第26話
姉の言葉と視線にイルマは戸惑っている。
なにやらややこしい事情があるみたいだが、とりあえずはどうでもいい。
あたしはベッドの枕元に置いてある一冊の本を手に取った。
「これは氏の日記だ。今からこれを読む」
その場がざわつく。
全員、なぜ今日記を? という顔をしている。
「今から読むのは氏が殺される前日のページだ。そこにはこう書いてある」
『私は愚かな男だ。自らの病を理由に愛する女性に結婚を申し込むことができない。このままでは彼女を傷つけてしまう。私は決心した。明日、彼女に会ったとき、このネックレスを渡して結婚を申し込もう。私はもう迷わない。愛するネーマのために』
…………。
静まり、皆がネーマを見ていた。
ネーマの唇が震え、その口が開く。しかし先に声を発したのはイルマだった。
「……姉さんは勘違いをしていたの」
「なにを勘違いしてたって言うの? 私、あなたとマスタルグ様がこっそり会っていたのを知ってるんだから!」
ネーマがイルマに掴みかかった。
場は騒然とする。おっさんが慌てて2人の間に入った。
「イルマ、勘違いって?」
つとめて冷静に、イルマに聞く。
「はい、私が主様に会っていたのは、先ほど千鳥さんが読んだ日記にあった病が理由です。主様はご自分の心臓が相当にお悪いことを知っていました。いつまで生きられるかわからないのに、結婚を申し込んでいいのか? それを私に相談なさってたんです」
ネーマが肩を震わせている。
そして突然、笑い出した。
「あはははは! 嘘よ! そんなことあるはずない! 私はいつだって裏切られてきた! 今も! 前も! 今回だってそうに違いない!」
前も?
その言葉が引っかかった。
「お前が犯人でいいんだな、ネーマ」
チェックメイト。これで終わりだ。後はこいつがチート転生者なのかを確認しなければ。
「そう。私がやったの。裏切るからいけないの。だからやったの。私は悪くないの。だからさようなら」
そう言うとネーマはふっと姿を消した。
??? 突然消えたぞ。もしかしてこれが。
あたしはフレディの頭を指で叩く。
「あれは短距離を瞬間移動できる能力【ショートテレポーター】ですね。5メートルくらいの距離を瞬時に移動できます。宴会でやると拍手がもらえますよ」
今までで一番しょぼい能力かもしれない。
ということは近くにいるか。
部屋の扉を開け、廊下を見ると走り去るネーマが見えた。
「待て!」
フレディを脇に抱えて追いかける。
「あの能力は一回使うと5メートルを全力で走ったくらい疲れるんです。だから連続では使えませんよ。たぶん」
瞬間移動なのに疲れるのか。
「なんでそんな能力与えたんだよ」
走りながら聞く。
「んー……裏切った男性を殺す時、家屋にたやすく侵入したいとか言っていたような……。あの時は前日が飲み会だったんで頭痛くてあんまり覚えてないです」
だめだこいつ。
屋敷から外に出ると、ネーマがぜいぜいと荒く息をしているのが見えた。
「観念しろ。そんなしょぼい能力であたしから逃げ切るのは無理だ」
「はぁ……はぁ……。あんた達、一体何者なの?」
「あたしはお前みたいな悪事を働くチート転生者を倒すバイトだ。んで、こっちが雇い主の神様」
フレディを下ろす。
「わたしの声に聞き覚えがあるはずですよ。わたしはあなたのことあまり覚えてませんがね」
腰に両手を当て、偉そうに胸を張る。
「神様? あなたが? うそでしょ? 私も覚えてないし」
「忘れるなんて失礼な! 神をも恐れぬ蛮行ですよ! 千鳥さん! 懲らしめてあげて――」
「ちょっと黙ってろ」
フレディの頭にチョップを食らわせる。
「ややこしい事はなしだ。こいつは神様で、お前の能力と前世の記憶を回収する。抵抗するならあたしがお前をぶん殴る。OK?」
「……OK。つまりあんたを倒せばいいんでしょ?」
「そういうことだ」
拳を固め、ネーマに近づく。
ネーマは懐から本を出した。
そしてこちらに向かって手をかざし、叫ぶ。
「エラーアビリティってやつか!」
飛んできた炎を避け、ネーマを見る。
しかしそこにネーマの姿はない。
「こっち」
真後ろで声がした。
その瞬間、炎があたしの頭に直撃……せず、すんででしゃがんで避けた。
後ろを振り向くとすでにいない。
「さっきので殺ったと思ったのに。じゃあ、これならどう?」
次はなんだ?
……ん? 足元が熱い。
下を見るとあたしの周りだけ地面が真っ赤になっていた。
やばい! とっさに横へ飛ぶ。
その一瞬あと、あたしが先ほどまでいた場所は爆発して大きな穴ができた。
「ちっ、めんどくせえなぁ」
「あっ、千鳥さん、待ってください。あぶないです」
「あ? いつも言ってんだろ。あたしより強い奴なんていないって」
「違いますよ。彼女の精神力でこれ以上エラーアビリティを使うのは危険なんです」
どういうことだ? MPが切れるのか?
「手短に言います。エラーアビリティはイビツの力です。イビツは人の精神を蝕むモノ。精神力の弱い人が使い続けるとその人自身がイビツになってしまいます」
こちらに手をかざすネーマの手が不気味に黒ずんできている。
「……めんどくせぇ」
ネーマは瞬間移動をして、姿を現した瞬間にエラーアビリティを放つ。
ならこうするしかない。
あたしは集中した。そしてやや後方に気配を感じ、そこまでダッシュする。
「はっ! 馬鹿だね! 直撃だよ!」
顔の前にあるネーマの手からボーリング玉くらいの大きな炎が飛び出し、あたしの顔に直撃した。
――勝負あった。意識があればネーマはそう思ったかもしれない。炎が直撃するのとほぼ同時に、あたしの拳はネーマの横っ面をぶっ叩いていた。
吹っ飛ぶネーマ。
あたしは火で髪が燃えていないかが心配だった。
……
いつも通りフレディが能力と記憶を回収して今回も無事終了。
そこで一つ疑問が浮かんだ。
「殺しの記憶も消えないか?」
「その辺はうまく記憶を構成し直しといたんで大丈夫ですよ」
「ふーん」
簡単そうにやっているが、結構ややこしい事もやっているんだな。
「蝕まれて黒ずんでしまった腕は転生特典で治しておきましょう」
そう言ってフレディがネーマの黒ずんだ腕に触れると、黒い部分が消え、元の腕に戻った。
「お嬢ちゃん達! 大丈夫か!?」
おっさんが駆け寄って来た。
後はまかせよう。
「この通りだ。前髪が少し焦げちまったがな。さっ、後はおっさんの仕事だぜ」
倒れているネーマを親指で指す。
「ああ、本当に世話になった。正直、最初はちょっと疑ってたんだ」
だろうよ。じゃなかったら、警吏なんて仕事は辞めた方がいい。
「ちょっと残念な結果だったけど、ありがとう。今度、礼をさせてくれ。それじゃ」
領主や兵士と共に、ネーマを連れておっさんは去って行った。
「……結局、妹が犯人になっちまったな」
うなだれながら、後から来たケインズに声をかける。
「……ああ。でも、ネーマが……。なんで……」
「兄さん……」
イルマが兄を支える。
強い女だ。こんな時でもしっかりしている。
「門の前で待ってて、私、千鳥さんと少しお話があるから」
ケインズはこくりと頷くと、とぼとぼと屋敷の門に向かって歩いて行った。
「話って?」
「……千鳥さん。あのとき読んだ主様の日記、本当にあの通り書いてあったんですか?」
…………。
しばらくの沈黙の後、あたしは口を開いた。
「嘘だ。はったりだよ」
それを言うと、フレディは驚いたのか目を丸くしてこちらを見た。
「嘘だったんですか!? ええー……気付きませんでした」
気付けよ。あたしはこの世界の字は読めないんだから。
「やはりそうですか」
「いや、悪かった。あーすればネーマの方からゲロると思って……」
ばつが悪くなり、あたしは頭を下げた。
「いいんですよ。私も嘘を吐きましたから」
「あんたも?」
「ええ。おかしいと思いませんでしたか? 千鳥さんが語った嘘の日記の内容を私が補足したのって」
確かにそうだ。
主が病を理由にネーマとの結婚に踏み切れなかったというのは、あたしが考えたてきとーな嘘だ。
あの時は嘘からでたまこと、くらいにしか思ってなかったが、冷静に考えてみれば都合が良すぎたような気もする。
「姉さんに隠れて主様に会っていたのは本当です。嘘なのは姉さんとの結婚の相談ではなく、逢引だったということです」
「(ボソボソ)なんだアイビキって? 肉か?」
「(ボソボソ)愛し合っている男女が人目を避けてこっそり会うことですよ」
つまりネーマの言っていたことは正しかったってことか? えー……。
「お金持ちの主様と結婚をしたいと思ったのは絶対に私が先なんです。それなのにずるいですよね。あとから結婚をしたいと思った姉さんがお金持ちの主様の恋人になるなんて」
先に結婚したいって思ったって……それは自分の想像だろう。もしかしたらネーマの方が先かもしれないし。
「私の部屋から血まみれの短剣が出てきましたよね? あれ、私が用意したものなんです」
「は? どういうことだ?」
「あれを姉さんの部屋に隠して主様殺しの犯人したてようと思ったんです。でも、たぶん姉さんに気付かれたんですね。隠す前に密告されて逆に私が犯人にされかけてしまいました」
口元に笑みを浮かべながらたんたんと語るイルマ。
あたしは目の前のこの女に薄ら寒いものを感じた。
「でも本当に犯人だったなんて……。なんだか余計な事をしてしまいましたね。ごめんなさい」
「えっ? ああ、うん……」
「千鳥さん、フレディさん、本当にありがとうございました。お二人がいなかったら今頃私が犯人にされて姉さんを喜ばせてしまうところでした」
イルマは普通の使用人のように深々と頭を下げる。
しばらくして頭を戻したイルマの表情は、曇り一つない満面の笑顔だった。
……
イルマが去り、屋敷の庭にはあたしとフレディだけが残された。
「……なあ、フレディ?」
「はい?」
「あの二人、仲良さそうだったよな?」
「ええ、そうですね」
「でも、腹ん中じゃ男の取り合いで憎みあってた。……女って怖い」
「千鳥さんも女性じゃないですか」
そういえばそうだった。
しかし、自分がああなるなんて想像もできない。
「それよりも、イルマさんはなんでネーマさんの能力を黙ってたんでしょう?」
「ネーマが能力のことを誰にも言ってなかったんだろ。人殺し目的の能力なんか自慢するはずないしな」
「なるほどー。まったく、神が与えた能力を殺人に使うなんてとんでもないですね」
めんどうなのでつっこまなかった。
「さーて、じゃあ帰るか。金はいつも通りな」
「わかってますよ。ところで今気付いたんですが、わたしが死んだ主さんの魂に直接聞けば推理なんてしなくてもよかったかもしれませんね」
…………。
あたしはフレディの頭を両拳で挟んでグリグリと痛めつけた。
「いだだだ! で、でもチート転生者がわかったのは推理したおかげですしー! いだだだだ!!」
まあ、それもそうかもしれん。
拳を緩めてフレディを解放する。
「もう、乱暴なんですから……。じゃあ、お家に帰しますね」
「おう。あっ、ちょっと待て。今回は代わりの魂とか送ってないだろうな?」
「今回は送ってませんが、どうしてですか?」
「2度と送るな」
「えっ? どうして……?」
「2・度・と・送・る・な」
「……あい。わかりました」
それを聞き、あたしは安心して家路についた。
……
家に帰り、起きて学校に行って帰ってくると、兄貴と姉貴が居間でテレビゲームをやっていた。
「よっし! 勝った!」
「う、ううん……また負けた」
姉貴が兄貴にゲームで勝って喜んでいる。
そういえば姉貴はゲームが得意だった。テレビゲームに限らず、将棋やらトランプもやたら強い。
学校で同級生とポーカーをやっている時に勝ちすぎてイカサマを疑われ、言った相手をぶん殴って停学になった事があるくらいだ。
「万鷹よえーなー。なにしに海外の大学行ったんだよ?」
少なくともテレビゲームで勝つためではないだろう。
「はは……いや参った。向こうでも百舌奈ほどゲームが強い奴はいないよ」
がっくしと兄貴はうなだれる。
こう見えて負けず嫌いだ。
「ああ、そうだ。百舌奈に土産を渡すの忘れてたな。えっと……ほら」
兄貴が鞄から野球のボールを取り出し、それを姉貴に渡す。
姉貴は野球観戦が好きだ。特にメジャーリーグが大好きで、将来はアメリカの球団を買うだとか馬鹿なことをよく言っている。
とはいえ、野球のボールなんかもらって喜ぶとは思えない。
「……万鷹」
ボールを見つめて黙る姉貴。
土産がしょぼくて怒っているんだろうか?
と、その時――。
がばっ!
突然、姉貴が兄貴に抱きついた。
咄嗟のことに、あたしは目の前で何が起こっているのか理解できなかった。
「万鷹! これ! これ! この……ボール!」
兄貴から離れ、興奮した様子で姉貴がボールを指差している。
「友達と野球観戦に行ったときにサインしてもらったんだ。百舌奈がその選手を好きだって言っていたのを思い出してね」
「マジでうれしいぜ、万鷹! ありがとな!」
ふたたび姉貴が兄貴に抱きついた。
ようやく我にかえったあたしは、後ろから姉貴の首を掴んで引き剥がした。
「いててて! なにすんだ!
「いや、兄貴にでかい虫がついていたんでね、取ってやったんだよ」
笑顔で言ったつもりだが、たぶん引きつっている。
「普段ならぶん殴ってやるとこだけど、今のあたしは機嫌がいいから許してやるよ。ありがたく思いな、千鳥」
「なにが許してやるだ。てめえ一度もあたしに喧嘩で勝ったことないだろ」
「あ? やるか、こら」
「いいぜ。表でろよ」
睨み合うあたしと姉貴。
そこに兄貴が割って入った。
「はい、喧嘩は終わり。どうしてもやるっていうなら、2人とも土産は返してもらうぞ」
その一言であたしと姉貴は睨み合うのをやめ、お互い背を向けてその場に座った。
「そういえばさ、万鷹って恋人いるのか?」
姉貴が突然、兄貴にそんなことを聞いた。
あたしが聞きたかったことだ。一瞬、姉貴がこちらを向き、ニヤリと笑った。
なにを考えているんだ?
「いや、いないよ。今は勉強で忙しいからね」
兄貴は笑顔でそう答えた。
あたしは内心ほっとし、口元に笑みが浮かんだ。
「そっか。じゃあこっちにいる間はあたしが恋人の代わりになってやるよ」
姉貴のその言葉に、あたしは後ろを思い切り振り返った。
そこには邪悪に笑う姉貴の顔。その後、あたしと姉貴はその場で殴り合いの喧嘩をして、2人共かーちゃんにぶん殴られた。
かーちゃんに説教をくらいながら、あたしは少しだけイルマの気持ちを理解したのだった。