第20話 風の館6
大きなホールの吹き抜けの天井には、神話の時代の英雄や乙女が一同に集う絵が描かれていた。
あれが、天空の王カイラス、太陽の女神マテラス、月の乙女ラピスラ、大地の母神マイザナ…
天井の絵物語の登場人物を眺めるのは、舞踏会に出席したときのエディンの定番の暇つぶしだった。
『…というわけで、きいておられますかな?エドワード様?』
『ふえ?』
エドワードが気の抜けた声を上げて横を向けば、
いつのまにか、なんたら大臣のなんとか伯爵が横にいた。
エディンは曖昧な笑顔を浮かべて首を傾げた。
その表情は残念なほど緩かったが
丹念に手入れされ綺麗にセットされた、眩いばかりの金髪に、青空のような明るい瞳。
わずかな歪みもない完璧な造形。
真珠のような柔らかな輝きを放つ肌。
宮廷女中たちのテクニックもあり、この日のエディンは人間離れして美しかった。
『…ときにエドワード様』
なんたら伯爵は、本当にこいつは見た目は抜群なのにな、とか思いながら、エドワードに話しかけた。
『先ほどから姫君方が熱い視線を送られていますよ。
この天空の間の天井画はそれは見事ですけれど、少し、ダンスや歓談をしてきてください。』
エディンは、あー・・・と、気の抜けた声をもらしてから、ゆっくり頷いた。
『わかったよ。』
そして、壁際の椅子から立ち上がると、ホールの中央に向けて歩みを進めた。
そう、今日のエディンのお仕事は社交界の華なのである。
王子としての、優れた立ち回りを見せる必要はない。
ただ、居るだけでいいのだ。
この世のモノとは思えないほど美しい王子が、
煌びやかなドレスの女性たちが舞う海を泳いでいく。
その陰で
必要なモノは密談でも顔つなぎでも合コンでも勝手にすればいいのである。
エディンは差し出された赤いワインを少しなめて、
天井に目を向けた。
朝に飲んだストロベリー・ミルクティーの味を思う。
本当の空の下で、シッキムやオリヴィエと過ごす時間が、早くも恋しい。
そんなことをぼんやり考えていると、
いつのまにか、香水の香りをまとった姫君方に囲まれ、腕をとられた。
『エドワード様!
お待ちしておりましたわ!
是非わたくしと一曲踊って下さいな!』
猛禽女子達に次々と捕まりながら
エドワードはくるりくるりと踊り続けた。
いつか
そう、いつか。
シッキムは僕とダンスを踊ってくれるだろうか…
青い空の下
花の咲き乱れる庭の中で
明け方の雲のような柔らかい金色のふわふわした髪と髭を思いながら、
エディンはくるくると踊り続けた。
宮殿に居る時は、ほとんど放心状態のエディンであるが、
その時、一つの言葉を拾った。
『まあ、ミラの。なんどか、恐ろしい子だったんでしょう?』
エディンの意識は突然クリアになった。
『生まれ変わりなんて、信じてやしませんけどね。
なんだか、気味が悪いじゃない?
あの野蛮なハイランダーたちのなかでも、一際ひどいんでしょう?』
エディンがくるりくるりと複数の姫君につかまりながら踊っているときに
近くに居た貴婦人どうしの世間話だった。
なんの意図もない、他愛ない世間話。
白い髪と金の瞳をもつ双子の片割れは、太陽の女神マテラスに刃を向け、天空の神カイラスを害した
破壊の神マザリカの生まれ変わりだと古来信じられてきた。
ミラの公爵家の双子の片割れは、憐れむべきことに、白い髪と金の瞳と双子の弟と、
そして恐ろしいほどに膨大な魔力を持って生まれてきたという。
そして、そのことは、ミラどころか、イルガントにまで周知されていた。
エディンは、わずかに目を眇めた。
ここ数週間のうちに、ミラの公爵家の当主とその長男の死亡の情報は、イルガントまで広まっていた。
それはそれで、いいのだ。
いいのだけれど・・・・・・。
『エドワード!』
いつのまにか、エディンは、姫君方の手を放して、ホールの真ん中にただ立ち尽くしていた。
『エドワード!』
エディンは自分を呼ぶ声に顔を上げた。
『兄上』
そこには、兄王子のリチャードが居た。
『あはは。エドワード、くるくる回り過ぎて目がまわったんじゃないのか?』
快活に笑うリチャードを見て、エドワードはぎこちなく微笑んだ。
『そう、そうなんです。少し、休んできても、いいですか。』
『本当に目が回ったのか?大丈夫か?ついていこうか?』
『大丈夫、人に酔っただけです。』
エディンは、リチャードにその場を任せると、控えの間を通り、そっと舞踏会を抜け出した。
幸い、その日は夏至だった。
空は、いつまでも、不思議に明るい。
エディンは、そっと馬小屋から馬を連れ出すと、
着替えもせずに風の館に向けて走り出した。
早く、オリヴィエを、もっとどこか遠くへ連れて行ってやらなければならない。
カイラスもマテラスもマイザナも知らない人々の住まう土地に。
エディンはそう思った。




