薄い信頼、厚い友情
時刻は九時三分。国歌斉唱が終わり、生徒たちが着席したところだった。
僕らもその流れでさりげなく席に着こうと講堂の中へと入った。しかし、運が悪かった。僕らが入った入り口のすぐ横には学園一の鬼教師、吉対誠人(きっついまさと)が立っていたのだ。吉対の頭は一部だけが赤く染められ、まるでニワトリのトサカの様な髪形をしている。その姿から、生徒たちは吉対のことを親しみを込めて『ニワトリ』『トサカ』などのニックネームで呼ぶのだ。ちなみに僕はトサカ派だ。
「よぉ。遅かったな」
周りにあまり聞こえないよう、小声で話しかけてくる吉対。
「真中に村主、お前らはクラスの最後尾に座れ。初日から遅刻なんてするもんじゃねぇぞ」
「すみません、気をつけますほら村主、行くわよ」
「えへへ、ごめんなさーい」
真中さんは樒君の手を引いて、一年B組の列へと入っていく。
「じゃあ、僕らも……」
僕と麻倉君も二人の後に続いて列に入ろうとする。しかし、吉対がそれを許さなかった。僕らの制服をがしっと掴み、自分の正面へ引き戻した。何となく予想はしていたものの、一応軽く抗議してみる。
「あの、どういうおつもりで?」
バシッ。
頭を叩かれた。
「お前らは、そこに正座。式が終わるまで、絶対に動くな」
吉対はそう言って、その場を立ち去った。じっとこっちを見ているわけではなく、ただ普通に何事もなかったかのように僕らとは離れた場所に建っているのだ。
素人はここで「ラッキー!」とか思って気を抜いてしまう。足を崩したり、隣と話したり、居眠りしてみたり。しかし僕は素人ではない。玄人……いや、もう達人の域に達していてもおかしくないかもしれない。ことあるごとに吉対に説教をされ、正座をさせられ、反省文を書かされ、夏休みの半分を補習に変えられ、とにかく色々な罰を受けてきた。麻倉君だってそうだ。ここで気を抜けば、後でもっと厳しい罰――補習が待っている。
この吉対のやり方もう慣れた、とは言わない。でも、少しでも楽に乗り越えられる対策法は十二分に用意してある。伊達に今まで吉対に目を付けられていたわけじゃないんだ。その対策法。それは、
「自分に合わない罰則を受けたときはとにかく逃げるということだよ、麻倉君!」
「ずっと正座しているくらいなら、土日返上の補習の方がまだマシというものだ、蘇原君」
吉対の目がそれたその瞬間を見計らって講堂から飛び出る。始業式とその後の赴任式、クラスの担任発表、表彰伝達、その他もろもろをあわせた時間は二時間弱。そんな時間ずっと正座なんてさせられたら僕の足はしびれて、歩いて寮まで戻れなくなってしまう。そんなことになるくらいなら、椅子に座ってずっと教科書と睨みあっているほうが絶対に楽だ。何せ僕も麻倉君も、勉強は特に苦手ではないのだから。
「どこに行く?」
講堂を出てちらっと後ろを確認したが、誰もが追ってくる様子はないので僕らは歩きながら話していた。どうせ始業式が終わればすぐ捕まるのだ。捕まるまではゆっくりと過ごしたい。すると麻倉君も同じことを考えていたらしく、窓の外を指差しながら言った。
「中庭。天気もいいし、絶好の昼寝日和だと思う」
中庭。朝僕が無念の別れを告げた、最高の昼寝場所。
「いいね、いいね。じゃあ、どっちが池の横のベンチを取るか……競争だね」
麻倉君は無言でうなずくと、そのまま靴箱へと早足で進んでいく。あのベンチは渡すものか。僕も早足で麻倉君に対抗する。すると麻倉君はもう少しスピードを上げて靴箱へ。負けじと僕も足を速めて……。
誰もいない校舎の中、本日二回目の全力疾走。中庭ではそんな僕たちをあざ笑うかのように、特等席に寝転んだマンチカンがあくびをした。