05
この感じ。
あの時と同じだ。
僕が初めてあいつと出会った日。
僕が何かと話した最後の日。
僕が見えるものを見えない事にした四ヶ月前と同じ。
あの日を含め、三度経験したのと同じ――始まりの感覚だ。
「やっぱりそうなんだ」
彼女は僕の名前を知っていた。
「あなたに関するお話を――噂を耳にして」
知られていた。
「いえね、私の家の敷地にはかなり大きな規模の墓地があって」
浮世神社への来客者が僕の名前を知っていてもそれはおかしな話ではない。
「そこに来た人からあなたに関するお話を」
それでもこの場合はだめだ。
「あなたの目」
影を背にし、右目を閉ざす女に名を知られるのはだめだ。
「見えざるものが見えるらしいわね」
彼女は右目を閉ざしたまま左目で強く僕を見つめた。
左目だけなのにも関わらず僕は動くことが出来ない。
最後だと言ったじゃないか。
お前は三度目の時もそう言った。
私の体が傷つき、僕の心が傷つくのはこれで最後だと。私がお前の前に現れるのはこれが最後だと。
僕はもう三度も聞いた。
聞き飽きた。
忌まわしき想いが交差する。
そんな物語の第四章が――ここから始まる。
***
「はは……見えざるもの? なんだよそれ」
「だから、幽霊、妖怪、もののけの類い――私たちとは存在する世界が違う存在しないモノが見えるんでしょ?」
幽霊、妖怪、もののけ。
そんなもの見えない。
そんなもの――
「誰がそんなことを言ったのかは知らないし、何を思って僕のところへ来てくれたのか知らないけれど残念ながら僕にはそんなもの見えない。見えない以前にそんなものは存在しない。お前だっていっているじゃないか。存在しないモノ。存在しないんだよ。存在しない者を見ることなんてできるわけないじゃないか」
「そんな説論は聞きあきたわ」
反論は一蹴。
今の彼女にはきっと何を言っても聞こえない。僕の噂を風から聞き、噂と同じ名を持つ僕を見つけた時点で彼女の中では一つの答えとして纏まり、結論に至っているのだろう。
「まぁまぁ、落ち着けよ。話ならいくらでも聞くから」
「あら、受け身なのね。けれど、申し訳ないけれど私は長々とお喋りをするつもりはないの」
「いいや、喋るね。喋らせていただくね。僕の性格上、女性相手にここまで流暢に言葉が出てくるのは稀なんでね」
嘘ではないが嘘でもある。
「そうだ。僕も名乗ったんだ。お前も名前教えてくれよ」
どうして僕はこう言う時に限ってすらすらと軟派な言葉が飛び出してくるんだ。青春時代にこんな調子で女の子と会話ができていたら僕にも彼女の一人や二人出来ていたかもしれない。……いや、まだ青春真っ盛りだと信じたいが。こう言うのって防衛本能なんだろうな。ほら、人間は強い相手に媚びるじゃないか。それと同じ。
取り入る。
心を許してもらおうとする。
無意識に。
相変わらずちっちゃいな僕は。
「目」
小さく、静かに――目。
ただその一言だった。
「僕はお前に名前を聞いたんだぜ? 名前が目ってことはないだろう」
やっぱり。
「先に言っておくけれど、私の右目は見えないわ」
彼女の中ではもう結末を迎えているらしい。
彼女の中では僕と出会ってから別れるまでのストーリーは完結しているのだ。
彼女の中ではもう僕に話し、理解してもらうことは不要で、僕の脳に理解として記憶を刻むのは意味がないことだと処理されている。
「幼い頃祖父を亡くしたときに色々あってね――それ以来ずっと光を取り込むことはない」
「もう一度聞くけれど……あなたには存在せざるものは見えない。そうなのね?」
「嘘ね」
もちろん僕は一度として口を開いてはいない。
「まぁそれならそれでいいのだけれど」
「見えると言われても私としても困惑するところがあるわ」
「はっきりいってダメ元で来たのよ」
「もしかしたら、と思ってね」
「もしかしたらなにか変化が起きるんじゃないか」
「けれど無駄足だったようだわ」
「じゃ、私は帰ります」
「帰らせていただきます」
「だからあなたも還りなさい」
「さようなら」
しかし、彼女は後ろに振り向くことはしない。
帰る気などないのだ。
僕の目を一心に見つめている。
食い入るように。
食らい尽くすように。
これは逃げても無駄なんだろうな。と言うか目をそらしたらきっと――
「見えないよ」
何度めだろうか。僕は更に否定を重ねた。
「見えないものは見えない。いないものはいない」
彼女の眉間にしわがよる。
「くどいわね」
どうやら本格的に怒らせてしまったみたいだ。けどそれでいい。いや、これは僕にMの性質があるからって訳じゃなくて怒りの感情をもってもらって例え怒りだとしても感情を向けてもらわなきゃ話にならない。
人と人が感情を投げ合う。
ぶつけ合う。
繋がりというものはそこからだ。
「見えない――けれど。僕は誰も知らない何かを知っている」