孤独、或いは母胎。
彼はそれ以外の世界を破壊する必要があった。彼以外に世界が存在しない為である。したがって彼は己が世界の拡張の為に書物を記した。世界は迅速に膨張を始めた。紙の上でペンは踊る。膨張速度は宇宙のそれにも匹敵し、静止の兆候は片時たりとも見せなかった。紙の上に世界が生まれ、それだけが彼にとっての真実となった。しかし彼には鏡が無かった。自らの世界を観測するためにはそれ相応の鏡が必要である。しかしそこに転がる鏡は皆粗末なものばかりだった。適当に一つ手に取り、自らの姿を映してみるも、やはりそこに映る自分の顔は罅割れていた。
これは私では無い。手近の鏡で駄目ならば遠くを探せば良い。彼はそう考えた。彼は自分の世界に折り目をつけ、それを遠くの世界へと飛ばした。結果、相応の鏡がそれに反応し、彼の元へと駆けつけた。彼は世界を観測した歓びにより更に世界の拡張に従事した。鏡は優秀だった。鏡は彼の描く世界を実に色鮮やかに映した。
或る日鏡は姿を消した。しかし彼は哀しくなかった。彼が既に鏡に失望していた為である。鏡には限界があり、その兆候を彼は見逃してはいなかった。代わりは居る。彼は再び世界に折り目を付け、それ相応の鏡の場所へとそれを飛ばした。
そのサイクルは有限だった。遂に彼は一人になった。しかし彼は哀しくなかった。彼が既に世界に失望していた為である。世界には限界があり、その兆候を彼は見逃してはいなかった。ならば自分で世界を創ればいい。彼は考えた。拡張と創造のプロセスは変わらなかった。したがって彼はその仕事を滑らかかつ鮮やかにこなした。
新しい世界は静かだった。喧騒などは欠片も届かず、風の音すらも聞こえなかった。凪とは違う。風自体が無いのだ。彼の描いた世界は至極美しかった。その美しさを彼は独り占めにしたのだ。その優美な世界を映す為に鏡達は侵入を図ったが、誰一人としてそれを実現することは出来なかった。やがて彼の世界は時間と共にぽろぽろと崩れ始めた。しかし彼は哀しくなかった。彼が既に自分に失望していた為である。自分には限界があり、その兆候を彼は見逃してはいなかった。
世界が彼をごくりと呑み込む。結局彼は死ななかった。




