ギルド
一夜明け、私はギルドに向かっていた。
布袋に入ったままの元の世界の服や靴、バッグは全て部屋に置いてきている。
ギルドでめぼしい依頼があったらそのまま受けてくるつもりなので、なるべく身軽な格好をしておきたかったのだ。
ギルドの場所に関しても、もうバッチリだ。
宿の女将さんに聞いて地図まで描いてもらったから、今度はちゃんと辿り着けるだろう。
ちなみに性別のことだが、朝起きたら私の体はすっかり女に戻っていた。
「なんでだろう」としばらく首を捻っていたが、眠り込んだことが原因で妄想魔法の効力が切れてしまったのだろうと結論付けた。
人前では迂闊に眠れないな…と思いつつ再度、言語理解魔法である「妄想魔法『ノーモア言葉の壁』」と性転換魔法「妄想魔法『性別チェンジ』」を唱えて体を男に変えると、私は鏡を覗き込んだ。
泊まった部屋にはそれなりの大きさの姿見が付いていたのだ。
元の世界から持ってきたバッグを漁り、髪ゴムを取りだして後ろで一つに括る。
こうしてじっくりと男になった自分の姿を見るのは初めてだが、宿の皆に言われた通り鏡に映った男は「男」というよりも「少年」に見えた。
(まぁ日本人は童顔だしね。元々女だから若く見えるっていうのも、あるかもしれないけど)
鏡の中の少年は、普通に見たら17歳くらいだろうか。
引き締まった筋肉で全身を覆いながらも体はほっそりとしていて、しなやかだ。顔にはどこかあどけなさが残り、それが「成長期」を皆に感じさせたのだろう。
何となく、鏡の中の自分にニコッと笑いかけてみる。……心なしか女の時よりも色気が感じられるのが、ちょっと釈然としない。
しかし、考えてみたら凄いことだ。
男になれるなんて………昔から妄想してきた夢が、ついに叶ったのだ!
森には鏡なんてあるはずもなかったし、宿に着いてからも夕食だけ頂いた後は疲れきってすぐに眠ってしまい、男の自分をこうやって見たのは今朝が初めてだ。
(これなら、殺陣をやってもきっと様になるわ!試しにやってみたいなぁ)
男になったらやってみたいことはたくさんあったが、差しあたってやってみたいことは私が趣味で習っている殺陣だ。
殺陣とは、刀を使ったアクションのことを指す場合が多いが、要は時代劇や現代劇での格闘シーンのことである。武器はなんでもござれ。ただし、本当に攻撃するわけじゃないから、相手に怪我をさせないような配慮が必要になる。
ちなみに私は殺陣を習い始めてウン年目。女性では珍しいと思われがちだが、最近では私みたいな仕事帰りのOLも多いのだ。元々居合や剣道を嗜んでいたこともあって、「いつも一緒に習っている殺陣仲間の間では」という言葉は付くが、我ながらけっこう上達が早いほうだと思う。
サヤも言っていたけれども、男になった私の姿はまさに若武者といった風情が漂っていて、この姿で殺陣をやったらさぞかし見栄えがいいだろうな、と思われた。
(うわぁ、今度この短剣使って殺陣をやってみようかな。本当は刀がいいんだけど)
無一文の現在、刀なんてものは遠い夢のまた夢。
刀を手に入れるためにも、とりあえずはお金を稼がなくてはならないだろう。
ちなみに余談ではあるが、「男になってみたらやってみたいこと」のひとつである「立ちション」は昨夜宿の共用トイレで済ませている。
森にいた時は女性の時の習慣のまましゃがんで致していたが、宿のトイレにはせっかく男用の小便器があるのだ、ついに満を持して(?)の立ちションと相成ったわけである。
「男はどうやって立ちションするのだろう」と常日頃から不思議であったが、やってみれば成程、体の造りをうまく利用していて、これならトイレも楽チン楽チン、なのである。……決して下ネタではないからね?!
しかし初めての立ちションに思わず「おおお…!」と感動したはいいが、まだ自分のオトコノコ様に慣れていないために手と床を激しく汚してしまい、ため息をつきつつの初男性用トイレになってしまったことは言うまでもない。
* * *
一旦大通りに出てから女将さんの地図通りに進むと、やがて大きな石造りの建物が見えてきた。
なるほど、ここがギルドなのだろう。
剣やら杖やらを携えた、いかにも冒険者らしき風体の男たちが何人か出入りをしていた。
私は緊張にドキドキとする胸を押さえて、入口の小さな石段を上る。そして少し開いたままになった扉からスルリと中に入り込み、キョロキョロと辺りを見回した。
(おおお…!ここがギルドなのね!小説の中の舞台に入れるなんて、感激かも!)
どこかで困っているだろうサヤとミホに悪いと思いつつも、私はギルドの中に入って改めて小説の中の世界「ロメリヤード」にトリップしたのだという実感が湧いて、少しの間感動に浸っていた。
ずっとずっと憧れていた、異世界トリップ。それがこんな形とはいえ実現したのだ。
私は「二人を見つけた後、できれば観光してから帰りたいな」なんてついつい思ってしまい、すぐさま心の中で二人に謝った。二人はきっと、「早く帰りたい」と願っているだろうから。
ギルドは思ったよりも広かった。学校の体育館くらいの広さはあるかもしれない。
ただしそのうちの半分程度の面積はテーブルと椅子、調理場らしき場所で占められている。どうやら食堂も併設しているようだ。
まだお昼前の時間帯ということもあって比較的空いていたが、わりと人気のある店らしく、混雑時用の待合椅子が壁際に多く並んでいた。
(おいしいのかなー、ちょっと食べてみたい……けどお金がもったいないかなぁ。夕飯けっこうボリュームあったし、お昼ごはん代は節約しようかな)
ケチくさいと言うなかれ。
今泊まっている宿は食事付きで一泊銅貨70枚。私の懐にある銀貨1枚で延泊を1回したら手元には銅貨30枚しか残らない計算になる。あと4泊はノインの厚意で泊まれることになっているから、宿に泊まれる今のうちに何とかしてお金を稼いでおかなくてはならない。
そういう事情もあり、滲みったれた話だが、今後の生活を考えれば少しでもお金を浮かさざるを得ないのだ。
ひとしきり食堂を見回した後、「そういえば」と私はギルドに来た目的を思い出し、掲示板を探した。
冒険者登録は後回しにして、とりあえずどんな依頼があるかだけ確認したい。
掲示板は、入口を入ってすぐ右の壁にかかっていた。
一番右側から難しいAランクの依頼が並び、左に進むに従って簡単なものとなっていく。
(Eランクくらいなら、私でもできるのがあるかな)
Eランクとは一番簡単なランクのことで、その内容はとても易しい。いわゆる初心者用だ。
私のように装備もろくに揃ってないような冒険者は、まずここから始めるのが定石となっている。
そうそう、この小説の主人公「黒崎誠司」も冒険者登録に来て、やっぱりEランクから始めようとするんだよね。けど、勇者だということがギルドマスターに速攻でバレて、いきなりBランク依頼から始めるように言われてしまうのだ。
まぁ、私には縁のない話です。魔法の才能を開花させる黒崎誠司と違って、私の場合は妄想魔法は使えても普通の魔法は使えないみたいだし。
私は掲示板の右側は綺麗に無視をして、ずんずんと一番左端のほうへ移動していく。
(あ、あったあった。Eランクはー…、食堂のネズミ駆除かぁ。うーん私には無理!それから薬草の調達ね……図鑑でもない限りこれも無理だわ。あとは、子供の家庭教師……数学ならともかく、歴史とかは私のほうが教えてもらいたいくらいだしねぇ)
Eランクは簡単なもののはずだが、こうして見てみるとなかなかに難しい。
この世界の人間ならできそうなものがチラホラとあるが、この世界の住民でない私にとっては「できる依頼」を探すのも一苦労だ。
しかし何とかしてお金を手に入れないことには、数日後には再び宿なし飯なし生活である。
あと4泊分は宿の心配が要らない今、アクセサリーを売ってお金を得るよりも、働いてお金を得たほうがいい。貴金属を売るのは最終手段に取っておかねばなるまい。
私は気を引き締め直して、掲示板をじっくりと眺めた。
やがて一つの依頼の上で、私の視線が止まる。
(あ!…これならできるかも。「芸人一座のアシスタント」)
今この町には旅芸人の一座が来ているらしい。
依頼文を読んでみると、どうやらその裏方スタッフが病気のため寝込んでしまい、その間の興行ができなくなってしまったようだ。
この依頼は、そのスタッフが寝込んでいる間、代わりに裏方作業をしてほしいというものだった。
裏方の作業をするくらいなら、なんとか私にもできそうだ。
報酬の欄に目をやると「1日あたり銅貨80枚」とある。
銅貨80枚という報酬は高いのか安いのかいまいち判断がつかないが、他のEランク依頼の報酬を見る限りこの金額は妥当なのだろうと納得して、私はこの依頼を受けることを決めた。
私が受けれそうな依頼が他には無かった、という情けない理由が実はメインだったりする。
「すみません、冒険者登録と、あと依頼の受託をしたいのですが…」
私はカウンターに移動して、さっそく申し込みをした。
カウンターにいる70歳くらいの年配の女性は私をチラリと見て、慣れた様子で後ろの棚から申込用紙を出すと、それを私に差し出してきた。……「冒険者登録用紙」と書いてある。これに書けということらしい。
私はペンを借りて、少し考える。こちらの文字がちゃんと綴れるか少しばかり不安になったのだ。
しかしそんな心配は杞憂だったようで、私の指はスラスラと見知らぬ言語を綴っていく。
妄想魔法「ノーモア言葉の壁」のおかげだ。妄想魔法とは本当に便利な魔法である。
私は渡された紙に名前を書き終えると、そこで機とペンを止めた。
職業欄だ。
普通なら「剣士」や「魔術師」と入れるのだろうが、私の場合は何と書いたら良いのだろうか。
使えるのは妄想魔法くらいだが、さすがに「妄想魔術師」などと書くつもりはない。この世界に「妄想魔法」なんて本来は存在しないはずだし、何より「妄想魔術師って何だ」と自分でも思う。字面を見ていると、まるで変態ではないか。
私は少し悩んで、職業欄には「剣士見習い」としておいた。
決して嘘ではない。
以前は剣道も居合も習っていたし、殺陣だって剣士に通じるものが……あるようなないような。
「これでいいですか?」
用紙を提出すると、女性は小さく頷き、なにやら呪文をぶつぶつと唱え始めた。
興味深げにその様子を見守っていると急に小さな光が女性の手の中に集まり出し、その光がはじけた途端、さっきまではなかった小さなカード状の何かが彼女の手に握られていた。
「これがあなたのギルドカードです。なくさないように気を付けてくださいね」
女性はカードを寄こすと、中身を確認するように促す。
言われた通りに見てみると、そこには『カオル=マツムラ 職業:剣士見習い 依頼完了数A~E:0』と書いてあった。
依頼をこなしたランクや回数は表記されていくらしい。ということは、難しい依頼をたくさんこなしている人ほど腕のいい熟練した冒険者、ということになるのだろう。
受ける依頼のランクも、少し気を付けてみるといいのかもしれない。依頼をたくさん受けたとしても、ギルドカードを見れば一目瞭然。その人の冒険者としての格が、受けた依頼のランクから決定づけられてしまうだろう。
難しい依頼になればなるほど依頼人もこちらの腕をみてから依頼するようになるだろうし、このギルドカードは言わば冒険者として依頼主から信頼を受けるためのツールでもあるのだろうと思われた。
「あぁ、そういえば『依頼の受託も』とおっしゃっていましたね。どちらの依頼をお受けする予定ですか?」
女性に問われて、私は掲示板を指差す。
間違っても難しい依頼ばかりの右側は指さない。簡単な依頼の、左側のほうだ。
「Eランクの『芸人一座のアシスタント』です。あの、採用条件とかは……」
「特に設定されていませんので大丈夫だと思いますよ。あぁ、ただ『至急』のマークが入っていますから早く行ってもらわないと困りますけど」
その言葉に「私も早く働きたいので、逆に助かるくらいです」と言うと、女性は「なら大丈夫ですね」とニッコリした。
「こちらの依頼主は、ペティエール一座の『コットン・ペティエール』様ですね。こちらから連絡を入れておきますので、ペティエール様のところへ直接行って細かい内容は確認してください。ペティエール様から『諾』の返事が着き次第、依頼の開始となります」
「分かりました」
私は少し緊張して頷いた。
ついに、いよいよこの世界での初仕事だ。失敗のないように、気を付けて仕事をしなければならない。何せ、お金にあまり余裕がないのだから。
「ペティエール様はカーサ・イーストンにお泊りです。まずはそちらに行って、お会いしてください」
「はい。……あのぅ、私はこのあたりの道がまだよく分からないので、お手数ですが地図を描いてもらってもいいですか?」
「結構ですよ。この町は広いですからね、ちゃんと地図通りに歩いて、迷子にならないように気を付けてくださいね。この町は治安がいいと言っても、裏通りには怖い人たちもいますから」
……どうやら私のことを子供と勘違いしているようだ。
ギルドカードには年齢を書く場所がなかったし、妄想魔法で男になってから何でだかいつも以上に見た目年齢も随分下がってしまっていたので、仕方がないことかもしれない。
実は25歳ですと言ったら驚くだろうな、と思ったが子供に見られたほうが何かと得かと思い、黙っておいた。大人の女は打算が働くのだ。
「あ。ところでちょっと聞きたいんですけど」
私はふと顔を上げ、地図を描いてくれている女性に尋ねる。
「なんでしょう?」
「人を探してるんです。ちょっと変わった格好してて、黒髪黒目で……異国の言葉を話す女の子なんですけど」
女性は少し考え込んだが、結局心当たりがないのか小さく首を振った。
「さぁ……黒髪の女の子なんて、居れば目立つから噂くらいは耳にするでしょうけどね。あなたも黒髪黒目だけど、もしかして故郷の恋人かしら?」
「いえ、友人です。ちょっと…逸れちゃって」
私はエヘヘと誤魔化すように笑うと、話を打ち切った。
どうやらこのあたりには、サヤもミホもいないようだ。これには結構ガックリきたが、二人の無事を祈りつつ地道に探すより他ない。
それでも同じ大陸にいればまだいいが………西側のティット大陸にいるならば探すのが大変になりそうだ。なにせ、船に乗って行かなくてはいけないのだから。
私は依頼主の待つカーサ・イーストンまでの地図を貰うと、礼を言ってギルドから出た。
さて。
二人を探す前に、私は生きるためのお金をせっせと稼がなければならない。
まず必要なのは、当座の生活費だ。
私のとりあえずの目標は、お昼ごはんをケチらなくてもいいくらいお金を得ること。
服や下着も買いたいが、衣食住のうち「食」と「住」は先に安定して確保できるようにしたい。……そのためにも、この依頼を失敗するわけにはいかないのだ。
私は「ヨシッ!」と自分自身に気合いを入れなおすと、記念すべき最初の依頼を受けるため、描いてもらったばかりの地図を手にカーサ・イーストンへ向かって歩き始めた。