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始まりの非日常


 息を飲む、天に広がる青い空に意識が奪われたように見詰めていた。

 この光景に胸が高まるのを感じていた、視界に映る聳え立つビルを一瞥し、木々の生い茂る音を耳奥に染み込ませ日光を体に馴染ませた。


 ああ、ただここに居るだけで世界と一体となっていると錯覚させる。


蒼天に照らされた街は行き交う人々で活気付き眩しく思えた、ここの住人にとってそんなものはなんの変哲もない風景であり当たり前の日常、だが俺にとっては違う。


 季節は春、始まる季節らしい。


 何気ないもの一つ一つが目新しく興味を惹かれる。


「空が気に入ったようですね」


 と男の声が肩を叩く、細長の長身を漆黒のスーツで決め、美男子称せる切れ長の目に整った顔、そして真紅の長髪を風に遊ばせているこいつの名はルベスと言う。

 夜の仕事を生業と錯覚させる出で立ち、女性に好意を持たれる効果を付属する誠実そうな笑みを浮かべているがそんなものはまやかしである。


「失礼なことを考えていますね?」


「事実だろうが、心を読めるだけで充分誠実とは無縁だ」


「おや、言うようになったのですね、ですが安易に読まれてしまうとは情けない」


「勝手に読むなよ変態か」


「言うに事欠いて変態とは……峻、暴露話って言葉を知っていますか?」


 影孕む笑みが背筋を凍らせた。


「うっ、俺が悪かった、だからやめてくれ」


「はて、わたしはただ知っているかと問うただけですが?」


 色々と弱みを握られているから暴露なんて聞いてしまうと洒落にならない。


「分かった分かった俺が悪かった……そんなことよりも早く行こうぜ」


 景色を堪能しに来た訳ではないからな。


「分かりました、それでは行動しましょう」


「ああ……」


 荷物の入った黒いバックを手に運命へと踏み入る。


 ルベスと共に初めての街を歩く、ここは月影市と言うらしい。人口役六万と小さな街で東側と西側に分かれた作りとなっており、二つを隔てるように川が流れ一本の大きな橋で繋がっている。

東側は山に囲まれた緑の多い土地、ルベスが言うには明治時代と言う昔からスギ、ヒノキの植林を行なっているらしく、こちら側に住宅街が存在している。

 西側は街の活力を担う場所でビルが立ち並ぶが高層ビルはなく、都会には程遠いとのこと。ショッピングセンターや駅など街の玄関とも言われ夜間でも明るい、今俺達がいるのはここだ。


 そして海が隣接しているので漁業も盛んに行われているとのこと。

 合併を繰り返して今の形となったが元々は東側が月影市だったのだとルベスが語る、山に囲まれた土地の為月夜には山が大きな影を作ってしまい街が覆われてしまう、それが月影と名称付けた理由。


「ちゃんと調べているんだな、感心するよ」


「やはり赴く先の情報はある程度有していなければならないでしょう、調べることはあらゆる事象において基本的なことですよ」


「確かにそうかもな、覚えておく」


「おや、今日は素直ですね、もしかして珍しく緊張でもしているのですか?」


 緊張か、的を得ているな。


「まあそんなところだ……それで西側の担当に会いに行くんだろ?」


「ええ、やはり先輩には挨拶が基本ですよ。それに西側の街を覚えるのも役に立ちます、今日からあなたの街でもあるのですから」


「俺の街か……」


 そんなこと考えもしなかったな、今日から俺が暮らすことになる月影市は自分の街と言っても良いのか。


「ワクワクしていますね?」


「また心を読みやがって……まあお前の言う通り新しい場所ってのはワクワクするな」


「赴いた理由を除けば新たな生活となるのですからね、不安と好奇心は常に側にいるもの、特に峻、貴方なら余計に感じるでしょう」


「かもな」


「今はそれを楽しむといいです。さて、この街で最初にしておく先輩方へ挨拶を済ませたら貴方が担当する東側へと向かいます」


「分かった」


「では待ち合わせの喫茶店に行きましょうか駅前の近くですからそう遠くない場所です」


 言われた通り駅前近くに喫茶店イクシードへと向かう、なんとも仰々しい名前の店だなと思いつつ店内に入ると客は二人だけと殆んどいなかった、俺達に気が付いた二人は手招きする。

 なる程あれが先輩方って奴か。

 店の一番奥で窓側の席へ向かうと四人用の席に並んで座る、二人と向かい合わせになり俺達も席に着いた。


 窓側にルベスが座りその隣りへ、正面には男が座っている、ややたれ気味の目だが鋭い眼光を内包し只者ではないと直感が告げた。金髪でツンツン頭、耳には複数のピアスに銀の指輪をはめている、傍からは不良に思われるだろうか。

 不良の窓側、つまり俺から見た右側に女が座っている。男とは対照的で黒の整った長髪は絹のようにしなやかだ。ややつり目には同じような鋭い眼光を持つ、高い鼻と小さな唇が美人をより引き立たせ大人の女と称しても差し障りはない。


「お待たせしましたお二方」


「いやいやそんなに待ってませんて、僕らも今来たとこっすから!」


 にこやかに不良が語り出す、格好に似合わず僕と言うのか。


「お、そいつが新人すか? いい男じゃないっすか羨ましすぎっしょ、なんかハーフっぱいしこりゃあ女には不住してなさそうっすね、僕は荒川蒼葉あらかわあおば、あんたの先輩になるっすよ」


「俺は佐波峻だ、よろしく」


「いいっすね年も近そうだし仲良くしていこうっす!」


 どうやら中身と外見が伴ってないらしい。


「ほら紅姫も挨拶するっすよ」


 蒼葉に促され女がこちらと一瞥すると小さな声を漏らす。


荒川紅姫あらかわこうき、よろしく」


 そっけなく視線を元に戻した。あれ、荒川って。


「紅姫は僕の姉ちゃんなんすよ、そっけないけどいい奴っすからよろしくっすね!」


「あ、ああよろしく。俺のことは好きに呼んでくれ、峻でも峻ちゃんでもいいぞ」


「……そ、そうすか、なら峻と呼ぶっすよ、姉ちゃんはどうする?」


 蒼葉が話し掛けたが反応がなかった、どうやら興味がないらしい。


「あはは、誤解しないで欲しいっすけど嫌っている訳じゃないんすよ? 良く誤解されるっすけどただ無口なだけで中身は優しい奴っすから。今日はちょっと緊張してるっすよ」


 確かに初めて会う奴には緊張してしまうか。


「じゃあニックネームでも付けようか、そうすれば距離も近くなると思うんだ」


「お、いい考えっすね峻、呼び方から距離を縮められればいいっすね」


「だろう? では早速……蒼葉って言ったな? あんたは……トゲトゲボンバーって言うのはどうだ!」


「…………トゲトゲ……っすか?」


 あれ、結構自信あったんだがな。


「蒼葉、峻はニックネームを付けるセンスがもの凄く残念です」


「なっ! 何を言うんだルベス、そんな訳あるかよ!」


「本人は気が付いていないようですがね」


「そのようっすね、ちなみに姉ちゃんはどう呼ぶっすか?」


「紅姫だったな、そうだな……こうきちゃんなんてどうだ?」


「そのままですね」


「そのままっすね」


 不評だった。紅姫が俺に視線を向けている、怒ったのか?


「……こうきちゃんでいいわ」


「えっ! 姉ちゃん本気で言ってるんすか!」


「ほ、ほら見ろ! 俺のニックネームは評判いいんじゃねえか! 蒼葉の姉ちゃんは分かっているな、俺のセンスに共感出来るんだからな!」


「ちゃん付けで呼ばれたことないから珍しいしからそれでいい……トゲトゲボンバーは理解出来ないけど」


 のぼせ上がる俺に紅姫は止めを刺す。


「嘘……だろ」


 落胆するしかなかった、俺の理解者だと思っていたのに。深い溜息の後それぞれの呼び方は蒼葉とこうきちゃんに決定した、納得はしてないがな。


「まあそんなに落ち込まないで欲しいっすね、とにかくこれからよろしくっす。基本的に僕らは西側を担当しているので何か分からないことや困ったことがあったら訪ねて来るっすよ、同じ門番だから助け合わなきゃ、姉ちゃんもそう思ってるっすよ」


「そうね、微力だけど力を貸せると思う」


 荒川姉弟が友好的で良かった。


「それはありがたいな、頼りにさせて貰うよ」


 この後一緒に昼食をとり友好関係を深めた。

 蒼葉はお節介な性格かもしれないな、姉のこうきちゃんは緊張している情報は多分正しいのだろう、俺やルベスと視線が絡むと顔を少し真っ赤にして俯いてしまう。

 本当に中身と外見が一致しない姉弟だった。

 世間話と言うか仕事関係の注意点やこの街の情報などを入手して俺達は別れた、喫茶店を出て担当する東側へと向かい始める。


「どうでしたか峻、面白い方々でしたでしょう?」


「そうだな、退屈はしなさそうだ」


「退屈とは無縁でしょうねこれからは」


 だろうなと肯定した。


 歩いて街中央を流れる川に架かる白い橋を渡る頃にはもう日が暮れ始めていた、そう言えば俺のねぐらはどこになるんだろうな。


「なあルベスねぐらはどうなってるんだよ」


「東側の住宅街に今は使われていないマンションがあります、廃墟ではありますが誰も近付かないので色々と都合がいいでしょう」


「なんだよそれ、廃墟で過ごせって言うのかよ」


「我慢して下さい、荒川姉弟は元々月影市の住人でしたので住居には困りませんが貴方はよそから来たのですから……ですが綺麗なベッドを設置しています、寝るだけなら充分ですよ」


「俺を犬か猫かと思ってんのかよ」


「くくっ、どちらかと言えばうさぎとかですかね。それに犬はわたしの方ですよ」


「はいはい、そうだったな腹黒ルベスは犬だもんな」


「おや、それは聞き捨てならないですね、わたしは黒くなどはないですよ?」


 ニヤリと意味深に笑うこいつの憎らしいこと憎らしいこと。

 これはルベスを知る者しか分からないやり取りだ、どんな捻った言葉を紡いだところでこいつには勝てないらしい。

 悔しい思いをしていると橋の出口付近に誰かがいるのに気が付く。


「あれ? なんであいつがいるんだよ」


 胸を張り仁王立ちをするそいつは分かり易くご立腹だと主張している、こいつの名はスミス、白銀のショートヘアーと鷹を彷彿させる鋭い目を持ち、少し尖った耳が特徴でスマートで小柄な体には不釣合である無骨な銀色のドクロのネックレスを身に付けている。


「遅いぞお前達、オレを待たせるとはいい度胸だな!」


 男らしい態度と口調だがこいつはれっきとした女だ、見た目は十七歳と変わらない。


「遅いってなんだよスミス、別に待ち合わせとかしてなかっただろうが」


「してなくても待たせるのは無礼ってもんだぞ佐波、常識がないのか」


 お前にだけは言われたくない。


「これはスミスさん、お仕事は終わったのですか?」


「おうルベス、まあオレが本気を出せば仕事なんってあっと言う間だ!」


 最もらしいことを言っているが俺は知っているぞ、いつも仕事が面倒臭いから時々サボっていることをな。


「だったらいつも本気を出せって言うんだ」


「ほほう、佐波、オレに喧嘩を売る気だな? いい度胸だ」


 殺気を感じた、蛇に睨まれたカエルの気持ちを即座に理解し、スミスの眼力に全身の汗が吹き出す勢いだ。

 俺の中で絶対に喧嘩を売ってはいけないランキング一位は伊達ではないなと再確認すると、体が自然と土下座へ。


「申し訳ありませんでしたスミス様!」


「ふふん、分かれば良いんだ」


「くくっ、にゃはははは! これはいつものことながら情けない峻は最高ですね!」


「くっ、ルベスの野郎覚えてろよな!」


 人の不幸は蜜の味と笑うルベスに軽く殺意が芽生えつつ立ち上がると吐息が掛かる距離にスミスがいた、距離が近い。


「な、なんだよ」


「佐波、お前これからこの地でやって行くんだろ? 気合入れろよ、お前ならやれると知っているからな!」


 激励の言葉を俺に贈るスミスは親が子を心配するように温かった、こいつそれを言う為に来てくれたのか。

 小さい頃からこいつには色々と世話になって来た、暴力的な女だが本当は世話好きの良い奴だってことは知っている。

 俺は良い知り合いにめぐり会えたのだと嬉しかった、だが。


「ありがとうスミス……ただ、口の周りにクリームがべっとりで台無しだ」


「むっ! べ、別にしゅーくりいむなど食べてはいないぞ!」


 ガキの言い訳かよ。


「本当に食べてないのか?」


「当たり前だろうが、佐波の大事な日にしゅーくりいむなんか食べたりしないぞ! オレはそんなに非常識じゃない」


「本当のことを言ったらシュークリーム奢るぞ?」


「何! 本当はな無性にしゅーくりいむが食べたくなってここまで来たんだ! そしたら今日は佐波の門出だったことを思い出したからついでに激励の言葉でも掛けてやるかと駆け付けてやったんだ! ありがたく思え!」


「ついでかよ!」


「さすがスミスさん、食欲に勝てませんでしたか、面白いですね」


「何が面白いだ俺は複雑だぞ……たくっ、ねぐらにさっさと連れて行ってくれよ」


「どうしたんだよ拗ねたのか佐波?」


「拗ねてない! と言うかいつまでクリーム付けてるんだよ、ほら拭けよ」


 ハンカチを渡すとちょっと恥ずかしそうに拭き取っていた、こいつも黙っていれば可愛いのだが性格が残念だ。

 騒動も沈静化したのでねぐらがある住宅街方面へと移動することになった、橋渡り道をまっすぐ進んだ先に商店街がある、そこを通過したら住宅街があるとのこと。


「商店街か、ここなら色々なものが手に入りそうだな」


「食料品から生活用品まで大体はここで揃うでしょう、峻はもっと上手に料理が出来るよう練習する必要がありますよ」


「まあ確かに料理スキルは普通より下だしな」


 何気ない会話に気が付くのが遅れてしまったのだろうか、それは不意に訪れる。

 この東側の月影市には異変が起きている、普通の人間には感じ取れない違和感をルベスとスミスも感じ取っていた、これは住宅街に近付くにつれて強くなる。


「ルベス、これってまさか……」


「そうですね、亀裂が生じている可能性があるのでしょう。西側を見回しましたが所々不安定になっています……こんなに不安定な街は初めてですね」


「おいおい、佐波が来た早々だぞ」


「話していても始まらない、直接現場に行ってみるしかない。この違和感は住宅街から漂っている、俺の初仕事だ」


「……どうやらわたしが考えている以上に門番としての心構えが出来ていましたか……ならば行きましょう、峻の最初の仕事をこの目で拝見いたします」


「佐波のやる気は心地良いな! オレも応援してやる!」


 異変を確かめに初仕事へと駆け出す。


 夕焼けはいつの間にか黒に飲まれ街灯が点き始めて世界は夜にシフトした、その途端違和感が増幅し巨大な力の波を感じ取る。

 夜になれば力が増してしまう、これは俺達の常識でありそれを感じたなら亀裂が出来てしまったと考えていいだろう。

 走り回りようやく出処を見付け出すことが出来た。

 そこは六階建てのマンションなのだが窓からの明かりがなく生活感が皆無、おそらくここは使われていない廃墟ではないだろうかと予想する。


「これは驚いた、峻ここは貴方のねぐらにしていた廃墟ですよ」


「ここがか? 本当に廃墟なんだな……」


 暗くて見えづらいが白壁のマンションだ、少しひび割れも目立つな。この中に亀裂が出来たみたいだ、早く突入して塞がなくてはならない、そのままにしていたら奴らが這い出てしまう。


 踏み入ろうとした刹那、聴覚が異物感じ緊急事態を捉えた。


 羽ばたき音に引っ張られるように見上げるとそれが上空から来訪する異物を発見する、青白い光の中に三つ紅い輝きを放つものが宙を浮かび見下ろしている、見間違いかと思うがこれは錯覚ではない。

 乱立する牙を内包する巨大な口が垣間見え、輝く三つと口を繋ぐシルエットは四本足と長い尻尾のワニを連想させるフォルムだ。

 三メートル以上に膨れ上がる薄い青色が発光する身体、そして巨大な翼。所謂化物に該当する生物はマンションの屋上に着陸しようと高度を下げていた。


 最悪の事態が起きてしまった。亀裂が起きてしまった弊害がここに顕現してしまったのだ、あれはこの世界に存在しないもの、存在してはならないもの。


 名を地獄の住人。


「出て来ていたのか!」


 対処しようと構えた、だが視界には地獄の住人と別のものを映し出す。奴の足が何かを掴んでいる、夜の為視認が遅れたが凝らすとそれが人の形であること理解した。


「峻! 直ぐにマンションに突入して下さい! あれが着陸した瞬間に結界を貼り外へ出さないようにします、これ以上の被害を防ぎます」


「分かった!」


「佐波気を付けろよ!」


「ああ!」


 地面蹴り突入を開始する。

 人間界と地獄世界に時折生まれてしまう亀裂からあの地獄の住人は出て来た、人間を捕まえて直ぐに食べなかったことを考えると餌を探しに出向き手頃な人間を捕獲、そのまま自分の巣へと帰る途中だと考察する。


 ならばまだ生きている可能性がある、助けられる筈だ。


 マンションの玄関から侵入して階段を探すと、直ぐに発見し一気に駆け上がる。

 屋上に辿り着くとワニ型の地獄の住人は足に掴んでいた人を地面に置き、獣特有の息遣いをしながら匂いを嗅ぐ。食べる気かと距離を縮めようとした瞬間に前足の鋭い爪で獲物の包み紙を解くように衣服を切り裂く、そして巨大な口を開け放ち今まさに喰らわんと牙を剥く。


 させるかと意識を集中し門番としての力を解放、右手に集束する力の流れを感じた。

 それは冷気、濃縮させ掌上で結晶化させ氷を生成した。同時に瞳は結晶と同じ青色へ変貌を遂げる。

 名を『結晶の蒼』、力が人間を凌駕する地獄の住人と対等に渡り合う為の力。

 結晶をワニに向け高速射出、空を切り奴の反応速度を超えて顔面に着弾。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 予想だにしない攻撃に吠える、その隙に捕まっていた人を見付からずに救出して距離を取った。


 俺の氷は特別性で一度放たれぶつかった瞬間にアメーバのように対象に張り付く、そう簡単には取れずダメージを受け続ける。

 今の内だと助けた人物の無事を確認しようと全身を眺めた。


 頭がハンマーで殴られたかの如き衝撃が走る、俺が抱えていたのは女の子だった。


 多分年は俺と同じくらいか少し下だろう、長い栗色の髪と少し幼さが残る顔には赤いメガネを掛けている可愛い子だ。

 ただ、ワニが服を切り裂いたから下着だけの姿に俺は赤面するしかなかった、女の子の肌を間近で見たことがなかった為、免疫がなく直ぐに視線を逸らす。


 お、落ち着け、今はよこしまな感情に流されるな。


 脈を取ると心臓は動いているし一瞬だったが傷はなかった、気を失ってはいるが命に別状はないと判断する。

 この子を一時的に横にし暴れまわる巨体を睨む、あれは地獄へ帰さなくてはならない。

 尻尾と爪を振り回し床を傷付け瓦礫を作り続ける嵐の中へ、鍛えて来た体は猛撃を掻い潜りついに奴の体に触れた。


「終わりだ、固まれ」


 結晶の蒼が爆ぜる。


 濃密な冷気が視界を遮り世界を白く染め上げた、大気中の水分が結晶化してダイアモンドダストを綺羅びやかに見せ、それらは夜空の星と同化して白は黒へ。

 クリアとなり白から現れた地獄の住人は完全に固体化して動かない。


 氷の塊と化したワニにもう一度触れ内に秘めるもう一つの力を浮上させた。体を赤い光が交差しながら全体に広がって行き、瞳の色も赤く変わる。触れた手から滲み出る赤色が氷を包み光り輝きながら呆気なく世界から消失した。


 紅の帰還、これは住人を地獄世界に帰す力。

 これを使ってヘルズゲートの門番としてこれからこの街で任務に着く、初日から大変だったがこれを乗り切れたのは少し自信が付く。


 さてあの子を介抱しなければならない、確かここが俺のねぐららしいから休める筈だが。

 彼女を見るのは必要最小限に抑えてそっと抱き抱える、恥ずかしいとの思いが急ぎ足でねぐらを探すと廃墟の部屋には扉がなかったり壊れているものがあるが五階の奥に一つだけ扉の綺麗な部屋を発見した。

 もしかしたらと開けて中へと踏み入ると薄暗くかび臭い匂いと埃っぽい部屋に顔をしかめる、足元も瓦礫が散乱しているがそこに異端と言わんばかりの綺麗なベッドを発見した。


 ここがねぐらか、人が住めるような場所じゃない気がするがベッドが綺麗なのが攻めてもの救いか。

 そこに彼女を寝かせてやるとこのままの姿じゃ風邪を引いてしまう、それに後々色々な問題が生じてしまうだろうと自分のカバンから白のシャツを出して着せてやることに決めた。

 だが直視はまずいだろうと良心的な思考が両目を瞑らせ完全な闇の中で作業に勤しむ。

 時間が掛かったが着替えを済ませることに成功したのだった。

 疲れが押し寄せる。


「…………綺麗だな」


 気を緩めてそう漏らすと彼女が意識を取り戻し始めたらしく瞼がゆっくりと動く、緊張感が増してどう説明したら良いのかとテンパってしまう。

 どう説明しても化物に襲われていたと信じてくれるだろうかと心配になるがそれを知らずに完全に目を覚ます。


 視線が絡む、息を飲む。

 声を出そうとしたその時、俺は本当に馬鹿だと悟った。何故なら先程も聞いた獣特有の息遣いが身体を拘束する、後ろから。

 それが状況を把握させる手助けになったのは皮肉なのか。


 馬鹿だった、ワニを帰したとしても亀裂は塞いではいない。つまりまだ地獄の住人がこちら側へと抜け出してこれる。

 急ぎ振り返りそれを確認すると息が止まる、歓喜に狂い唾液が牙を伝い落ちて水溜まりを広げ、水面に自身の姿を投影させながら波紋を広げている。

 獲物が袋小路と認識したのか舐めるように見詰め、唸り、身を揺らし、舌舐めずる。

 一回り小柄だが送り帰した住人と瓜二つのワニが入口にいた、しまったと膠着状態が発生してしまう。


 下手に動けば彼女を傷付けてしまうかもしれない。被害を抑える為にさり気なく手に結晶の蒼を準備するが遅かった。

 我慢の限界を迎えた奴は口内を晒し、牙を突き出して突進。結晶の蒼を叩き込もうと手を伸ばす。

 双方がぶつかり合う、その瞬間に激しい耳鳴りと赤い衝撃が目の前で弾け、暗転へ。


 世界から切り取られた。











 時間を割いて丁寧に説明した、と思う。

 赤い空間に取り残された過程はこれで全てだと言うことを皆川真ことまこちゃんはまだ信じられないと言わんばかりに目をパチクリさせていた、ああそういう姿は愛らしいな。


「……えっと、話が現実離れし過ぎてちょっと信じがたいですけど……外がないし信じるしかないんだよね……」


 廃墟のベッドの上で彼女は頭を抱えて思案している様子だ。


「分からないことを順番に訊いて整理しよう、そうしよう……峻くんは門番って言ってたけどそれは一体なんですか?」


「門番ってのは文字通り門を守る者のことだ。この世界とは別の世界に繋がる門がある、それをヘルズゲートって言うんだ」


「ヘルってもしかして」


「そう別の世界とは地獄のことだ。こっちの地獄とは少し違うかもしれないがな」


 正式名称は地獄世界ヘルヴェルト、人間界とヘルズゲートで繋がっているが普段は閉じている。

 だが、時折この世界と地獄を隔てている次元の壁に亀裂が生じてそこから地獄の住人が溢れ出しまうことがある。

 奴らは亀裂に巻き込まれて偶然こちら側に来てしまったのが殆どだが、稀に目的を持ってやって来る奴もいる。


 それを阻止する為にヘルヴェルトの番犬ケルベロスと契約交わした人間が門番となり、ゲートを管理している訳だ。


 俺はその任務を帯びてこの街にやって来た。


 しかし地獄の住人は化け物ばかりではない、こちら側と同じように様々な容姿をしている、鳥や獣、それに人間と瓜二つの者だっているしあのワニのような巨大な怪獣じみたものも生息して多種多様だ。

 地獄の住人達は人間と同じように家族を作って暮らしているし中には様々な仕事をして給料だって貰っているから人間の文明となんら変わらない。


 ヘルヴェルトに住まう者を総称して住人と呼んでいるが区別する為にランク付けで管理している、低い順からランクC、B、A、そしてSだ。


 ランクCは小動物や昆虫に酷似した生物で危険度は低いがそれでも芋虫に酷似した生物は簡単に人間の指を噛み切ることは容易く油断は出来ない。


 ランクBは猛獣系が多くこれらは人間が対峙するには絶望的だろう、あのワニはBに当たり異形の生物もいて危険度は高い。


 ランクAは知性を持った人間型、力はB級を凌ぐ。集落を形成して文明を築く力を持っている、ルベスやスミスがこれに該当する。


 ランクSは強大な力を内包している災害と称しても差し障りはない、姿は人型に近い者もいるが異形である者も存在する。巨大な化け物などがそうだろう。

 世界そのものを崩壊させる可能性を秘めた力を持つ地獄でも希少、もしそれに遭遇してしまったら俺一人で戦えるとは思えない。それこそ荒川姉弟と共闘しなければ難しいだろう。


 細かい説明にまこちゃんの混乱はだいぶ治まったらしく冷静さを取り戻していた。


「話が大き過ぎて私の要領不足ですよ。でも助けてくれたのは本当にありがとうございます」


「いやあそう言われると照れるな」


「でも肝心なことがまだ分かってないですよ?」


「ん? なんだっけ」


「この状況ですよ、どうして変な世界にいるのかってことが抜けているんです。最後に話してくれたこの部屋に私を寝かせから地獄の住人が部屋に入って来た瞬間のことが気になります」


「ああそのことか、ほら亀裂が生じるとそこから住人が出て来るって言ったろ? マンションにそれがあったからワニは出て来た訳だけど、その肝心の亀裂がどうやらこの部屋にあったっぽい。俺が気が付かなかったのはどうやらまだ完全に開いた訳ではなかったんだろうな」


 参ったと頭を掻く。


「ここに来た時は一時的に閉じていたが奴の突進の衝撃と俺の結晶の蒼のエネルギーがぶつかった衝撃でもう一度開いた。ここは人間界と地獄世界の間、虚無の世界だな。言うなれば二つの世界を繋げる道と考えると理解しやすいかもな」


「じゃあ私達その亀裂の中にいてそこを漂流しているってことですか?」


「簡単に言うとそういうこと」


「そ、そんな……」


「でも悲観しないで欲しい、結構幸運だったんだぞ? 普通なら生身で漂う羽目になってたかもしれないが一部屋ごとなんてレアなケースだ」


 笑って大丈夫だとアピールしたがまこちゃんの顔が血を抜いたように真っ青だった。


「ど、どうするんですか、もしかして一生このままなんじゃ……どうしよう、きっと家族が心配しているし食べ物とかなさそうだし……こんなところで餓死なんて嫌だよ」


「元気出してよまこちゃん、抜け出す方法はあるからさ」


「本当ですか!」


「ああ、本当だ。方法は入った時と同じ、この部屋の入り口が亀裂が発生してある場所なんだよ、戦いの衝撃で開いてまた閉じている、だからもう一度衝撃を与えてやれば……」


「出口が開くんですね!」


「正解!」


 青ざめていた顔に血色が戻り明るい笑顔を浮かべて喜んでいた、うん笑っている顔の方が似合っているな。


「良かった、このままだったらどうしようかと思っていましたよ。あれ、戻る方法があったのにどうしていつまでもここにいたんですか?」


「まあそれがこの話のオチってことかな、体力の回復とかまこちゃんを休ませたかったのも理由だけど、この空間に時間の流れがって奴が存在しないんだよ、つまりここにいる限り時間経過がないから人間界じゃここに入ってからの時間がストップしているようなものだ。それにより考えられることが一つ、地獄の住人と戦った時にここに来た訳だけどワニの姿が見えないってことは俺達だけが飛ばされた、そして時間経過しない」


「あ! もしこのまま出口を作ってしまうとその地獄の住人が出口から入って来てしまうんですね、今も出口で待ち構えている……」


「またまた正解! まこちゃん賢いね」


「希望が見えたと思ったのに……」


 向こうでは今にも食い掛かろうとしているワニが静止した状態で待ち構えているのだから自ら穴に落ちるようなもの、考えるだけで憂鬱になる要因だろう。


 だが、俺は門番だ。


「まこちゃん、人間界と地獄世界を守ることが門番としての役割だ、だから約束する俺が必ず元の世界に帰すことを。だから希望を持って欲しい」


「峻くん……」


「ならさっそく脱出の準備をするかな、まこちゃんちょっと離れてくれ」


 距離をとったことを確認して結晶の蒼を発動させる、全身を冷気が纏い瞳の色も青へと変貌。


「これが峻くんの力?」


「そう結晶の蒼と呼ばれるケルベロスから賜った氷を精製し操る力だ」


「体の回りが白い靄が出てる……氷を操るんだからこれ冷気なんだ。あ、なんかキラキラしたものが出て来ましたよ?」


「ダイヤモンドダストだよ、空気中の水分が凍って起こる現象だ」


「綺麗……」


 ただ、今の状態でこれを使うと大迷惑な事態に陥るのが悩みの種の一つだ。


「ううっ……な、何これ、部屋の中が寒くなって……へくしゅ!」


「ごめん、俺がこの密室で冷気を精製してるから温度がどんどん下がって行くんだよ、まあ言うなれば冷凍庫現象かな。うん、これは正式名称としよう。いい名前だ、やっぱ俺ってネーミングセンスの塊だな、ルベスはそれを分かってないんだ」


「あ、あの、名前なんてどうでもいいじゃないですか」


「何言ってんだよ名前は大事だぞ! だってさ名前がなかったら寂しいだろ! それに例えばバナナがここにあったとしてそれに名前がなかったら何食べてるのか分からないだろ!」


「それはそうですけど、今の状況を考えたら後で考えたら……」


「いいやそれは駄目だ、ネーミングってのはな考えるものじゃなく降りて来るものなんだよ、これが分からないからみんなのセンスがずれてるんだ、まこちゃんもセンスがずれているのか、残念だな。俺を理解出来る奴は人間界にはいないのか!」


 心の叫びを浴びせた後数秒の間が静寂を連れて来て彼女の声に逃げ出した。


「あなたにネーミングセンスはありません!」


「なっ!」


「なんですかその理由! これから命がけの戦いっぽいことが始まろうとしているのに子供みたいなこと言って、私今とっても寒くて死にそうです! それにネーミングって言ってますけど捻りもないしはっきり言って微妙ですから!」


「な、なな! い、いくらまこちゃんでも言っていいことと悪いことがあるんだからな! 馬鹿! アホ! マヌケ!」


「馬鹿って……貴方はガキですか! ああもう! 敬語使ってたのが馬鹿らしい! 貴方は頭悪いんだ、絶対そう!」


「頭は悪くないやい! だいたい敬語禁止って言っただろ! 忘れてた方が頭悪いんだよ!」


「ううっ! ああ言えばこう言う!」


 口論戦争勃発である。


 数分の激闘の末に俺は知ることとなった、まこちゃんは怒ると怖いのだと。

 多分地獄の住人をも凌ぐのではとマジで思った。口喧嘩で大変失礼なことを多々失言してしまい完全に怒ってしまったまこちゃんに正座させられ説教されていた。


「ご、ごめん……言い過ぎた」


「ごめん? 言い過ぎた?」


 ギロリと怒りを含む冷たい視線が突き刺さる。


「うっ! も、申し訳ありませんでした、今までの失礼なことを言った無礼の数々をお許し下さい!」


「……謝ってくれたからこの話はここまで。私も言い過ぎたけどいくらなんでも酷いことを言われると悲しいから……もう言わないよね?」


「絶対に言いません!」


「じゃあ仲直りしよう。口喧嘩してたら体が温まって来ちゃった……もしかしてこれを狙って喧嘩を仕掛けた……とか?」


 いやさすがにそれはない、単なる偶然だ。


「もしそうだと言ったら?」


「策略家だなって感心するけどわざとにしては酷い悪口を言い過ぎで最低って罵ってるよ?」


「本当に偶然だから! 信じてくれ!」


「あはは、分かったよ信じてあげるから悲しそうな顔しないでよ。ほら仲直りの握手」


 差し出された手を俺は迷うことなく掴んだ、細いて小さな手だな。


「よし、必ず二人でここを出よう」


「うん!」


 ちょっとだけ距離が近付いた気がした。


 さてこれからは気を引き締めて掛からないと洒落にならない、右手と左手に冷気を凝縮させて威力を高めこれを一気に解放させれば亀裂に影響を与えて衝撃で出口が開くだろう。

 そして間を置かず飛び込んで来るであろうワニを仕留める、つまり同時に二つの作業が必要になるが俺なら出来ると暗示を掛けるつもりで心でそう繰り返す。


「まこちゃん準備は良いか?」


「うん、出来るだけ離れてるから大丈夫! いつでもどうぞ!」


「分かった……なら始めるぞ?」


 意空間脱出作戦を決行だ。


 圧縮していた冷気に更に圧をかけ左手を突き出し力を爆発させた、一気に部屋の温度は失われたと同時に前方のドアに亀裂が生じる。

 空間に絵画をナイフで切り付けたように罅割れて世界が繋がった。


『ガアアアアアアアアアアアアアアア!』


 予想していた事態は現実化、ワニ型の地獄の住人は唾液と咆哮を撒き散らして室内の空気を震度させこちらへと迫る。

 隙無く右手に待機させていた冷気を固体化して結晶の蒼を放つ、牙を紙一重で避け爪を掻い潜り胴体に到着、結晶を全力で這わせた。


『グォガアアアアウアアアアアア!』


 苦痛を知らせる奴のサイレンがけたたましい、だがこれで最後だ。


「終わりだ、固まれ」


 動は静へ、生物は結晶体へと変貌しもう動くことは出来ない。直ちに紅の帰還でワニを地獄へ帰す、これで危険は立ち去った。

 一呼吸の間にことを終えると安堵が込み上げて彼女と視線が重なった。


「これが峻くんの力……凄い」


「さあ帰ろう」


「うん」


 二人で出口へと歩み外へ、ねぐらになるはずの廃墟が出迎え帰って来たのだと実感するもまだ気を抜けないことを教わっている。

 この亀裂を塞がなければまた地獄の住人が溢れ出してしまう可能性も否定出来ないのだから。


 自分の荷物を取り出しルベスから貰った物を出す、それは長方形で手の平程の白い紙。


「それは何?」


「これは亀裂を修復する道具だ、亀裂修復促進紙と言ってだな、これを亀裂の上に貼り付けておけば修復時間が大幅に短縮出来る。元々亀裂とは時空に出来た傷口、空間って奴は治癒力を持っているんだ、だからこの紙で治る速度を上げるって訳だな。簡単に言えば絆創膏を貼り付けるようなものだ」


「案外簡単なんだね、もっとこう凄い力を使ってピカーーって感じで治すのかと思ったよ」


「なんかガッカリさせたか? まあ現実なんてこんなもんだ」


「夢も希望も無い台詞だね」


「でもこの紙は凄いんだぞ? 一枚一枚に修復させるエネルギーが濃縮されていて、修復中に刺激を与えないようにしないと危ないんだ」


「刺激を与えたらどうなるの?」


「爆発する」


「そ、そんな危ないものを持っていたの!」


 まこちゃんがもの凄く離れた、まあ無理も無いかな。


「大丈夫大丈夫、危険なのは亀裂に貼っている時だけで普段はただの紙と同じだからさ」


 無造作に亀裂に紙を貼り付けると白色から赤色へと変色し青白い光を輝かせて修復を始めた、確かに危険な方法だがこれには利点があり修復速度が速いのだ。

 自然に治るのを待っていたら数日は掛かるだろうがこれなら数時間で塞げるので便利はいい。


「まこちゃんも貼ってみる?」


「遠慮するよ」


「そっか、難しくないんだけどな。まあいいか、とにかく下に行こうか」


「そうだね、やっと帰ってこれたんだから外の風景が見たい」


 薄暗い中を進むと転びそうになったまこちゃんの手を掴んで一緒に歩くことにしたがなぜか動揺しているようだった、どうかしたのだろうか。


「どうかしたのか?」


「へ? な、なんでもないから心配しないで!」


 急に無言になったなと思いつつ階段を降りていると足元にも瓦礫が散乱していて危ないことに気が付いた。


「まこちゃん裸足だろ? 俺が抱えて降りるよ」


「へ! だ、大丈夫だよそんなの! 避けて歩けるから!」


「結構危ないって、薄暗い上にガラスも落ちてるっぽいし遠慮しないで、ほら」


 抱きかかえてやるとすんなりと持ち上げられ案外軽いものだと少し驚いた。


「きゃ! こ、これってお姫様抱っこ!」


「ん? どうしたんだよ大きい声出してさ」


「だ、だって! ううっ……近過ぎるってば……」


 最後なんて言ったのか聞き取れなかったがまあいいかと安全に運んでいると、急に何かを思い出したようにまこちゃんが呟く。


「……色々なことがあって忘れてたけど私の靴知らない?」


「さあ、まこちゃんが連れて来られた時は確か履いてなかったと思うよ、多分ワニに襲われた時に脱げたんだろう」


「そっか……じゃあ私の服は……」


「ワニが破ってたんだよ、食べるのに邪魔だったからだろうな」


「……じゃあ私のこの格好は?」


「そりゃあ俺が着せたんだよ」


「じゃあ……見たの?」


 最初この質問の意味を理解出来なかった、何が言いたいのかも。


「見たって?」


「だから……私の……下着姿……」


 なるほどと理解した瞬間に記憶が動揺を呼び寄せた、俺がシャツを着せた過去が蘇る。


「いっ! いや、だってそのままだと風引くと思ったし、でも目を瞑って着せたから!」


「そっか、見たんだ……」


 俯いてしまったが多分顔が真っ赤ではないかと推察してみたが予想は外れてないだろうとなぜか直感した、気まずい。

 どう答えたものかと悩み、脳内細胞を振る活用しようも答えは出ず等々マンションの入り口に辿り着いてしまった。


 久しぶりの外へと出てみるとマンションの周りに薄い膜のようなものが張られているのに気が付くとそれがルベスが展開させている結界だと分かった、地獄の住人を出さないためだが衝撃吸収と防音、そして隠蔽効果が付属されている。

 つまりこの中で爆弾が爆発しようが外には音も衝撃も漏れない。

 それに隠蔽効果により人を近付けさせない力を備えている。二次被害を防ぐ為の機能で便利が良い。


「あれ、外が暗いってことはもう夜なんだね」


「ん? ああそうかまこちゃん気絶してたから知らなかったか」


「ど、どうしよう家門限があるから遅くなったら困るのに……今何時だろう」


「時間か……」


 時計なんて持ってないからな、そうだルベスなら分かるだろう。


「おいルベス! 出て来いよ!」


「はい出てきましたよ」


「うぉ!」


「きゃあ!」


 と背中から突然現れた、悪趣味な。


「たくっ、驚かせるな!」


「いやいや呼ばれたら背中から脅かすのがマイブームなので」


「嫌なマイブームだな、やめてくれ迷惑だ」


「それが面白いんですけどね。さて、仕事は無事に果たせたようですね」


「ん、まあな。住人は対処して送り帰したし亀裂には紙を貼っておいた」


「それは素晴らしいですね、速やかに対処出来たのならこれからやっていけそうです」


 油断して亀裂の中で一日過ごしたとは言えないな、向こうじゃ時間の流れがないからこっちじゃ一瞬だった訳だし。

 おっとあんまり眼を合わせないようにしないとな、あいつ眼を見て心の中を読めるからな、危ない危ない。


「それで峻、抱えている少女はどうしたのですか? とても刺激的な格好ですが」


「きゃ! あ、あの、えっと……」


「失礼、自己紹介がまだでしたねわたしはルベス、峻の保護者的な存在です」


「えっと私は皆川真と言います」


「もしかして貴女は……」


「ああ想像通りまこちゃんはあの住人が捕まえていた人間だよ、食べようとしていたところを助け出したんだ」


「……食べようとしていた?」


 解せないと言わんばかりにルベスが顔をしかめた。


「どうかしたのかよ」


「私が拝見した限りではあのランクBの住人は肉食ではなかったはずですが……」


「何言ってんだよ、俺は見たぞまこちゃんを食べようとしているところをさ」


「そんな筈はないのですが…………この件はわたしが調べておきましょう、記憶違いであることを祈っていますがね」


 あれだけ牙を剥き出して襲ってきたワニが肉食ではないって言われて信じられないな、だが本当だったとしたらこれはどういうことになるんだ?

 現にまこちゃんを食べようとしていたのが幻だったとでも? 生態系が崩れているのかそれとも別の要因が作用しているのか。


「じゃあそれはルベスに任せる、ここで考えていても答えは出ないからな」


「それが賢明ですね、峻は仕事に専念していて下さい」


「ああそうするよ。そうだ今何時分かるか?」


「時刻は八時三十分を今過ぎたところです」


「は、八時半!」


 驚愕の事実だったらしくまこちゃんは空いた口が塞がらなかった。


「まこちゃん門限って何時だったの?」


「……七時」


 絶望的だった。


「ではわたしは一旦ヘルヴェルトへ戻りますのでこれから頑張るんですよ」


「ああ分かったよ。そう言えばスミスはどこに行ったんだ?」


「スミスさんは他の住人が亀裂から抜け出してないか偵察に行って貰いました、その内会えるでしょう。寄り道さえしなければの話ですが」


 あいつ怠ける癖があるからな、ただ任された仕事はちゃんとこなすので偵察は大丈夫だろう。


「ではスミスさんと合流できたらわたしは戻ったとお伝え下さい。皆川真さん失礼しますね、ではまた」


 にこやかに手を振りながら風景に同化するようにルベスの姿が溶けた、いきなり消えたのでまこちゃんは驚いていたが様々な体験が日常化させてしまったのか直ぐに冷静になった。

 しかし門限を大幅に超過してしまった立場を思い出し落ち込んでしまう。


「ま、まあ元気出せよ事情を話せば分かってくれるって」


「……この状況をどう説明すれば?」


「そりゃあ…………どうしようか」


 化物に襲われてその後亀裂に入り込んでしまったので遅れました、そんな説明で納得する人間はいないだろうし、信じてくれる奴は皆無だろう。


「あーーこっそりと帰って実は門限よりも前に帰ってたよ作戦なんかはどう?」


「…………成功率はもの凄く低そうだけど今はそれしかないかも。でも失敗したら私殺されるかもしれない」


「誰に?」


「ママ……怒ると怖いんだよ」


 顔を真っ青にして震えている姿に只ならないものを感じた、まこちゃん自身怒らせてしまったことを深く後悔しているのにそれよりも更なる恐怖が待ち構えているとは考えたくもない。


「ま、俺がなんとかサポートしてやるよ。と言う訳でまこちゃん家にお泊まりだな」


「……はい?」


「だってねぐらは修復中で入れないし、ここら辺は来たばかりでまだ地理も弱い、仲間はいるが西側だし今から行くの面倒臭いし、現地での接触したまこちゃんは唯一頼れる人だからさ。頼むよ」


「そう言われても……ママに見付かったら大変なことになるし」


「まあなんとかなるって、見付からなきゃいいんだからさ! じゃあ行こっか!」


「ちょ、ちょっと待ってってば! 泊めるって言ってないし! と言うか下ろしてよ!」


 赴任初日、中々のピンチに合いながらも犠牲者を出さなかったことに安堵しつつ彼女の家へと向かう。


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