第7話
……?
女のこの態度に違和感を感じた。
普通ならこの状況に驚き、なにがあったのか不安そうな表情をするところだろう。
しかし、女は驚きでも不安でもなく、怒りの表情でこちらを睨む。
多少、小屋の中が荒れてしまって怒っているのだろうか。
「ああ、このサルがこいつを食おうとしてたんでぶん殴ったんだ。小屋を荒らしたのは悪かったな。謝るよ」
フレディの頭に手を置き、説明する。
しかたがなかったとはいえ、小屋の中を荒らしてしまったのはあたしだ。そう思ったので、素直に謝った。
謝罪に対して女は一言「そう」と言い、こちら……ではなく、倒れているサルの方に歩いていく。
「おい、危ないぞ。近づかない方がいい」
あたしは女にそう警告した。
おそらく気絶していると思うが、いつ気付くかわからない。
しかし女は聞いているのいないのか、こちらには一目もくれずにサルに近づいた。
「ああ……かわいそうに。ひどいことされたのね」
サルのでかい手をとり、女はそんなことを口にする。
それを聞き、あたしは女の態度に合点がいった。
女は小屋の中が荒らされたことに怒っていたのではなく、自分のサルが何者かに傷つけられたことに怒っていたのだ。
「それ、あんたのペットか? そりゃ悪いことしたな。けど、ちゃんと躾けないあんたも悪いぜ」
女がギロリとこちらを睨んだ。
その顔は怒りで満ち溢れており、この先の揉め事は回避できそうにない。
「あなた! あなたあなたあなた!!! 彼をペットと言いましたか!? 彼を傷つけた上、ペット扱いするなんてひどい! 許せない!!」
……なにを言っているんだこの女は? 飼っているならペットだろ。
ん? ――あ……ああーはいはい、そういうことね。犬とか猫をペットじゃなくて家族とかいうあれね。なるほどなるほど。……めんどくさ。
こういうのとはあまり関わりあいたくないので、早急にこの場を立ち去りたかったが、その前にどうしても確認しておかなければならないことがあった。
「あー悪かった。謝るよ。気に入らないならすぐにここから消える。でも一つだけ教えてくれ。……そのサルは人を食ったか?」
フレディが「えっ?」と言って、こちらを振り返る。
この森で人が消えた原因はおそらくこのサルだ。こいつと他の同じ種類のサルが人を食っている。
あたしはそう考えた。
女はこちらをじっと見つめ、突如、怒りの表情を一転させニヤリと笑った。
「知らないわ。人間には興味ないもの。でも……今日、確実に2人は食べるわね」
サルがのっそりと起き上がった。
まあ、予想通りだ。
「ごめんね、ダーリン。メス2匹だから油断してたの。こんなことになるなら誘い込んだ時に睡眠薬入りのエサでも食べさせてやるべきだったわ」
サルのでかい腕に女がねっとりと絡みついた。
……正直、これは予想外だ。
あたし達をサルに食わせるために、女が食べ物のにおいで小屋に誘い込んだってところまでは予想できた。
この女は今までもこうやって、森に入ってきた猟師やら木コリをサルのエサにしてきたんだろう。
……しかし、これは予想できなかった。
この女、サルとできてやがる。
こんないかれた女とこれ以上かかわりたくない。
早急にサルを片付けてこの場を離れよう。
そう考え、あたしはサルに近づこうとした。
「おかしいですねぇ」
あたしが動く一瞬前に、フレディがポツリと呟く。
顔を覗き込むと、なにやら難しい顔をしている。
「なにがだ?」
「あのサル、クロゲオオサルって言うんですけどね。人には絶対なつかないようにできているんですよ」
フレディが顎に手を当てて「う~ん……」と考える。
なるほど。そういうことか。
ここであたしは気付いた。
どうやらビンゴだったみたいだな。
「う~む……わからないです」
いや、気付けよ。
「あの女がチート転生者で、最能とやらを使ってあのサルを手懐けてるんじゃないのか?」
「お、それです。冴えてますね。動物を手懐ける最能はなんだったかなぁ……」
指をパチンと鳴らし、今度は思い出すように腕を組んで唸り始めた。
女とサルは、いつでもあたし達を殺れると思って慢心しているのか、動かない。
こいつはあたしがサルを殴って気絶させたことを忘れているんだろうか?
まあ、見てたわけじゃないし、おおかたサルが滑って転んで頭ぶつけて気絶したとでも思っているんだろう。
あたしはフレディの頭から手を離し、日本語で女に話しかけた。
「お前、チート転生者だろ。だったら、悪いがあたしはお前をぶっ飛ばさなきゃならん。抵抗しても無駄だぜ。そこのサルをぶん殴って気絶させたのは間違いなくあたしだ。痛い目見たくなかったら、おとなくし前世の記憶と能力をここにいる神様に渡すんだな」
……女はなにも言わない。
なんだ? びびっちまったのか?
「あ、思い出しました。最能は【アニマル&フレンド】。与えたのは確かカナダ人の女性です」
「もっと早く思い出せよ……」
じゃあ、日本語通じねぇじゃねーか。わざわざ日本語で言って馬鹿らしい。
よくよく考えたら転生者が日本人のみとは限らない。
むしろ世界規模で考えれば、日本人である可能性のほうが低いだろう。
ちょっと恥ずかしくなりながら、あたしはふたたびフレディの頭に手を置いた。
「あー……ここにいるこいつは神様で、お前が持ってる前世の記憶と能力を回収しに来た」
同じ事を2度言うのも恥ずかしいので、さっきよりもなんだか簡単になってしまったが、言いたいことは伝わっただろう。
「そうです。わたしは神様ですよ。わかったらおとなしく前世の記憶と能力を渡しなさい。えっと……あなたの名前はなんだったかなぁ……」
今度は前世の名前を思い出そうと、ふたたび腕を組んで唸り始めた。
「シルナスとかいう奴の前世は憶えてたのに、なんでこいつのは忘れてんだよ?」
「小森さんはたまたま憶えてたんですよ。ほら、あるじゃないですか。魂がなんとなく印象的で憶えてることって」
いや、ねえよ。なんだ魂が印象的って。そもそも魂なんて見たこと無い。
あたしは「ねーよ」と言いながら、フレディの頭にポコっと軽くチョップを入れた。
「あ、思い出しました。名前はエマ……」
「エマ・スチュアート。なんだか色々知ってるみたいだけど、それが神様ってのは信用できないわ」
女はフレディを指差し、鼻で笑った。
サルも女に合わせて笑っているような気がする。
「お前が信用しようがしまいがこれは神様なんだよ。いいから記憶と能力と渡せ」
フレディの頭をペシペシと叩く。
「あの……これとかそれとか言うのやめてください。神様ですよ」
雑に扱われて傷ついたのか、フレディはしょんぼりしてしまった。
こういうところがどうしようもなく神様らしくない。
まあ、神様らしくやたら偉そうにされても鬱陶しいけど。
「どうでもいいわ。あなた達がダーリンのご飯であることには変わりないんだから。ねぇ、ダーリン」
女が艶かしい目でサルを見ると、サルは興奮したようにウゴウゴ言いながら、こちらに向かって歩いてきた。
あたしはフレディの前に立ち、サルにがんを飛ばす。
だが、度胸が据わっているのか、馬鹿なのか、サルはがん飛ばしに全くびびらず、あたしの胸倉を掴んで持ち上げた。
「やめとけ。痛い目見るぞ」
動じず、静かに警告。
もちろん通じるはずが無い。しかたがないので、少し痛い目に合ってもらうとしよう。
サルは胸倉を掴んでいるのとは反対の腕を大きく振りかぶった。
おそらくそれであたしの頭をぶっ潰してやろうとでも考えているんだろう。
表情はよくわからないが、サルはたぶん、余裕の笑みをうかべている。
あたしは胸倉を掴んでいる350ml缶ジュースくらいあるサルのぶっとい親指を右手で握り潰してやった。
グチュ……っという小さな音とも訪れる一瞬の静寂。
表情はよくわからないが、サルはたぶん、笑っていない。
そしてすぐにやってくる激痛に叫ぶだろう。
うるさそうなので耳を塞いだ。