第十九話 風の館5
シッキムは、大きめのカップにジャムにしたイチゴを三つ落とした。
シロップも入れて、そこに熱い紅茶を注ぐ。
そして、その上から新鮮な牛乳をたっぷり注ぎ、くるくるとスプーンでかき回した。
『俺、行きたくない』
エディンは珍しく、イケメンフェイスを曇らせて、しょぼくれていた。
寝起きの金髪は八方にはねていて、せっかくの青い瞳もしょぼしょぼしていた。
『何で』
シッキムは容赦なくエディンからタオルケットをはぎ取りながら、聞いた。
『だって、社交界って、難しいんだ。疲れるし。』
イヤだという割には、行かなければならないことは理解しているようで、エディンはのろのろとシャツに腕を通した。
『王族ってのは、大変なんだな。』
シッキムはエディンに、イチゴミルクティーを渡した。
エディンはそれを両手で受け取ると、すんすんと、鼻を近づけた。
ふわりと、春らしい香りがする。
重たげなまつげをどうにか持ち上げて、そのミルキーな水面をじっと見つめてから、形の良い唇をそっとカップにつけた。
『…うわ、…これ…超美味しい…』
甘い飲料に、エディンの瞳にようやく光が灯った。
『イチゴジャム、スコーンに付けても旨いぞ。』
シッキムは
空中から皿を取り出すと
そこに熱々のスコーンとジャムとクリームを載せて
エディンの目の前においてやった。
そして一口分ちぎって、クリームとジャムをこんもり載せて、エディンの口につっこんだ。
『むぐッ。ふむむむ、…』
エディンは目を閉じてうっとりとしながら咀嚼した。
そして最後にミルクティーを流し込む。
『ああ…最高にうまいよ。頭が働くような気がするよ!』
エディンは、すっかり普段の陽気なイケメンに戻ると、大きな口でパクパクと食べはじめた。
『よしよし、その顔なら十分お役目も果たしてこれそうだな』
シッキムはそう心の中で呟きながら
上機嫌で馬車にのって出勤していくエディンを見送った。
そして、エディンを載せた馬車が見えなくなった時、見計らったかのよう一陣の風がシッキムの後ろに吹いた。
シッキムが振り返ると、一メートルくらい離れたところに、淡い金髪の乙女が居た。
あきらかに、人間ではないようで、耳はとがり、背には透けたトンボのような薄い羽が付いていた。
頭にはめた花飾りが、風にふかれてふわふわと揺れている。
『これはこれは』
シッキムは頭をかいた。
『ごあいさつに伺うのが、遅くなってすいません』
この土地に住まう妖精の類であろう彼女に、シッキムはそういった。
妖精の彼女は、くすくすと笑うと、シッキムに綺麗な招待状を手渡した。
森の主からの招待であった。
『ああ、お招きありがとうございます。私の契約者の人間も同行してかまいませんか?』
妖精はくすくすと笑いながら頷いた。
概して、妖精の類は子供に好意を持っている。
人間の中でも子供は特別。
人間は幼ければ、幼いほどに、妖精に近い存在であるから。
妖精は一つお辞儀をすると、現れた時と同じように、唐突に吹いた風に紛れて姿を消した。
シッキムは、さっそく、お菓子や蜂蜜酒をバスケットに詰めて、森の主を訪ねる準備を始めた。
そして、エディンにしたのと同じように、暖かなイチゴミルクティーと、特製スコーンを持って、オリバーの寝室へと向かった。
○○○
シッキムとオリバーが森の入り口に立つと、そこは普段とは全く違う様子だった。
まるでいざなうように、そこには道があった。
広い広い道の向こうには、しゃれた洋館があり、その前にはたくさんの椅子とテーブルが並んでいた。
開けた両脇には、等間隔に木々が並び、すべての木が違う花をつけていた。
普段はうっそうとしていて、ほとんど空など見えないのに、その日は嘘のように空も広かった。
オリバーは、ギュッとシッキムの服を掴んだ。
『怖いの?』
シッキムはオリバーの頭に手を置いた。
オリバーは小さく頷いた。
『この境目で、空気がぜんぜん違うのです。
いつもはそんな風じゃないのに。
こんな空気…知らない…。それに、誰か・・・・・・いえ、すごくたくさんの人が歌っています。』
シッキムは少し驚いた。
たしかに、たくさんの精霊が歌っていた。
しかし、それを聞き取れるのは、シッキムが精霊だからだ。
思った以上に、オリバーはシッキムの影響を受けているのかも知れなかった。