第32話
頭が悪いと言われてイラついたのか、それともフレディのいやらしい笑みが気に入らなかったのか、スブルは不機嫌に眉をつり上げた。
「愚かな神フレンティーユ。君にはまだおしおきが必要だね」
宙に浮く剣の切っ先がフレディに向く。
「おっと、遊び相手を間違えるなよ」
フレディを背に、庇うように立つ。
「そうだったね。でも、もう飽きたし、終わりにしようか」
剣の切っ先があたしの心臓に向いている。仕留めにくる気だ。
あれを食らえば死ぬ。集中しろ。絶対に避けろ。
呼吸を整え、全神経を剣の切っ先へと集中させた。血が汗と混じって肌を伝う。傷の痛みを感じる余裕は今のあたしの頭にはない。頭にあるのは2度見たあれの恐るべき速さ。それを何度も思い出し、避けるイメージを繰り返しているている。
どのくらいの時間が経っただろうか? おそらく数分いや、数十秒も経っていないだろう。しかしそれが永遠に感じられるくらいに長い。あれが動けば1秒もかからずにあたしの心臓を貫く。瞬きすら許されない。
長い緊張の中、スブルの口元が僅かに歪む。
――来る!
この間、1秒も経っていないだろう。
剣が動くと同時に、右足を踏み込んだ。切っ先がこちらに向かってくる。
見える! これなら!
ギリギリでかわせる。だが、あたしは嫌な予感がした。これは完全に勘だ。あたしは集中し、切っ先が向かう方向をもっとよく見た。
おかしい。狙いが低すぎる。これは……まさか!
スブルの狙いを直感した。あたしが避けるのを見越し、フレディの心臓を狙っている。
咄嗟に迫る剣の切っ先の前に左手をだす。剣はあたしの左手の平を貫き、鍔の部分に引っかかり止まった。離れないように、それをそのまま握り締める。
「スブル!!」
瞬間、あたしはキレた。
右拳を振り上げ、スブルへと迫る。
「僕を傷つけることは不可能だと言っているだろう。馬鹿な人間め」
腕を組みながら目を瞑り、フフンとスブルは余裕顔で鼻を鳴らす。振り上げた拳が自分に当たるとは微塵も思っていないのだろう。
スブルが言ったことは本当だ。人間は創造神を傷つけることはできない。
だがフレディは言った。信じろと。なら当てることはできる。この拳は、絶対に当たる。
スブルが眼前へと迫り、拳を前に突き出そうとしたその時、あたしの意識が遠くなった。
血が出すぎたか。クソッ!
あたしの目に白い地面が写る。
――倒れる。
そう思った瞬間、急に視界が高くなり、ふたたびスブルを眼前に捉えた。
状況を冷静に判断している余裕は無い。なにも考えず、拳を振りげる。
拳を真上からスブルの脳天目掛けて突き出す。
――当たれ! いや、当たる!!
拳の先に髪の感触を感じ、脳天に直撃。怒りで力を入れすぎたせいか、スブルは衝撃で地面へと顔から突っ込んだ。
「あ、当たった……」
目の前のスブルは潰れたカエルのような、なさけない姿で倒れている。
勝った。しかしなぜ当てることができたのか? 当てた拳を見るが、特に変わったところはない。フレディがなにかしたのか?
そう思って後ろを振り返る。
ん?
あたしのすぐ後ろに誰かがうつ伏せで倒れている。
近寄って仰向けにしてみて……驚いた。
あたしだ。
なんだ? どういうことだ?
混乱しているところに、フレディが近寄ってきて、
「ね、当たったでしょ」
とニッコリ。
「いや、それはいいがこれ……」
しゃがんで頭を持ち上げ、もっとよく見てみる。やっぱりあたしだ。どうなってんだこれ?
「千鳥さん。おちついて自分の姿をよく見てください」
自分の姿?
言われて見てみると、なぜかあたしは異世界に行った時に身に着けているいつものダサい服を着ていた。
「魂に……なってるな」
理由はわからないが、それしか考えられない。
「そうです。さっきわたしが背中を叩いたでしょう? あの時、魂が出るように仕掛けたんです」
なるほど。だがなんで一体そんなことを?
疑問を察したのか、フレディは聞かずとも答えを語り始めた。
「千鳥さんの魂を修復したとき、支配をスブルからわたしに変えたんです。だからスブルにゲンコツが当たったんですよ」
「そうだったのか。でもそれならなんで最初から魂を出してくれなかったんだ? 最初から魂でやってりゃもっと早くかたが付いた」
「最初から魂で戦ったら、スブルがこちらの思惑に気付いてしまう可能性がありました。自分に攻撃が当たると気付けば、神器を使ってすぐに千鳥さんを仕留めにかかったでしょう」
確かにそうかもしれない。最初にやられたのが足だったからいいものの、心臓や頭なら死んでいた。
「スブルはああいう性格ですからね。自分が絶対的に有利と考えている間は、神器をだしても千鳥さんの急所を狙わないと思ったんですよ。神器はスブルが持つ最大の武器。いくら千鳥さんでも初見でかわすのは無理でしょう。だから出すのを待ったんです。千鳥さんなら1度や2度見ればかわせるでしょうし、1度かわせれば魂になってゲンコツを当てられる。そう考えたんです」
すらすらと語り続けるフレディを、あたしは口を開けながらポカンとして見ていた。
驚いて開いた口が塞がらなくなるのも当然である。アホでどうしようもない神様であるはずのフレディがここまで考えて行動をしていたのだから。
もしかして偽者なんじゃないかと思い、両の頬をつねってみた。
「いふぁふぁふぁふぁふぁ!! ってなにするんです! 痛いじゃないですか!」
両頬を押さえながら、涙目で怒った。よく考えたらこんなことをしても本物か偽者か判別はできない。
「いや、頭を使って行動したから偽者なんじゃないかと」
「失礼な! それじゃわたしが普段なにも考えてないみたいじゃないですか!」
「違うのか?」
「違いますよ!」
と言ってプクーっと頬を膨らました。この怒り方は本物だ。
「悪い悪い。あまりにらしくなかったんでな」
「もー! こう見えても思慮深いんですよ。わたしは」
おもしろい冗談なのでつっこもうと思ったが、本気な顔をしていたのでやめておいた。
「さてと……」
自分の肉体は地面へと丁寧に寝かせ、魂のあたしは立ち上がってスブルをみた。
相変わらずつぶれたカエルのように倒れていて動かない。
「あいつどうする?」
親指で倒れているスブルを指す。
起きればまた襲ってくるだろう。おそらく今度は確実に殺しにくる。縛っておくか? いや、縛るものがない。それに体を拘束しても神器は扱えるだろう。なら起きる前にこの場を去るか。だがこいつはあたしの世界の神だ。この場はよくても後でなにをされるかわからん。う~んどうするか……。
あたしが腕を組みながらうんうん唸っていると、フレディがうつ伏せに倒れているスブルへとおもむろに近づき、胸倉を掴んで引きずり起こし、パンパンと2発ビンタをした。
「ってなにやってんだ。起こすとまずいぞ」
驚いて後ろから肩を掴む。
「大丈夫ですよ。もうスブルは戦えません」
とこちらを振り返り言う。
戦えない? なんでだ? その疑問を問う前にスブルが目を覚ました。
「あれ……僕……」
頭を右へ左へと向け、状況を確認している。ゲンコツを受けた衝撃からか、あまり意識がはっきりしていない様子だ。
しばらくして状況を理解し、意識もはっきりしてきたのか、頭を押さえながら恨みがましい目をしだした。
「痛い……よくも、よくも僕の頭を」
これはまずいか?
あたしは念のため身構えた。
「うわァァァああああん!!! 痛いよぉ! 頭痛いよぉ! あーーーん!!!」
突然、大泣きを始めた。大きく口を開け、目からは涙をボロボロと流し、鼻水もダラダラと出ている。まるで普通の子供が転んだか親に怒られた時のように泣いており、およそ神という立場の存在とは思えない、みっともない姿だ。
見た目こそ子供だったスブルだが、異様な威圧感はあった。しかし今ではそれもなく、完全にただの子供と化している。
「さあスブル! わたしの世界を返しなさい! そして千鳥さんには二度となにもしないと約束しなさい!」
フレディは両手で胸倉を掴みながら、スブルを前後にガクンガクンと揺らした。
「お、おい。あんまやると怒ってまた神器を使ってくるぞ」
「その心配はありませんよ。千鳥さんの肉体の左手に刺さった神器を見てください」
神器を? そういえば神器はあたしの左手に刺さったままだった。
振り返り、自分の肉体の左手を見る。しかしそこに神器はなく、穴の開いた痛々しい左手の平だけがあった。
「なくなってるな」
「そうです。神というのは強い力の塊で、少しでも力同士のバランスが崩れれば本来の力を発揮できない……というのをスブルから聞きましたね。これも同じで、神は今のスブルみたいに感情を大きく乱されると、神器のような大きな力を使うことができなくなるんです」
大丈夫と言ったのはそういうことか。しかしまだ不安なことがある。
「演技じゃないだろうな?」
こいつは演技と言って一度あたしを騙している。また演技という可能性も……。
「ないですね。神器は創造物に罰を与えるものです。それが消えるのは罰を与えて創造物を破壊した時か、神が力のバランスを崩した時。答えは千鳥さんの生存ですよ」
それを聞いてようやく安心した。正直、こいつとは2度と喧嘩したくない。
「う、うう……僕もう神器使えないの……? ヒグ……ヒグ……うわァァァあああんん!!!」
しばらく静かだったが、神器を使えないと聞いてまた大声で泣き出した。
「あなたの感情はバラバラに粉砕されていますからね、35億年は使えないと思ったほうがいいでしょう」
「うわァァァああん!!!」
思ったよりも深刻に、感情は乱れているようだ。
それほど、スブルにとって人間に殴られたことは衝撃だったのだろう。
「そんなことどうでもいいんですよ。約束するんですか! しないんですか! しなければこの場で腕と足と頭を切り離して、それぞれ封印しちゃいますからね!」
なんだかとんでもなく猟奇的なことを言っているような気がする。
「グス……わ、わかったよ。君の世界『フレンティーユ』は返す。神鳥千鳥にも2度となにもしないよ……」
「約束しましたよ。破ったら千鳥さんが怒ってあなたを食べますからね」
「ヒーッ! 食べないで!」
「食べるか!」
フレディの頭にチョップをいれた。
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フレディから解放されたスブルは泣き止み、今は三角座りをして静かに丸くなっている。
「うーむ、しかし腹の虫が収まりません。もっとバランスを崩してさっきのわたしみたいに怪物化しちゃいましょうか? 今のスブルなら容易には元に戻れませんよ」
スブルを横目で見ながら、ヒッヒッヒッとフレディは邪悪に笑う。聞こえたのか、スブルがビクッとして涙目であたしを見つめてきた。それに気付いたフレディは、近づいてスブルの頭を右拳でグリグリとやる。
「あうー……」
「なにが『あうー』ですか。へたしたらわたし、永遠に怪物だったんですよ。このこの」
世界を創造した者同士の戦いが、小学生の喧嘩に見えてしまう。
スブルは目をギュっと瞑りながらフレディのグリグリ攻撃に耐えている。
「えいこの!」
そして最後にグーで頭を押され、三角座りのまま横にパタリと倒れた。
「痛い……うう」
ちょっとかわいそうに見えるが、あたしもあいつには殺されかけたのでなんとも言えん。それにしてもあの変わりよう。さっきまであたしと喧嘩していたとは思えないな。
倒れたまま、スブルはグスグスと泣いている。それを見て満足したのか、フレディはフンフンと鼻息を荒くしながら戻ってきた。
「まったく、ちょっと神器が使えるからって生意気なんですよあいつは」
「フレディは使えないのか?」
「わたしは普段から感情が乱れまくっているので、使えませんよ。ちょっとでも力のバランスが崩れるとすぐさっきみたいに怪物になっちゃいますしね」
と言って腰に両手を当てて偉そうに胸を張る。
つまりスブルは感情が乱れまくって力を失い、フレディレベルに落ちたということか。
今だ泣いていて威厳のかけらもなくなったスブルと神として劣っている自分を偉そうに語るフレディを見て、妙に納得した。
「あれが本来のスブルなんですよ。泣き虫のくせにちょっと力が強いからって偉そうに……あーもうまた腹が立ってきたんで蹴ってきていいですか?」
フレディはまたスブルのところへ向かおうとする。これはきりがないなと思い、首根っこを掴んでそれを止めた。
なんでこいつは神様なのにチンピラみたいな思考なんだろう。
「なんで止めるんですか? 2度とわたしや千鳥さんに逆らえないくらいあいつを蹴ってやりますよ」
「もういいだろ。そんなんだから神器使えないんだよ」
「おもしろいところをついてきますね」
「痛いところだろ」
「そう、痛いところです」
おもしろかったのか、ゲラゲラと楽しそうに笑う。笑い方までチンピラみたいに下品だ。
しかしそれを見ていたらなんだかあたしもおもしろくなり、一緒にゲラゲラと笑った。
「アハハ。まったく、お前はひどい神様だよ」
「なんてこと言うんですか! わたしほど良い神様はいませんよ!」
怒ってそっぽを向いてしまった。
泣いたり怒ったり笑ったり、確かにこう人間くさく感情豊かでは、神の力である神器を使えないのもわかる。
まあ、こうでなかったらダチにはなれなかったけどな。
フレディの頭に手を置く。
「ひどい神様だけど、最高のダチだよ。お前は」
「複雑ですが、褒め言葉として受け取っておきますよ」
言いながらこっちを向いて片目を瞑って親指をグッと立てる。あたしもつられて親指をグッと立てる。
アメリカ人か。
「さて……今回もまた千鳥さんには助けてもらってしまって、なんとお礼をしたらいいか……」
急に真面目になり、申し訳無さそうに目を伏せる。
「礼なんかいらねーよ。ダチを助けてやるのは当然だろ」
「そうですか? 綺麗な石を100個ばかりお礼に差し上げようと思ったんですが」
本当にいらない。
「あっと、それで思い出しましたよ。はい、返しますよこれ」
差し出された綺麗な石を受け取る。これはあたしがさっきフレディに投げて渡したものだ。
「これはもちろん受け取っとくぜ」
「ええ、友情の証ですから」
お互い、ニッと笑い合う。
「……そろそろお別れですね」
笑いから一転、寂しそうな表情になる。
あまり考えないようにしていたが、その時がきた。
「ああ。いつまでもここにいるわけにはいかねーからな」
…………。
沈黙。
あたしとフレディは神と人間。本来なら会うことはない者同士。この別れは、今生の別れとなるだろう。
考えたら涙が出そうになった。しかし泣かない。笑って別れよう。それがいい。そうしようと決めた。
「辛気臭ぇ顔すんなフレディ! ここは笑って……」
「あーーーーーもういいです!」
突然でかい声を出され、ビクッとしてしまう。ちょっと遠くでスブルも、
「ヒッ! なに……うう、グス」
と驚きの声を上げている。
「なんだよ。ビックリさせんな」
「神と人間が会ってはいけないとか面倒くさいんですよ。だいたい誰が決めたんですかそんなの。もう会っていいです。わたしが決めました」
そう言ってフンと大きく鼻を鳴らす。
「でも……それは当然の決まりだから、いけないと思うんだけど僕は……」
ヒョコヒョコと歩きながらスブルが近づいてきて、フレディに話しかける。
「うるさい! 黙りなさいスブル!」
ゴチンとゲンコツ。
「ヒィ! 痛い! ごめんなさいぶたないで……」
頭を抱えて丸まってしまった。
「あたしの世界の神様こんなんで大丈夫なのか?」
丸まりながらグスグス泣いているスブルを見て、自分の世界の行く末が心配になってきた。
「神は基本、創造した世界に対して傍観者ですから大丈夫ですよ。仮になにかあってもわたしがなんとかします」
それも不安だ。
「それじゃあ、また会いましょう千鳥さん。神であるわたしが決めたんだから絶対ですよ。メールもしてくださいね」
フレディは右手を高々と上げ、こちらに向けた。
「ハッ、まったくお前はとんでもない不良神様だ。だけど、あたしのダチには調度いい」
向けられた右手の平を同じく右手の平でパーンと叩いた。その瞬間、あたしの意識は遠くなり、気がついたら中国の空港の入口にいた。
なんとなく腕時計で時間を確認すると、時計の針はここに来た時と同じ時刻を指している。ボロボロだった服は綺麗になっており、神器で貫かれた肩と足と左手の傷もない。
夢だったんじゃないか? そう思い鞄を確認すると、中から綺麗な石と見覚えの無い紙切れがでてきた。
その紙には
しーゆーあげいん
と、ひらがなで書かれていた。
それを見てプッと吹きだす。周囲の人間が見ているような気がするがあまり気にならない。
それくらいおもしろかった。
神様なんだから、簡単な英語くらい書けろよな。
だが、らしい。あいつらしい。それがうれしかった。
それからあたしは綺麗な石を見た。
「またな。最低の神で、最高のあたしの親友」
一言そう呟き、石を大事に鞄へとしまって空港のロビー向かった。