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ミラスコープ

作者: 江藤ぴりか
掲載日:2026/06/28

 昔は〝陸〟があったんだってね。

 授業で習ったよ。


 今は、ちがう。

 窓の外には海が広がって、〝国〟と呼ばれる共同体はなくなってしまった。


 甲板に出ることができるのは、上級の人だけ。

 私のような中級は、この船で『ミラスコープ』を覗くことくらいしかできない。


 ポン。

『ミラスコープが新しい観測をしました。録画しますか? 視聴しますか?』


「視聴する。今、見せて」

『わかりました。もうすぐ配給の時間です。一時停止の際はお声がけください』


 窓に投影された世界には、私が映っている。

 もし、遠い昔に生まれていたら、私はどんな人生を歩んでいただろう。

 それを見せてくれるのが、『ミラスコープ』だ。




    ◆◆◆


「ゆかり、ありがとう」

「なに泣いているの。あなたの子どもでもあるのに」


 病室のベッドの上。

 微笑む夫婦の間には、赤い肌の小さな男の子。

 そばで見守る看護師まで顔が緩んでいた。


 窓からは木漏れ日が差していて、白いカーテンが光をやさしく受け止めている。


    ◆◆◆


「こんな人生もあるんだね……」


 私は視聴しながら着替えを済ませる。

 この〝木〟ってものも、生まれてから一度も見たことはなかったけど、風に揺れる音は本当に聞いてみたいものだ。


 ポン。

『配給の時間です。整列して食堂へ向かってください』


 もう、こんな時間か。

 私も食堂に向かおう。その前に――。


 医務室にはたくさんのタイプBたちが並んでいた。


「お腹へったよ……」

「早く終わんないかな」


 昔は私たちのことを女性と呼んでいたらしい。

 前を見ると、パーテンションで隠れて見えないが、出てきた人たちは痛そうな顔を浮かべている。


 ほどなく、私の順番が回ってきた。


『足を開いて力を抜いてください』


 毎朝のことながら、生理期間以外はこの細胞摂取を受けないとならない。

 私たちの卵子を取り出して、タイプAの精子を組み合わせるのだという。


 タイプAたちは、また違う形で精子を提供しているらしいが、毎度の下腹部の鈍痛どんつうはなんとかならないものか。


「いたた……。麻酔とかもないのはつらいなぁ」

「麻酔も限りがあるからこういうのでは接種してくれないんだってさ」

「ミカナちゃん」


 つらそうな顔で私の疑問に答えてくれたのは、ミカナ。

 数少ない私の友人だ。


「ゆかり、一緒に食堂行こうよ」

「そだね、いたたた」


 腰をさすられて、幾分痛みもマシになってきた。


「ミカナちゃんは医療科志望だっけ」

「まーね。ゆかりとは離ればなれになってしまうけどさ。たまに思い出せるように写真、撮っとこーよ」


 そういって、写真機を取り出し、パシャリ。

 画面の中の私はぎこちなく笑っていた。


「部屋に帰ったら送っとくから!」

「うん、待ってる」



 食堂に着き、配給を受け取る。

『すこやか栄養食――アルファタイプ』だ。


「やったじゃん、ミカナの好きなビーフ味だよ」

「ビーフ、美味しいよね。よくわからないけど」


 ビーフがなんなのかはわからないけど、味が濃厚でみんなにも人気の味だ。

 私はあっさりした味のデルタタイプ、つまりフィッシュ味が好きだ。


 サクッ、もそもそと食べていくと、唾液がじんわり口の中を満たしていく。

 でも、鈍痛のせいか今日はあまり食べられそうにない。


「ミカナ、ちょっと食べてもらえる?」

「ん? なら、補助ゼリーあげるね」


 すくすく補助ゼリーはRタイプ、つまりはりんご味だ。

 これなら私でも食べられそう。

 キャップを開けて、パウチを握る。口に広がる甘い香りに私はあっという間にからにした。


 お腹も満たされ、席でひと息つく私たち。


「そういえばさ、ミラスコープで私、子ども産んでた」

「そーなの? 私は忙しそうに働いていたよ。健診みたく、採血をたくさんしてた」

「あはは、ミラの中でも医療してたんだ」

「転職なのかなー? だったら、いいな。勉強、頑張れそう」


「あのさぁ」


 声をする方を見ると、トレーを持ったタイプAたちがこちらを睨んでいる。

 周りを見ると、席は満席。私たちは長居しすぎたみたいだ。


「ご、ごめんなさい。すぐ退きます」


 そそくさと片付け、トレーを返却口に返す。

 食堂から出ると、私たちは顔を見合わせ、苦笑いした。


「ゆかりは、なにになりたいの?」


 唐突な質問に、ミラスコープを思い出した。

 私はあの中で事務という仕事をして、電話対応に追われていたっけ。


「……わかんない。優柔不断だね」

「きっとちがうよ。『人生は一度きりだ。だからこそ、おもしろい』でしょ。悩めよ、少女!」

「なにそれ、先月の映画のやつじゃん!」


 上級の子が甲板の方に向かっていくのが見える。


「あ、あの服……。いいな、外ってミラでしか見たことないからうらやましいよ」

「ミカナちゃんもそう思う? 私も。でも医療科なら見れるかもしれないんでしょ?」


 他の船の患者を診る時に外に出られると聞いたことがある。


「あー、あれね。上級民しかダメなんだって。だから、私も上級目指さなきゃだね」

「そうなの? でもミカナちゃんの成績なら大丈夫でしょ」

「あー、はは……。ゆかりの得意な歴史、そうそう、歴史科でも甲板に出られるチャンスはあるじゃん?」


 彼女は複雑そうな顔で笑顔を貼り付けていた。

 床を歩く音だけが、私たちの会話を紡いでいる。


 そうして、私たちは部屋に帰り、授業の準備をする。

 それぞれに合った授業のカリキュラムをAIが組んでくれる。


 通知音が鳴ってミラスコープが更新されたみたいだけど、今は授業があるので録画しておこう。




 授業は私の苦手な科目ばかりだったので、クタクタだった。

 窓を見ると、相変わらずの水、水、水だ。

 退屈な景色より、溜め撮りしたミラを観るに限る。



   ◆◆◆


「鶴亀商事の見積書、送った?」

「はい! あ、次の会議の資料ですが、コピーして会議室に置いてあります」

「さすがだね、ゆかりさん。職場復帰、早かったけど大丈夫? 子どものことで早退とかあれば遠慮なく言ってね」


 PCとにらめっこする女性は、入社八年のベテラン社員だった。

 このほど出産し、保育園の受け入れ先も難なく見つけられたので、職場復帰したばかりだ。


「あ、お茶なくなちゃった。給湯室、給湯室……」


 給湯室に入ろうとすると、他の社員の声が聞こえてきた。


「ゆかり先輩もお局かぁ。それにしても、復帰、早かったよね」

「社長のお気に入りって噂らしいよ。尻拭いは現場で気楽だよね」

「そうそう、週に二回は早退遅刻してるし、パートかよって」


 心臓が跳ね上がった。だが、そこで折れてはお局じゃない。


「いつも負担かけてごめんね。私もあなたたちが困った時に助けられるように頑張るから」

「あ……」


 気まずそうに退散する社員たち。

 後輩の愚痴は過去の自分にも返ってくるんだなと、ゆかりは思ったのだった。


   ◆◆◆


「うへー、やな感じ。でも、前は先輩の尻拭いしてたし、今は自分の番ってことかな」



 ポン。

『課題の時間です。ミラスコープの通知をオフにし、録画モードに設定します』


「えー、いいとこなのに。あと五分だけ……あ」


 ミラスコープの電源が落とされ、渋々宿題に取りかかる。

 よりによって物理の……。

 それより、歴史のほうが興味あるよ。


 歴史……。



 目の前のモニターに物理の宿題が表示され、タップして答える。

 記入式にはタッチペン。

 昔は紙とペン、キーボードで書いてたんでしょう。

 私はそれに憧れている。




   ◆◆◆


「ママ、今日ね、みーちゃんと折り紙で遊んでね、それでね」

「はいはい。ママ、お皿洗ってるからパパにお話してあげてくれる?」

「あい! パパー! ガッコでね、みーちゃんがね、やっこさん作ってくれてね――」

 

 今日の家事当番はゆかりだった。

 晩ご飯に作ったハンバーグはパパもしーちゃんもよく食べてくれた。

 大変だったけど、作った甲斐があるというもの。


 お湯が気持ちいい季節になったものだ。

 お風呂はパパが洗ってくれたので、しーちゃんとゆっくり浸かろう。

 最近じゃ、十数える前に上がろうとするけれど。

 これはパパのせいなのかな? やけに早めに上がってくるし。これは夫婦会議にかけないとダメね。


   ◆◆◆


「お風呂、いいな。外には水がたくさんあるのに、お風呂には使えないからなぁ」


 私は歴史を知りたい。

 こうしてミラが見せてくれる旧時代の生活風景は、きっと過去の人が遺してくれた体験のはず。


 ミカナちゃん、私の夢、見つかったよ。


 私は歴史の探求者になってみせる。




   ◆◆◆


「しーちゃん……しずかももう成人式か」

「もう、パパが先に泣いちゃダメでしょ。わたしの成人式なのに」


「しずか、振袖なんだから、はしゃがないの」

「はーい。ママ、わたし、きれい?」

「きれいよ。ママのお下がりでごめんね」

「なんで謝るの? この着物、すごくかわいいよ?」


 ゆかりの振袖姿に娘時代を思い出す。

 この振袖はゆかりの母のものでもあった。


「ミナちゃんもかわいいって褒めてくれたんだよ」

「そうなの?」


 お母さん。私は親不孝だったかもしれません。

 でも、こうしてお母さんの着物を、孫のしずかが袖を通しています。

 お母さんの苦労がわかっても、直接伝えられないのが、もどかしいです。


   ◆◆◆


 空想のゆかりは、子どもを大人に育て上げていた。


「子ども、か」


 私たちには縁のない話だ。

 人工授精で生まれ、この船の中で一生を終えて、火葬されたらロボットが散骨する。

 だから、昔の人がどうやって生活していたかを私は知りたい。

 共同体は危険だと習ったけど、船の中はあまりにも窮屈だ。


 もし、木を育てることができたなら、感触を確かめたい。

 もし、雨を降らせることができたなら、コップで水を集めてみたい。


 その答えを知るために。


 私は、なぜミラスコープが未来へ残されたのかを知りたい。


 希望はこの船で、見つけてみせる。

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