動き始めた世界(後篇)
団長の言葉は衝撃的だった。
召喚に失敗した。
それはどういう意味なのか。
元々勇者召喚の儀式の詳細は王家と一部の臣下しか知らない。いわば隠された儀式だ。
一般国民には「勇者が召喚された」「勇者がドラゴンを封印した」その2点しか伝わらない。
だからノインは、団長の言った「召喚に失敗した」の意味が把握できなかった。
「それは……どういった意味でしょうか」
恐る恐る尋ねてみれば団長は「他言無用」と一言釘をさすと、ため息とともに教えてくれた。
勇者召喚の儀式は、一応は成功したそうなのだ。
しかし魔方陣の上に現れたのは、成人した男ではなく―――黒髪の少年。
王家に伝わる言い伝えと照らし合わせると、そもそもそこから間違っているらしい。
本来は成人した屈強な黒髪の男が召喚されなければならないというのだ。
勇者として召喚された男は国に代々伝わる聖剣を手にドラゴンのもとへと向かい、戦ってドラゴンを瀕死の状態へ持っていき、最後に聖剣に込められた魔力を解放してドラゴンを封印する。
それが今までの「ドラゴンの封印」だったらしい。
それなのに、今回召喚されたのはまだ10代と思われる少年。
その体躯もとても屈強とは言い難く、また召喚直後には近衛兵の剣を見ただけで気絶したくらいの気の弱さであるとか。
おまけにその少年は我々の言葉を解さず、今は王宮魔術師がそばについているが、未だ満足に意志疎通も図れていないという。
唯一救いとなるのは、その黒髪の少年はどうやら膨大な魔力を有しているらしいことだけだ。
「勇者には早くドラゴンの封印に赴いて貰いたい。だが、今の状況では到底無理だろう。ドラゴンがいつ暴れだすか分からないというのに、今は言葉を学ぶ段階なのだ。これでは呪文を唱えることもできん」
忌々しげに吐き捨てる団長を見て、ノインはこれまでの団長の苦悩を慮った。
これだけの事実を、自分や他の騎士たちに話さないまま胸に秘めていなければならなかったのだ。
それはとても苦しいことだろうと思え、ノインはそっと眉を顰めた。
尤も他の騎士たちに話したところで不安が不安を呼ぶだけで何の解決にもならない。それを考えると、団長が自分たちにこの事実を黙っていたのは正解だったのだろう。
「それで、緘口令を敷いているのですね」
「あぁ。本当ならばお前にも話すつもりはなかった。各騎士団長以上と、王と大臣、それから王子しか知らんことだ」
「王子もご存知なのですか?」
「今回召喚の儀式を行ったのが王子だからな」
「あぁそれで…」
最近王城で働く侍女たちがやけに「王子様のお元気が無い」と言っていたことを思い出す。
こんな事実を胸に秘めていれば、元気もなくなるわけだ。言ってしまえば、これは国家存亡の危機といってもいい出来事だろう。
「だが、今。ノインから黒髪の少年の話を聞いて、状況が変わった」
団長の口調が苦悩に満ちたものから厳しいものへと変わり、ノインはハッと姿勢を正した。
「黒髪の少年……勇者かもしれない、と思われているのですね?」
「正確には、勇者がもう一人いた、と私は考えている」
団長は窓に近寄っていき、外を見た。
外は良い天気だ。抜けるような青空に、3階の第二騎士団長室までその背を伸ばした木が緑の彩りを添え、とても清々しい。
だが団長が見ている方角にあるのは――――ラシャの湖、だ。
「ノインの知っているという黒髪は、少年なのだろう?どちらにせよ、伝承とは違う。となれば、勇者はその能力が二分された状態で召喚されてしまった………という考え方もできる。王城に現れなかったのは、召喚の着地点がずれてしまったのかもしれない」
「二人とも勇者ではないか、ということですか。しかし私の見た限り、カオ……黒髪の少年の魔力は人並み程度。とても勇者には見えませんでしたが」
「逆に剣技に長けているのかもしれないだろう。屈強な体でなくとも、戦い方次第では小柄な戦士が大柄な戦士に勝つこともある。それはお前もよく知っていることだ」
自分の過去の出来事を持ち出されて、ノインは心の中で舌打ちをした。
まだ体が未成熟であった少年時代、今のノインからは想像できないほどに血気盛んだった彼は、庶民でも参加できるような武道大会に出場しては自分より体の大きな大人の男たちを薙ぎ払っていたのだ。
それ以上何も言えなくなってしまい口を噤むしかなかったが、ノインはなぜだかカオルを「勇者」にしたくはなかった。
彼は、平和に楽しそうに笑っているのが一番似合っているのだ。
その彼をドラゴンの前になど、突き出したくない。
そんなノインの気持ちが透けて見えたのか、団長は「ならば」と前置きすると
「お前が見張るといいだろう」
と言ってニヤリとした。
「私が…見張る?」
「どちらにせよ、勇者の可能性があるものをそのままにはしておけない。お前がその黒髪の少年を『勇者ではない』と言い張るのなら、しっかり見張って証明しろ。勇者としての才能が欠片もない、ただの町民です、とな。もしもそれで剣の才でも見せるようであれば、その時は俺のところへ連れてこい。俺がこの目で確かめる」
「…………」
「まぁお前一人では荷が重かろう。…そういえば第四騎士団にお前の弟がいたな、頭が回りそうなのが。あいつを付けるように第四騎士団に交渉してやる」
だから任務に付け、と言外に言われて、ノインは不承不承頷いた。
元より団長命令を断れるはずもなかったが、考えてみれば他の誰かがその任に当たるよりも、自分が受けたほうがいい気がする。
団長に乗せられたような気もしたが、妙に庇護欲を誘うあの少年を守れるならば幾らでも監視の任務にあたってみせよう、とノインは決意した。
そうして、ノインは同じ騎士団に所属しながらも久しぶりに会った弟とともに、この任務に着任することになるのだった。
一箇所だけ、言葉を置き換えました(9月12日)