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夢うつつ

作者: ステイル

気が付くと見知った馬の背に乗っていた。


いつから自分は彼に乗っていたのだろうか?


顔には焦げ茶色の毛に混じって幾つか白い毛が目立った。


自分が知っている彼は白い毛なんか生えてなかったと記憶している。


毛の色は焦げ茶しかなかった。白はなかった。それにもっと力強かった。


目の前の頭に向かって名前を呼んでみた。


彼は何も言わなかった。


ただひたすらに前を向いて自分と繋がっていられる時間を噛み締めていた。


もう一度呼んでみた。


顔だけこちらに向けて自分と彼の瞳を合わせた。


綺麗な瞳だった。


今も昔も変わらず綺麗な目をしていた。


少しほっとして体重を彼の背に預けて太い首を抱き締めた。


彼の強い足が地面を蹴る度に体が跳ねた。


自分の体は宙には浮かず彼の背中から離れない。


彼の「癖」だ。


乗り手が落ちないように彼も腰を上げて出来るだけ衝撃が来ないようにしてる。


そういえば彼から落ちたと言う話は聞いたことがない。


それだけ彼は乗り手に気を使っているのだ。


それに気づいているのは自分を含めてほんの少し。


ただ、彼に殺されかけた話なら幾つか聞いたことがあるのだが。


だがまぁ、彼は優しい。


それゆえに、強い相手には立ち向かう。


だから、彼が乱暴だと思われる。


そんなことは無いのにな、彼に向かって言ってみた。


彼はふんと鼻息で返事した。


気にしてない。その一言だけだった。


暫く走った。


そう言えばここはどこ?


彼に質問してみた。


彼は少し考えていずれわかると言う。


どこに向かってるの?


俺の行くべき場所さ。彼は誇らしげに言った。


自分なんかが行っても良いの?


特別に。彼は嬉しそうに目を細めた。


自分も嬉しくなった。


彼に認められたことが何より嬉しかった。


ふと足に力をいれようとしていつもあるはずの手綱も(あぶみ)も鞍も彼には付いていないことに気づいた。


そうか彼はもう何に縛られることなく自由に歩を進められるのか。


時に歩き、時に走り、時に休む。


彼が求めていた自由だ。


彼の背に跨がりながら自由って良いね、と言ってみた。


彼はただただ笑っていた。


幾日が過ぎて何やら虹が地面から生えたような場所見えた。


あれは?彼に尋ねた。


俺にもお前にも関係ない場所さ。彼は言う。


なんで、虹の下に動物がいっぱいいるの?


あいつらは誰かを待ってるんだ。飼い主だったりお互いに信頼していたパートナーだったり色々だ。俺とお前みたいな関係の相手を待ってるんだ。そう言いながら彼は微笑んだ。


恥ずかしさから彼の首を撫でてやった。


やめろと彼は笑いながら叫ぶ。


それからまた幾日かたった。


道中、彼の友達だと言う馬に会った。


その友達も誰かを待っているようだった。


彼は懐かしそうにその友達と数日過ごした。


その間、自分はその友達の背に乗って彼との違いを確かめた。


その友達の背は幅広く、とても安定していたがひと度走り出すとロデオマシーンの如く揺れて気持ちの良いものではなかった。


彼は自分の焦る顔を見て腹を抱えて笑っていた。


数回、夜が訪れて太陽が顔を出したとき、彼は出発しようと言い出した。


友達から餞別に彼には大きな干し草の塊を、自分には何やら得体の知れない掌サイズのものを貰った。


自分はその得体の知れないものをポケットに仕舞い、干し草を彼の背中に乗せた。


彼の背に跨がると友達は寂しそうに自分と彼を見送ってくれた。


手を振ってまたねって叫んだ。


彼もまたなって叫んだ。


それから更に幾日か立った。


自分が呑気に鼻唄を口ずさんでいると急に視界が開けた。


まるで自分達を出迎えてくれるかのようにサァッと草原に白波が立つ。


凄いと口から零れた。


彼はもうすぐ終わりだなと呟いた。


自分はその呟きに気付かず、目の前の光景に目を奪われた。


そんな自分になぁ、と彼が話しかけてくる。


俺は強いか?


そりゃもちろん。自分はさも当然と言わんばかりに答える。


じゃあお前は?彼はまた尋ねる。


自分? 弱いよ?これもすぐ答える。


でも、弱いなりに頑張ってるよ?と笑って付け加えた。


そうかそうか、と彼は安心したように笑った。


彼はゆっくりと草原の中を進んでいく。


自分もゆったりとしたリズムの曲を口ずさむ。


暖かな太陽に照らされて二人で草原を渡る。


暫く行くと遥か遠くに沢山の黒い点が見えた。


着いたぞ、ここが俺の故郷だ。彼は言う。


彼は鼻息を荒くした。


何頭かの馬がこちらを見た。


明らかに自分を見ていた。


まるで全てを見透かしたかのようにその馬達はまた草を()み始めた。


さぁ、お前との旅はここまでだ。唐突に彼は言い自分を彼の背から降ろした。


ここから先は俺しかいけない。本当ならここの場所を人間に見せることすらいけないんだ。人で無くなるから。俺が無理言ってどうにかお前だけ、ここまでならと許して貰ったんだ。彼はなんのことかわかっていない自分にそう言った。


つまり、一時のお別れ。彼がそう言うと自分の視界がぼやけ始めた。


耳が熱くなった。涙が零れ落ちそうになった。


彼が慌てて自分の頬に彼の大きな顔を擦り付けた。


お前に時間が来たら俺が迎えに行くからさ。その時までのお別れだ。お前がこっちに来る時まで俺が待ってるのも辛いからよ、こっちで待っといて、お前がこっちに来たときに迎えに行けば楽だろ?彼は耳元で囁いた。


自分はただ、彼との別れが辛くて彼の首に抱きついた。


暖かかった。その温もりが優しかった。


彼は泣くなよ、ほら良いものやるからさ。と言い額と額を押し付けあった。


想像しろ。彼はそう言った。


俺は駆けてる。お前も一緒だ。お前と俺だけの時間だ。周りに人間はいるか?彼は耳元で囁いた。


いない。自分は答えた。


俺はお前の顔を見る。お前も俺の顔を見る。そのアイコンタクトは合図だ。


うん、前に障害が見える。


飛ぶんだ、お前は衝撃に備えて腰を浮かせる。


君は飛ぶために前足を上げる。


お前は体重を前に移した。


君は後ろ足が障害に当たらないか気にしてる。


お前は俺の首にさらに体重を乗せる。


君は心の底から楽しんでいる。


お前は落ちないかと不安でいっぱいだ。


そう、手綱を強く握ってるから君は少し怒ってる。


お前はそれを感じ取る余裕がない。


君が後ろ足を宙に浮かせた。


失敗だ、爪が当たった。


大丈夫、バーは落ちてない。そして…待って、何か落ちた。


気が付くと手の平に何か金属でできたものが握られていた。


それがいいものだ。彼は笑った。


彼はしっかりそれを自分に握らせると草原の絨毯を思い切り叩いた。


今までありがとな。帰りは一瞬さ。


草原が割れ、彼との距離が遠くなる。


手を伸ばすがその手は届かなかった――――






気が付くとベッドから落ちていた。頭を振りながら一緒に落ちた布団をベッドに戻す。携帯を見ると日曜日。もう一眠りしようとしてポケットの中に違和感を覚える。ポケットの中にあったのは馬の小さな二つの人形で自分の全く知らない馬ともう一つは自分が背に乗った愛馬だった。なんでポケットに?と思うよりも先に握った指から何か電気信号が流れ込み、ジリと頭の奥のほうが疼きだす。何かを思い出そうと脳が働いた。大事な何かがあったような気がするが何も思い出せなかった。でも二度寝をする気を紛らわす位にはなった。

仕方ないと割り切ってカレンダーを見た。当番!とでかでかと書かれている。

慌てて寝間着を脱ぎ捨て普段着に着替え、走り出した。

馬術場に着くといつもと雰囲気が違った。何やら物物しいといった雰囲気で、昔言ったお葬式の雰囲気によく似ていた。一歩歩く度に背中に冷水を掛けられたような背筋が凍る感じがした。嫌なイメージが頭の中をよぎる。扉をあけ放つと一頭、顔が見えなかった。いつものメンバーの中に一つの空白ができていた。

そろそろとその空白に近づくと愛馬が横たわっていた。彼の体はまだ温もりを持っている。彼の首をぎゅっと抱き寄せた。短い毛が自分の体を包み込む。涙は不思議と流れなかった。近くにいるほかの馬たちはその光景を見ていた。でも彼らはなにも言わず静寂がこの場を包んでいた。

彼の名前を呼ぶ自分の声が震える。決して触らせてくれなかった耳も動かない。その瞼の下にある綺麗な瞳も見えない。

耳をすっと撫でてみた。柔らかな毛が手を包み込む。初めての感触だった。

もう一度耳を撫でて彼の額に自分の額を押し付けた。


想像しろ。


どこからか声が聞こえた。

それと同時にカローンと金属でできた何かがコンクリートの地面に当たった。彼の足から蹄鉄(ていてつ)が外れたようだった。持ってみると意外と軽い。


想像しろ。


また聞こえる。そしてジリとまた脳が働き出す。しかし、何も思い出せない。するとチーッと機械の動くような音が聞こえだした。そしてジリジリと脳が焼けるように痛み出す。


痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!!


彼の大きな体に寄りかかるように倒れた。額を押さえてもこめかみを押しても奥歯を噛み締めても頭痛は治らない。力の逃げ場を作ろうとギュッと握った蹄鉄が熱を持っているように感じた。

暫くもがいているとサッと旅の記憶が戻ってきた。

戻ってくると同時に森が見えて、彼の友達が自分を追いかけ、何かを叫ぶ。


急げ!


風に混じって彼の友達の叫びが聞こえた。


自分の体が風になり、数日かかった道のりをたった数秒で駆けていく。


草原が見え、草を食んでいた彼が顔を上げた。


彼に抱きつくと彼は迷惑そうに顔を歪める。


お前は一人でも頑張っていけるんだろ?彼は言う。


やだよ、君がいなくなるなんて。君がいたから今の自分がいるんだ。君がいなくなったら自分は……。


大丈夫。と彼は笑いながら自分の言葉を遮った。


お前はお前が思ってるほど弱くないさ。なんせ俺に噛まれてもヘラヘラしてたくらいだからな。彼は懐かしそうに目を細めた。


それにこれが完全な別れじゃない。また会えるさ。何十年かかったとしても俺はお前のことを待っててやるからよ。さぁ、時間だ。帰りは一人で帰れるだろ?彼は首に抱きついた自分を引き剥がした。


彼が自分の胸を(ひづめ)で軽く押すと彼が急に遠くなった。


待ってと叫ぶが彼はどんどん遠くなる。


足を草原に突き刺すように踏ん張ってもどんどん遠くなる。


今までありがとう!と彼の顔が見えなくなる前に絞り出すように叫んだ。


彼が遠くで雄叫びをあげた。


それは言葉ではなく、ただ自分に聞こえるように叫んだだけのものだった。


「ーーパイ、セ…パイ、先輩!」

ぼやけた視界が後輩の姿を捉えた。しかし捉えた後輩の手には何やらバケツのようなものが握られて……。

「起きてください!」

バシャッと顔から体まで水が掛かった。暫く呆けてから冷たいと呟くと後輩の顔から緊張感が抜けた。

「もぅ、先輩がハリーのことを大事にしてるのは知ってますけど馬房(ばぼう)で気絶なんてしないでくださいよ!」

うん、と軽く言って回りを見渡すと彼が倒れていた。

夢だったらよかったのに。そう言って後輩の顔を見た。

「なんです?」

ツゥと頬を生暖かい水が伝った。心臓が鼓動を早め、耳が熱くなる。涙が止めどなく流れる。

後輩は慌ててハンカチを取り出すと自分に差し出してきた。

「鼻水を付けるのは止してくださいよ?」

もう一度、うんと言って涙だけ拭った。

ヒンヤリとした感触が左手から伝わって蹄鉄を握りしめていたことに気がついた。

いいもの。彼にとって最も自分にあげたいと思ったもの。彼にとって自分が嬉しいと思うだろうと思ったもの。

正直、人形のほうが嬉しかったなぁー。センスないなー、とブツブツ呟いていると後輩が変な顔してた。

「頭でも打ったんですか?」

理解のできない物を見るような視線を向ける後輩に大丈夫、これは自分とハリーだけしかわからないことだから。と言って笑った。

そう、笑った。笑えた。笑うことが出来た。

ハリー、なんだかやっていけそうだよ。

横たわった彼の体に寄り添った。なんだか穏やかな表情で彼は眠っていた。

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