動き始めた世界(前篇)
あれから、何回か舞台に立たせてもらった。
1日に数回舞台をこなすので思ったよりもハードな仕事だったが、一座の皆は疲れた様子も見せない。
さすがはプロだ。
何回目の舞台だろうか。
人前で剣舞を披露することにもだいぶ慣れてきた私は、出番直前の小さな空き時間に幕裏から客席を眺めていた。
いつも通り客席がいっぱいに埋まっているのを確認しつつ、視線を客席の隅のほうへと走らせると、妙に見慣れたオレンジ頭が目に入る。
見たことのある頭だなぁ…と顔を確認してみると、驚いたことにそこにいたのは騎士服姿のノインだった。
同僚らしき銀髪の騎士と連れ立っているところを見ると、ここにいるのは仕事の一環か、はたまた仕事の終わった帰り道か何かだろうか。
どうせ見えるわけがない、と思いつつもノインに向かって手を振ってみると、ノインはすぐに気がついて手を振り返してきたので私はさらに驚いた。
(き、騎士団の視力、おそるべし…!)
司会席に立つペティエールの口上を聞いた後、いつもより心もち気合の入った顔で舞台に立つ。
いわゆる剣のプロであるノインが見ているかと思うと羞恥で死ねそうなくらいに恥ずかしいが、実戦とは違い、私がするのは剣の「演技」だ。
多少稚拙でも気にすることはない、と自分を慰めつつ、私はその日も精一杯に剣を振るい舞い踊った。
舞台で演技した後は、集金箱を手に客席へと移動する。
私が本来請け負っていた仕事の一つ、集金業務だ。
この集金業務がなかなかに恥ずかしく、毎回私は神経を羞恥ですり減らしつつお金を集めて回っていた。
「ヨォ!かっこよかったぜ!!」
「キャァァ!カオル様素敵でした!」
「また見にきますぅ~~!!」
観客のオッチャンやら女の子たちに囲まれて、内心恥ずかしさに穴を掘って隠れたい気持ちになるが、それをお腹に隠してニコヤカに笑ってみせる。
お愛想第一。お客様は神様です。
「ありがとうございます」
一人一人にお礼を言って笑顔を向ければ、周りも嬉しそうな顔で集金箱へとお金を落としていってくれる。
……恐ろしいことに銅貨に混じって時々銀貨や金貨も見えるのだが…、いや、一座が儲かる分には問題ないだろう。
世の中にはお金持ちの人もいるんだな、と納得して私は視界の隅でキラキラと輝くお金をスルーすることにした。
一通り人が捌けた後で先ほどノインを見かけた場所に行ってみると、驚いたことにノインはまだそこに立っていた。
慌てて足早に近づいて「ノインさん!来ていたんですね」と話しかければ、ノインは隣に立っていた同僚(?)に一瞬目配せをしてから、
「見ていましたよ、素晴らしい舞台でしたね」
とニコヤカに微笑んだ。
その一瞬の目配せが気になったが、同僚(?)さんからも「剣の扱いに長けていらっしゃるのですね」と誉められて猛烈に恥ずかしくなった私は真っ赤になって御礼を述べると、先ほど感じた違和感をすっかり忘れて下を向いた。
(うぅ、プロだよ、プロにアマの演技見られたよ!剣の扱いならあなた様のほうが長けてらっしゃると思うよ!)
私はしばらく猛烈な羞恥に悶えていたが、未だ自己紹介もしていなかったことを思い出し、居住まいを正した。
「あ、あの!名乗るのが遅れて失礼しました。初めまして、私はカオル=マツムラと申します」
「これはご丁寧に。私はレーリス=カシュベルト、騎士団に在籍しています」
「カシュベルト?というと…」
聞き覚えのある家名に「あれ?」と思うと、レーリスはクスリと笑って「隣にいるノイン=カシュベルトの弟です」と種明かししてくれた。
詳しく聞けば、ノインは第二騎士団で、レーリスは第四騎士団らしい。
部隊が違うと言っても兄弟揃って騎士団員とは、遺伝子が優秀なのか、それとも騎士団に捻じ込めるほど身分が高いのか。
私は小説で読んだ設定を思い返して、首を傾げた。
騎士団は門戸が狭く、入団はとても難しいことのはずだ。
たいていの志願者は、諦めて一般兵となるのが常だと読んだのが。
私の疑問に気付いたのか、ノインは「私たちは平民出身ですよ」とだけ教えてくれた。
「お二人とも優秀なんですね」
感心して二人を眺める。
兄弟と言われてみれば、確かに二人は似て見えた。
ノインがオレンジ色の髪なのに対し、レーリスは銀色の髪をしていたが、顔立ちそのものは良く似ている。
スッと鼻梁の通った顔は二人とも整っており、穏やかそうに見えるその目は若干垂れぎみで、優しげな笑顔をより一層柔らかいものへと見せていた。
実は二人とも、騎士団では部下たちに真っ青になって後ずさられるほどに熾烈な訓練を課し、「鬼の副長」「鬼の隊長」とそれぞれ呼ばれているわけだが、その顔を知らない私は単純に「兄弟揃って顔良し性格良し名声ありかぁ」とすっかり眼福に浸っていたのだった。
* * *
「あれが例の人ですか」
レーリスは、おもしろそうに舞台の上に立つ人物を眺める。
舞台の上で剣を手に舞い踊るのは、先日知り合ったばかりの少年・カオルだ。
長い黒髪を高く結いあげたカオルは真っ白な衣装に身を包んでおり、その白さが髪や目の黒色を際立だせていて、幻想的で美しかった。
ノインがカオルと初めて会ったときに「闇の精霊のようだ」と思ったのも、今のカオルを見れば誰もが頷くだろう。
「………美しいですね」
「惚れるなよ。あれでもカオルは男で、しかも監視対象者だ」
分かっていますよ、と言いながらも舞台から目を放さない弟に、ノインは小さくため息をついた。
この弟は昔から奔放な性格をしており、女性には兎角手が早いので困っている。
カオルは男だから、いくらなんでもレーリスの食指は動かないと思うが………この様子を見る限り、不安が募る。
本当に同じ親から生まれた兄弟だろうか、と思うほどにノインとレーリスの性格は正反対だった。
顔つきや雰囲気は、髪の色を除けば似ているようにも見えるかもしれない。
だが、どちらかといえば真面目で固いノインと比べて、レーリスは自由で気まぐれだ。
そんな弟が、自分の気に入った人間に近づくのは正直嬉しくないことだったが、こればかりは団長命令なので仕方がなかった。
実は、ノインがペティエール一座の公演に足を運んだのは、今日が初めてではない。
ちょうど2日ほど前、ペティエール一座がこの町で開いた最初の公演の時から、ノインは客席の隅で身をひそめるようにして舞台を見ていたのだ。
その後、諸事情で少し遅れていた弟のレーリスと合流したので、レーリスが実際にカオルを見たのは今日が初めてだが。
ノインとレーリスがペティエール一座の公演に足を運んでいるのは、何も演芸に興味があったからではない。…否、カオルが立つ舞台に興味がなかったとは言い切れないが。
二人は第二騎士団の団長から、カオルを見張るように指示を受けていた。
監視対象者に不審に思われずに近づいて見張るには、対象者とはすでに知り合いであるノインが相応しかったし、またノインの弟であるレーリスが所属している第四騎士団は諜報専門の部隊だ。
そういった事情から、ノインとレーリスは今回の監視任務に抜擢されたのだった。
そもそものきっかけは、いつもの巡回からなかなか戻らなかったノインに「何かあったのか?」と団長が聞いてきたことから始まった。
特に隠すことでも無かったので「黒髪の少年にご飯と宿を奢りました」とノインは正直に話したのだが、団長は「見知らぬ少年にご飯と宿を奢った」ということよりも「黒髪の少年」ということに異様に食いつきを見せていた。
「どんな子供だ。髪は本当に黒かったのか?目の色は?魔力は感じたか?」
と矢継ぎ早の質問にノインは戸惑ったが、
「髪は…漆黒と言っていいほどの黒髪でした。目も同様に。魔力量は、一般人程度にしか感じられませんでしたが…」
と答えると団長は「そうか…」と言ったきり、頭を抱えるようにして机に両肘をついた。
ノインは団長の質問の意図が読めず、戸惑った。
何故こんな質問をするのだろうと思ったが、団長の様子を見る限り国の中枢に拘わるような大きな何かが動いているように思えたので、いま余計な質問をするのは控えようと思い、黙って様子を窺った。
「―――なぜ二人も?召喚されたのはアイツだけじゃなかったのか…?だとしたら勇者は…」
団長はおもむろに立ちあがると、落ちつきなく部屋中を歩き回りながらブツブツと呟いている。
その言葉のきれはしに「勇者」と言う単語が耳に入り、ノインはギョッとして団長の顔を見つめた。
(勇者?異世界から召喚されるという、あの勇者?)
勇者の言い伝えならば、この国では小さな子供でも知っている。
曰く、
『大地割れ空裂ける時 王自らの血を以て儀式を為せば 召喚されたる勇者が国を救うだろう』
「大地割れ空裂ける時」というのは、この国に封印してあるとされるドラゴンが現れることを示している。
王自らの血を以て、というのは文字通りに王の血を使うわけではなく「王の血族が儀式にあたれ」という意味だ。
先ほど団長の漏らした言葉から考えると、もしかしたらドラゴンの封印が何かのきっかけで解けてしまい、王か王子が密かに勇者召喚の儀式を行ったということではないだろうか。
しかも現れた勇者はおそらく―――黒髪の少年。
確かにあの美しい黒髪はこの国では見たことのない珍しい色だったが、団長の言葉から察するにあれは異世界から召喚された勇者の証……なのだろうか。
先ほど出会ったばかりの少年を脳裏に浮かべて、ノインは眉を寄せた。
(あんな年端もいかないような少年が、ドラゴンと戦うだと?)
ドラゴンの姿を見たことのある人間など、この世界にはいない。
それはドラゴンが先の勇者によって地の底へと封印されているからだ。
しかし、その姿を描いた絵なら残っている。
数百年前から代々この国の王家が所有してきたその絵は、王家の宝物庫に隠され厳重に管理されているはずだ。
第二騎士団副長とはいえ元が庶民のノインにはその絵を見る機会など無かったが、それはそれは大きく恐ろしくおぞましい姿なのだろう…と想像を働かせていた。
それと戦うのが、カオルだというのか。
お腹をグゥグゥ鳴らし恥ずかしそうに頬を染めて自分を睨んでいた、あどけない少年が。
彼はとても剣を手にドラゴンと戦えるようには見えなかった。
もしかしたら勇者は魔法で戦うのかもしれないが、どちらにせよ、あの少年からは勇者に足るような魔力も感じられなかった。
もしも彼をドラゴンの元へ連れていったならば彼は1分と持たずに死してしまうだろう。
ノインは、自分の知っていいことではないかもしれないと迷いながらも、結局気持ちを抑えきれずに
「…勇者は、召喚されたのですか?」
と静かに尋ねた。
おそらくこれは、国家レベルの一大事だ。それも、騎士団の中でも団長クラスにしか明かされないほどの。
すっかりノインの存在を忘れていたのか、又はそれだけ深い思考に耽っていたのか。
団長は一瞬ビクッと体を強張らせてノインを見ると、しばらくの沈黙ののちに「あぁ…」と頷いた。
「ドラゴンの封印は解け―――」
「ドラゴンは」
ノインの言葉を遮り、団長が吐き出すように言葉を区切る。
「ドラゴンは、今は静寂を保っている。…しかし封印は、解けているのが確認された」
「そ、れは…どういう…」
「ノイン。伝承に寄るとドラゴンは目覚めるとすぐに人間・家畜・魔物……全て区別なく食らう、とあったな?」
突然に確認され、ノインは首を縦に振った。
ドラゴンが封印されて数百年。それでも、当時の出来事は口伝えに伝わっている。
勇者の言い伝えと同じように、ドラゴンの話もまた、幼子でさえ知っていることだ。
「それが、どうも様子がおかしいらしいのだ。ドラゴンが現れたのは、ラシャの湖だ。あそこはドラゴンの翼を以てすればこの王城からもそう遠くはない。だが、いつまで経っても湖の上に浮かんだきり、動かないらしいのだ」
「浮かんだきり?浮遊魔法か何かですか」
「おそらくな。ドラゴンは魔法も使う。体も食べ物も規格外のくせに、魔法を操ることだけは人間くさい。魔法を使うには繊細な神経が必要なはずなんだがな」
「人間くさい……。でしたら、寝ぼけているのでは。封印されたのは数百年も前です、その分寝起きも悪いのかもしれない」
団長は、顔をしかめて頷いた。
「その可能性はある。だが寝ぼけているのならば、いつかは目覚め、暴れだすだろう。その間に勇者を召喚しなければならないのだが―――」
そこまで口にして、団長は深くため息をついた。そして、未だ逡巡するように目を閉じる。
その様子に、何か嫌な予感がしたノインは、意識せずにゴクリと唾を嚥下した。
やがて覚悟を決めたように団長は目を開くと、
「召喚は、失敗したのだ」
とノインに告げた。