芸人一座の勧誘
翌日、無事に公園の使用許可が取れた一座は、朝早くから噴水広場で公演の準備をしていた。
ちなみにリーザの猛獣たちはまだ出さない。
公演のときまで馬車の檻の中だ。
猛獣と言ってもサイズは小さいらしく、馬車の中でも問題ないそうなのだが……小さい猛獣とはどういった生き物なのだろう。ちょっと気になった。
設営はもちろん私も一緒に手伝った。
とはいえ、今までにそんなことしたことがない私ができることと言ったら、皆の小間使い程度だ。
性転換魔法で男になり、女の時よりも筋肉が付いたおかげで力仕事を手伝えるようにはなったが、今までにテントすら張ったこともない私が積極的に設営に参加するには少し無理がある。
だからチョコチョコと皆の間を行ったり来たりしながら指示を仰いで手伝っていた。
「ねぇねぇ、小道具にこんなんあったよー」
小道具を整理していたポルムが、楽しそうに棒状の何かを振り回している。
気になって近寄ってみれば、どうやらそれは細身の剣のようだった。
装飾はそんなに華美ではないが、そのスラッとした刀身に描かれた文様は美しい。
「へぇ綺麗な剣だね」
「ね!模造にしては凄い本物っぽいよね」
「ポールームー、お前なに遊んでるんだよ。カオルも一緒になってサボんな。ほれ、さっさと椅子並べてこい」
そこに通りがかったマイトが、右手を振りかぶってポルムの頭を小突いた。
……ポルムの言葉じゃないが、マイトは本当にポルムの頭を小突くことが多い。挨拶代わりに頭にゲンコツ。マイトなりの親愛の情の示し方なんだろうけど、毎回ゲンコツではポルムが少し哀れだ。
せめてデコピン10連打くらいにしてあげてほしい。
「だって模造剣見つけたから!カオルの剣舞見れると思ったんだよぉ。ねっカオル!昨日言ってたよね、剣舞ができるって」
「あ?…おー!細剣か。ポルム、これは模造じゃねぇぞ。昔カシーナさんが使ってたやつだな」
「カシーナさんて誰」
聞きなれない名前に首をかしげたポルムと一緒に、私も首をかしげる。
昔この一座にいた人だろうか。
「座長の元奥さんだよ。座長と喧嘩して出てっちまったけど。あーそんときはポルムはまだいなかったな、そういや」
マイトはそう言うと、懐かしそうな目をした。
どのくらい前の話か分からないが、その過去を懐かしむ雰囲気から、少なくとも数年以上は前のことのように感じられる。
(ペティエールさんって結婚してたんだぁ)
何となく、テントの設営に奮闘しているペティエールのほうに目をやってみる。
こちらの話は聞こえていなかったらしいが、私の視線に気がつくとニコニコして「がんばれ!」と拳を作って見せている。
設営を頑張れ、と言いたいらしいが今の話を聞いた直後ではどちらかというと私のほうが「頑張れ」と言ってあげたい。
「カシーナさんは強かったんだぞー?旅の最中に出会った魔物なんか瞬殺でさ。座長も結構強いから夫婦喧嘩のたびに大変なことに―――」
「ねーねー、カオルの剣舞見せてよー。僕、見てみたい」
マイトの話を遮ってポルムは私の腕を掴むと、「ねーねー」としきりに駄々をこね始めた。
私としてはマイトから座長の元奥さんの話をもっと聞き出したいところだが、ポルムは自分の知らない人間の話は全く興味がないようだ。
こういうところに年齢って出るんだろうか。私は他人の秘められた過去の話を聞くと、少しワクワクしてしまうのだが…。いわゆる井戸端会議のおばちゃん精神といったところか。
しかし、ちょっと小生意気なところはあるが可愛い男の子に腕を引っ張られては、私も悪い気はしない。
釣り目がちな目をキラキラとさせてこちらを見てくるポルムを無視することもできず、私はポルムに向きなおると差し出された剣を手に取った。
マイトは話を遮られて少し不機嫌な顔をしていたが、私が剣を手に取ったのを見るとその表情は興味深そうなものに変わる。
二人の視線を受けて私は剣のグリップをしっかりと握り込んだ。
(……思ったより軽いわね)
二人から少し離れたところに移動すると、剣を右手に構え、刀のように幾度か振りおろしてみる。
ヒュッヒュッと軽快に風を切る音が辺りに響き渡った。
「……けっこう良い剣みたい。私はこういうのって無頼漢だけど、軽くて使いやすそうだし」
「それを使ったら、剣舞できるか?」
「どうかな。いつも使っていたのはカタナっていうのなんだけど」
さすがに刀はないよね、と思って二人を見るとそれぞれから頷きが返ってきた。
まぁ私が刀を使ってやっていたのも、実際は剣舞というよりもオリジナル振付の一人用殺陣なんだけど。
私は二人に「近寄らないで」と目で合図を送ると、目を閉じて、息を整え始めた。
…この剣を使って、私自身も体を動かしてみたくなったのだ。
男の体になって、どこまでキレのある演技ができるようになったのか試してみたい気持ちもあった。
お誂え向きに、カタナではないものの丁度使い勝手の良さそうな剣が一丁。
いつも使っている模造刀よりは重いが、筋肉量も増えていることだし、重厚感のある演技になるに違いない。
私はいつもより念入りに呼吸を整えた。
深呼吸と似ているが、これはそれよりももっと静かな呼吸だ。
呼吸とともに集中力を高め、体の隅々まで感覚を行き渡らせる。例えるなら、座禅を組んでいる時にする呼吸、というのが一番近いかもしれない。
身に纏う空気が落ちついたのを感じた後、私は閉じた目を静かに開けた。
今、私の目に映っているのは、早朝の公園ではない。私だけの静謐な空間だ。
ほんの僅か、呼吸を止め。
―――私は一歩前に踏み出した。
右に前に後ろに左に。
あらゆるところから剣客が飛び出てくるイメージを描く。
右手に握った剣は私の思う通りに踊ってくれた。
空気を素早く薙ぎ、私がターンをすればその刀身が美しい円陣を描く。
その動きは日本舞踊と似ているかもしれない。
殺陣とは「武の演技」。ただ剣を振ればいいわけではないのだ。
剣を、戦いの動きを理解してこそ、演ずる動きが美しく見えるようになる。
足が軽やかに、ステップを踏むように動く。
目に見えぬ相手に瞬時に迫り、剣を振りおろす。
振りおろした瞬間、私は腰をスッと落とし、その流れを殺すことなく背後から切りかかってくる相手の足を薙ぐ。
足を開き円を描くように重心を移動しながら敵を切り捨て、次の敵から距離を取り攻撃を避けるために足を動かす。
この世界「ロメリヤード」に紛れ込んできてからは基礎練習をしていなかったが、私の足は地面を滑るように音もなく動き、まだまだ衰えている様子もない。
殺陣は「少しでも基礎練習をさぼったら元のレベルに戻ると思え」と先生に口を酸っぱくして言われていたので、思った通りに動く手足に私は少し安心していた。
最後の敵を切り落とし、私は右下に剣をヒュッと軽く振りおろす。いわゆる「血落とし」だ。そして剣を鞘に―――。
と思ったところでハッと気がついた。
(そうだ、鞘は持ってなかったわ)
あまりにも思い通りの動きができてしまったので、いつもの模造刀を扱っているつもりになってしまった。
やはり男の体はいい。
服を着ると細く見えるが、私の体には筋肉がしっかりと付いているし、上背も女の体の時よりある。今までで一番動きやすかったかもしれない。
私はそういえば、と傍観者の存在を思い出して、マイトとポルムのほうを振り返った。
ポルムにせがまれて、少しだけのつもりがわりと真剣に動いてしまった。
飽きていないかなと心配しつつ二人の様子を伺うと、二人は……ポカンと口を開けてこちらを見ていた。
いや、二人だけではない。
気がつけばトクもリーザもヒュリアも、座長のペティエールまでもがいる。どうやら皆見ていたようだ。
思ったよりも観客が多かったことに私は恥ずかしくなり、私は彼らのほうにササッと向きなおると演技終了の礼をしてから誤魔化すように照れ笑いを浮かべた。
それを契機に、みんな我に返ったらしい。
ペティエールはハッとした顔をすると物凄い速度で私に近寄ってきた。
設営の手伝いをサボっていたことを怒られるかと危惧していた私の予想を裏切って、ペティエールは私の肩をガシッと掴むと、
「カオルくん!ぜひ我が一座に入らないか!」
……と真剣な目をして勧誘してきた。
ペティエールの「絶対逃がさないぞ」と言わんばかりの形相に怯えたのと、あまりにもその言葉が思いがけなかったのとで、私は思わず後ろに下がる。
その拍子に私は右手に握った細剣を取り落としてしまい、私の困惑具合を表すかのように石畳と剣がぶつかり合う音がその場に高らかに響くのであった。