第七話 獲得
西暦4547年8月22日10:41 イーストエリア シェルター内部
「殺して!早く私を殺して!」
帰ってきたと思えばこれだ。
疲れはもちろんあったが、更なる疲れを感じる。
「落ち着いてください!落ち着いて!」
なんとか相手を落ち着かせようとするが、とにかく殺してくれの一点張りで会話にならない。
この世界では助けられたお礼に殺されるのが流行っているのか?
よくわからないが、とにかく貴重な日本語の通じる相手だ。
何としてでも情報収集をせねばなるまい。
「時間がないの!もうすぐ半日よ!?私は外気を吸ったの!わかるでしょ!?」
なんだか知らんが随分と必死だな。
力が出せないのからしくあしらうのは簡単だが、こちらに縋り付きながら腰の拳銃を奪おうとするのはやめてほしい。
ああ、こんなことならば交渉術ではなく近接格闘術を取っておくべきだったかもしれないな。
「よくわかりませんが落ち着いて!医療用ナノマシンを使ったので貴方は安全ですよ!」
能力のおかげなのか、それとも相手の力が弱いのかはわからないが、とにかく取り押さえることはできた。
取り押さえるといっても、うろ覚えの知識で後ろに回って腕をねじり上げ、背中に膝で体重をかけているだけだが。
「いりょうよう、なのましん?」
どうやら、俺のうろ覚えの逮捕術ではなく、相手が脱力したおかげで抑えられているだけのようだな。
まあなんでもいい、この隙に会話にもっていこう。
「そうです。せっかく使ったんですから落ち着いてください」
外気がどれだけ体に悪いのかは見て理解しているが、10時間以上経って異変が無いのだから落ち着いてもらいたい。
「あなた、何者なの?
医療用ナノマシンなんて、精製水何トン分か理解して言っているのよね?」
そうなんだ、凄いね。
単位がトンなんだ。
というか、もしかして通貨は精製水なのか?
だとすれば、水洗トイレを使っている俺は文字通りの意味で犯罪的なことをしているんだな。
「気休めは止めて!いいから早く殺してよ!」
ああもう、勘弁してくれよ。
やっと出会えた日本語の通じる相手がこれなんて、どういうことだよ。
「落ち着いて!とりあえずなんで殺さなきゃいけないのか説明して!
納得行ったらしっかりやるから!」
取り押さえたまま大声で話しかけると、相手はようやく動きを緩めてくれた。
ホント、勘弁してくれよ。
「知らないの?知ってて言っているの?
私は外気を吸ったのよ?
もうすぐ半日なのよ!変異まで時間がないの!
お願いだから早く楽にして!!」
変異ってなんだ?
外気はそこまで健康に悪いのか?
「すいません、私は物凄い世間知らずのようでして。
変異とは何か、教えてください」
とにかく相手に話をさせて、会話の中に興奮しないように持っていくしかないな。
なんで人命救助をしてまでこんな面倒な思いをしなけりゃいけないんだ。
「変異を知らないって、冗談でしょ?
何のつもりでそんなことを」
どうやら、変異とやらは相当な常識らしい。
雰囲気からしてネコミミが生える程度のものではないようだが、どう聞き出したらいいものか。
「嘘や誤魔化しを言っているようには聞こえないでしょう?
知らないという事が恥ずかしいらしいのはわかりましたが、短くていいので、要するに変異とは何かを教えてください」
できるだけ落ち着いた口調と声音を心掛けつつ、再度質問する。
ヒートアップしている相手に闇雲に声量だけで対抗しても意味がないからだ。
「要するも何も、変異は変異でしょ。
人間みたいな形をした、ヒトの言葉を話す、人間じゃないものになるって事よ」
どうやら、外気は俺が思っていた以上に健康に悪いようだ。
化学物質でそうなるとは思えないので、おそらくは未だに効力のある生物兵器、あるいはナノマシン的な何かかもしれない。
防護服のフィルターが切れる前に拠点を構えられたのはとても幸運だったんだな。
「なるほど、貴方は見たところまだ人間のようですが、何か前兆はあるんですか?
死ぬほど痛いとか、一旦心臓が止まるとか、酷く錯乱するとかそういうのが」
人間みたいな形をした、人間じゃないものという表現が非常に気になるが、それはそれとして、変異と呼ばれるほどの事なのだから、何かあるはずだ。
せっかく見つけた会話可能な人を殺したくはないが、前兆があるのであれば、その瞬間までは情報収集をしたい。
「本当に変異を知らないの?あなたが言ったとおり、前兆として物凄い痛みがあるらしいわ。
言葉を話せなくなるぐらいの酷いのがね」
まあ、聞いた感じでは体が作り変えられるレベルの変化があるようだし、それはそうだろうな。
そして、それならば話は早い。
「なるほど、わかりました。
それであれば、前兆が出た段階でちゃんとやりますから、それまでで良いので話を聞かせてくれませんか?
見ての通り、銃は持っていますから」
魅力が効果を発揮したのか、それとも運が作用したのか、はたまた相手が覚悟を決めたのか、とにかく目の前の女性は次第に落ちついていった。
そして聞けた内容は、ひどいものだった。
まず、現在位置付近は”東地区”と呼ばれているらしい。
どこかに起点となる中央があるらしいのだが、どこが中央に当たるのかは聞いたことが無いらしい。
西に向かっていけば理論上の中央があるはずなのだが、そこは巨大なクレーターと高濃度汚染地帯が広がっている関係で立ち入れないのだそうだ。
で、この東地区には二つの街があり、全ての人がそこに住んでいるらしい。
北には北地区、南には南地区があるが、戦車を含む重武装の護衛を付けた武装キャラバンが不定期に回っているだけで、交流どころか、不定期な貿易をしているというレベルの接触しかないそうだ。
有線通信のケーブル敷設は何度か試みたらしいが途中で切られるらしく、無線は激しい通信障害が慢性的に起きているため、長距離では試みるだけ無駄らしい。
「そうなると、このあたりで誰かと話そうと思ったら、ええと、サクラか、ヤワタの街に行くしかないんですね?」
確認していて眩暈を覚える。
ここは、日本だったのか!
いや、知っていたが、それにしても関東の千葉なのか。
「そうね、それ以外だと、キャラバンにお金を払って北地区まで足を延ばすか、同じくお金をかけて南に行くしかないわ」
長距離無線は使えず、関東地方どころか千葉県内の移動でもそのレベルなのであれば、他所の国がどうしているかなど聞くだけ無駄だな。
それにしても、俺の記憶が確かならば八幡市に海はなかったはずなのだが、話によるとヤワタは昔の港町の跡地に作られているらしい。
地形が変わるレベルの攻撃を受けて、しかもそれから港を作るレベルまで時間が経過して、おまけにそこが跡地になって、もう一度街になるほどの時間が経過したのか。
ここが遠い未来だとは聞いていたが、本当に俺が生きていた時代からすると未来なんだな。
「キャラバンに加えてもらうとして、その報酬はどれくらい必要なのでしょうか?
ああいや、その前に、このあたりの通貨って、やはり円ではないんですか?」
先ほどの会話では精製水が通貨のようなことを言っていたが、いくらなんだって水のボトルを通貨として使うはずがない。
かといってこのありさまで銀行が機能しているはずもない。
通貨となる基準はどこにあるんだ?
「変異を知らなかったこともそうだけど、あなた、いったいどこの生まれなの?」
よほど変な質問をしたのだろう。
先ほどまで錯乱していた彼女は、実に胡散臭そうな目でこちらを見てくる。
気持ちはよくわかる。
俺だって道端で声をかけてきた相手が「すいません、今はまだ西暦を使っていますか?あとそれで言うと何年ですか?」と聞いてきたら同じ反応を返すだろう。
「それが全く覚えていないんです。
最初に思い出せるのはこの辺で突っ立っていて、そのあとはひたすらここに住めるようにシェルターを建設し続けていたんです」
思いっきり嘘なんだが、そうとしか伝えようがない。
ただでさえこちらを怪しんでいる相手に、昔の人間だの、神様に送り込まれただの言えるはずがない。
「作った?このシェルターを?
ここを!?こんな設備をあなた一人で!!?」
また賑やかになってきたが、先ほどまでとは違って、錯乱というより強い驚きだけのようだな。
相手が盛大に驚いてくれるおかげで、反動でこちらは冷静な思考を続けることができて助かる。
「ええ、運良くそういう機材を手に入れまして。
昔の技術ってのは凄いですよ。世界が滅んでしまうわけだ」
本当に純粋な昔の技術だけなのかはわからない、実は神様印の反則的な何かなのかもしれない。
判断する方法がないので俺にはわからないが、とにかく便利なものであることは間違いないので、問題はない。
「ちょっとまって、ちょっとだけ待って」
相手はかなり混乱しているようだ。
見た感じ激しい痛みに襲われたためではないようだが、念のため半歩だけ下がろう。
「確認だけど」
警戒していると、彼女は下を向いたままポツリと呟いた。
無言で先を促す。
「ここを、作れる機材があるのね?」
先程までは驚愕していたというのに、今の彼女の声音は驚くほど平坦だ。
もしかしてなのだが、この世界は一呼吸分の清浄な空気や、コップ一杯の水で殺し合いが起きるような状況なのだろうか。
「もちろん資材は必要ですよ?
いくら昔の技術とはいえ、さすがに無から有を作り出すことは出来ないようですから」
たくさん砂を放り込むだけで建材が出来るというのは、それに近いと言っても差し支えはないと思うがな。
だが、それを素直に伝えるのには、彼女と俺の付き合いは短すぎる。
「それでも、十分よ」
そう言って、彼女は顔を上げた。
その目には力があった。
「どれくらい記憶がなくなっているのかはわからないけど、今から言うことを覚えて。
知っていることでも無視して聞いて、いいわね?」
遺言とかだったら困るんだが、なんだろうか。
「どうぞ」
長くなりそうな気配を感じるのでヘルメットに標準装備されていたレコーダーを作動させておく。
意外に明るい補助ライトやそれを応用したプロジェクターなど、俺の着ている防護服は実に多芸で素晴らしい。
おっと、録画しているとは言え説明は真面目に聞かんとな。
「南に行ったところにサクラという街があるわ。
ここが私が戦っていた場所からそんなに離れていないのであれば、南に行くと古い工場の集まりが見えるはず。
そこから西に向かって、クレーターが左手に見えるから、それを超えたらもう一度南下するの。
手前に汚水だまりがあるから、そのすぐ先にあるわ」
ランドマークが皆無の砂漠だと思っていたが、どうやらそれなりに目印となるものはあるんだな。
「なるほど、そのサクラという街に何があるんですか?」
私の家族に最後を伝えてくれとかそういうのはやめて欲しい。
こんなご時世なので逆恨みされたりはしないだろうが、まず間違いなく面倒事に巻き込まれるだろうからな。
「いいから聞いて、南にある古い工場群は東第7号危険地帯って呼ばれているわ。
中は機械系のモンスターで溢れかえっているから絶対に近づかないで。
ハンター組合が昔作ったフェンスがあるから、それより手前にいれば安全なはずよ」
なるほど、モンスターを狩る職業と、それを統括する組織はあるんだな。
しかし、中央政府が存在しないのにそんな連中がいるという事は、企業による統治が行われているのか?
それはいいとして、第7号ということは、この地域には最低でも他に6か所の危険地帯があるという事か。
「なるほど、随分と危なそうな場所ですね。
サクラに向かう際には気をつけます」
所謂ダンジョン的なものなのだろう。
それも、単なる遺構ではなく、限定的な敵生産能力が生きているようなやつなはずだ。
そうでなければ攻略されていない理由がないからな。
「ここからが本題よ」
随分とたくさんの情報を貰った気でいたが、前提としての情報しかまだもらえていなかったらしいな。
「ここからが本題となると、やはり売り先が重要という事ですね?」
驚いたようにこちらを見てくるが、さすがにわかるよ。
「そう、サクラに着いたあと、貴方が売れる物を持っていてほしい場所があるわ。
一つはもちろんハンター協会。
こっちには、登録に必要な金額が手に入る程度でいいわ。
売るものは、武器か弾薬。それ以外はできれば避けて。
出すものもとりあえず使用できるというレベルを上限にして。
屑鉄でも引き取ってくれるけど、あまり状態が良すぎるものを売ると問題になるから気を付けて」
それは困った話だ。
今の俺には、素材としてしか利用できない屑鉄か、新品同様の再構成品しかない。
登録に必要な金額がいくらかはわからないが、かさばるゴミを抱えて行くのはできれば避けたいな。
「登録が終わったら一番大きな建物を目指して。街の中心にあって、一番高い塔が立っている。
警備は多いけど、受付があるから、用件を聞かれたらこう言って 『サラが貴方の夢を見つけた』 それで伝わるわ。
白衣を着てメガネを掛けた若い女が出てくるから、貴方が今作れるものを言って。
それで悪いようにはされないはず」
随分と具体的な指示だな。
おかげでわかりやすい。
恐らくだが、その女性は地球環境の再生に興味を持っていてかつ金を出せる立場か、住環境の整備に自分の意向を通せる立場なのだろう。
どちらにしても、俺の技術を売り込んで広めてもらうには十分な要素だ。
「勉強になりました」
「売り先は、相当に吟味する必要があるようですね」
説明を聞き終えた俺は、何とか理解できた旨を伝えられそうな言葉を発した。
この一言では言い表せられない程度には理解できていると自負しているが、まあ、長々と伝える必要はないだろう。
ちらりと時計を見ると、さりげなく一時間も説明を受けていたらしい。
おそらくだが、彼女が心配している変異とやらは大丈夫だろう。
それはそれとして、情報は非常に有意義なものであった。
「それで、先程から見て一時間を超えていますが、体調はどうでしょうか?」
思い切って質問してみると、彼女はまず時間経過に驚き、次に見たところ異変がなさそうな自身の体調に驚いていた。
良かった、少しは死ぬ気が減ってくれたようだ。
「まだ、影響は出ていないようね。
これだったら、いや、でも、時間の問題よ、きっと」
どれだけ諦めが悪いんだと言いたいが、この世界においては彼女の方が余程詳しい。
俺が世間知らずなだけであり、彼女が正しいという可能性は十分ある。
「考えていることは分かりますよ。
そこでご相談ですけど、こういうのはどうでしょうか?」
俺の言葉に彼女は不審そうな表情を浮かべた。
西暦4547年8月21日09:00 イーストエリア シェルター内部 隔離室
「一週間分の食料、水道、トイレ、自決用の拳銃、ただし弾数二発」
一日ででっち上げた隔離室のモニターから、サラさんの声が聴こえる。
彼女との合意を取り付けるのは大変だったが、自決できる、だが最悪の場合間に合わなくともなんとかなる部屋を用意するということでなんとか納得してもらうことが出来た。
まあ、そのためだけに合金製の部屋を作る羽目になったのは思うところもあるが、まあいい。
この先捕虜や犯罪者を拘留する必要が出てくることもあるかもしれないからな。
「これで必要なものは全部揃っていますね?」
俺になにかがあった場合を考えると食料一週間分は不足がないか不安だが、彼女がそれで良いと言うので気にするのはやめておこう。
とにかく、彼女は明らかな症状が出ない限り、8日間待ってくれると約束をしてくれた。
一週間分の食料が切れて、プラス1日だけ。
水は水道で賄えるので、彼女に何もなく、俺になにかがあったという最悪の場合でも、戻ることすら出来ないというケースを除けば十分な時間ではあるかもしれない。
「ええ、揃ったということに驚いている以外は何も問題がないわ」
ダメ元で要望を出すのであれば最初に言ってほしかったのだが、とにかく彼女の要望は今の世の中ではありえないものだったようだ。
そして、俺にはそれができた。
帰還した後も彼女が無事であったらならば、もう少し踏み込んだ関係の構築を提案してみるとしよう。
「ええ、もし何もなかったら、私はこの分を返すために何回抱かれなければいけないか考えるほどにね。
冗談、冗談よ?
とにかく、できるかぎり待っているから、サクラの街に着いたらお願いね」
思わず黙り込んでしまったが、冗談だと聞き流して行動を開始する。
笑顔で出発を告げて、エアロックを超える。
最初の目的地は、近くで擱坐している装甲車両の残骸である。
「さて、事前に用意しておいたナノボット中型修理剤がここにありますが、これをふりかければ、なん、と」
冗談めかした独り言をつぶやきつつ投与したのだが、言葉を先に続けられない。
俺の目の前で、車体のサビが分解され、シャーシーが金属の光沢を取り戻し、タイヤが生え、傾いていた車体がサスペンションの力で姿勢を正していく。
確かに効果はあるだろうと予想をしていたが、まさかここまで劇的だったとは。
鉄くずへの投与開始から五分後。
俺の目の前には、新車の六輪装甲車がそびえ立っていた。