第六話 別れ2
ヨハン・ウィルフレッド・パン・ジェンシー卿
それがウィルの、名前だった。
教会の力が強いミラにおいても、その人の生前に不特定多数に実名が公表されることは少ない。
たとえそれが
存在そのものを表す真名ではなかったとしても、その名前が悪用されたなら、その人を傷つけることができるからだ。
オルハン・ウィルラルド・パン・ジェンシー
オルハンの名前もまた、亡くなったものとして公表された。
『オリバー』
シッキムは自分の肩越しに、背中にのっけた小熊に声をかけた。
『オリバー、あのな。俺たち、明日、ミラを発つんだ。だからな…』
ウィルフレッド卿の国葬は三日後…と、その号外記事には書いてあった。
『だからな、もしミラで行きたいところがあるなら、今日行こう。』
シッキムは、小熊がふるふると首を横に振るのを、肩口に感じた。
『…オリバーはハニーストーンタウンとか、巨人の家とかいったこと、あるか?』
またしても、小熊はふるふると首を横に振った。
『ミラの三大名所はな、あの山の上に立つ、ミラ城、蜂蜜色の家が建ち並ぶハニーストーンタウン、それとミラーノのがこの土地に住むずっと前からあると言われてる巨人の家なんだよ。
ミラの特産品は蜂蜜とワイン、それと芸術家。
ミラの工房で作られる芸術品は、たくさんの国で人気があるんだ。』
シッキムは、旅行ガイドでみたことを、突然オリバーに話し出した。
オリバーにとって、ミラがどういう場所なのか…想像するとあまりいい気分ではなかったが…それでも故郷を好いていて欲しいとは思ったのだ。
いつか、大人になったとき、心のより所となる場所の一つになって欲しいと思ったのだ。
『シッキムさん。』
オリバーが、ようやく声を出した。
『…お土産にするなら、蜂屋の特選黄金蜂蜜がおすすめです。僕らの食べる分も、是非買ってください。あと、女王様の甘い罠、というなまえのキャンディもたくさん買って欲しいです。』
『え…』
『蜂屋にお菓子を買いに行きたいです』
『お、おお』
さすがウィルの子だ…と、わけのわからない感心をしつつ、シッキムは案内されるがままに、蜂屋に向かった。
〇〇〇
『すっげぇ旨い…』
オリバーのたっての願いで立ち寄った蜂蜜専門店『蜂屋』
看板商品の『銘菓 蜂の巣』を店員に勧められるがままに試食して、親子熊はあまりのおいしさに放心していた。
『ちょ、この店、ミラの歩き方に載ってなかったぞ?!』
『蜂蜜生姜湯の素も旅には必要だと思います』
『ああっこのナッツとドライフルーツの蜂蜜チョコがけも必要じゃないか!?』
『こちらの蜂蜜ケーキもかなり日持ちしますよ。』
ふたりが目をきらきらさせながら次々と蜂蜜菓子をカゴにいれていく様をみて
対応していた女性店員がぷぷっと笑った。
『まるで熊の親子みたい。
』
もちろん心の声であるが。
結局、シッキムとオリバーは大量の戦利品を携えて、宿に戻った。
そして、蜂蜜菓子をおすそわけした宿の女将に、まるで熊の親子だと笑われた。
女将はオリバーのために、ミルクたっぷりのクリームシチューを用意してくれており、シッキムとオリバーはほっこりと美味しくいただいた。
明日出立することを告げると、女将はなごりおしそうにしたが、とびきりのお弁当を作ると約束してくれた。
すべての用事を終え、部屋で一息ついていたとき、珍しくオリバーからシッキムに、声をかけた。
『シッキムさん。』
『うん?』
『あの号外記事、もらっていいですか?』
『いいけど、名前以外読めないんじゃなかったっけ?』
『はい。でも、父様の写真が載ってました。あれは、王宮魔術師長になられた時のです。』
シッキムが号外記事を手渡すと、オリバーは写真が内側に来るように、写真が折れないように、丁寧に畳んだ。
そして今日シッキムが買い与えた斜めがけの拡張魔法付きの蝋で防水した帆布鞄に大切そうにしまった。
『ああそれならオリバー、これをあげるよ』
シッキムは、蝋で防水された堅紙の封筒を渡した。
『これ、劣化防止魔法がついてるから、中にいれた紙がいたまないんだ。』
『ありがとうございます』
オリバーはもう一度鞄から出すと記事を丁寧に封筒に入れて、鞄にしまいなおした。
そして、あらためてシッキムの方を向くと、すっと腰をおって礼をした。
『シッキムさん、お願いがあります。』
『お、おお』
『僕は、…強くなりたいです。教えてください。』
一日、オリバーと過ごして、シッキムはいまだオリバーの性質を掴みかねていた。
が…意外にも…というか当然なのだが…普段の柔和な印象からは意外なほどの強いまなざしも、きりっとした様子も…やっぱり親子なんだなあ…と感心した。
『あと、シッキムさんの故郷の子供は、自分の父様をなんと呼びますか』
『ん?パーパだよ。』
『…旅の間、僕もシッキムさんをそうお呼びして構いませんか?』
『おう!喜んで。』
そうして、親子熊は最初の一日を終えた。