第16話
あたしはその場で高くジャンプし、サメトカゲを蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされたサメトカゲは船からやや離れた場所に落ちるが、その衝撃は強く、船は大きく揺れて大量の海水を被る。
「うわぁ、びしょびしょですー」
着地すると船は水浸しだった。もう少し遠くに蹴ればよかったかもしれない。
びしょ濡れのフレディは顔をぶるぶると振り、おっさん達とおばちゃんは驚いて目を丸くしていた。
海賊達は腰を抜かして立てない様子だ。
「フレディ、これ返すぞ」
あたしはフレディにスマホを返した。
「えっ? あっ、はい」
「あとこれも持ってろ。落としたら探せないからな」
ポケットから綺麗な石をだし、フレディに渡す。
「落としたらって……えっえっ、って、なにをしているんですか!?」
海に飛び込もうとするあたしの服をフレディが引っ張った。
「なにって、あれを仕留めるのさ」
あれと言ったものを親指で指し示す。
当然、その先にあるのはこちらに向かってくる巨大な背びれ。
「ちょ、ちょっと待ってください! ここは冷静になるべきです! 相手は巨大なサメトカゲ。ここは海。いくら千鳥さんでも分が悪すぎますよ!」
必死の形相のフレディ。
この神様はどうもまだあたしを理解できていないらしい。
「フレディ、あたしは冷静だぜ。この状況での選択肢は2つ。全員ここであいつの昼飯になるか、あいつを仕留めるかだ。分が悪い? 結構じゃねーか。そっちの方がおもしろい」
あたしはニヤリと笑い、海に飛び込んだ。
……
暗い……が、透き通っていて綺麗な海だ。
見たこともない魚も大量に泳いでおり、あらためてここが自分の世界とは違うということを実感する。
さて……始めるかね。
船に向かってくるデカブツに照準を合わせる。
そいつはあたしに気付いていないのか興味がないのか、こちらには目もくれずに一直線に船へと向かう。
中坊の時に泳いでマグロを捕まえたことはあるが、巨大サメと喧嘩ってのは初めてだ。
あたしはわくわくしながら巨大サメトカゲへと向かった。
近くまで行き、サメトカゲと並んで泳ぐが、まだ気付かない。
鈍感なやつだ。きっと女にはもてないだろうな。性別は知らんけど。
驚かせてやろうとあたしはサメを追い抜き、真正面にでて、でかい鼻っ柱をぶん殴ってやった。血を流しながらゆっくりと下がっていくサメトカゲ。
加減はしたが、サメトカゲ自身の突進力もあり、カウンターのように入って鼻は醜く潰れてしまっている。
前回に続いてまた動物虐待だなこりゃ。どっかの団体に怒られちまうよ。
なんて冗談を頭の中で考えている間にサメトカゲは体勢を立て直して、今度は船ではなくあたしに向かってくる。
トカゲのような手足がついていてやや不恰好だが、そこはやはりサメ。
大口を開け、ものすごいスピードであたしに迫ってきた。鼻を潰されて怒っているのか、先程よりも迫力がある。
そんなにがっつかなくても遊んでやるよ。
目の前に迫る、軽自動車をも丸呑みできそうな大きな口。
それを寸前で避ける。避けられたサメトカゲは旋回しふたたびこちらに向き直った。
もちろんただ避けただけではない。ちゃんとダメージは与えている。
あたしは避ける寸前に抜き取った野球のホームベースみたいなサメトカゲのでかい歯を捨てた。
それに気付いているのかいないのか、気に留めた様子もなくサメトカゲはこちらに向かってくる。
同じように寸前で避け、今度は歯を2本同時に抜き取った。
次は3本、次は4本、次は5本とどんどん抜いていく。
――そしてとうとう50本。いいかげん飽きた。もう終わりにしよう。
サメトカゲは疲労からか先程までの勢いや迫力がなく、もはや喧嘩相手としてなんのおもしろみもない。
次で最後だ。
あたしは最後の突進をしてきたサメトカゲの顎を、下からすくい上げるようにぶった叩いた。
その衝撃で海上、上空へと飛び出す巨大サメトカゲ。それを追ってあたしも海から飛び出し、上空に飛んだサメトカゲを眼前に捉える。
「よお、デカブツ。でかくて強いはずのお前がなんでそんな目にあってるか知りたいだろ。教えてやろうか。それはな――」
目の前のサメトカゲを、最初に蹴った時よりも強い力で蹴り飛ばす。
巨大サメトカゲは普通の視力で目視するには難しいほど遠くへと飛んでいき、海へと落ちた。
それを遠目で見ながら一言。
「てめえがあたしより弱いからだよ」
……
船に戻るとみんながあたしを見ていた。
全員、口をあんぐりと開け、目を丸くしていてなんとも間抜けな面だ。
おばちゃんがなにか言っている。そういえばおばちゃんの馬鹿息子のことを忘れてた。その事かな。
あたしは言葉がわかるように「あのサメトカゲ食べたかったです」と言いながらサメトカゲが落ちた遠くの海を見つめているフレディの頭に手を置いた。
「あんた、怪我ないのかい?」
あたしよりもあんたの毛が無い息子を心配しなくていいのか?
「大丈夫だよ。それより、息子さんの心配をした方がいいぞ」
両手を広げて無傷をアピールする。
しかし、あのハゲはどうなったんだろうか? もし死んだとなれば、喧嘩に夢中になって金髪ハゲの存在を完全に忘れていたあたしにも責任はある。
「うん? ああ、大丈夫だよ。あの子は」
そう言って、歯をむき出しニカっと笑うおばちゃん。
息子の生存をこれっぽっちも疑っていない様子だが、どんな根拠があるんだろうか?
「おおーい……。降参だよー。船に乗せてくれー」
船の下の方から声が聞こえてきた。
覗きこむと、びしょびしょの金髪ハゲが悲壮感漂う感じで立っていた。
おっさん達は時間がたって頭が冷えたのか、特に怒る様子もなく、金髪ハゲが登ってこれるように縄を下ろした。
「ほら、大丈夫だったろ。母親だからわかるのさ」
そういうもんかね。
母親じゃないあたしにはわからん。
・
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「本当にすいませんでした」
登ってくるやいなや、甲板に頭をつけて謝罪をする金髪ハ……いや、なんかワカメみたいなのが、ターバンのようになって頭を覆っている。
それはいいとして、このスタイルはいわゆるジャパニーズ土下座だ。この世界にも土下座という謝罪方法があるんだろうか?
「なんで頭を甲板にこすりつけているのかはわからないが、なんだか許さなければいけないような気がしてきたぞ」
おっさん達が土下座を見て困惑している。
なるほど、土下座はこの世界で覚えたものではなく、前世の記憶にあるものか。
「もういいよ。頭上げな、タッカーシ」
「かーちゃん……でも」
土下座をしながらちらりと母親を見る金髪ワカメ。
首を回し、おっさん達を見ると、ふたたび頭を地面につけた。
「ごめんね、タッカーシ。かーちゃんも悪いんだよ。あれ食べるとハゲるんじゃないかって、本当は薄々気付いていたんだ。なのにお前を信用してあげれなくてさ」
おばちゃんは息子の金髪ワカメに向かってしゃがみ、おもむろに自分の髪をつかんで引っ張った。
「か、かーちゃん、それ……」
そこには、先程まで頭にのっていた髪……いや、ヅラを右手に持ったツルピカボーズのおばちゃんがいた。
驚きを隠せないその場にいる一同。「ぶひゅふ!」と吹きだすフレディ。そのフレディの頭を軽くひっぱたくあたし。
もちろん一番驚いているのは頭にワカメをのっけた息子だ。
「何年か前から抜け毛が多いとは思ってたんだけどねぇ。気がついたらこれだよ」
ケラケラとおばちゃんは笑った。
女でこれは笑えない。少なくとあたしは無理だ。
だが、おばちゃんは笑う。髪の毛がないくらいなんだという風に、明るく笑う。
それを見た息子は無言で号泣している。
「かーちゃんね、自分が情けないよ。あんたにばっかつらい思いさせて、自分はこんなの被って……。あんたをそんなにしたのはあたしだってのに――さ!」
腕を振り、海に向かっておばちゃんはヅラを投げ捨てた。
宙に飛ぶヅラを見て、フレディがまた「ぶふ!」っと吹き出した。この状況、お前にも責任があるんだぞ。
叱責の意味を込め、フレディの頭をもう一度ポコンと軽く叩いた。
「かーちゃんは強いよ……。それにくらべて俺……俺は……」
「あたしは弱いよ。だからあんなの被って自分を偽ってたのさ。だけどもう偽らない。あんたと一緒だよ」
抱き合う親子。謎の感動である。
「あんたは本当に泣き虫だねぇ。高校生のときも好きな女の子振られてべーべーと泣いて……」
「かーちゃん、それ前世だよ……」
前世? なんでおばちゃんが息子の前世を知ってるんだ?
そういえばフレディにおばちゃんがなんで能力を持っているのか聞いてなかった。
なんか関係あるのかな?
「フレディ、なんでおばちゃんが息子の前世を知ってるんだ?」
「ああ、言ってませんでしたね。あの二人、どちらもチート転生者で前世も親子だったんですよ」
さらっと言ったが、かなり衝撃だ。
だってそうだろ。おばちゃんは前世と同じ子供をまた生んでるんだぞ。息子の方は息子の方で、また同じかーちゃんだ。これって一体どんな感覚なんだろうか?
それ以前に、こんな転生のさせ方になんの意味があるんだ?
「それで、前世でも漁師だったんですけど、息子さんの方が漁船の転覆事故で死亡しましてね、それを知ったおかあさんが後を追って自殺したんですよ」
重い話をフレディはたんたんと語っていく。
あの明るいおばちゃんが自殺なんてするとは思えないが、もししたとするならば、それほど息子の死が悲しかったのだろう。
「それを気の毒に思ったやさしい神様が、あの2人を異界でふたたび親子として転生させてやったわけか」
「するどいですね。でも、当たってるのは半分です」
半分? ああ、やさしい神様ってところが間違いか。
「気の毒に思ったのも、やさしい神様も正解です。ですが親子としての転生を望んだのはわたしではなく、あのおかあさんです」
フレディは、まだ息子を抱きしめているおばちゃんを見た。
「あの人は転生特典の代わりにそれを望みました。わたしには子に対する母の愛というのはよくわかりませんが、きっと素敵なものなんでしょうね」
微笑み、それからフレディはなんとなく寂しげな表情をした。