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あたたかい夢から覚めたメマは、窓から差し込む朝日の眩しさに目を瞬かせながら、寝台から起き上がる。そして、隣に柔らかい何かの温もりがあることに気が付いた。
「うにゅ〜……んふふ」
温もりの正体はアリサだ。彼女はまだ幼さの残る顔で心地よさそうに眠り、メマに寄り添っている。
寝台が足りなかったのだろうか、とメマは部屋を見回すが、寝台はきちんと三台置いてある。メマ、アリサ、マリアの三人が一人ずつ眠れるようジャックが用意したのか、それとも元から三台あったのか、メマには知り得ないが、少なくとも二人で一つの寝台を使う必要性は感じない。
アリサの行動を不思議に思ったメマだったが、すぐによくあることかと思い直した。なぜなら、自身も眠る兄に対して同じような行動を取ったことがあるからだ。
(お兄ちゃん、ひとりでねむれたかなぁ)
大人の男にするようなものではない心配をするメマだったが、兄ルシファーは恐らく眠れていないだろう。赤い瞳を更に充血させて、メマに思いを馳せていたに違いない。
勿論そんな想像に及ばないメマは、一階から漂う何やら香ばしい匂いに気が付くと、兄への心配を放棄する。幸せそうに眠るアリサを置いて寝室を出たメマは、小さな足取りで匂いを辿り、階段を下りた。
一階へ下りると、メマに気付いた勇者ユリウスが「起きたんだね。おはよう、メマ」と朝に相応しいキラキラと輝く微笑みを見せた。その勇者特有の輝く笑みは、寝起きのメマを一層眩しく感じさせる。
「マリアが朝食を作ってくれたから、みんなで食べよう」
「ふふ、大したものではありませんが、メマさんもどうぞ」
マリアの声を聞いて、寝ぼけ眼で目を擦りながら皆が座る席に着席すると、目の前に食事が並べられる。丁度よい焦げ目のついた四角いパンと、黄金色の美しいスープに、脳みそが覚醒したメマの瞳は奪われる。
「バターとチョコレート、どちらにしましょうか?」
「?」
聞いたことのない二択を迫られたメマが首を傾げる。その様子に気付いたマリアは、小さく微笑むと耳元でこっそりメマを呼ぶ。
「おすすめは『二つとも』ですよ。もしよければお手伝いしましょうか?」
なぜか悪いことのように囁かれて、メマはよく分からないままこくりと頷いた。やがてマリアが台所から持ってきた黄色い塊が、四角いパンに乗せられる。角張ったそれが焼きたてのパンの熱でじわりと溶け、切れ目から染みていくと、今度は小さな瓶の中身をゆっくりと上から注いだ。
黒っぽいそれを魔族のメマは見たことがなかったが、人間の国では割と一般的に流通しているチョコレートなのだという。
「さぁ、どうぞ」
「――!!」
溶けたバターとチョコレートが混じり合い、魅惑的な姿になったパンを、大きく目を開いたメマは震える手で口元へと運んだ。そして小さな口で齧り付くと、メマの瞳は宝石のように輝きだす。
溢れんばかりのチョコレートに手を汚しながらも、メマの瞳はこれでもかと光を増す。その姿は実に子供らしく、天使のようである。
メマの反応を窺っていた面々は、その漏れ出る天使力に宙を見ながら目元を抑え、大きなため息を吐いた。
「か、可愛すぎる……魔王が攫いたくなる気持ちも分かるかもしれないな……」
「僕があと二歳若かったら、一目惚れしてたよ……」
「神の作り上げた傑作としか言いようがありませんわ……」
「娘かぁ……いいなぁ……」
普段から無表情なメマだが、代わりに瞳の感情表現は人一倍に豊かであった。
甘くて美味すぎる朝食に感動するメマによって、天へ召されそうだった彼らの目を覚まさせたのは、誰よりも遅く起きてきたボサボサ頭のアリサの一言だった。
「おは……え、なにこの状況?」
*
皆が朝食を終えると、思い思いに寛ぐ者たちへ勇者が告げる。
「今日はメマに街を案内しようと思うんだ」
その声に視線を集中させる仲間たちから、勇者は隣でミルクを飲むメマを横目に見た。
「せっかく王都に来たんだし、メマに楽しい思い出を作ってあげたい。メマもいろいろと不安だろうからね」
昨日魔王に手も足も出なかったことなど忘れてしまったのだろうか、と思うほどの勇者のお気楽な提案だったが、仲間たちは賛成の声を上げた。
「いいですね。教会は本日締まっているので伺うのは明日になりますし、初めて見るものが多いメマさんに、いろいろと教えてあげることができます」
「賛成!! めっっっちゃ大賛成!!」
「僕もいいとは思うけど、アリサはただ遊びたいだけでしょ」
「ちがいます~。あたしはノートみたいにつまんない本ばっかり読めないから、メマを外に連れ出してあげたいだけです~」
「はいはい。集中力がないんだよね」
「うっさい!!」
出会ってから何度も言い合いを繰り広げるアリサとノートに、もはや興味も示さないメマは、人間の街がどんなものなのかと想像していた。昨日少し歩いただけで、魔物ばかりのダークネスとは似ても似つかないほど栄えた街であるとメマは感じたのだ。
まだ見ぬ美味しい食事、活気のある人々や不思議な店、そして日中と夜で雰囲気の変わる街並みを想像すると、子供であるメマの好奇心は酷く燻られる。
そんな人間の街を好きなだけ探検したい、様々な食べ物を食してみたい、人間の生活を覗き見たい……!
楽しみになったメマは、早くも胸を躍らせた。
そうと決まり支度を済ませ、仕事のあるジャックを除いた皆で外へ出る。すると容赦なく突き刺さる朝日の眩しさに、慣れないメマは咄嗟に両目を閉じると、勇者の後ろに隠れてしまった。強い朝日は暗闇で過ごしてきたメマにはまだ辛いものがある。
メマの行動を『甘えている』と勘違いしたらしい勇者は、クスリと笑い、メマの手を取ると優しく微笑み歩き始めた。
一行は、王都ソロモンで最も栄えるブレーブマーケットという市場へメマを連れてくると、その中心部にある像の前で立ち止まった。
「メマ、この像の男性がこの国の初代王、アラステアだよ」
メマは指差す勇者に促されるまま、その像に視線を移した。凛々しい姿で剣を天に掲げる姿は誰が見ても正義の味方に映るが、メマの目にはそのように映らない。魔王の兄から散々『しつこい男だ』と聞かされてきたメマにとっては、酷く執着心の強い悪者という認識なのだ。像にするほど国民に好かれるような素晴らしい人間性とは到底思えない、とメマは微妙な顔になると、すぐにそっぽを向いてしまった。
「ユリウスったら……いくら憧れてるからって、こんな小さな子にアラステア様の紹介なんかしても興味あるはずないでしょ?」
呆れた様子でアリサが言うと、勇者は「ハハッ、確かにそうだな」と照れたように笑うが、そもそもそんな問題ではない。
人間たちに伝わる美化された勇者の歴史と、ダークネスで数百年もの間生き、その目で人間を見続けてきた兄の言い伝える歴史の違いは激しく、メマの頭は昨日から混乱気味である。
ただ、兄が言うほど人間が愚かかというと、そうにも思えない。
「おっ! 勇者様じゃないか!」
アラステアの像を尊敬の眼差しで見つめる勇者をメマが見上げていると、突然声をかける男が現れた。男の声を皮切りに「本当だ!」「勇者様〜!」と街は勇者に気付いた民たちの声で溢れかえり、メマは異様な光景に疑問を抱いた。
勇者を見て嬉しそうに手を振る人々、堂々とした面持ちで手を振り返す勇者ユリウス、そしてそれをあたたかい目で見守る仲間たち。
魔族のメマには、人間たちがなぜここまで勇者という存在を崇めるのか、なぜ何もしていない魔族を滅ぼそうと躍起になるのか、何度考えても分からない。幸せそうな彼ら人間を見つめていると何だか微妙な気分になるというのに、勇者ユリウスと繋いでいる手の温もりは、なぜかメマに人間そのものを醜いとは思わせない。
(へんなの……。勇者もにんげんも、お兄ちゃんも……ケンカなんてやめて、なかよくすればいいのに)
あっという間に人集りができ、街の案内も進められず勇者が人々へ手を振り続けていると、ついに耐えきれなくなったアリサが勇者からメマの手を奪った。
「メマちゃんがつまらなそうだから、あたしはこの子と先に行ってるわ! ユリウスは勇者らしく、そこで街の人たちと話してて~!」
「え!? お、おい、アリサ!?」
「あらあら」
「ちょっ、待て、このおバカー!!」
慌てる勇者と仲間を放置して、アリサはメマと共に人ごみの中へ紛れてしまう。
若者らしく自由奔放で自分本位なアリサには、皆手を焼いているようだ。
仲間たちを置いて先へ進んだアリサと、彼女の言う通り若干つまらなかったメマは、市場の見せ場である屋台通りへとやってきた。
並木のように多くの屋台が並ぶその通りは王都ソロモンの観光名所となっており、旅人は皆必ず立ち寄ると言われているのだそう。
道歩く人々を誘うような店主たちの活気溢れる声、目移りするほどの食事の数々、そして鼻と空腹を刺激する美味そうな香りは、メマの興味をそそるものばかりだった。
「うわぁ……」
メマが思わず感動の声を漏らすと、アリサは嬉しそうに笑いかける。
「メマちゃん、今日はたっくさん遊びましょ!」
そうしてアリサは、メマの手を引き走り出した。自分よりもはしゃいでいるアリサの姿に、メマは人知れず姉妹のような気分になっていた。
二人で周辺を見て回っていると、とある屋台の店主が二人を引き止める。
「おっ、嬢ちゃんたち可愛いね〜! サービスでやるよ!」
ヘラヘラとした男は、棒に刺さった何かを手渡してくる。飾り物のようにも見えるが、食べ物らしい。
「えっ、おじさんそれくれるの?」
「おうよ! 可愛い子にはタダって決めてんだ!」
「やった〜!」
気前のいい店主からアリサがそれを受け取ると、次に店主はメマへと同じものを差し出してきた。
「ほらよ! 特別可愛い嬢ちゃんには更にサービスだ!」
メマは目の前に差し出された綺麗なそれを静かに受け取り、瞳を奪われる。大きな瞳を輝かせるメマを、店主の親父はまじまじと見つめた。
「嬢ちゃん、それと同じ色の瞳してんだなぁ。キレーな色だぁ」
感慨深そうに呟く親父がメマたちへ渡したのは、屋台の王道デザート、ストロベリーキャンディーというもの。鮮やかに赤く色づいたストロベリーを飴にしたものは、子供を中心に人気のお菓子である。
「わっ、メマちゃんったらいいな〜! 二個も貰ったんだ!」
メマの持つキャンディーを見て羨ましそうに言うアリサの串には、ストロベリーは一つしか刺さっていない。一方メマの串には大きなストロベリーが二つ連なっており、タダで貰うにはサービスが旺盛すぎると言えるだろう。
「キャンディーと同じ瞳の色のよしみだからな!」
「良かったわね、メマちゃん!」
意味不明な理屈だというのに、慣れているのか、アリサは異常なほど受け入れが早い。
メマはというと、美味しそうにキャンディーを口に運ぶアリサを余所に、赤い瞳を大きく開いて、手に持つそれを見つめていた。
「…………」
「……どうした嬢ちゃん? もしかして、ストロベリーは苦手だったか?」
キャンディーを見つめて動かないメマに、先程まで豪快に声を上げていた親父は途端に寂しげな声で問いかける。獣のような厳つい見た目をした親父だが、どうやらただの子供好きらしく、メマの反応が一番気になるようだ。
「……赤い」
しょぼくれて既に泣き出しそうだった親父は、メマの呟きに表情を変える。
「……お兄ちゃんの目と同じ色」
「おぉ、嬢ちゃんには兄貴がいるのか?」
「うん」
表情の乏しいメマとの会話に「じゃあ……」と親父は何の気なしに言葉を放った。
「兄貴の瞳も、嬢ちゃんと同じキレーな色をしてんだろうなぁ」
「――!!」
その兄が魔王だとは露ほども思っていない親父の言葉は、メマに強く突き刺さる。
人間を、無意味に魔族を傷付ける攻撃的な種族だと思っているメマは、彼らに対して微妙な感情を抱いていた。しかし、もしかしたら人間は兄が言うほど悪い存在ではないのかもしれない……。そう信じたくなるほどに、メマは無条件で優しく接してくる人間たちにあたたかい何かを感じていた。
「俺の作るストロベリーキャンディーは何処の店のキャンディーよりも甘くて美味いと評判なんだ。良かったら今度は兄貴も連れてきな」
メマの心情など知らずニカッと笑う親父に、兄を褒められ嬉しくなったメマは照れたようにこくりと頷いた。
「ま、嬢ちゃんはともかく兄貴の方は金取るがな」
付け足すように呟いた親父の声はメマの耳には届かず、赤いストロベリーをようやく一口頬張ったメマは、その甘さと口の中一杯に広がる果汁に思わず頬を押さえる。
「ほっぺが落ちちゃう……」
「「ぐぅっ……!」」
小さく呟かれたメマの声を聞き逃さないアリサと親父は、胸を押え悶えている。けれど、そんな二人にストロベリーに夢中なメマは気付かないのだった。




