第22話
屋敷の扉を通り、エントランスホールに入る。
内装は外観からの予想を裏切らない広さで、正面には途中で左右に分かれている立派な階段があった。
その階段の中央に目をやると、そこにはプロレスラーみたいに体格のいいおっさんの絵が飾られていた。
「なんでおっさんの絵がでかでかと飾ってあるんだ? 屋敷の主はホモ野郎だったのか?」
そこまで言って、自分が発言をミスったことに気がついた。
つい、いつもの調子で軽口を叩いてしまったが、ここは異世界。
ホモ野郎という言葉はこの世界で重大な差別用語の可能性もある。
もちろん差別するつもりで言ったわけではないが、受け取り方は人それぞれだ。
面倒な事にならなければ――。
「えっ、屋敷の主はホモ野郎だったんですか? うわー……」
ドン引く神様。
特にそういったことはないようで安心した。
「はははっ、違う違う、あれは殺された主の肖像画だよ」
そう言っておっさんが笑い、あたしは苦笑い、フレディにいたってはゲラゲラ笑っている。
使用人の女だけが冷たい目をしていた。
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「ここが殺人現場の寝室だ」
扉を引いて開け、おっさんを先頭に寝室へと入る。
続いてフレディ、あたし、イルマの順。中はいかにも金持ちらしい広い寝室で、でかいベッドに高そうな絵、剣も飾ってある。
下を見るとこれまた高そうな絨毯が敷いてあり、よく見ると扉からベッドの脇あたりまで、なにやら赤く汚れていた。
「これは……血か?」
おっさんを見る。
「ああ、被害者の主はこの扉の前にうつ伏せで倒れていたんだ」
なら被害者はここで殺されたのか、と思ったが、この場で殺されたならベッドの脇まで血で汚れているのは変だ。
あたしはベッドまで近づき、その辺りをよく観察した。ベッド脇にはタンスが置いてあり、その前が特に血で汚れている。
ベッドには血がついて無く、寝ている間に殺されたわけではないみたいだ。
「被害者はここで刺されて、扉まで自力で這って行ったってことか」
「いや、被害者は左胸と腹を刺されていたし、自力で扉まで這うのは無理だろう。おそらく犯人が死体を隠そうとして引きずったんじゃないか?」
ここから扉までは10メートル近くある。医療にくわしいわけではないが、確かに心臓を刺されてあそこまで自力で這うのは無理だと思う。
あたしはふたたび足元の絨毯を見た。……? なにか違和感を感じる。なんだろう?
「凶器は見つかったんですか?」
フレディがおっさんに問う。
一応、荷物持ちってことになってるから、あまり目立たないでほしいんだが……。
「まだ見つかっていない。おそらく行方不明のケインズが持ち……いや、すまない、まだ確定したわけじゃないな」
おっさんはなぜか使用人のイルマに向かって謝った。
ケインズとはおそらく行方不明の医者のことだろう。
「いえ……ですが兄は本当に無実なんです。本当に……」
イルマが俯く。
兄? 行方不明の医者の妹か。
「被害者と医者はどういう関係だったんだ?」
「親友だったらしい。心臓の悪い被害者の様子を毎朝診に来るくらい、仲が良かったそうだ」
毎朝……犯人がその医者なら殺されたのは朝か。いや、計画的なら夜来て……いやいや、それなら寝ている間に殺しているだろうし、ベッドも汚れているはずだ。
なら突発的? いや、そうとも限らないか。
「綺麗に掃除してありますねー。埃ひとつありませんよ」
フレディはうるさい姑みたいに、タンスを指で擦って汚れを確認している。
何しに来たんだこいつは。
「ええ、主様は几帳面な方だったので、汚れや傷にはとても厳しかったんです」
「そうなんですか。しかし、まさか自分がここで死んで、血で部屋を汚してしまうことになるなんて思わなかったでしょうね」
しゃがみ、フレディが血を見る。
フレディがしゃがむと、自動的にあたしもしゃがまなければならなくなる。頭から手を離すと言葉がわからなくなるからな。
やれやれと思いながらしゃがむあたし。ふと、特に血で汚れている場所を見ると、そこが妙な事に気付く。
キズ?
血でよく見えないが、絨毯に1~2センチくらいのキズがある。
なんだこれは? ――と、そこでフレディが立ち上がり、つられてあたしも立った。
「容疑者は行方不明、凶器も行方不明、これは迷宮入りですなぁ」
顎に拳を当て、頷くフレディ。
あきらめ早いよ。
「凶器は行方不明だが、たぶん使ったのはあそこにかかっていた短剣だろう」
おっさんはベッドの向かい側の壁に掛かっている剣を指差した。
よく見るとその下に短い剣を掛ける場所がある。
「なるほど、被害者は騎士かなんかだったのか?」
「昔は騎士団長をやっていたらしいが、心臓を悪くして引退したそうだ。その後は騎士団長時代に貯めた金と領主様からの仕送りで生活してたみたいだな。ほら、ベッドの後ろにも剣が掛かっているだろ、あれはここの主が領主様から頂いた名剣だ」
ベッドの後ろを見ると、向かい側に掛かっているのとはあきらに違う、立派な鞘に収められた剣があった。
騎士団長をやっていたと言う事は、剣の腕も相当なものだったのだろう。
「どうだ? なにかわかったかい? 探偵さん」
「えっ? あ……うーん、やっぱり行方不明の医者が犯人かなぁとしか……」
それを聞いたイルマがふたたび俯く。
この状況じゃそうとしか考えられないからしかたないだろう。
頭の悪いあたしじゃ、こいつの兄貴が犯人じゃない証拠は見つけられないし……。
兄貴か……兄貴だったらなにか見つけられたのかなぁ。
「なあ、あんた、あんたは兄貴を尊敬しているか?」
あたしの問いにイルマは顔を上げた。
「もちろんです。私は人の命を救う事に、いつも全力の兄を尊敬しています」
突然聞いたからか少し困惑気味だったが、真剣な顔でそう言った。
その目に嘘はない。
本当に兄貴を尊敬しているんだな。
あたしは頷き、おっさんを見た。
「明日もまた来ていいか?」
「構わないよ。なあ、イルマさん」
少し迷っていたが、イルマはあたし達がまた来ることを了承した。
……
「千鳥さん、やっぱり行方不明のお医者さんを探しましょう。たぶんその人が犯人ですよ」
宿屋に向かって歩いている途中、フレディがそんな事を口にした。
「ちょっと調べてみようって言ったのはフレディだろ。なんだよ今更」
「んー……わたし、被害者は寝ている間に殺されたと思ってたんですよね。だからなんでお腹も刺したのかなって不思議にだったんです。でも、起きている間に殺されたみたいですし、それなら変じゃないかなって」
あたしも医者が犯人じゃない根拠があるわけじゃないので、なんとも言えない。
しかし、犯人は別にいる、それは確信していた。
「……医者の妹、イルマだっけ。あいつさ、真剣な目で自分の兄貴を尊敬してるって言ったんだよ。妹に尊敬される兄貴に悪い奴はいない。だから医者は犯人じゃねぇ」
「は?」
フレディは立ち止まり、口を開けてポカンとしている。
あたしは止まっているフレディを置いて先を歩く。なんか変な事言ったかな?
「それは千鳥さんのお兄さんのことでしょー!」
そう言いながらフレディは後を追いかけてきた。
……
宿屋に着き、フレディは部屋を取りに店員のいるカウンターに行った。
あたしは食堂で不味い茶を飲みながらそれを待つ。なんだこれ本当に不味い。
体に良いからこんなに不味いのか? これで悪かったらただの嫌がらせだな。
顎を上げて一気に茶を胃に流し込む。あー不味い。
…………なんだこいつ?
顎を戻すと向かいの席にフードを深く被った、妙な奴がいた。
着ているものはボロボロで、宿からつまみ出されても不思議ではない風貌だ。
物乞いかなにかか?
なにか言っているみたいだが、フレディに触れていないあたしにはこいつの言っている事がわからない。
それでも必死に訴えかけてくる謎の人物。声からして男だろうか。
「大変ですよー千鳥さーん!」
フレディがうしろから、イスに座っているあたしの両肩を掴んで前後にガクンガクンと揺らした。
「事件について知った事を教えてもらいたいんだ。なんでもいい、頼む」
静かに、しかし大きく男はそう言った。
事件って屋敷の殺人事件のことか? まあ、それしかないだろうけど。
「誰ですかこの人? 物乞い? 最近の物乞いは情報をほしがるんですね」
本気か冗談か知らんが、おもしろいこと言うな。
ただこの男、ボロは着ているが物乞いって雰囲気じゃないんだよなぁ。
「事件って、屋敷の殺人事件のことか? なんであたしに聞く? 行って自分で調べたらいいだろ」
「そうするつもりで忍び込む機会を窺っていたんだが、君達と警吏のジュウナが屋敷に出入りするのを見かけてね、忍び込むリスクを冒すより、君達に聞いた方がいいと思ったんだ」
そういえば探偵ってことになっていたな。
つまりこいつはあたし達が屋敷に入るところから見ていて、出てきた後、ここまでついてきたってわけか。
しかし、忍び込むとは穏やかじゃない。そんなことをしなくても、てきとーな理由をつければ入れそうだが。
「なるほどね、あんたもしかして知らないのかもしれないから教えとくけど、他人の家に忍び込むのは悪いことだぜ。なんで事件の事を知りたいのかはわからないが、悪事に加担するのはごめんだ。他当たってくれ」
丁寧に断る。
この男が何者で、なんの目的で事件について聞いてくるのは知らないが、面倒ごとは避けたい。面倒だから。
「もっともだ。しかし、探偵と偽って他人の家に入るのも、良いとは言えないと思うがね」
男の言うことにあたしは深く頷いた。
ま、ばれるのは当然だろう。たぶんあのおっさんも信用はしていない……と思うが。
「あたしもそう思うね。ただ、リスクを冒した。リスクを冒していないあんたは、教える代わり、あたしにどんなリスクを払ってくれるんだ?」
嘘をついたことをばらされたくなければ……とか言ってくるかな。
それとも金を出してくるか、まあ、いずれにせよ、そんなことで教えるつもりはないが。
「……悪いが今の俺に払えるものはない。すまない、少し虫が良すぎた」
そう言って男は席を立つ。
諦めのいい男だ。嫌いじゃない。
「ああ、わかった、リスクはいい。代わりにこの茶を飲んでくれないか? それで感想を聞かせてくれ」
イスに戻り、男は急須に入った茶を茶杯に注ぎ、グイっと一飲みする。
「ひどいだろ?」
「いや、いい茶だ。これは血管を綺麗にして病気を防いでくれる。まあ、確かに味はひどいがね」
ああ、なるほど、そういうことか。
「それを聞いて安心したよ。ただ不味いだけじゃ、飲み損だからな。いいだろ、知っていることだけ教えてやる」
あたしも茶を一杯飲み、それから男に事件のことを話し始めた。