
「分かんない……胸が苦しい……」
世界が回る、とぐろを巻いて平衡感覚が麻痺して倒れた。まともな呼吸は望めなく意識がちぐはぐに。スミスちゃんの声が遠くフィルターが掛かり五感が消え去りそうになり耳鳴りがうるさかった。
どれだけの時間が経ったのだろう、私はどうしてしまったのだろう。
ただ誰かが背中を擦っていることだけを感じ取れた、優しい手が今の道しるべ、そこを基点に壊れかけたものが再生される。
声が聞こえる。
「しっかりしろ、まこちゃん!」
「…………し、峻……くん……?」
「ああ俺だ、もう大丈夫だからな気をしっかり持て」
「あれ……私は一体……」
靄が晴れ全てがクリアとなって気分の悪さなんて夢だったと言わんばかりになんともない。ゆっくりと起き上がってみると傍らに峻くんとスミスちゃんが心配そうにこちらを伺っている。
「起きても大丈夫か皆川、どうしたんだよ」
「あ、えっと、良く分からないけどもう大丈夫だよ、心配させてごめんね」
「本当の本当に大丈夫なんだな? 嘘付いてないな?」
「うん、本当に大丈夫」
「そっかあ、なら安心だ」
ホッと胸を撫で下ろしたスミスちゃんの傍には紅姫さんもいて安心しているようだった、どうして胸が苦しくなったのか心当たりが全く無い。
「家まで俺が運ぼう、ほら抱えるよ」
「え、だ、大丈夫だから!」
「遠慮するなって、ほら」
またお姫様抱っこで羞恥心が込み上がる、心の中で恥ずかしいので悲鳴を木霊させていた。
「じゃあ俺達帰るから後よろしく、こうきちゃん頼むな」
「ええ、分かった。ただその子に変なことしたら怒る。皆川真は大切な友人だからそれを忘れないで」
「ああ分かってる、そんなことはしないよ」
あれ、この二人知り合いなの?
「オレも一緒に行きたいが亀裂を見付けたからそれが治るまで見張らなきゃならない、だから頼むぞ佐波。ただ、変な気を起こしても今は我慢だぞ、皆川は弱っているんだからな」
「……そんなことするか。たくっ、俺って信用無いんだな、結構傷付くぞ」
ちょっとだけ浮かない顔で峻くんが私を抱えたまま学校を後にした、誰にも会いませんようにとの願いを運命に託し身を任せた。
「峻くん今日はどこにいたの?」
「街中の調査だ、広いから夜まで時間が掛かったんだよ、調査が終わって戻っている途中でまこちゃん達を見掛けて駆け付けたんだ」
「そうだったんだ……私どうしたんだろう、いきなり息苦しくなって胸が痛くて……こんなこと初めてだよ」
「そうか、疲れていたのかそれとも何かの病か……よしルベスを呼ぼう、あいつなら体の健康状態を調べられるからな。送ったら後でルベスを家に向かわせるから」
「なんか申し訳ないな」
「遠慮しちゃ駄目だ、病気なら早く治さないといけないぞ、だから言うことを聞いてくれ」
「……分かったよ、見てもらう」
「なら良かった、俺も安心だ」
夜の道を恥ずかしい格好ながらも二人で会話を楽しんでいた、紅姫さんとどこで会ったのかとか蒼葉先輩も門番だったとか夜に染まる桜は綺麗だとか。でも脳裏には自分の異常さを思い返し動揺していた、死すら厭わず未知のものに魅入られてしまう心に破滅しかないと頭のどこかで理解していた。
両手を握り締め、震えていることを知られないように必死だった。